県立図書館 四 ~そして結末~
抵抗などする暇など無かった。
こちらの心の準備をする暇もなく、ポイニクスから攻撃を受けた形である。
気づいてみれば全身が炭になってしまえと言わんばかりに燃え上がっていた。
「うおっ! マジかよっ! あ、あつ……くない……??」
そう熱くない。まるでガソリンを被った状態で火をつけられたかのように燃え上がっているのに、熱さを感じない上に体が焼け焦げるような感じもない。つまり熱すぎて感覚麻痺しているわけでもないという事だ。
「どういうことなんだ??」
既にその質問に答えられる相手は見当たらない。ポイニクスの奴は翼に体当たりをすると同時に消えてしまったのだ。翼に吸収されたが如く。これが宿主と意味を指しているのだろうか。
直後――
――これで契約は成りました。
誰も居なくなったはずの獄炎の世界で、そう胸の内から聞えた気がした。
同時に全身を包んでいた炎が契約の終わりを告げるかのように一気に翼の胸へと収束していく。そこが炎の収まるべきだというかのように。そして先ほどと違い、心が炎の塊にでもなったかのように熱く感じた。その瞬間、見た事もない光景が翼の中へと流れてきた。
「なんだ、これは……」
それは先ほどまで目の前に居たポイニクスが一つの山脈を丸ごと焼き払う姿。
その後、焼け野原となった黒焦げの大地に草花達が咲き誇り、その他の生物たち集まる光景。
恐らく、これがポイニクス……破壊と再生。いや、”フェニックス”と言うべきか。
翼は認識した。今自分は求めていた力とは正反対の力を手に入れてしまったのだと。
失意が胸を満たそうとしていた。
しかしその暇さえ与えないとばかりに、翼の視界は赤い光に包まれ、再度意識を暗転させられたのだった。
「ツ……。ツバ……。ツバサ……!」
誰かの声がする。
石板なのか、それともポイニクスの奴だろうか。
違う。この声には覚えがある。忘れてはいけない声だ。
翼は声に誘導されるように瞼を持ち上げる。
その瞳に映ったのは――
「ツバサッ……!」
「フィス……? フィス!」
のぞき込むような状態でフィスに見下ろされていた。
後頭部に自分の物ではない体温を感じる。
この二つだけで現状は十分に把握できた。
どうやら翼は目の前のフィスに膝枕をされているようだ。
本来ならば人も羨む光景だっただろう。
しかし今は――
「はっ! 大丈夫なの……か……」
フィスを心配する声を上げる。
フィスは先ほどまで眠りについていたはずだ。心配するのは翼の役目であり、今の状況は完全に逆である。
慌てて起き上がるとフィスの状態を確認していく。しかしその確認はあっと言う間に中断させられた。
正座したままの状態のフィスの下半身に大きな変化が現れていたからだ。
それはまるで水晶にでも変化する寸前の様に透き通っていた。
これが精霊化……!?
上半身は服で見えないとはいえ、その進行がかなり及んでいる事は既に変化が始まりを見せている、フィスの腕や首筋からも容易に想像できた。意識を失う前とは明らかに違う状況に、心の中で焦りという感情が暴れだしそうになる。当人には見せまいと強く歯を食いしばるが、既に無駄な行動かもしれない。きっと本人も自覚している事だろう。
「どれくらい俺は意識を失っていたんだ」
「たぶん、はんにち。たいよう、あがってる」
「半日……!?」
翼の中では数分の出来事だと思っていた。しかしどうやら全く違うようだ。恐らく、あの世界に引き込まれている間に想像以上の時間が経過してしまっていたらしい。夢だったのだろうか。いや、自分の心に隅にあの世界で宿った熱さを感じる。現実だったのだと証明するかのように。
しかし求めた未来とは違い、訪れたのは現在のフィスの状況というわけである。更に貴重な時間を大きく減らしてまで手に入れた力は、翼の願った復活や回復とは全く違うものだとは自分の馬鹿さ加減に死にたくなる。いっその事、翼の体が精霊化すればいいのにと。
「そんな、かお、しないで」
「ごめん……俺、俺……くそっ!」
フィスには全てを見透かされているようだった。
出来るのは謝罪くらいしかなかった。
「つばさ、すごく、がんばった。わたし、しあわせ」
「まだだ、もう一度、もう一度……!」
翼の諦める事を諦めない言葉に対して、フィスは静かに首を振った。
分かってはいる。翼だって分かってはいるのだ。
例え、求めるべき力が見つかったとしても、また半日も意識を失う事になれば手遅れだろうと。何よりも手に入れた力を正しく使える知識が翼にはない。実際に胸の奥にポイニクスの力を感じるが、それを今のこの場で制御出来る自信なんてもちろんない。たぶん新たな力を得たとしても同じ事だろう。力を得ただけでは意味がない。知識と合わさる事で初めて行使できるのだ。元の世界で高性能飛行機を手に入れても翼には運転出来ないと同じだ。求めていた時は分からなかったが、手に入れてしまった今なら理解出来る。所詮、自分は自宅警備員の頃と大して変わっていない。図書館警備員になったからと何も変わっていないのだと。
「くそっ!!」
翼は自身に向けた怒りの声と共に拳を地面に叩きつける。
大きな感情がこもったはずの拳は、軽い衝突音ともいえないような音を静かな図書館に響かせた。
「ありがとう、つばさ」
「感謝の言葉なんて去れる覚えないっ! 俺は何も出来なかったんだっ! 俺が集落からフィスを連れ出そうなんて考えなければこんな事にならなかったっ! 俺が……俺がフィスの知識を求めなければっ!!」
そうだ。翼がフィスを連れ出したからこんな状況になっているのだ。集落から連れ出す事が無ければ、例え環境や待遇が悪かろうとも現在のような事にはならなかったはずである。
「ちがう。わたし、うれしかった。ありがとう、いっぱい」
「でもフィスは……」
こうやって言葉を交わしている間にも、フィスの体は結晶化が進んでいっている。明らかに速度を上げて。残された時間が少ない事は本人が一番よくわかっているだろう。
「わたし、しぬ、ちがう。からだ、はなれて、せいれい、なるだけ」
「じゃあ、また体に戻る事も出来るのか……?」
「わからない。わたし、わからない。おとうさん……だめ。じいさま……しっている……かも」
「……どこにいるんだっ!?」
今まで精霊化を止める事や回復ばかり考えていたが、精霊化後に戻れる方法があるとは考えもしなかった。あくまでもフィスの話し方からすれば可能性だけだろうが、そこに可能性が生まれただけでも大きな進歩である。
そしてフィスが静かに指で向かうべき方角を示した。
きっとフィスの里を示しているのだろう。それは太陽が昇った方角から考えると南。かなり曖昧な目的指示ではあるが、今のフィスにこれ以上を求めるのは酷と言える。実際、翼に既に膝枕をしていた足の部分は動かせる状態には見えなかった。もう詳しく確認する時間はないと見た方が良いだろう。
「わかった。きっとフィスの家族に会ってくる。そして元に戻す」
そう口にすると翼は座ったままだった、フィスの背中を支えてやると、ゆっくりと横にしてやる。
ただフィスは言葉を止めない。まるで会話を終える事に抵抗するかのように。
「むり、だめ。つばさ、じぶん、いちばん、だいじ、する……」
「わかってる、わかっている。俺はそんなに器用な人間じゃない。自分の命第一主義だ。短い付き合いだけど、もうわかってきた事だろう?」
翼の言葉に対して、それが嘘だとでも言いたげにフィスの口元が笑ったように見えた。
「でも、フィスの家族には会ってみたいな。だからこれについては頑張ってみる。無理をしない程度に目指してみるよ」
「やっぱり……」
「いやいや、ダメだと思ったら引き返すよ。約束する。自分の命を大事にするよ。……でも、誰かさんのせいで諦めない事も覚えたからな。こりゃ難しい」
「ふふふ……」
つまらない翼の冗談に、フィスが初めて笑い声を聴かせてくれた。こんな状況になるまで、それを聞いていなかった事に初めて気づいた瞬間でもある。それほどに濃密な短い期間を過ごした証拠とも言えるかもしれない。
しかしそんな柔らかな空気を阻むように精霊化が、フィスの体を蝕んでいく。
既に足どころか上半身すらも無機質な物体に変わっていた。一旦始まった本格的な結晶化は加速しているかのようにフィスの体を変化させているようだ。残された時間はどれほどだろうか。
「フィスも、俺の世界の言葉を教えてもらう約束を忘れるなよ。俺に約束を守らせるなら、この約束も絶対に守って貰わないとな」
翼の言葉に応えるように結晶化の進んでいる右腕を震えながらも伸ばしてきた。
その腕を優しく両手で包む。結晶化による恐怖を少しでも和らげるように。
そう、怖くないわけがないのだ。今まで人間として生きてきたのに結晶化していく精霊化というものが、フィスの心に与える影響は計り知れない。それを彼女は隠して今の時間を過ごしているはずなのだ。
「つばさ……」
「おう、なんだ?」
翼は出来るだけ元気な返答をする。フィスに不安を与えないように。
「わたし、まな、きいて……」
「まな? 真名の事か?」
「うん……。わたし、まな、くりふと、ふぃす」
「クリフト・フィスか。いい名前だ。でも俺はこれからもフィスって呼ぶけどな」
「わかっている……。でも、おぼえていて……」
「俺が忘れそうになったら、また教えてくれればいい。だから”諦めるなよ”」
何度も何度もフィスに言われた言葉だった。それをここで返還してやる。それは翼も諦めない事の宣言。
「つばさ、ばか……」
「そんな言葉も知っていたのか。まあでも否定は出来ないな。俺は確かに馬鹿だ。だから……待っていろっ!」
その言葉にフィスの瞳が大きく開かれた。
そして――
「……ありが……とう……」
絞りだしたようなフィスの言葉はそれを最後に完全に途切れた。
同時に絶対零度の空間にでも放り出されたかのように、人だった少女が結晶の塊へと一気に変化を遂げた。それはまるで美術館に飾られた一つの美品のように。
「フィス? フィス……? ふぃす……。ふぃ……」
返答する者が居なくなった図書館で嗚咽交じりの言葉へと変わった、翼の声だけがとても長い時間響き続けた。




