無形の真の価値
翼は髭が去った後、リュックに残った非常食を口にして一息を付いていた。ある程度は察しが付くとは思うが、有名な非常食でもあるカロリーメイドは逃げ回る中のゴタゴタで粉々になってしまっていて元の形をなくしていた。元々美味しいとは思えない素っ気ない味が形状を変えた事で、粉薬でも飲むかのような気分にさせられたが背に腹は代えられなかった。お陰で痛みも疲れが消え去る事はなかったが、空腹と体力だけは多少なりとも回復していた。
もっとも目を覚ましたばかりのフィスの方は食欲がない様子で、少量の水だけを含むだけに終わっていた。
当然ながら歩くどころか立つ事も難しい状況で、引き続きフィスを背負うしか選択肢は残されていなかった。心なしか崖下に居た時よりも彼女が軽く感じられるのは、翼自身に余裕が生まれたからか、それとも体力が回復したからなのか。どちらにしても負担が小さい事は今の翼にとってもありがたい。実際に歩く程度は出来ても、また走れと言われて走れる自信はない状態である。だからと、更に回復を図る事でまた危険が迫る事も避けたかった。それに上手く行けば夕方までには図書館に戻れそうな距離である事は、目印である巨木のお陰で現在地は分からなくても目指すべき場所の見当はついていた。
「フィス、帰ったらゆっくり休もう。だからもう少し我慢してもらえるか?」
「わたし、だいじょうぶ。つばさ、むりしてない?」
「トロールや濁流から逃げる事に比べれば、随分と楽をさせてもらっているさ。それに俺は根性がないから、本当にダメならまた休むよ」
心配そうなフィスの声に少しだけ格好をつけた言葉を返す。元の世界なら笑われそうな言葉ではあるが、不思議とフィスの前では自然と口に出来た。たった数日しか経過していないのに異世界は俺に変化を与えているのだろうか。悪い気分ではない。
「ごめんなさい、つばさ」
「え……? なんで謝るんだ? 謝るようなことをフィスはしていないだろ?」
フィスの謝罪の意味が分からない。
翼としては助けられた記憶が殆どを占めているのだから感謝しかない。逆に「ありがとう」と言いたいくらいである。
「とろーる、にげるとき、わたし、おいてく。つばさ、たすかった」
言葉の意味としては、つまりフィスを餌として使えば危険なく逃げられたという事だろうか。
なるほど確かにその方法を取れば翼がもっと安全に逃げられた可能性は非常に高いだろう。
だがそんな選択肢は元々考えるつもりもないし、やるわけもない。元々ない選択肢のタラればなんて何の意味もない。それが翼の考えであるが、どうやらフィスの中では最有力とすべき選択肢だったから出た言葉なのかもしれない。
「はぁ~~~~。それを言ったら俺がトロールに狙われている時にフィスだって逃げられただろう? でも逃げないで俺を助けてくれた。なら俺も逃げるわけがないじゃないか」
「ちがう。つばさ、おかね、はらって、わたし、たすけてくれた。わたし、たすける、あたりまえ」
どうやらトロールとの戦いではなく、翼が集落で引き取った事を指して言っているのだろうか。それを言ったら翼もフィスのお陰で何度も助かっている。しかも何より助けたというよりも当初は、この世界で必要な情報と知識を得られるかもしれないという打算の方が大きかったのが真実だ。その打算が100%の理由だとは言わないが、少なくてもフィスが日本語を話せなかったら翼は動いていなかっただろう。ただそれを口にしたところで、フィスの考えも返答も変わる事がないくらいは翼も短い付き合いの中でも理解してきている。
「たくっ、互いに相手の命を助けるために命を賭けていたら、全く意味がないじゃないか」
おもわず相手だけでなく、翼自分にも向けた言葉を口にする。
その言葉を聞いたフィスが、クスリと笑った。
冗談のつもりで言ったわけではないが、フィスも言われて気づいた矛盾に笑いが漏れたのだろうか。生き残ったからこそ冗談として片づけられる話だが、逆の結果になっていたら間抜けなだけの話だっただろう。そんな別の未来も十分にありえたルートだっただけに翼としては、フィスの笑いが耳を掠めても苦笑いくらいしか出来ない。もしかするとこの感情の差は、単純に度胸の差という可能性もあるが、翼も1人の男としての立場を考えると情けなくなるので今はその可能性に蓋をする。
「次は自分の命を優先してくれよ? 俺も危険だと思ったらフィスを見捨てて逃げるからな?」
「はい」
実にあっさりとした返答が聞えたが、きっとフィスは同じ状況になれば同じ選択をするような気がした。そしてそれは翼自身も。しかし今はそれを言わない。そんな選択肢を迫られる未来が来ない為の選択肢をこれからはすると決めたから。何よりも今はもっと前向きな話をしたい。
「さて、終わった事は兎も角、ここからの問題はまず、図書館に帰ってからの事だな」
「としょかん?」
「そう図書館だ。もしかして、こっちには図書館ってないのか?」
「きいたこと、ない」
日本ではどの都道府県、いや市町村でも当たり前にあるため、当たり前に話してしまったがこちらの世界では当たり前ではない様だ。考えてみれば当然かもしれない。図書館とはある意味で多くの情報を公開している知識の宝庫とも言うべき場所である。少なくても戦争や内戦が行われているような地域には相応しくないだけでなく、争う相手に要らぬ情報を与える可能性すら孕んだ危険な建物にもなりうる。ただし無条件に知識を得られない為の条件と鍵も同時にある。
例えば言語。まさに翼自身がこちらの世界でぶつかった問題でもある。
本を読むためには書かれた言語を理解出来なければ全くと言っていいほどに内容を理解出来ない。どれだけ凄い事が書かれていようが理解出来なければ宝も塵以下の価値である。集落をまわった限り店舗案内が絵柄だったり、注意書きや説明書きなども見かけなかった事から、人々が文字を読めない事を前提に暮らしが成り立っているように感じられた。そして実際に間違ってはいないだろう。そこにこちら側の世界の人間から見れば言語すら不明の文字で書かれている本は、まさに鍵のかかった知識の扉だ。
次に本の価値。
そう、翼が集落で一財産を手に入れたのは、正にその本を高値で売る事が出来たからだ。つまりそんな高価なものを何百何千と気軽に置く事は出来ないであろうという事。もちろん翼の持ち込んだ本が、この世界では珍しいからという理由もあるかもしれないが、圧倒的に存在数が少ない事は間違いがないだろう。その証拠に集落で本を見かけたのは質屋らしきあの店だけだった。それどころか新聞のような物すら見かけなかった。下手すれば紙自体が安価なものではないのかもしれない。
以上から導き出されるのは、存在するとしても日本の様に誰でも入館できるような図書館はないだろうという事。そして元の世界の知識だとは言え、とんでもない物と翼は異世界に来てしまったのではないかと、今更ながらに認識する。
当然ながら――
「さて、どうやって説明するといいんだろうな?」
と頭を悩ませる事になるのだった。




