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シャハルとハルシヤ  作者: 芳沼芳
第一章 シャハルとハルシヤ
19/56

ナルメ駅の罠 後編

『ナルメ駅の罠 前編』の続きです。pixivにもその内上げます。少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 先代ナルメ太守、ワジ・サペリの耳に飛び込んできたのは、すこぶる悪い知らせだった。


「ホマ、一体何事だ。詳しく申してみよ」


「はい。我が子ジズが行方不明になり、一緒に居たはずの侍女は…刺殺体で発見されました」


「何ですって、それは一大事だ。遺体は何処で見つかったのですか」


「カレーズ様。ナルメ駅の北口近くにある、男子用お手洗いの用具入れです。血の付いた、連邦鉄道員の制服もそこに」


異母弟の安否に危機感を募らせるカレーズに、ホマは力無く告げた。



 えーっと、父さんがナルメ太守ってことは、ヨウゼン家と同格で…あれっ、でも他家の息子さんって、名前に様付けしていいんだろうか。こんな時、シャハルは何て呼んでいたっけ。えーっと、うーんと。いつだったか蜂蜜菓子を食べた時…ソピリヤ様の3番目のお姉様と、アビス家の人が結婚した帰り…だったような気がする。でもこの前ウキンの太守就任挨拶に来てたから、あの頃はまだ太守じゃなくって…そうだ、若様じゃないか。


私にとって、ジズ・サペリという人の正しい呼び名は何なのか、一生懸命思い出しながら見ていると、取り敢えず“サペリ家の若様”は、彼からは見えない背中側に近付いた、ウツ家のファティリク様のくすぐり攻撃で地面にずるずると座り込んだ。それを上からマヌ家のエリシュ様とコボ家のザブリョス様が押さえ込み、コシヌ家のレジーヴォ様が、何故か木の枝で突付いた。こうしてサペリ家の若様が、それでも大事そうに持っていた水飴の瓶は、今度こそタワ家のラフェンドゥ様にぶん取られた。あれっ、フヌ家のゴルシッダ様だけ、何もしてなかったけど…他のソピリヤ様の御学友方と同じ様に、ラフェンドゥ様に片手を差し出して、水飴を手の平の上に垂らして舐めている。


「…………」


「あっ。本当にすみません、サペリ家の若様。私は身分的に助太刀しか認められていないので、ソピリヤ様が来るまで待っていて下さい」


「ちょっと目を離した隙に。めんかばかたれっ」


戻って来たソピリヤ様は、タワ家のラフェンドゥ様から、空っぽにされた瓶を引ったくった。それから私もソピリヤ様と一緒に、エリシュ様とザブリョス様の首根っこを掴んで、サペリ家の若様から引き離した。そのついでにうっかり腕に挟まった振りをして、私はレジーヴォ様の小枝を折った。


「学友達が迷惑を掛けた。怪我は無いか」


「別に無い。あってもここは敵地だからな。今は甘んじて屈辱を受けよう。それより私の瓶を返してくれ」


ソピリヤ様が差し出した手に掴まって、サペリ家の若様が立ち上がった。私もすぐ助けられなかったおわびに、きちんと本人の許可を貰ってから衣服に付いた土埃を払い、下衣の巻きスカートは問題なさそうだったので、はだけた上衣の衿を直して、解けていた外側の太い紐を結んであげた。ソピリヤ様が瓶を返すと、彼は懐からその蓋を取り出して閉めた。


「申し遅れたが、私はスミド太守の後継者、ソピリヤ・ヨウゼンだ。――ジズ・サペリと言ったな。それで、何故ナルメ太守のご子息がスミドに居るのだ」


「ふん、またそれか。そんなこと、こっちが知りたい。私は朝からナルメ駅に居て、連邦鉄道員に人気の無い場所まで誘導されて襲われ、気が付いたらこんな所に。一緒だった侍女は…たぶん、殺された」


この人は私と同じくらいに見えるけど、とても怖い思いをしたんだろうな。でもコシヌ家のレジーヴォ様だけ、まだ疑っているようだった。


「胡散臭い。それって本当に連邦鉄道員だったのですか〜。大体侍女が殺されたってのも怪しい。本当にその目で見たのですか〜」


「嘘なものかっ。エミアも安心して付いて行って、あんな血だらけに……私はすぐ鞄に押し込まれて、よくは見えなかった。でも、ううっ」


「おい、どうした。顔色が悪い、真っ青だ。――取り敢えずここで横になると良い」


ソピリヤ様は、一番手近な自分のお部屋に案内して、サペリ家の若様に寝台を貸した。こうやって寝てるだけだと、ちょっと肌寒いかも知れない。私は近くにあった羽毛布団を彼に掛けてあげた。


「具合が悪いなら、医師を呼ぼうか」


「大したことはない。寝れば治る」


サペリ家の若様は、ソピリヤ様が心配しても迷惑そうに不貞寝した。そこにイリークフ=イェラ尼が、午後の授業は全部延期になったと知らせに来て看病を引き継ぎ、御学友方は全員帰って行った。ソピリヤ様は書庫室に行き、私はトビラス伯父さんを探していて居間で見付けた。


「こんにちは伯父さん。シャハルは学校大丈夫なの。あっ、勉強じゃなくて人間関係」


「ああ、たまに喧嘩して帰って来るが、元気だよ。今日は突然押し掛けてすまない」




ナルメ駅では、ワジ・サペリの一存で事件は伏せられ、改めて出席者達の安否確認と順次帰宅が行われていた。


「エミアはよく気の付いて…朗らかな良い娘で…ジズにも懐かれていました。それがどうしてこんなことにっ。一体誰が何の目的で、エミアを殺せるというのですか」


恐慌状態のホマは、ナルメ駅事務室の一角を間借りしたワジとその場に残り、カレーズは手帳を片手に情報収集へ乗り出した。


「遺留物は、侍女の遺体にあった刃物と、血の付いた連邦鉄道員の男性制服の2つで間違いないな」


「はい。そのようです」


ナルメの武家で、今回の護衛であるウルバン兵はそれを肯定し、駅長が青い顔で弁明を言い募った。


「誤解です、私は何も知りません。そうだ、制服には全て管理番号が割り振られています。それを照会すれば、持ち主が誰か判りますっ」


「カレーズ様、いかが致しますか」


部下に問われ、カレーズはうなずいた。


「良いだろう。それが本当かどうか、駅長、まずはお前が脱いで確かめさせろ」


事務室に居た男性鉄道員は、全員脱がされて制服を検められ、駅長の言葉は事実と証明された。しかし遺留物の制服には、肝心の管理番号が無かった。


「ああ良かった。管理番号が無いということは、連邦鉄道からの支給品ではありません。その制服は横流し品です」


「では縫製工場や、倉庫などから持ち出された物ということか」


「いやあカレーズ様。私の様な駅長風情には、そこまで分かりません。制服の出所については、ポンチェトプリューリの管理総局までお問い合わせ下さい」


安堵する駅長に、カレーズは管理総局の電話番号を訊ね、部下に連絡させた。そこへウルバン兵からの報告がもたらされた。


「カレーズ様。出席者全員の安否確認とご帰宅が完了しました。他の方々は全員ご無事です」


「それは重畳。では、私はこれより発見現場を見て来ようと思うので。ホマ夫人、大変な時ですが、貴方様も一先ずお帰り下さい。お祖父様、付き添いを宜しくお願い致します」




カレーズは駅長とウルバン兵達を引き連れ、発見現場に到着すると、手袋を嵌めた両手を合わせて目を閉じ、少ししてから中に入った。既に侍女エミアの遺体は運び出された後だった。


「用具入れ以外、血の跡が無いな。そなた等ウルバン兵の見立て通り、殺害現場は別の場所か」


カレーズは発見現場を出ると、ナルメ駅の関係者を何人か呼び出して事情を訊ね、その後駅内部をあちこち見て回った。やがて偶然、カレーズは丁度ジズ達が誘き出された辺りの場所に辿り着き、周囲の壁に血飛沫を発見した。しかしそこの床には血痕が無かった。


「駅長。些細なことで良い、何か変わったことは無かったか」


カレーズの質問に、駅長は首をひねってふと思い出した。


「そう言えば、出勤していたはずの清掃員が1人、ばっくれたそうですが。まあただでさえ実入りの少ない汚れ仕事ですし、嫌になって投げ出す者は多いので、つい忘れ…あっ、決して隠していた訳ではありませんよ、本当です」


「清掃員の仕事内容は何だ」


「台車に大きめのごみ箱を乗せて、設置されたごみ箱から回収したり、落ちている屑を拾い集めたり、窓拭きや床磨き、便所掃除などです。そうですね…清掃中の立て看板を使えば、ある程度人払い効果があるやも知れません…今気付きました……」


「その清掃員の名前と住所を話せっ、今すぐにだ」




サペリ邸に帰ったホマとワジには、スミドよりジズを無事保護の一報と、ナルメ駅から被疑者浮上の知らせがもたらされていた。


「ジズの保護について、カレーズにも急ぎ伝えよ」


ワジは知らせに来た秘書に指示を出し、秘書はスミドと繋がった、スピーカー機能中の子機電話を机に置くと、そのまま引き返して行った。


「嫌ああっ、よりによってスミドだなんて…ジズが危ないっ。お願い致します、タラク和尚様。今すぐ何とかして下さいっ」


――ご安心下さい、ホマ夫人。スミド太守様は確かにあれな御仁ですが、既にスミドの奥方様が手を回され、御養女様の学問所に移動済みです。何も心配はございません。


そこへ無線を持ったウルバン兵がやって来て、被疑者の続報を伝えた。


「申し上げます。被疑者の住所は既に引き払われており、名前や経歴も全て嘘でした。また、被疑者は線路沿いの退廃地区の住人でしたが、近隣住民の話によると、最近越してきたばかりの独り身で、近所との交流も無く、素性は全く分からないとのことです」


「相分かった。それにしても、心臓を一突きとは。大方清掃員として潜り込んだ、殺し屋の単独犯だろう」


「いいえ。お祖父様、まだ決めて掛かるには早過ぎます」


「おおカレーズ、お帰り。随分早かったな」


「はい。被疑者が発覚してすぐ、後の事はウルバン兵に託して駅を出ました。ご覧下さい、少し紙に書き出して見たのですが……」


たった今サペリ邸に帰ったばかりのカレーズが、そう言って差し出した手帳には、こう記されていた。




“ 【ジズ移動経路】

ナルメ駅→スミド駅→バス車庫兼停留所→ヨウゼン邸


◦ヨウゼン邸にてジズを保護(10:00頃)


上記より逆算、

◦ナルメ発スミド行き鈍行 始発(約6:58〜9:35)

  車掌証言、時刻表より約30分遅れ

 ※侍女、既に死亡


◦発見現場の手洗い掃除時間を記録した貼り紙(本日8:27開始)

  担当清掃員の証言、清掃時に異常無し

 ※侍女の遺体、隠匿され台車移動中か ”




「集めた情報を整理しただけですが、もしこれが正しいとすれば、ジズ連れ去り犯と、遺体を動かした者は別人です」


「複数犯の可能性か。でかしたなあカレーズ」


「お祖父様ってば、大袈裟な。それよりジズに迎えを遣らなければ。タラク和尚、準備を頼む」


――はい。待ち合わせ場所はナルメとスミドの国境くにざかい、そこの中立地帯が宜しいかと。ナルメ側の出城にも宜しくお伝え下さい。


「カレーズ様、わたくしもそこまで付いて行って宜しいでしょうか」


「ええ。その方が良いでしょう。ぜひお願いします」





トビラス伯父さんと私が喋っていると、玄関先で物音がした。


「ごめんくださいまし、ジズ様はどちらに居られますか」


伯父さんに付いて行ってみると、知らない女の人とお坊さんが立っていた。


「ようこそおいでくださいました。こちらです」


伯父さんは二人をサペリ家の若様の所に案内した。


「初めましてジズ様。わたくしはインシグネ・ダラと申します。こちらの僧侶はターディス=タラク和尚、わたくしの叔父でもあります」


「ダラと言えば、そなたサペリ家重臣の家柄か」


「ええ。先代様の命により、ナルメのダラ家から、ここスミドのヤッツ家に嫁いでおります」


「我々の様なサペリ家とも縁の深いナルメ出身者が折衝役を務めております故、ご安心下さい。拙僧が貴方様の安否をナルメ本国にお伝えした所、スミドとの国境くにざかいの旧関所へ、お迎えに来て頂けるそうです」


私もサペリ家の若様を見送りに行くと、車の横にアナンさんが立っていた。


「えっ、アナンさん何で」


「よっハルシヤ。元気そうだな。俺はトビラスさんに頼まれて、サペリの子を送り届けに行く手伝いさ」


アナンさんは、上衣と揃いのもんぺを穿いて、タスキ掛けの剣帯に棒状の物を差していた。羽織に隠れてよく見えないけど、それってもしかして……。私は恐る恐る近付いて、アナンさんの得物を見た。


「なーんだ、鉄刀てっとうか。びっくりした〜武家の人みたいに真剣持ってるのかと思った」


「そりゃそうだろ。来る途中でクルガノイに捕まるわ」


アナンさんは呆れたように笑い、タラク和尚がそろそろ出発だと言って助手席に座った。後部座席にはサペリの若様とヤッツ家の奥様と、それからアナンさんが乗り込んで、それで車は一杯になった。


「おい貴様、ハルシヤとかいったな。まったく酷い目に遭った。もう二度とそなた等に会うのは御免だ。お前の主人にもしかと伝えておけ」


サペリ家の若様はそう言って、私が返事をする間もなく窓を閉じ、車は門を潜って出て行った。


私と伯父さんで車を見送った後、ソピリヤ様が書庫から戻って来た。


「何だ、もう出発したのか。言ってくれれば私も見送ったのに」


「すみません、急いでいたものですから。ソピリヤ様、ご協力ありがとうごさいました。私はこれにて失礼致します」


「別に構いませんよ、御腹様の取次ぎもありましたし。それにトビラス、貴方にはとてもお世話になっているから」




その後幸いにして何事も無く、ジズを乗せた車は長距離を進んで行き、やがて旧関所が見えて来た。このシビル連邦において関所は既に廃止されて久しく、通行の自由は保証されていたが、無用な土地争いを防ぐための国境くにざかい警備人が、スミドとナルメ双方の出城にも置かれて居た。その中立地帯に連れて来られたジズは、ナルメからの出迎えの使者の中に、母ホマの姿を発見して駆け寄り、固く抱き合った。


 しかし悲しいかな、事件はこれにて一件落着とは行かなかった。廃寺から帰宅した、スミド太守ハンムラビ・ヨウゼンは、秘書トビラスの所業を聞いて激怒した。


「何故言う通りにしない。よりによってお前までロミネにたばかられおって」


「奥方様は関係ありません。私が義に欠けると考え、行動したまでです」


「その物言い、まるでシェイマスが蘇ったようだ。もう良い。主任秘書から降格の上で3、いや1ヶ月自宅で謹慎しろ」


「分かりました。副主任への引き継ぎが終わり次第、謹慎に入らせていただきます」


「おい。そういう台詞はもっと残念そうに言え」


トビラスが淡々と返事をして執務室を出て行くと、入れ違いに新人2年目の秘書がやって来て、恐る恐る報告した。


「重臣の方々より抗議の声が上がっておりますが……」


「捨て置け。処分はもう済んだ」





次の日、トビラスはシャハルの声で起こされた。


「お父さん、もう朝だよ。ねえねえ、早く起きてー」


トビラスは眠気でぼんやりしながら、布団に潜り込んできた、シャハルの服の背中に手を入れて暖を取った。


「ああ、寒い寒い。こんな日は暖かい我が子に限る。()(たん)()と違って手間要らずだし、(かい)()と違って全然冷めない。何て便利なんだ」


「ふうん、まあ良いけど。お父さん お父さん 魔王が~♪」


「ちょっと待て。シャハル、今何時だ」


「うーん、10時半」


トビラスは慌てて仕事着に着替えを済ませ、寝室を飛び出すと、レラムは居間で食卓を拭いていた手を止め、目を丸くした。


「トビラス、その格好は何。…あははっ、早速謹慎破りするつもり」



「えーっ、あのトビラスさんが寝ぼけるなんて…」


台所で皿拭きの当番中だったセウロラも驚き、同じく皿洗い当番のアナンは気が気では無かった。


「おいおいセウロラ、余所見して皿を割るなよ」


シャハルはいたくご機嫌で、私服に着替え直すトビラスに話し掛けた。


「お父さんが朝から家に居てくれて嬉しい。僕も丁度お休みだし、一緒に沢山遊べるね〜」




()月後・・、謹慎が解かれたトビラスは、仕事に復帰した。


「こちらが視察先の資料です。もう一度ご確認下さい」


ハンムラビは、トビラスから受け取った書類でうっかり手を切り、手巾で傷口の血を押さえながら舌打ちした。


「巨大風車(かざぐるま)なんぞ必要なだけ増やせば良かろう」


「そうも参りません。鳥の飛行空域と重ならないよう設置しなければ、風車ふうしゃにぶつかって死んでしまいます」


やがて車が今回の視察現場である、緑の丘の風力発電所近くまでやって来ると、何やら小火ぼやの煙が立ち上っていた。


「車内でお待ち下さい。私が見て参ります」


一旦車を停めさせ、トビラスが単身車を降りてから小火に向かって少し経った頃、その小火を引き起こしていた原因である、何者かによって埋蔵され、予定外に燻っていた爆薬が、衝撃音と共に炸裂した。一緒に仕込まれていたガラスや金属片が、辺り一体に飛び散って人々に襲い掛かり、白い風車にも赤い鮮血がほとばしった。近くに遮る物も無かったため、集まっていた視察関係者は多数死傷した。衝撃音が鳴ってすぐ、ハンムラビの運転手が速やかに発車した車上にも、ぱらぱらと破片の残骸が降り注いだ。


現場では、すぐ騒ぎを聞き付けてやって来た、緑の丘に住む放牧家達が、負傷者達に応急処置を施していた。


「おーいっ、医者はまだかー。しっかりしろっ、ああ、あんた…」




ヨウゼン邸到着後、ハンムラビは太守の名の下に、スミド全域へ非常事態宣言を発令した。そして結果的に置き去りになったトビラスの安否を問うたが、彼は多臓器不全でもう助からない状態だった。しかし意識はまだあったため、ハンムラビの要請で、延命措置を施されながら運ばれて来た。


「シャハル、レラム、すまない、すまない……トビラス…」


「私を見ろっ」


「ああ、そうだ…()()貴方・・()()。手を握って下さいますか」


トビラスはハンムラビに血だらけの手を差し出し、手を握って欲しいと懇願した。ハンムラビがその手を取ると、トビラスは最後の力を振り絞って、きつく握り返した。それは彼の爪が当たって、さっき書類で切れたハンムラビの傷口をえぐるほどの強さだった。




「噓っ。トビラス、そんなことって……う、」


「レラムさんっ、大変だ。薬を」


レラムは突然の訃報に衝撃を受け、心臓に負担が掛かって倒れてしまったが、普段から処方されている常用薬を飲み何とか持ち直した。


「私は大丈夫だから、アナンはシャハルを迎えに行って」


非常事態宣言は、シャハルが通う、武家クルガノイの学校にも影響を及ぼしていた。


「勿論ご無事だが、太守様への暗殺未遂があり、非常事態宣言が出された。それ故、我々クルガノイも総出で治安維持の任に当たる。よって、本日の授業はこれまでとする。お前達門下生は集団下校班ごとに分かれ、焦らず騒がず速やかに帰宅するのだ。外出も厳禁とする」


教官はそう言って、集団下校班ごとに割り当てられた、校内の部屋名を読み上げた。シャハルは、それからすぐに迎えが来たタイや、所属する集団下校班の部屋に向かうスラーと別れ、同方向の門下生も居ないので、図書室で本を読みながら待機していた。


「シャハル、ごめんな。遅くなって」




シャハルがアナンと帰宅すると、玄関の三和土たたきには、子供沓が6足、婦人沓が3足、紳士沓が2足もあり、帰って来た二人をセウロラが出迎えた。


「シャハル、おかえり……お祖父さん達も来てるよ」


「ただいま。…そっか、じゃあこっちの子供沓は、スカラとツリムのだ」


居間の隅では、シャハルとハルシヤからは年下の従姉弟に当たるその2人と、ハルシヤの妹達であるミナ、リセ、カリンの3人が静かに遊んでいた。また、フラム、タラム、レラムの母達三姉妹は、それぞれ葬儀の準備に追われていた。しかしタラムの夫ルハンは、場違いな微笑を浮かべながら、それをただ座って見ているだけだった。


「お祖父さんが居ない。何処だろ」


と言っても探す部屋はごく限られており、シャハルは両親の寝室も兼ねた部屋に足を向けた。


「お祖父さん、何をしているの」


祖父エラヒムは、暗い室内で数字錠のダイヤルをぐるぐる回し、そこにある金庫を破ろうとしていた。


「おお、良い所に来た。シャハル、お前暗証番号は知らんのか」


「くっ」


「待ってアナン、ハルシヤのお母さんを呼んできて。僕がここで見てるから」


セウロラは驚きで言葉を失い、シャハルは気色ばんだアナンを止めた。呼ばれてすぐにやって来たフラムは、エラヒムに激怒した。


「父さん、あんたって人は…これからトビラスさんのお葬式が始まるんですよ」


「うるさいっ。これからは不具の娘を只で診る羽目になるのだから、前金だけでも貰っておく。全く、せっかくの高給取りに先立たれおって」


「黙れこの人間の屑がっ。今頃母さんも、草葉の陰で泣いているっ」


フラムはあまりに情けなくて、ついに目から悔し涙が流れ、両手で顔を覆って泣き出した。


「フラム。どうした、何故泣いているんだい」


そこへようやく帰ったフラムの夫タハエもやって来て、一目で状況を察した。


「いやはや、ここに盗っ人の出る幕はありませんよね」


タハエはエラヒムを一発ぶん殴って追い出した。


「この馬丁風情が〜っ。覚えてろっ、レラムは今後絶対に、只では診てやらんからなーっ」


「あ、義父ぎふさん。じゃあねレラム、あまり気を落とさずに」


エラヒムは捨て台詞を吐き、最後まで何もしなかったルハンも、岳父を追いかけて帰って行った。タラムは同居する父の代わりに謝った。


「ごめん姉さん。父さんには後で注意しとく」


ようやく我に返ったセウロラは、思わずシャハルに聞いてしまった。


「何あれ」


「う〜ん、良心を…金で売り払った町医者かな」




その頃ハンムラビは、ヨウゼン邸の霊安室で独りごちていた。


「トビラス、シェイマス師…思えばあの頃の者達は、もう誰も居なくなってしまった」


「失礼致します。コトヅ家の奥様が参られました。いかが致しますか」


そこへやって来た新人2年目の秘書が、出入口からすぐの所にある衝立を通り過ぎて近寄り、声をひそめながら来客を伝えた。しかしそのコトヅ家の奥様ことシェイマは、ハンムラビの返事を待たずして、衝立の向こうから構わず声を掛けた。


「おやまあ、聞き捨てなりませんね。わたくしまで勝手に殺さないでいただけますか。たかが童女とはいえ、同じ釜の飯を食べた仲間ではありませんか」


「シェイマスの娘、何の用だ」


「いい加減お別れも済んだことでしょう。彼には帰りを待つ家族が居るのですよ」




廊下に置いてある電話が鳴り、いつものようにイェラ尼がとったと思ったら、私の名前を大声で何度も呼んだ。慌てて行って見ると、イェラ尼は真っ青な顔で電話を切り、何事かとやって来たソピリヤ様と私に向き直った。


「大変ですハルシヤっ、守上の暗殺未遂に巻き込まれて…トビラスさんが亡くなられたそうです」


「え、それって……死んだってことですか……」


「今後は亡くなられた、とおっしゃい。今晩のお葬式には、拙尼が貴方を連れて参列します」


「イェラ尼」


「ソピリヤ様。お解りでしょうが、貴方様は身の安全が第一です」





シェイマは眼鏡やマスク、ゴム手袋を着けさせたコトヅ家の使用人達に命じ、トビラスの遺体をヨウゼン邸から運び出すと、町医者エラヒムの医院に立ち寄った。エラヒムは娘婿ルハンと共に、完全防備の格好でトビラスの血を洗い流し、彼の遺体を修復した。


「血と血が混じらなければ、滅多に感染する事は無い。現にシャハルもレラムも無事だ。ただこの死に方は不味い…負傷者や救護人の中に感染者が出たやも知れん」


「ご協力感謝します、エラヒム医師。対象となる者達を探し出して、こちらの受診に誘導します」


「大いに結構。シェイマ殿、出来るだけ金の有りそうな患者を頼む」




こうしてシェイマはトビラスの棺と共に、土手近くに暮らすイェノイェの村に向かい、トビラスは無言の帰宅を果たした。


「お父さん、何で……」


「あんなに元気だったのに……お母さん、トビラスさんは何か言ってたの」


シャハルは泣き出し、セウロラも涙をこぼしながらシェイマに訊ねた。


「ごめんね。…私が彼を迎えに行った時には、もう、亡くなっていたから……。でもきっと、最後まで残される皆のことを考えて、心配していたはず。貴方のお祖父ちゃまもそうだったように」




こんな理由で帰りたくなかった。イェラ尼がレラム叔母さんにお悔やみを言う横で、私はシャハルを探していた。よく見ると、部屋の隅っこで膝に顔を埋めて泣くシャハルと、その隣で涙を拭いながら、もう片方の手でシャハルの背中をさすっているセウロラが居た。私は自分で近寄ったくせに、二人に何と声を掛けたらいいかすら分からなくて、下を向いて突っ立っていた。


シャハルが側に来て、私の両手を握った。


「ハルシヤは、死なないで」


私の手の甲に、ぽたぽたとシャハルの涙がこぼれ落ちた。私はうんうんと頷きながら、つられて泣いてしまった。



参考文献

魔王 シューベルト 歌詞・日本語訳 - 世界の民謡・童謡

https://www.smule.com/song/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88-%E9%AD%94%E7%8E%8B-%E6%AD%8C%E8%A9%9E-%E5%A7%BF%E6%9C%88%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%A8ver-karaoke-lyrics/4641897_4641897/arrangement 【閲覧日︰2019/06/28】


ターディス=タラク

ターディス寺の和尚。ナルメのダラ家出身


インシグネ・ダラ

スミドのヤッツ家当主の妻。タラクの姪


エラヒム

フラム、タラム、レラム三姉妹の父。シャハルやハルシヤの母方祖父。町医者。医院経営者。


タラム

エラヒムの娘。看護者


ルハン

タラムの夫。町医者


シェイマ 【再掲載】

コトヅ家当主の後妻。故シェイマスの娘。セウロラの母



ずっと明確な衣装を決めていなかったのですが、シビル連邦では『帯無しの“二部式着物”が民族衣装で、全員普段から着ている』という設定に決めました。なので今更ですが、ジズやアナンが着ている描写を入れてみました。分かりにくくてすみません。


少しでも楽しんでいただけたのならば幸いです。


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