魔物のヒナ
バズは意識を取り戻した。額のど真ん中に矢を受けたが、前もって自身に防護の魔法をかけておいた為になんとか気絶するだけで済んだのだ。
周囲を見回し戦況を把握したバズは、首から出血しているタロナに治癒魔法をかけた。次いで、傷だらけのリムにも魔法を施す。
「大丈夫? ちょっとだけ傷痕は残るけど……」
リムの整った顔に目を引く切り傷が二つほど刻まれていた。普通の感性なら嘆くものだが、リムは特に気にするそぶりを見せなかった。
「ありがとうバズ。それより……いつでも身を守れるようにしておけ。ここからは何が起こるかわからないぞ」
リムが顔を強張らせながら見つめる先には、最強の魔物――魔星卿の姿があった。
「――ぇほっ! げほっ! げほっ……! …………ヴィル……」
ヒナが掠れた声で言うと、ラムセスは目の前にいる魔物が件の魔星卿なのだと理解した。
「ヒナ・ヴァンホーテンを攫ったヴァールデーモンだな。貴様のせいで、俺は滅んだ民族の生き残りとして奇異の目を向けられ、髪を白染せざるを得なくなった。借りを返してやる」
ラムセスは短剣を握り、力を込めて突き刺した。
まるで岩にフォークを突き刺したような感覚だった。自身の力がそのまま腕に返ってくるような。
再び短剣を突き刺す。ヴィルアークの黒い肌には文字通り歯が立たず、逆に刃がへし折れた。
「ちっ……!」
無手となったラムセスが後ずさる。
「拾え」
見下ろしながらヴィルアークが言った。
何のことかラムセスには一瞬わからなかった。ヴィルアークが顎で示した先に目をやると、ラムセスが砂浜に放り出した大剣や斧や弓や鎧といった装備一式のことを指しているのだとわかった。
「……プライドか? 装備の乏しい状態でなく、万全の“勇者”と戦わなければ意味がないと?」
「違う。お前の心を殺す為だ」
ラムセスの額を汗が伝った。ヴィルアークの言わんとしていることはわかるが、その傲慢さを後悔させてやる。
言われるがまま武装を拾い、装着する。鎧を着こみ、弓矢を背負い、折れた短剣よりもずっと上質な大剣と戦闘斧を手に、“勇者”は魔星卿に向き直った。
「魔星卿討伐の夢は後世に託そうと思っていたところだが……やはり、手の届くところにきてしまうと欲してしまうな。栄誉と武勲を」
ラムセスが大剣を振るった。ヴィルアークは右肘から突出した角で受け止める。
左手に持った斧を横に薙ぐラムセス。手応えアリ。ヴィルアークの硬質な肌を傷つけることに成功した。
二度、三度と斧を振るう。太い木の幹を少しずつ削るような感覚。わずかだが確実に傷をつけている。
が、ヴィルアークは素手で斧を受け止め、鋼鉄を両断する戦闘斧の刃を握り潰して砕いた。
呆気に取られる“勇者”の腹部に魔星卿の拳がめり込んだ。その威力は合金と鉱石を合成した超硬度の鎧を突き抜け、ラムセスの大柄な身体を浮き上がらせた。
「げ、ぇ……!」
臓物が口から出るかと思った。呼吸が止まり、一瞬心臓も止まる。
単純な力では勝ち目がないと悟ったラムセスは後方へ下がり、弓を取り矢を放った。が、ヴィルアークは飛ぶ矢を素手で掴んでみせた。
この距離であの速度の矢を掴むなんて、どうしてそんなことができるのか。もう一本矢を放つも同様にキャッチされる。
「バケモノめ……!」
「お前がな」
ヴィルアークが指を鳴らすと、ラムセスの胴が切断された。声を上げる暇もない内に、腕も足も首も真っ二つに両断されてゆく。ラムセスは意識がハッキリしたまま、自身がバラバラにされてゆく感覚を覚えた。
しかし、それは現実ではない。ヴィルアークが見せた幻覚。生きたまま輪切りにされる痛みと恐怖を与え、精神を破壊する魔法だ。
ラムセスは耐えた。強靭な意志で自分を保ち続けた。何十年も研鑽してきた肉体と精神だからこそ壊れずに済み、幻覚を乗り切った。
「はあっ……はあっ……」
肩で息をするラムセスを、ヴィルアークの三つの目が見下ろしていた。
まるで、床に落ちた紙屑を見るような、そんな目だった。
「っ……うおおおおおおおお!」
叫びながら、ラムセスは両手で握り締めた大剣を振るった。
渾身の一撃だった。持てる力の全てを込めた、最大最強の剣撃。
その一振りはヴィルアークの胸を斬り裂いた。確かに、斬り裂いた。
だが、それだけだった。
魔星卿のヴァールデーモンは血を流すことも、苦痛に顔を歪めることもなかった。
「…………神よ……」
ラムセスは生まれて初めて神の名を口にした。
それは絶望からか、救いを求めてからか、彼本人にもわからなかった。
ヴィルアークはラムセスの腕を掴み、粉々に砕いた。
ヴィルアークはラムセスの脇を蹴り上げ、アバラをへし折った。
ヴィルアークはラムセスの脚を踏みつぶし、ぐしゃぐしゃに擦り下ろした。
「ぐああああああああああ!」
人目もはばからず苦痛の声を上げるラムセス。
テトもリムもバズもタロナも、その光景に戦慄し、血が冷たく凍るような感覚に襲われていた。
ヴィルアークはラムセスの頭を鷲掴みにして持ち上げた。
「――……ぐっ……! 殺せ……!」
「ダメだ」
ヴィルアークが言うと、ラムセスの身体が黒い炎で燃え上がった。
「あああああああああああああああああああああああ!」
魔法で生み出された黒い炎は、ラムセスの命には触れなかった。
肉を溶かし、骨を灰にし、魂を焼き尽くすほどの炎だが、ラムセスの肉も骨も健在のまま。彼を殺さないように、ただただ苦痛を与えるのみの炎だった。
炎が消える。
ラムセスは既に虫の息だった。息も絶え絶え、目も虚ろで、もはや抵抗する気力もなかった。
「…………こ、殺して……くれ……ひ……ひとおもい……に……」
「ダメだ」
鷲掴みにした頭に顔を近づけ、ヴィルアークは言った。
「貴様を殺すにはまだ手順がある。魔星卿だけが扱える秘術……身体中のあらゆる骨を砕き、苦痛と絶望の声を上げさせ、精神を完全に破壊した後、貴様の心の蔵を引っこ抜いて、喰らう。そうすれば、貴様の魂は虚無へと消える。貴様がこの世に存在した事実そのものが消え、貴様が残したものも、人々の記憶からも、一切が消失し、誰も貴様の名を思い出すことはなくなる」
「……ぁ…………ぁぁ……」
ラムセスの心は壊れた。
完全に。跡形も無く。
「さあ、その命を差し出せ」
ヴィルアークはラムセスの胸に手を伸ばした。
心臓を抜き取り、喰らう為に――
「ヴィル!」
――我に返る。
声の方へ振り向く。
ヒナがまっすぐ、ただまっすぐこちらを見つめていた。
怒りに飲まれていた。“勇者”を殺そうとする魔族の本能に飲まれていた。
ヴィルアークが正面へ目線を戻す。
「…………ぁ……ぁひ……やめて…………こ……ころさないで…………たすけて……ひ……たすけてください……」
掠れた声で命乞いをするラムセス。もはや目線はどこへ向いているのかもわからない。繰り返し繰り返し、許しを乞うことしかできなくなっていた。
ヴィルアークは鷲掴みにしていたラムセスの頭を放し、ヒナへと振り返った。
彼女のもとへ駆け寄ると崩れるように膝を着き、大きな両腕で抱きかかえる。
「ああ、ヒナ……すまない。すまない……すまない」
ヴィルアークは同じ言葉を繰り返した。何度も、何度も。
「どうして謝るの? ヴィルはわたしを助けてくれたのに」
「違う、違うんだ。ヒナ……私はあの日、あの村の人間を一人残らず殺すつもりだった。お前が瓦礫の中で生きていたのは偶然なんだ。そして……お前を強く鍛え上げれば、私を倒せるほど強い魔物に仕立て上げれば、お……面白いだろうと……そんな邪な理由で……お前を気まぐれで生かすことにしたんだ。私は、あのラムセスという人間と同じ……いや、もっと邪悪だ。お前の家族を殺し、お前を魔族だと偽り騙してきた。私は悪魔だ」
「ヴィル……」
「だが、これだけは信じてほしい。始まりこそ最低な理由だったが、お前と共に生きるうちにいつしかお前のことを大切に想うようになった。こんなことを言える立場ではないが……すまない……本当にすまない……どうか赦してくれ。どれだけ謝っても、なにをしようと、お前の父親と母親は戻ってこないが……この命を捧げてでも私はお前に――」
「いや、それは別にいい」
「えっ」
ヒナの予想外の言に、ヴィルアークは間の抜けた声をこぼした。
「親のことは気にしてない。なんとも思わないってことはないけど、そもそも全然覚えてないし、わたしを育ててくれたのはヴィルだもん。ヴィルと一緒に生きてきて、わたしはすっごく楽しかったし、間違いなく幸せだったよ。誰がなんと言おうと、それだけは本当だよ」
義理の娘からのこれ以上ない言葉に、ヴィルアークは目頭が熱くなった。
「わたしがショックだったのは、わたしが魔物じゃないってこと……たまに、たまにだけど感じてた。わたし、牙は尖ってないし、尻尾もないし、毛皮もない、羽もない、石みたいな肌もない……だから、わたしは魔族じゃないって言われて、森のみんなと同じじゃないって言われて、そ、それで……みんなと、ヴィルと一緒にいちゃダメなんじゃないかって」
堪えきれなくなったヒナの目から涙が零れ落ちる。
「わ、わたしっ、立派な魔物にっ、なっ、なりたかったけどっ……まっ、魔星卿にっ、なりたかったけどっ、でもっ、でも……」
鼻をすすりながら必死に言葉を繋ごうとするヒナを、ヴィルアークは抱きしめた。
壊さぬよう、めいっぱい力を抜いて。
だが、たしかに力強く、想いを込めて。
「ああ……ヒナ。なにも違うもんか。お前はあの森で、魔物として生きてきたじゃないか。人間に生まれたからって、それがなんだ。みんなと違って、なにがいけない。同じじゃないからって一緒にいちゃダメなんてことはないんだ」
「……ほんとうにいいの? わたし、人間だけどヴィルと一緒にいていいの? 魔物の仲間達と一緒に生きていいの?」
「当たり前だ。お前は私達と同じで、私達と違う。みんなそうだ。誰だってそうなんだ。だから、一緒に生きるのが楽しいんだよ」
ヴィルアークの腕の中で、ヒナはゆっくりと頷いた
そして、小さな腕で、振るえる手で、ヴィルアークを抱き返した。
・
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あれから五日が経過した。
テト達は廃人となったラムセスを伴い、ウェスクア王国へと帰還した。
変わり果てた伝説の英雄の姿に国王はたいそう困惑したが、テトは「“魔の森”の魔星卿を怒らせたらこうなった」と説明した。実際その通りだし、それ以上を話す気にはならなかった。
ひどく怯えた国王は国民に“魔の森”への立ち入りを一切禁じ、魔星卿を刺激しないようにと国中にお触れを出した。
ラムセスはうわ言のように命乞いの言葉ばかりを口にし、誰かがそばに来るだけでひどく怯えるようになってしまった。かつての英雄が壊れてしまったことは世間に隠されたまま、療養所に預けられることとなった。
事情を知る一部の者以外は、勇者ラムセスは人目の届かないところでヒナをと修行の日々を送っているのだと思い込んでいる。
テト、リム、バズ、タロナの四人は今後の進退について大いに悩んだ。“勇者”の最終目標は“魔族の王”を倒すことであり、その為には残る四体の魔星卿を倒さねばならない。だが、ヴィルアークの絶望的な力を目にしてしまっては、もはや戦う気も失われてしまった。
「なあ、俺たちこれからどうする?」
ウェスクア王国の酒場にて、グラスジョッキに注がれた酒を口にしたテトが言った。
「どうすると言われてもな。お前はどうしたいんだ?」
リムが鶏肉をむしり、タロナの皿に盛ってあげながら言った。
「いや、俺もどうすりゃいいのかわかんなくて……バズは?」
「僕は……えっと……」
「旅、続けたい」
鶏肉を頬張りながらタロナが言った。
一同が彼女へ視線を向ける。
「みんなと旅するの、楽しかったから、また旅に出たい」
「…………わは……わははは! そうだな! ああ、それだけちゃんとした理由があれば十分だ」
テトは酒を飲み干し、空にしたジョッキを力強く机に置いた。
「店員さ~ん! 俺達の輝ける未来を祝してお酒追加で~! この店で一番高いヤツ~!」
上機嫌なテトに、タロナは小さく口角を上げ、バズは思わず吹き出してしまった。
リムが小さく鼻を鳴らし、鳥をむしりながら言う。
「言っとくが、ここの会計はお前持ちだからな、テト」
「えっ」
――“魔の森”
小路の奧にある花畑では、今日も美しい花々が風に遊ばれていた。
花畑の真ん中に立てられた小さな墓標。そこには『勇敢なる戦士 ウォルター・モフ・ワーウルフ』と刻まれていた。
「ウォルター、いつもはヤなヤツだったけど、いざっと時にイイヤツになるとこはキライじゃなかったよ。まあヤなヤツだったけど」
ヒナはウォルターの墓標に手を置いて言った。墓前には木の実や魚や動物肉などがたくさん供えられている。森に住む魔物達がお供えしたもので、お墓参りという概念が“魔の森”に生まれた結果であった。
「も~ちょっと言葉選びなよ~こういうとこではさ~」
すぐ後ろで人間態のジゼルが呆れ気味に言った。身体のあちこちに凄惨な傷跡が残ってはいるが、元通り元気な――いや、気だるげないつもの彼女に戻ることができた。
「いや、おべっか使われるほうがウォルターもイヤかなって思って」
「あ~、それはたしかに。でも、どうせなら本人に直接訊いた方が確実だと思わない?」
「へっ?」
ジゼルの言にヒナが間の抜けた疑問符を返すと、ジゼルに代わってヴィルアークが話し始めた。
「実は、西の大陸に失われた命を復活させる魔法を扱える魔星卿がいてな。ヤツに頼めば、ウォルターを蘇らせることも可能だろう。しかし、その魔星卿がこれまたひねくれ者でな。私のことを毛嫌いしていて、力を貸してくれる見込みがない。そこで、だ」
「わたしが頼んでみる! でも西の大陸までは遠いから、ヴィルもついてきて! ジゼルも!」
言い終えるよりも早く、言わんとしていることをヒナに言い当てられたヴィルアークは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
「え~ウチも~? 一応まだ安静の身なんだけどな~」
「そんなこと言いながら、ちょっと楽しそうだなーって思ってるでしょ」
ヒナに肘で小突かれ、ジゼルは満更でもない様子で口角を上げた。
「よーし、目指すぞ西の大陸! 魔星卿をぶっ飛ばしてでも言うこと聞かせてやるもんね! ヒナ・ヴァンホーテンの成り上がロード第二クールの始まりだーっ!」
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「なあ、ヒナ。私があの人間の魂を喰い殺そうとした時、どうして止めたんだ?」
「だって、ヴィル言ってたじゃん。殺すより生かして悔い改めさせる方が難しいって。真に強い者は、より険しい道を選ぶものだって。魔星卿たるもの、そんな簡単な道を選んじゃダメだもん」
「ふふ、なるほど。大した子だ、お前は」
「当然! なんたってわたしは、ヴィルに育てられた魔物なんだからね!」
〜おわり〜




