絶対に叶えてあげられない願い
「はぁ・・・・・・」
朝、目を覚ました迅は、シングルベッドを一瞥して溜息を吐く。当たり前だが、そこに裸の陽菜はいない。
「だって、そんな雰囲気じゃないんだもんなぁ・・・・・・」
思い返せば、昨日、帰りの地下鉄で陽菜がファームの見学についてきて欲しいなんて唐突にお願いをしてくるもんだから、全ての計画が狂ってしまった。
試験の打ち上げでもしよー
↓
ちょっと良いレストランで食事
↓
ホテルへの帰り道、散歩しながら夜景の綺麗な橋の上で告白
↓
どちらからともなく、今夜は同じ部屋にいようということになる
↓
シャワーを浴びた後、産まれたままの姿で、二人の愛を確かめ合う
これが、迅の思い描いた未来——妄想ともいう——であった。
ところが、実際は、
迅、私疲れたからもう寝るね
↓
え、夕飯は?
↓
私、いらないから、迅もコンビニとかで適当に済ませたら?
↓
お、おう、お疲れ。
であった。春はまだ遠い。
——ブブブブ、ブブブブ——
スマホのバイブレーションが鳴る。十中八九、相手は陽菜なのだが、迅は少し緊張気味に電話に出た。
「おはよー、迅」
「おはよう、陽菜」
「もう起きてた?ごはんどうする?」
「今ちょうど起きたとこ。そうか、陽菜、腹減ったよな。夕飯食べてないもんな」
「んー、そんなに減ってる気もしないから、別に食べなくてもいいけど・・・・・・」
相変わらず、迅が好きな方を選べるように中立なポジションをとる陽菜。こうなった場合、迅は陽菜がおそらくして欲しいであろう選択をする。
「いや、2食も抜いたら体に悪いよ。昨日の夕飯分のお金あるしさ、ちゃんとした朝ごはん食おうよ」
「ふふ。ありがとう。迅。」
お互い、一番いい距離感で気を遣えているのは実感している。この関係がいつまでも続けばいいのに、とも思う。しかし、その一方で、迅の中に疼く飢餓感にも似た何かは、もう抑えられないところまで膨らんでいた。
「今7時半か。じゃあ、チェックアウトもあるから、8時にロビー集合にしようか」
「あぁ、チェックアウトね・・・。わかった、それでいいよ。私お会計あるから、先にチェックアウトしないでね?」
ホテルの予約は、陽菜の母親がまとめてとってくれたため、会計も陽菜がすることになっていた。・・・・・・といっても、実際はすでに決済は完了しているので、後日、親同士でホテル代を割り勘するだけなのだが。
「了解。先着いてたら、朝ごはんの場所探しとくよ」
「うん、お願いね」
*
「荷物、預かってもらえるんだな」
「うん」
二人は、迅が見つけた、別のホテルの朝食ビュッフェに向かっていた。荷物は陽菜が気を利かせて、ホテルに預けることができたので、手荷物だけで済んでいる。
「でも、また最後にホテルに戻って荷物とるのは、ちょっと面倒だけどなぁ」
「うん。・・・・・・まあでも、ファームに荷物持っていくわけにもいかないし。コインロッカーとかに預けるのも、お金かかるじゃん」
「そうだな・・・・・・。ところで、ファームには何時に着くことになってるんだ?」
「11時。ゆっくりご飯食べて、バス乗っていけば丁度いいと思うよ」
「あ、電車じゃないのか」
「うん、バスだとこの近くから出てて、ちょうどファームの前まで行けるからさ」
「へー、東京でバスに乗るの初めてかも。」
そんなたわいもない言葉を重ねながら数分歩くと、目当てのレストランについた。
「よーし、ビュッフェだからな!限界まで食うぞー!」
と、張り切る迅に陽菜が釘を刺す。
「ちょっと待ちなさい。ファーム行った時、お昼も食べさせて貰えるから、ほどほどにしておいてね」
「えー!?せっかくのビュッフェなのに・・・・・・」
迅にしてみれば、半分は陽菜の事を思ってというのもあるが、もう半分は昨日のコンビニ弁当のリベンジしたい気持ちもあり、このレストランを選んだのだった。
「ごめんね、もっと早く言えばよかったね」
しゅんとする迅が少し可哀想に思えて、陽菜は助け舟を出す。
「じゃあさ、こうしようよ!私がとったサラダ、全部完食したら、好きなの食べていいってのは?」
「えー、サラダかぁ、まあいいけど。それって、意味あるの?結局、お昼食べれなくならない?」
「んー、それは迅のお腹次第だけど、だいぶマシになると思うよ」
「よし、じゃあサラダとってくれ。俺は飲み物とか用意するから」
そういうと、二人は食事の用意を始めた。横目で陽菜を観察すると、大きい皿を二つ手にしている。
——食事の用意が終わり
「はい、どーぞ、迅の分」
「おーい!二皿とも俺のかよ!」
迅の前の二つの大きい皿には、どちらも限界までサラダが盛られていた。ちなみに陽菜も一皿ではあるが、同じだけサラダが盛られている。
「サービスでドレッシングは違うのにしといたから!」
「うわーい。やったー」
あきれながら喜ぶと、迅はムシャムシャとサラダを食べ始めた。
「あ、・・・・・・結構うまいぞ、コレ」
「ホントだー。ちょっと奮発しただけあったね」
「そういえば、ウチの母親も野菜から食べろっていうんだけど、なんでなん?」
口の中を野菜でいっぱいにしながら、迅は素朴な疑問を陽菜にぶつけた。
「うーんと、野菜から食べると、後で炭水化物をとっても血糖値があがりにくくて、太りにくい・・・・・・だったかな?」
「へー、陽菜、すごいじゃん。よく知ってるじゃん」
「ま、まあね、これでも迅のお母さんから、よろしく言われてるから」
「えー、よろしくって、まだ結婚してもいないのになぁ」
「・・・・・・まだ、ね。そっか、迅って、私と結婚するつもりなんだ」
うかつだった。これが、ただの両想いのカップルだったら微笑ましい先走りだと思うが、ファームに行こうとしてる陽菜にとっては、絶対に叶えてあげられない願いであった。
「・・・・・・そういう未来も、あるだろ?」
もうここまで言ってしまったら、聞くしかなかった。たとえ傷ついても、現状を知るためには必要なことだと割り切るだけだ。
「ごめん、迅。結婚だけはできないんだ・・・・・・。ファームに行くってことはそういう事なんだ・・・・・・」
ファームは行政特区であり、そこに住む人間の結婚を認めていない。母親となる女性は、いろんな男性の子種を孕むからである。
「いや、陽菜、俺あきらめてないからさ・・・・・・。ファームに行くのは一旦受け入れるけど、陽菜がそこから出る未来もあると思ってるから」
「・・・・・・うん、わかった。私も、迅の気持ちを一旦受け入れることにする」
図らずも、二人のこれからに踏み込んだ迅であったが、やはり大きな溝を感じてしまうのだった。
つづく




