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プロローグ

 【牢獄(アポクリズモス)】。


 上は手癖の悪いスリから、下は国を滅ぼす大災害の引き金を引いた者まで。

 それはこの世のありとあらゆる犯罪者を幽閉する、世界唯一にして最大の牢獄である。



Δ▽Δ



 【牢獄】に無数に存在する『牢屋』は、無機質な壁と床と天井が支配する、鉄柵と犯罪者たちの世界だ。

 上階層に収まる軽犯罪者は五、六人ずつが一つの『牢屋』に入れられ。

 中階層に拘束される重犯罪者は特別頑健な個室『牢屋』に、犯罪に応じた手枷、足枷をかけられて閉じ込められる。

 しかし、いずれの牢も、優れた肉体や能力を持っている人間ならば容易に抜け出せる程度のお粗末な強度でしかない。何せ牢屋の内外を隔てるのはただの鉄柵である。

 多少の魔術の心得がある者ならば、破壊は容易い。

 そうして代わり映えのない牢屋の外に出て退屈の枷から抜け出した犯罪者たちは、しかし『牢屋外』の新たなる秩序に束縛されることとなる。


 ーー秩序。それは獣のごとき『力』が全てを支配する、鉄の掟。我らが掟を破った者には屈辱に塗れた死を。


 『牢屋外』は明確で厳格な階級社会で、その階級は暴力と罪深さで決まる。

 つまりは、深い階層に幽閉されるような重犯罪者ほど偉いのだ。

 『牢屋外』では、上級者に逆らえば外界では尊ばれる人命も紙くずのように扱われ、あっけなく消えてしまう。そういう時に投げかけられる温情は押し並べて罠で、より深い陵辱に陥れるためのもの。

 もともと犯罪者の巣窟なので、人倫や良識など求めるべくもないのだが。

 なので『牢屋外』に間違って出てしまったような愚か者たちは。

 その中でも比較的賢い者たちは。上級者に必死で媚を売り、取り入ろうとするのである。

 その日中に上級者に取り入れなかった人間は、日に三回ある配給を根こそぎ奪われ続けて最後には死ぬ。


 有象無象の犯罪者たちを、より罪深い犯罪者が支配する。

 更に上に、その支配する犯罪者たちを統べる犯罪者がいる。

 更に、それらの犯罪者の上に君臨する犯罪者が----


 といった具合に、一部の大犯罪者を頂点としたピラミッド型に、【牢獄】に犇く大量の犯罪者たちは纏まっている。

 『牢屋外』に出た者は血生臭い暴力と理不尽不条理が蔓延するこの(くびき)を枷られて、残る懲役期間を過ごすのだ。

 残り時間はあと何年間か。

 十年。二十年。五十年。百年。ーーもしかすれば、千年かもしれない。


 獲物を求めて、今日も犯罪者たちは暴れまわる。



Δ▽Δ



 【牢獄】中浅階層。『牢屋外』の犯罪者たちは、そのほとんどがここ一帯を活動区域としている。

 安全面では上浅階層が最も優れているのだが、上の人間は吹けば飛ぶような軽罪を犯しただけの臆病者だから、『牢屋外』にそもそも出ようとしない。

 カモにする人間がいないから、上級者に上納するための食料や諸々の物品が得られないのだ。

 しかし中深階層辺りはさすがに危険過ぎる……といった魂胆で、犯罪者どもは中浅階層に蔓延るのである。

 

「ぐがッ……ぐ……ゆ、許してくれ。もう三日もメシを食ってないんだ」


 通路に蹲った男が言った。手足は枯れ木のように痩せ細っている。

 別な男がその痩せた男の腹に爪先をめり込ませていた。両腕には手錠の名残である鉄輪が鈍く光る。重犯罪者の証である。


「そんなの俺が知ったこっちゃねえし。俺もノルマがあるんだし。期限は今日の夜配給だし」

「そ、そんな……がッ!」


 男が痩せた男の頬に靴先を突き込む。痩せた男の身体が無様に転がる。

 人は疎らに通るが、弱そうな犯罪者が虐げられるだなんて日常茶飯事なので、気にも留めずに通り過ぎていく。男の手錠を見た犯罪者たちは、むしろ目を逸らして足早に去っていった。


「そら、さっさと朝のを寄越せよ。俺も別のクズをまたイチから探し直すのはメンドくさいし」

「ぐッ……ふうッ……」


 地に伏せ、歯を床に散らせる痩せた男。

 そんな痩せた男に近づき、男は無造作に細長い足を上げた。

 ゆっくりと足を落とす。

 傷ついた口内を頬肉越しに蹂躙する。

 痩せた男の心は、頬を踏みにじられる痛みよりも、男の眼に浮かんだ害意に屈した。

 求められるがままに自身のオーソドックスな囚人服をまさぐり、備え付けらえたポケットから灰色の箱を取り出す。

 角が丸い直方体で、大きさは男の拳ほど。

 食料である。

 物が少ない【牢獄】にあって唯一安定して供給される物。保存が利く事もあって、こと【牢獄】においては貨幣的な価値を持っていた。


「そーそーソレソレ。良く出来ましたっ」


 箱を受け取った男は、痩せた男を無造作に蹴り飛ばした。鈍い音が響く。

 痩せた男は今度こそ失神した。血だらけの口を開いて、全身をだらんと弛緩させる。


「じゃ、明日もヨロシク。気ーつけろよ。【詐欺師】風情がグズったら……もう次はないし」


 男はそう言って、立ち去った。

 残された痩せた男に、犯罪者たちが群がった。



Δ▽Δ



 男は『町』を歩いていた。

 犯罪者といえど人が集まれば秩序ができ、村ができる。村は発展し、町となる。ここは【牢獄】に存在する数少ない『町』の一つだった。物々交換の店もある。盗られて当然の治安なので、開いているのは余程の強者か後ろ盾がある【悪徳商人】の類だけだが。

 男の目的は収集した食料を上級食料と交換することだ。男の上級者は性質の悪い事にグルメだった。【牢獄】の固形食料は時々思い出したように味が変わる。男の味覚ではどれも十分に美味だったのだが、上級者はそれでは満足できないらしかった。

 男は目に付いた犯罪者を視線で追って、溜息をつく。男は【殺人者】だった。それも両手枷だから、相当数殺している。

 だが男は【牢獄】に入ってから、まだ四人しか殺せていなかった。最後にやったのも随分前の話である。

 男はまだ自由に人殺しができるほどの身分ではないから、間違って誰かの手下を殺してしまうと報復で逆に男が殺されてしまう。

 だからといって何者の庇護も受けていない『フリー』を捜すのも相当手間だ。あの痩せた男もどうにか見つけた貴重なカモである。殺してしまわないように加減しているのだ。

 男にとって殺せないという事はかなりのストレスだった。年単位で溜められた鬱憤が、前にも増して男を凶暴な性格にしていた。

 手当たり次第に殺したい衝動を抑えて、男は商店に入る。


「上くれ」

「十一だ」

「はぁ? 交換レートは十だったし」

「いま出せる上は肉風味だからな。嫌ならいい。お前にはやらん」

「……わあったよ。だから次の値上げは勘弁だ」


 男は改造囚人服の懐から出した十一個の固形食料を商店の男に渡す。この商店の男は短気で有名である。値切るために粘るのは悪手だ。

 代わりの固形食料を貰い受け、男は店外に出た。やるべき用事はこれで終わったので、本格的にやる事がない。

 男はぶらぶらと周辺を散策する事にした。歩いているうちに誰かに出会って、運が良ければ新しい人脈が開けるかもしれない、と思ったのだ。【牢獄】において人脈は外界以上に重要性が高い。

 男は『手錠持ち』の重犯罪者だから、上層部出身の半端者などは近づいてこないし、そうなると接近してくるのは男と同じ目的の者。枷や鎖を大量に纏っているのは危険人物だから、そんな犯罪者だけ避ければいいのだ。

 外界では節操なく人を殺しまくった男だったが、それほど頭の回転は悪くなかった。殺しに限らずどの業界でも、大きな成果を残している人物は頭がいいものだ。というか『牢屋外』では馬鹿はすぐにのたれ死ぬ。

 男は誰か声をかけてこないかなー、などと考えながら足を進める。

 と、男の視界に珍しい色が映った。

 桃色。白と灰色と黒がほとんどを占める【牢獄】で男が初めて見る色である。

 興味を引かれて、男の視線が動いた。

 壊れた『牢屋』の傍。そこに美しい少女が居た。ひしゃげた鉄柵にもたれかかっている。

 薄い桃色の髪を伸ばした少女。大きいながら勝ち気そうに釣り上がった目は手中の菓子の固定されており、可愛いらしい口は詰め込んだ菓子を咀嚼するのに塞がれている。


「がっ、がっ、がつ。むぐん。」


 男の目は釘付けになった。

 少女の美しさに? 否。その口に含んだ菓子に、である。

 男が【牢獄】で固形食糧以外の食料を見た事は一度としてなかった。

 極々一部の犯罪者が本物の肉を味わっている、などと風の噂に聞いた事はあったが、こうして本当に目にするとは。外界の価値観からすれば実にお笑い種であるが、数年ぶりに目の当たりにする菓子に、男は多大なる衝撃を受けていた。

 馬鹿らしい話だが、本当に阿呆らしい事実だが、あの菓子を上級者に渡せば、間違なく男は一息に昇格する。

 それだけ貴重なのだ。固形食糧以外の食べ物というのは。

 いっそ一段飛ばしで更に上の上級者に上納して、あの気に入らない上級者を殺すのも良い。考えた男はほくそ笑んだ。

 そのためにはまず、あの少女を痩せた男のように隷属化し、その手の中の菓子をどこで入手したのかを突き止めなければならない。

 そう思った男は少女に駆け寄った。いつもならゆっくりと歩いて近づいていただろうが、男にとって出遅れ誰かに先を越されるのは何を置いても絶対に避けたい事だった。

 だが男は失念していた。

 何故目の前の少女が菓子など持っているのかということを。

 噂に聞いた『極々一部の犯罪者』とは何者なのかということを。

 そう、冷静ならば男も思い至れたはずである----少女が『極々一部の犯罪者』である事に。


 だが男は気付けなかった。突如として現れた慮外の幸運に、目が眩んでいたのだ。

 男は持ち前の整った顔に笑顔を乗せ、少女に話しかける。男が外界で人殺しのために暗がりに獲物をおびき寄せ時に使っていた表情だった。


「ね、君。俺はローグっていうんだ。君は?」


 無視。少女は菓子を頬張る手を休めようとしない。まるで男が存在しないかのような振る舞いだった。

 少女はケーキと思しき菓子を飲み込むと、すかさず大きな飴を噛み砕き始める。


「……。ところで、君。そのお菓子はどこで見つけたんだい?」


 桃色の少女はゴスロリ風に改造した、やけに豪奢な囚人服から菓子を取り出す手を止めた。

 棒付き飴の最後の欠片を白い歯をもって棒から切り離す。

 床に棒を吐き捨てた少女はぽつりと言った。


「うっぜぇ」

「え?」


 聞くも不機嫌な声音。

 男はここで己が何か重大なミスを犯した事に気づいた。が、時すでに遅し。

 反射的にナイフを構えようとした男の顔面に、少女の柔肌がめしりと食い込んだ。

 折れた歯が飛び散る。

 男は宙で回転し、無様に床に叩きつけられた。泡を吹いた顔の隣に、抜き損ねたナイフが刺さる。

 転がる男を汚物を見るような目で蔑み、少女は不快感を露わにした。


「クズが。ヒトが折角中層くんだりにまで来たってのに、鬱陶しい……。観光気分が台無しじゃねぇか」


 妖精のような愛らしい外見にまるでそぐわない荒々しい口調で、【牢獄】の最深部に居を据える【破壊者】は眉を寄せた。


2012

12/11 各所修正

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