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四人の婚約者は全員、俺を狙っている ~見た魔法を持ち主より上手く撃つ最強魔導士~  作者: 久賀ラトル


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第一章 先にどうぞ

 朝のパン屋の行列で、俺は前から四番目にいた。

 この店の胡桃パンは、七つ鐘が鳴る前に売り切れる。だから並ぶ。王国でいちばん強い魔導士だろうが、並ぶものは並ぶ。


「動くな! 全員、その場に伏せろ!」


 店の扉が蹴り開けられた。

 入ってきたのは、ひげの伸びた大男だった。右の手のひらの上で、炎が渦を巻いている。拳くらいの大きさ。熱気で、店の中の空気が揺れた。


 行列が悲鳴を上げて床に伏せた。俺の前にいた婆さんも、籠を抱えてしゃがんだ。

「金を出せ! 出さねえと、店ごと焼くぞ!」


 パン屋の親父が、真っ青な顔で売上の箱を抱えている。

 俺は立ったままだった。


「おい、そこの。伏せろって言ってんだろうが」

「いや、伏せたら胡桃パンが見えなくなるから」

「……は?」


 男の目が、俺の顔で止まった。それから、黒い上着と、首から下げた銀の徽章で止まった。

 徽章には、羽を広げた鳥が彫ってある。


 男の顔から、血の気が引いた。

「……鴉、か」

「クロウだよ。鴉は、あだ名」


 客の誰かが、ひっ、と息をのんだ。床に伏せていた若い男が、小さく「本物だ」と言った。

 三年前、たった一人で帝国の大軍を止めた魔導士。王国筆頭。千の魔法を持つ男。いろいろ呼ばれているが、だいたい合っていない。


 大男の手の炎が、ふくらんだ。

「ち、近寄るな! 近寄ったら撃つぞ!」

「撃っていいよ」

「……なに?」

「先にどうぞ」


 俺は、両手を上着のポケットに入れた。

「あんたの一番いいやつを見せてくれ。手加減しなくていい」


 男の顔が歪んだ。馬鹿にされたと思ったんだろう。違う。俺は本気で見たいだけだ。


「――なめやがって!」


 炎が、膨れ上がった。

 拳の大きさだった塊が、ほどけて、伸びて、太い胴になった。牙のある頭が持ち上がる。店の天井に届くほどの、炎の大蛇。

 熱で、パンの棚の紙袋が焦げはじめた。


 ああ、いい魔法だ。


 大蛇の鱗が、一枚ずつ違う温度で燃えている。頭は白く熱く、尾は赤く低く。温度に差があるから、うねりが速い。数えると五段階。

 この男は、昔、きっと鍛冶屋か何かだった。火の温度を指で覚えている人間の魔法だ。魔法の形には、持ち主の心の形が出る。それが強盗なんかやっている。


 炎の大蛇が、口を開けて俺に飛びかかった。


「借りるよ」


 俺の足もとから、炎が噴き上がった。

 同じ大蛇。ただし、二回り大きい。鱗の温度は、頭から尾まで七段階。男のが五段階だったから、二つ足した。


 俺の大蛇が、男の大蛇を頭から呑み込んだ。

 ばくり、と音がした気がした。炎が炎を食べて、店の中が一瞬だけ真昼みたいに明るくなり、それから――消えた。


 焦げた匂いだけが残った。パンは、一個も焼けていない。


 男は、空っぽの右手を見下ろしていた。

「……な、んで……俺の、魔法……」

「いい魔法だった。頭と尾で温度を変えるの、自分で考えたのか?」

「…………」

「鍛冶屋に戻ったほうがいいよ。あんた、たぶん、すごく腕がいい」


 男は、膝から崩れた。

 店の外から、衛兵の笛が近づいてくる。


 俺はパン屋の親父に向き直った。

「胡桃パン、二つ。あと、焦げた紙袋のぶんも払う」

「い、いえ、お代なんて――」

「払う。並んだんだから」


 背中で、床に伏せていた客たちが、ゆっくり顔を上げる気配がした。誰も、何も言わなかった。

 ただ、さっきの婆さんだけが、籠を抱え直してぼそっと言った。


「……あんた、パンが焼けたらどうするつもりだったんだい」

「焼けないようにしたよ」

「そういうことじゃないよ」


 婆さんは、俺の背中を一つ叩いて、行列に戻った。


 *


 衛兵は四人来た。

 先頭の隊長は、床の大男を見て、それから俺を見て、敬礼しかけた手を途中で止めた。どういう顔をすればいいか分からない、という顔だった。


「クロウ殿……その、お怪我は」

「ないよ。こいつも、ない」

「は。……あの、魔法は、もう……?」

「借りたのは日の出までだから、明日の朝には消える。こいつの魔法は、こいつのところに残ってる。牢で暴れたら困るから、手は縛っといたほうがいい」


 隊長は、ほっとしたように息を吐いた。

 後ろの若い衛兵が、俺から目を離さないまま、そっと剣の柄に手を置いていた。隊長がそれに気づいて、肘で小突いた。若いのは、慌てて手を下ろした。


 別に怒らない。慣れている。

 見た魔法を、持ち主より上手く使う男。そんなのが同じ街でパンを買っていたら、俺だって剣の柄くらい触る。


 大男が縄をかけられて引き立てられていく。店を出る前に、一度だけ振り返った。

「……鍛冶屋、か」

 つぶやいて、それきりだった。


 胡桃パンの袋を抱えて店を出ると、通りの真ん中に、白い馬が立っていた。

 その横に、金の縁取りの外套の男。王宮の使者だ。


「王国筆頭魔導士クロウ殿。陛下がお呼びです」

「……今日?」

「ただちに、と」


 俺は、袋の中のパンを見た。まだ温かい。


「歩きながら食べていい?」

「…………お好きに」


 *


 王宮の奥の、小さな謁見の間。

 玉座のある大広間じゃなくて、陛下が内々の話をするときに使う部屋だ。窓が大きくて、庭の噴水が見える。


 陛下は、窓辺の椅子に座って、本を閉じたところだった。

 アストラ王国国王、ヴァルター三世。五十を過ぎて、髪には白いものが多い。笑うと目尻に皺が寄って、どこにでもいる優しい父親みたいな顔になる。


「来たか、クロウ。パン屋で一仕事したそうだな」

「耳が早いですね、陛下」

「王の耳は早いものだ。――座れ。胡桃の匂いがするぞ」

「一個、いります?」

「もらおう」


 陛下は本当に一個受け取って、ちぎって口に入れた。

 この人は、こういう人だ。三年前、まだ十六だった俺を最初に「よくやった」と言ってくれたのも、この人だった。


 部屋には、もう一人いた。

 壁際に、腕を組んで立っている大柄な男。陛下の弟、オスカー大公。陛下とは似ても似つかない、岩を削ったみたいな顔をしている。


「兄上。食べ物の話をするために、この化け物を呼んだのですか」


 大公は、いつもどおりだった。俺のことが嫌いなのだ。隠す気もない。

 俺は会釈だけした。大公は返さなかった。


「化け物とは言いすぎだ、オスカー」

「言いすぎではありません。見た魔法を、すべて自分のものにする男です。今朝も街のど真ん中で、強盗の魔法を奪った」

「借りただけですよ。明日には消えます」

「同じことだ」


 大公の目が、俺をまっすぐに見た。

 怖がっている目だ、と思った。嫌っているんじゃない。この人は、俺が怖いのだ。だから、怖いと正直に言う。それは、まあ、悪いことじゃない。


「――本題だ」

 陛下が、パンの残りを皿に置いた。


「クロウ。お前に、妃を迎えてもらう」


 俺は、二個目のパンを口に入れかけたまま止まった。


「……はい?」

「三十日以内に、妃を一人選べ。三十日目に、婚約披露の儀を行う」


 陛下は、穏やかに笑っていた。冗談を言っている顔ではなかった。


「待ってください。なんで俺が」

「お前を、この国に繋ぎ止めたい。――正直に言おう。そういう理由だ」


 陛下は膝の上で手を組んだ。

「三年前の戦は終わった。だが、帝国にも、我が国の中にも、お前を恐れる者は多い。恐れる者は、いずれ、お前をどこかへ追いやれと言い出す。あるいは、お前がどこかへ行ってしまうのではないかと怯える」


 大公が鼻を鳴らした。陛下は気にせず続けた。


「妻がいて、家があれば、お前はここに根を張った者になる。恐れる者たちも、少しは安心する。――候補は、国の主な家から募る。王家、大公家、魔導院。それから、帝国からも一人」

「帝国?」

「和平の証として、皇女を一人寄越すと、向こうから言ってきた。人質のようなものだがな」


 陛下は、少しだけ苦い顔をした。

「お前が三年前に何をしたかを、帝国は忘れていない。その皇女も、お前を好いて来るわけではなかろう。それでも、来る」


 頭が痛くなってきた。


「……断ったら?」


 答えたのは、大公だった。

「断るなら、別の形で繋ぐことになる。首輪か、檻か」

「オスカー」

「事実を言ったまでです、兄上。評議会の半分は、そちらを望んでいる」


 陛下は、弟をたしなめるように首を振った。それから、俺を見た。


「私は、お前を檻に入れたくない。息子のようなものだと思っている。だから、頼んでいる」


 頼まれると、弱い。

 それに――俺には、まだこの王都でやることがある。魔導院の書庫で、探しているものがある。三年かけて、まだ見つかっていない。追い出されるわけにはいかなかった。


 王都を出ずに済む。檻にも入らずに済む。三十日、誰かと暮らすだけ。

 妃を選ぶかどうかは、三十日目に考えればいい。


「……分かりました。三十日」

「受けてくれるか」

「受けます。ただし、選ぶかどうかは、俺が決めます」

「それでいい」


 陛下は、満足そうにうなずいた。

 大公は、何も言わずに窓の外を見ていた。


「そうだ、クロウ」

 部屋を出ようとした俺を、陛下が呼び止めた。

「今朝の強盗の裁きには、私が立ち会うことにした」

「陛下が? ただの強盗ですよ」

「王は、裁きを見届けるものだ。昔からの決まりでな」


 俺は少し考えて、言った。

「死罪には、しないでやってください。鍛冶屋に戻れって言っちゃったんで」


 陛下は、目尻に皺を寄せて笑った。

「お前は、本当に優しいな」


 *


 王宮の長い廊下を、玄関に向かって歩いていた。

 三十日。妃。帝国の皇女。頭の中で言葉がぐるぐる回っている。胡桃パンは、さっき陛下に一個あげたから、残り一個。


「――止まりなさい」


 廊下の真ん中に、女の子が立っていた。


 金色の髪を高く結い上げて、白い軍装みたいな上着を着ている。腰に細い剣。年は、俺と同じくらい。背筋がまっすぐで、顎が少し上を向いている。人に命令し慣れている立ち方だ。

 胸もとに、王家の百合の紋。


 知っている顔だった。式典で、遠くから何度か見た。

 この国の、ただ一人の王女。リディア殿下。


「あなたが、鴉ね」

「クロウです。殿下」

「父上から聞いたでしょう。妃の候補の話」

「聞きました」

「なら、最初に教えておくわ」


 王女は、細い剣の柄に手をかけた。


「候補の一人目は、わたしよ」


 ――は?


「王家から出す候補が、わたし。父上の命令。三十日、あなたの屋敷に住むことになる」

「待ってください。殿下が?」

「不満?」

「不満とかじゃなくて、殿下は王女で」

「だから、よ。王家がいちばん本気だと見せるには、王女を出すのがいちばん早い」


 王女は、すらりと剣を抜いた。細い刀身が、窓の光を跳ね返した。


「でも、その前に確かめておきたいの。父上が国を預けるほどの男が、どれくらいのものか。――構えなさい」

「ここ、廊下ですけど」

「誰も来ないわ。人払いはしてある」


 用意がいい。

 俺は、パンの袋を床に置いた。


「どうぞ」

「……は?」

「先にどうぞ、殿下。殿下の一番いい魔法を、見せてください」


 王女の頬が、ぴくりと動いた。

 あ、怒った。たぶん、さっきの強盗と同じ勘違いをしている。


「――後悔しないことね」


 王女の背後の空気が、光った。


 一本、二本、十本――いや、もっと。

 光でできた剣が、宙に浮かんで並んでいく。どれも王女の剣と同じ形をしていて、切っ先が全部、俺のほうを向いた。三十本。廊下の窓の数より多い。


 きれいだ、と思った。

 一本一本が、まっすぐだった。曲がった剣が一本もない。迷いのない人間の魔法だ。

 それに――。


「行きなさい!」


 三十本の光の剣が、一斉に飛んできた。


「借ります」


 俺の背後に、光の剣が並んだ。

 三十本。同じ形、同じ光。


 俺の剣が、王女の剣と、空中で一本ずつ正面からぶつかった。

 かん、かん、かん、と、鐘を三十回、続けて鳴らしたような音がした。光の欠片が廊下じゅうに散った。


 全部、相殺した。

 一本だけ、俺のほうが多く出していた。三十一本目。


 その一本が、王女の右の袖を、廊下の壁に縫いとめた。


「――っ」


 王女が、腕を引いた。抜けない。光の剣は、袖の布だけを貫いて、壁の石に深く刺さっている。肌には、かすってもいない。


「な……っ、わたしの、剣で……!」

「いい魔法ですね」


 俺は、本気で言った。

「三十本、一本も曲がってない。普通、数を出すと何本かは迷うんです。殿下のは、全部まっすぐだ」


 王女は、壁に縫いとめられたまま、俺をにらんだ。顔が赤い。怒りなのか、恥ずかしいのか、たぶん両方だ。


「抜きなさい」

「すぐ消えますよ。――あ、それと」


 言うか迷った。

 魔法を借りると、持ち主の心の形が少しだけ見える。強盗が鍛冶屋だったと分かったのも、それだ。だいたいは、見えても黙っている。人の心を勝手にのぞくのは、行儀が悪い。


 でも、この人の剣は、あんまりまっすぐだったから。


「殿下の剣、全部、同じほうを向いてますね」

「……何のこと」

「俺に向けて撃ったのに、心の中では、別のものを狙ってる。三十本とも。――玉座のほうを」


 王女の顔から、赤みが消えた。

 一瞬で、真っ白になった。


 光の剣が消えた。袖が壁から外れて、王女の腕がだらりと下がった。

 王女は、何も言わなかった。言えなかったんだと思う。


 俺はパンの袋を拾った。

「三十日、よろしくお願いします、殿下。屋敷は散らかってますけど、飯はうまいですよ」


 頭を下げて、王女の横を通り過ぎた。

 背中に、ずっと視線が刺さっていた。光の剣より、ずっと鋭い視線だった。


 *


 ◆リディア


 リディアは、鴉の背中が廊下の角を曲がって消えるまで、動けなかった。


 右の袖に、小さな穴が開いていた。指を入れると、穴の縁がまだ温かかった。自分の魔法の温度だった。

 自分の剣で、縫いとめられた。三十本を相殺されて、一本多く出された。それも、肌には傷一つ付けずに。


 ――化け物。


 叔父上の言葉が、頭に浮かんだ。違う、と思った。化け物は、あんなふうに笑わない。「いい魔法ですね」なんて、目を輝かせて言わない。


 それなのに、見抜かれた。


 リディアは、袖を握りしめた。

 昨夜、父の書斎で言われたことを思い出す。


 ――リディア。三十日で、あの男を落とせ。お前に惚れさせて、この国に繋げ。王家の娘にしかできない仕事だ。


 父はそう言って、いつものように優しく笑った。

 リディアは「はい」と答えた。王女は、父の命令に「はい」と答えるものだ。


 でも、本当の目的は違う。


 三か月前、リディアは、父の戦の会議を扉の陰で聞いてしまった。

 帝国に、もう一度攻め込む。今度は、鴉を先頭に立てて。和平は、そのための時間稼ぎにすぎない――。


 止めなければならない。

 でも、王女一人では、王を止められない。王に逆らえる力が要る。この国で、それができるのは一人しかいない。


 だから、あの男を手に入れる。父の命令どおり、落とす。そして、落とした男を、父に向ける。

 それが、リディアの三十日だった。


 ――殿下の剣、全部、同じほうを向いてますね。


 あの男は、たった一度、剣を合わせただけで、それを読んだ。

 誰にも言ったことのない、リディアの心の真ん中を。


「……っ」


 顔が熱くなった。怒りなのか、恐れなのか、それとも別の何かなのか、リディアには分からなかった。

 分からないことが、いちばん腹立たしかった。


 リディアは、廊下の窓に映った自分の顔をにらみつけた。


「落としてやるわ。……三十日で」


 窓の中の王女は、まだ少し、赤い顔をしていた。


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