第五話 何より、あなたに出会えましたから
つまり、あの占いは未来を見通したものではなく、王太后が孫の性格と企みを知った上で告げたものだったのだ。
トリスタンが呆れたように息を吐く。どうやら彼も知らなかったらしい。
「お祖母様……」
「なんじゃ。お前だって、この娘が気になっておったのだろう?」
「それとこれとは話が違います」
「違わんよ。わたしはアガットに、ランドルフとの婚約を考え直すきっかけをやっただけさ。その後どうするかは、本人が決めることじゃろう?」
そう言われて、アガットは思い出した。
百日前の夜。占いの天幕を出たあと、自分のために生きてみようと決めたことを。
あの言葉がなければ、今もランドルフのために挨拶文を書き、彼の失敗を取り繕い、ミーナの存在に傷つきながら笑顔を作っていたかもしれない。
温室に足を運ぶことも、トリスタンとゆっくり話すこともなかっただろう。
「……ありがとうございます、王太后陛下」
アガットがそう告げると、王太后は満足そうに頷いた。
「礼を言われるほどのことはしておらんよ。それより、さあ、アガット。孫を待たせるでない。膝が痛くなる年でもあるまいが、見ている方がじれったい」
広間に、どっと笑いが起きた。
アガットは、目の前で膝をつく人を見つめた。
この百日間。自分のために生きようと決めて、初めて見つけたもの。誰かの影ではなく、自分自身を見てくれた人。
彼と過ごす時間が好きだった。温室で花を眺めながら、何でもない話をするのが楽しかった。いつしか、その時間が一日の中で最も待ち遠しくなっていた。
それが恋なのだと、気づかないふりをしていただけだ。
頬を染めながら、震える手を彼の手に重ねた。
「……はい。喜んで、お受けいたします」
トリスタンが立ち上がり、彼女の手を握りしめた。氷のようだと噂された王太子は、少年のような顔で笑う。
その様子を見届けた国王も、ようやく表情を和らげた。
「アーベライン嬢。そなたさえよければ、今度は我が長男との婚約を正式に進めさせてほしい。もちろん、侯爵家にも改めて話を通そう」
「……はい、陛下」
アガットが頭を下げると、王太后が満足そうに扇を閉じた。
「うむ。やはり、わたしの占いはよく当たるのう」
「お祖母様。それは占いではありません」
トリスタンの呆れた声に、今度こそ広間中が笑いに包まれた。
翌年の春。王宮の温室で、南の国の花が咲いた。
冬の大夜会から数か月。侯爵家との正式な婚約を経て、トリスタンとアガットは春の初めに婚礼を挙げていた。
王太子妃となったアガットは、夫と並んで温室の花々を眺めていた。ガラス越しに差し込む陽は暖かく、庭園からは鳥の声が聞こえてくる。
「北の砦から、ランドルフの便りが届きました」
トリスタンが言った。
「毎朝、誰よりも早く起こされて薪を割っているそうです。挨拶文も、自分で書くしかないと」
「まあ。少しは上手になられたかしら」
「どうでしょうね。父上宛の手紙は、ずいぶん長くなったようですが」
「それは……上達したとは限りませんわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
ホルト男爵家は爵位を返上し、ミーナは遠い修道院で、朝から晩まで祈りと掃除に明け暮れているという。華やかな夜会とは、生涯無縁の暮らしだ。
もう、どうでもいいことだった。
「アガット」
「はい」
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「なんでしょう?」
「あの占いのことです。もし、あの夜に王太后から百日後の婚約破棄を告げられていなかったら、あなたはどうしていたと思いますか」
少し考えて、首を振った。
「わかりません。きっと、何も疑わずに、あの方の影で生きていたでしょうね」
そう答えてから、ふと思い出したように笑った。
「でも、あの占いのおかげで、初めて自分のために時間を使ってみようと思えたんです。そうしたら、今まで知らなかったことが、たくさん見えてきました」
「たとえば?」
「王宮の温室が、こんなに素敵な場所だったこと。それから、氷のようだと噂されている王太子殿下が、実はとてもお優しくて、花を買うつもりで野菜を山ほど買ってしまうような方だったことですわ」
トリスタンは困ったように眉を下げた。
「……その話は、そろそろ忘れていただけませんか」
「嫌ですわ。わたくし、とても気に入っているんですもの」
「では、今度あの国へ行ったときには、あなたにも市場についてきてもらわなければ」
「ええ、もちろん。今度こそ、きちんとお花を買って帰りましょうね」
以前の彼女なら、王太子をからかうようなことなど、考えもしなかっただろう。けれど、今はこうして夫と冗談を言い合う時間が、何よりも好きだった。
「……あの占いが当たって、よかったと思っているのですか?」
「婚約を破棄されたこと自体は、決して喜ばしいことではありませんでしたわ。あんなふうに大勢の前で責められるのは、やはり悲しかったですし、腹も立ちましたもの」
彼女は温室に咲く花を見つめた。
「でも、あの百日間がなければ、きっと自分が何を好きで、どんなふうに生きたいのかも、知らないままだったと思います」
そう言うと、隣の人の肩にそっと頭を預けた。
「何より、あなたに出会えましたから」
「それなら、私も王太后に感謝しなければなりませんね」
「ふふっ。きっと、ますます得意になられますわ」
「ええ。次はどんな占いを始めることやら」
トリスタンは彼女の肩を抱き寄せ、その額に口づけた。
二人は顔を見合わせ、声を立てて笑った。
夜になれば、この花は甘い香りを放つという。
今夜は夕食のあと、二人でもう一度温室を訪れよう。
そんな約束を交わしながら、アガットは夫の手を握った。
百日後に婚約を破棄されると告げられた侯爵令嬢は、その百日の先でようやく自分の幸せを見つけたのだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
少し前に「百日後に〇〇する〇〇」みたいなお話が流行りましたよね。
百日後の二人が気になりましたら、ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ





