第3話:辺境ギルドからの緊急要請
辺境都市のギルドに激震が走ります。
地中を穿ち、すべてを喰らう災厄級魔獣の大発生。
街の滅亡を前に荒くれ者たちが絶望する中、買い出し中のゼノンが動いた理由は、国家の正義ではなく、ただ「娘が楽しみにしているケーキの流通を守るため」でした。
親バカ魔王の、理不尽な害虫駆除が始まります。
魔の森の地下宝物庫から莫大な資金を回収し、バグった守護ゴーレムたちを従順な『お庭番ワンワン』へとリフォームした翌日。
ゼノン一家は再び、辺境都市『ガルガ』の街へとやってきていた。
新居の生活環境は快適そのものだったが、日々の調度品やエルナの衣類、そして何より食卓を彩るための細々とした調味料や生活雑貨は、やはり人間の街で買い揃えるのが一番手っ取り早い。
「パパー! あっちに、すっごくあまーい匂いがするお店があるの!」
認識阻害のマントに身を包んだエルナが、ゼノンの手を引きながらピョコピョコと跳ねる。
彼女が小さな鼻をひくつかせて指差した先には、街の目抜き通りに店を構える、地元で大人気の小さなケーキ屋があった。
「おや、本当だね、エルナ。
焼き立てのタルトの香りかな。
よし、買い出しが終わったら、あそこのケーキを全種類買って帰ろう」
「わーい! ケーキ、ぜんぶ! パパ、だーいすき!」
「ふふ、エルナったら、すっかり食いしん坊さんですね。
あなた、では私はその間に向かいの服飾店で、エルナの新しいパジャマの生地を見ておきますわ」
リーゼロッテが聖杖を片手に、実におっとりとした、幸せな主婦の微笑みを浮かべる。
人間の王国を追放されたことなど、今の彼らにとっては完全に過去の出来事であり、ただの楽しい家族の休日のひとコマに過ぎなかった。
だが、そんな三人が必要最低限の雑貨を買い揃え、冒険者カードの更新がてらギルドのロビーへと足を踏み入れた、その瞬間。
「——おい、嘘だろ……。
あの『グランド・ワーム』の群れが、こっちに向かって地脈を進んできてるってのか!?」
「ああ!
守備隊の斥候からの緊急報だ!
数が多すぎる、通常の討伐隊じゃ一瞬で胃袋の中に逆戻りだぞ!」
ガヤガヤと、昼間から酒を飲んでいたはずの荒くれ者たちが、全員顔を真っ青にして武器をガタガタと震わせていた。
ロビーの奥からは、髪を振り乱し、書類の束を抱えたギルド長が、血相を変えて飛び出してくる。
「総員、静粛にッ!
ただちに緊急防衛クエストを発令する!
現在、魔の森の外周から、地属性の災厄級魔獣が数十頭の群れを成してこのガルガへ向けて進撃中だ!
街の城壁が破られれば、我々に明日の朝は来ないぞ!」
ギルド長の絶叫に、
冒険者たちが「数十頭だと!?」と絶望の悲鳴を上げる。
一頭だけでも街の防衛隊が総出で当たらねばならないSSSランク一歩手前の巨大魔獣が、群れを成して押し寄せてきているのだ。
まさに辺境都市の存亡を賭けた、未曾有の国家規模の危機であった。
(やれやれ。
わが信頼の指南書『新天地での人脈作りの基本』には【地元のギルドに籍を置き、実力を少しずつ示すのが最善】とあったが……。
少しずつ示す前に、街の方が勝手に崩壊の危機を迎えてしまうとはな)
ゼノンはフードの奥で、心底退屈そうにため息をついた。
国家の危機だろうが街の滅亡だろうが、元魔王の彼にとっては「知ったことではない」というのが本音だ。
何なら、今すぐ家族を連れて魔の森の新居へ転移で帰れば、リーゼロッテの絶対結界の内側で、何一つの不自由なく優雅に紅茶を飲むことができる。
「ギルド長!
もう駄目だ、あいつらの進路の先には、南の街道がある!
あそこが踏み荒らされたら、流通が完全に何ヶ月もストップしちまうぞ!」
一人の斥候が叫んだその言葉に、ゼノンの隣にいたリーゼロッテが、ハッと目を見開いた。
「……お待ちになって、あなた。南の街道ということは……先ほどエルナが目を輝かせていたあのケーキ屋さんの、最高級ハニーシロップの仕入れルートも、そこを通っているのではなくて?」
「何……?」
ゼノンの眉が、ピクリと不穏に跳ね上がった。
彼は即座に超広域探知魔法《深淵の眼》を街の外へと展開し、地脈を這い進む巨大な虫どもの位置と、その進路を脳内でシミュレーションした。
間違いない。
あの趣味の悪い巨大なミミズどもは、確実に、エルナが楽しみにしているケーキの材料を運ぶ馬車のルートを、その下品な巨体で踏み潰そうとしていた。
(我が娘の、楽しみにしている甘味の時間を、そのくだらない進軍で脅かそうというのか……)
ゼノンの瞳の奥で、千年の時を超えて眠っていた【破壊の魔王】の、冷徹極まりない絶対的な逆鱗が、パチリと音を立てて臨界点を突破した。
「パパ、お外がまたゴロゴロ言ってるの……? エルナ、ケーキ食べられないの……?」
不安そうに服の裾を引くエルナの小さな手を、ゼノンは優しく握り返し、これ以上ないほど甘い父親の顔で微笑んだ。
「大丈夫だよ、エルナ。パパが今から、ちょっとだけお外の『お邪魔虫』を片付けてくる。
エルナはここで、ママと一緒に美味しいお茶を飲んで待っていなさい」
ゼノンは静かに立ち上がると、ロビーの真ん中で頭を抱えて泣き叫んでいるギルド長の前へと歩み寄り、無造作に冒険者プレートをカウンターへと叩きつけた。
「その緊急クエスト、私が引き受けよう。
……リーゼロッテ、エルナを頼む」
「ええ、行ってらっしゃいませ、あなた。
我が家の食卓の平穏を脅かす雑草は、根こそぎ刈り取ってしまってくださいね」
リーゼロッテが上品に微笑みながら聖杖を構え、ギルドの建物全体を薄い金色の結界で包み込む。
何が起きたのか分からず呆然とする荒くれ者たちを置き去りにし、怒れる最強の夫は、ただ「娘のケーキの流通を守るため」だけに、一人で城門の外の戦場へと赴くのだった。
第3話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
街の崩壊という国家規模のシリアスな危機に対し、ゼノンの一家の動機が「ケーキのハニーシロップの流通を守るため」という、この圧倒的な温度差無双を楽しんでいただけましたでしょうか。
どんな大軍勢や災厄が来ようとも、彼らにとっては「我が家の食卓の邪魔者」でしかないというブレなさが、本作の最大の魅力です。
次回、第4話では、城壁の前で絶望する防衛隊の前にゼノンがふらりと現れ、一国を滅ぼしかねない魔獣の群れを「買い物袋を提げたまま、一指で完全消滅」させる、至高の神速ざまぁ(スカッと展開)をお届けします。周囲の冒険者たちの顎が外れる瞬間の驚愕をお楽しみに!
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