第三話
ベッドの傍らには木剣が置かれるようになった。剣に馴染むためだろうか。眠るときはそれを抱きしめて寝る。生まれ変わって六年がたった今もそれはずっと変わらない。
六年の間にわかったことは、やはり死んでからほぼ間をおかずに転生したということ。父母以外の親族はドリースを残し他界していて、現在の当主が父だということ。
変わったことといえば弟がうまれたことだろう。私は剣の道に入り、どういう形でかはわからないが、いつかはこの家を出ることになる。なるべく早く父母に伝えないといけないが、六歳ではまだ早すぎるだろう。全て押し付けることになり、弟には少し申し訳なく思う。ただこれで跡継ぎの心配もなく剣の道に邁進できる。
そろそろ剣術を始めたいところだ。一度木剣を振ろうとしたが、ドリースが置いていった木剣は六歳の私に大きすぎた。六歳になった今でさえ大きいのだ。ドリースはうまれたばかりの私になんてものを振らせようとしたのだ。
それ以外の鍛錬は順調に進んでいた。前世の域にはまるで達していないが、それでも自身の部屋の周囲くらいの気配はわかるようになった。屋敷の周囲くらいは把握したいところである。
気配を感じる。誰かが来たようだ。感覚を研ぎ澄ますと足音が聞こえてくる。この足音は父だろう。
扉を開いて現れたのはやはり父だった。両手に木剣を持ち顔には満面の笑みを浮かべている。
「ウォル。マリナがやっと許してくれたぞ。今日から剣術の稽古をはじめるぞ」
その言葉に私は父以上に嬉しそうな笑顔になっていたことだろう。
「父上本当ですか。はやくやりましょう」
父に先立って部屋をでて屋敷の一室訓練場へ早足で向かう。
「そんなに急がなくてもこれからいくらでもできるんだぞ」
父が後ろから声をかけてくるが、きに止めず一目散に訓練場に急ぐ。私の人生は今日これから始まるといってもいいのだ。急がずにいられようか。
長い廊下を走るように歩き、一足先に訓練場につくとゆっくりと体をほぐしはじめた。急激な動きは体を壊す。前世の頃から鍛錬の前には欠かさず行なってきた運動だ。
「ふむ、ラグス流の準備運動か。剣についてよく学んでいるようだな。確かに理に適った動きだ」
遅れて入ってきた父も一緒に体をほぐしはじめた。ラグス流は私の剣を体系化し私を開祖とする流派である。流派を立ち上げるなど、まったく興味なかったが、師匠が人に教えることでまた見えてくることもあると仰られたので立ち上げたのだった。確かに師匠が言われたとおり、人に教える事で自身の剣について理解が深まったものだ。
「そういえば大祖父様の指揮の下何度かラグス様が戦ったことがあるらしいぞ。大祖父様はよく自慢しておられた。ラグスはわしが育てたんだと」
ドリースに育てられた覚えはないが、あの方の指揮でなければ私は死んでいてもおかしくなかったのだし、それくらいの誇張は許そう。
「その頃のラグス様は一兵卒だったしドリース様と直接面識もなかったようだし育てたはさすがにないと思うがな」
「なんだダークはわしが嘘を言っているといいたいのか」
そこに当のドリースが入ってきた。私は微弱な気配でわかったが、父は大変驚かれたようだった。
「い、いえ。そんなことは決してないです。大祖父様の剣の腕前も知っております。そ、そ、そんなことより大祖父様、家の中でまで気配を断たないでください」
父が話をすり替え始めた。
「若い頃からの癖だ。わしも衰えた。この程度で気がつかないなどダークはまだ鍛錬が必要だな。しかしラグスを育てたのは間違いなくわしだぞ」
父の目論見は失敗したらしかった。
「確かにラグスとはほとんど会ったことはないが、やつの流派にはわしの剣の動きが若干だが見て取れる。やつがわしの剣に影響を受けたのは間違いない。だからわしが育てたといっても過言ではないのだ」
育てたは過言であると思うが、ドリースの剣は一度しか見ていないわたしにも確かに大きな衝撃を与えたのは間違いない。父を見るととても困った顔をされていた。このあたりで父に助け舟を出すべきだろう。
「そんなことよりも早く稽古を始めましょうよ。準備運動も終わりました。」
そういって父とドリースをあどけない笑顔で見る。
「そんなことよりって。まぁいい始めるか」
さすがのドリースも私の笑顔には弱かった。
父が私に木剣を渡してくれた。六歳という幼い私のために用意してくれたのだろう。それはとても短くそして軽かった。しかし握り部分はしっかり作られ、訓練用の木剣をただそのまま小さくしただけといった感じで、子供が遊ぶような安っぽいおもちゃではなかった。それは間違いなく剣であった。その木剣を握ると自然と顔から笑顔が消え真剣な顔つきになる。
「おまえなら大丈夫そうだが、木剣といえどそれで殴れば人はあっさり死ぬ。人とは脆いものだ。決してふざけて振り回すことのないようにな」
父の言葉と共に部屋に流れていた穏やかな空気が一気にひきしまった。前世の道場でもよく感じた空気だ。父もドリースも真剣な顔でこちらを見ている。その顔は剣に生きる者たちの顔だ。
「今日これからお前は剣の道に入る。もう歩きはじめた。途中で引き返すことは許さん。わしもダークもこの場ではお前を甘やかすことはしない」
そこでドリースは言葉をきった。
「わしは剣を極めることはできなかった。極めることなど誰にもできないことかもしれない。あの剣聖と呼ばれたラグスにもだ。だが剣の道に入った以上目指し続けよ」
そう言ったドリースの顔には剣を極めることのできなかった悔しさが溢れているようだった。私も床にふせっていたときは、こんな顔をしていたのだろうか。多くのものが悔しさを胸に死んでいくのだ。私はまたとない機会を与えられた。
「はい。必ず辿り着いてみせます。今日からよろしくお願いします」
そう言って父とドリースに頭を下げた。
「じゃあ、とりあえず剣を構えてみろ」
父に言われたとおり素直に構えを取る。左足を前にだし剣先を体の後方に脇構えに構える。久々に構えたが今までに何万回と繰り返した型だ。完全にしっくりときたわけではないが、六年もの間構えていなかったにしては上出来だろう。
「ふむ。ラグス流だな」
そういうと父は困ったような表情でドリースに顔を向けた。
「様にはなっておる。むしろ様になりすぎているな」
ドリースも私の構えを見て思案顔だ。
「あの、何か問題でもありますか」
そこまで悪い形ではなかったはずだが。
「ウォルにはメネジルド流を教えるつもりだったんだ。大祖父様も俺もメネジルド流だ。だからラグス流は教えようがない」
ドリースは我流だと思っていたからメネジルド流と聞いて驚いた。あのドリースの剣にはメネジルド流に見られる優雅さなどかけらもなかった。
メネジルド流は別名貴族の剣と呼ばれている。儀礼的な美しさを感じさせるその剣捌きは貴族の剣と呼ぶにふさわしい優雅さを確かに持っている。私の作り上げた実践的なラグス流とは根本的に何もかもが違う。他の流派を学ぶことで得られるものをあるだろうが。メネジルド流を教わるのか。
「ウォルの構えには心がある。いまさらメネジルド流を押し付けたところで、極めるなど到底不可能であろう。ラグス流の家庭教師を探してやろう」
私の困った顔を見かねたのかドリースがそういってくれた。
「それならば心当たりがあります。実は今この街にラグス様の直弟子というラグス流一級剣士が立ち寄っていまして、先日私の所に挨拶に参りました。まだ街にいると思いますのでさっそく連絡を取ってみましょう」
そう言うと父はすぐに部屋をでていってしまった。
ラグス流に限らず、全ての流派には級が設けられている。まず入門すると十級から始まる。四級を越えれば一人前と見なされる。一級ともなれば超一流である。流派によっては金で買えるとも聞くが、一級になれるものはほんの一握り。現に数多くいた私の弟子の中でも一級を授けたのは五人しかいなかった。
それにしても私の弟子で一級剣士か。誰であろうか。
「ウォルは恵まれておるな。ラグス流の一級剣士がたまたまこの街に来ておった。おまえに剣を教えるためかもな」
ドリースが豪快に笑った。
「いくらこの街にいるといっても、すぐにというわけにはいかんだろう。今日はわしが稽古をつけてやろう」
車椅子から降り、父が置いていった木剣を拾った。剣を持ったとたんにドリースが若返ったように感じた。剣を持つには老い過ぎた男と、剣を持つには若すぎる私。ちょうどいいのかもしれん。笑いを噛み殺す。
脇構えに剣を構えなおし、ドリースの正面に立つ。ドリースが下段に構えた。守りの構えか。剣を始めたばかりの私に打ち込ませようとしてくれたのだろう。さすがに老いたのか隙が多い。それとも若き日未熟だった私がドリースに幻想を抱いていたのだろうか。
ドリースの隙である肩の辺りを狙って、すっとただ振り払うように剣をくりだす。久々に振るったその剣はある程度狙った通りにドリースの左肩口に吸い込まれていった。剣に速度も威力もないが悪くないな。
これはあたる。そう思ったがドリースの剣に阻まれる。カンッと剣と剣がぶつかったとは思えないほど小さな音が響いた。
驚きドリースの顔を見ると、その顔には私以上の驚きが広がっていた。
「ウォル、お前今日が剣初めてだったよな。わしの隙がわかったのか」
驚きから立ち直りなんとか声をだしたようだった。
「いえ、なんとなく」
普通の子供のように振舞っていた私は、上手い言い訳も思い浮かばずそう答えるしかなかった。記憶を残したまま転生したなどと言ったところで、信じてもらえるかもわからない。それにもし私が転生などという選択肢を選ばなければ、ドリースには普通の玄孫が生まれていたのだ。どう育つかはわからないが、いつか家を出て行くであろう私のようにはならなかったはずだ。申し訳なくて明かす気になれなかったし、これからも明かすつもりはなかった。
「なんとなくか」
ドリースの顔には先ほどの驚きが嘘のように笑みが広がっていた。
「子供ってのはもっとがむしゃらに剣を振り回してくるもんだがなあ。それに偶然かもしれんが、お前は確かにわしが作った隙を見極めそこに剣を置きにきた。次はもう少し隙を少なくするぞ。また打ち込んで来い」
確かに再び取ったドリースの下段の構えには隙が少なくなっていた。年老いてなお、これほど自由自在に剣を操るのだ。私が若き日にドリースに感じたものは幻想などではなかった。それは未だにこの年老いた男のなかに確かにある。
「では行きます」
そう宣言してからわざわざ作ってくれた隙に打ち込む。この人生で二度目の振りは一度目以上にうまくいった。だが、それもまたドリースの剣に阻まれる。
「偶然ではなかったようだな。まだまだ剣に力が乗ってないが体が成長すればわからんな。おもしろくなってきた。死ぬ前にこんなおもしろいことを授けてくれた神に感謝せんとな。あと曾孫夫婦にも」
次にドリースが構えたときにはまったく隙がなくなっていた。これに剣を振るのはなかなか難しいな。一流の剣士であろうともなかなか切り込めないであろう。
隙がないなら作り出せばいいのだ。ドリースは車椅子に乗っていることからもわかる通り、足腰が悪くなっている。まずは下段。そう考え打ち込もうとした。だがそれはドリースに対して不誠実な気がする。そしてドリースに憧れた若き自分自身に対してもだ。
迷ったのは一瞬。若き日に戦いたいと願い、戦えなかった男が目の前にいる。ドリースも私と戦いたかったはずだ。この方はそういう方だ。今この体で私にできる最高の一撃を決めよう。たとえ受け止められようともそれならそれでいい。ただ全身全霊を込めた最高の一撃を。
振るった剣には、やはり速度も威力もなかった。だが針に糸が通ったような絶妙な手ごたえが感じられる。まだまだ未熟だが、今持てる全てを出し切った最高の一撃だと確信できた。その剣はドリースの構えを抜き、わき腹に綺麗に吸い込まれた。カランカランッと木剣の転がる音が響いた。ドリースが剣を落としたのだ。呆然としている。
「ラグス……」
そう一言呟いた後われに返ったようだ。
「お前の剣が昔見たラグスの剣そのままだったから、驚きすぎて防ぎそこねた。ラグスそのままは、さすがに身内贔屓がひどすぎるか」
笑うドリースの顔はとても穏やかだった。
「ラグスと戦えた気分になったぞ。いつかラグスをも越えて見せろ。お前ならできるかもしれん」
そう言って車椅子に乗ると、いつものように扉を蹴り開けながらでていった。その背中に向かって頭を下げる。
「ありがとうございました」
頭を下げたままの私に廊下からドリースが声をかけてきた。
「ああ、木剣とか片付けておいてくれ。あとでわしがマリナに怒られるからな」




