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第二話

 声が聞こえる。大声だ。何を言っているのか、聞き取ることは出来ないがはしゃいでいるようだ。その大きな声がとても不快で、こちらも大声を上げて泣き叫んでしまった。声をあげて泣くなど久々すぎて、その自身の行為に思わず驚いてしまった。最後に泣いたのはいつの事だったろう。遥か以前であることは間違いない。しかしうるさい。はしゃいだ大声を出しているのは男のようだった。


 なかなか開いてくれない目をこじ開けると、綺麗な女性の顔が近くにあった。歳の頃は二十歳くらいであろう。金髪で色白、深窓の令嬢といった感じの女性だ。自身の外見に無頓着で、他人の容姿にも興味がなかった私から見てもそれは美しい女性である。


「あなたがそんな大声を出すからこの子が驚いてしまいましたよ」


 その女性は発した声も美しかった。


「私があなたの母ですよ」


 こちらの目を見て柔らかな笑顔でその女性は話しかけてきた。どうやらこの美しい女性が母親らしかった。美しさというのは手間がかかるものだ。この女性の髪の艶や肌、着衣を見るに私はある程度裕福な家に生れ落ちたらしかった。


「この子は聡明な子のようです。こちらの言っている言葉がもうわかるみたい」


 そういいながらベッドの隣に立つ大声をだしていた男に語りかけた。なかなか思い通りに動かない体を動かしそちらのほうを向くと、そこにはがっしりとした体格のなかなかに凛々しげな男性がいた。しかしその凛々しげな顔は今だらしなく緩んでいる。どうやらこちらが私の父らしかった。


「お前と俺の子だ。もう理解できていてもおかしくないだろう」


 いやおかしい。私は前世の記憶を持って生まれたからわかるのだ。そこにあなたとあなたの奥方の血は関係ない。どう考えても親馬鹿であろう。しかし愛されて生まれてくることができたようだ。


「旦那様、奥様、確かに聡明そうではありますがさすがにそんなわけないでしょう」


 声の聞こえたほうを向けばそちらには五十代くらいの眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の女性がいた。その他にも多くの人が微笑みながら、こちらを見ていることに気がついた。いくら生まれてすぐとはいえ、こんな多くの人々の気配に気がつかなかったのか。鍛えなおさなければいけないことは多そうである。


 剣の鍛錬に進むのは数年後になるであろうが、それまでにも鍛えることができるものはある程度鍛えなおさないとならないなと気を引き締めなおす。


 こちらを穏やかな顔で見ているのはたぶん医者や下男であろう。ある程度裕福な家どころではない。出産に備えて多くの人々が準備していたのである。前世で私が生まれたときなどは、父すら仕事で居らず村で生まれた子をずっと取り上げてきたという老婆と母しかいなかったはずである。

 

 貴族かまたは豪商か。がっしりとした体格、その立ち居振舞いから父からはある程度軍人らしさが感じられた。ということは貴族の可能性が高い。将校なのであろう。なるほど、それならある程度若い頃から剣術を習わさせられるであろう。メステールはそういった点からも、この家を選んでくれたのかもしれない。


 前世の若い頃の私は、貧しい農村に生まれ物心つくころには畑を耕していた。そんな生活が続き剣術を始めたのは十五歳のころだった。畑仕事である程度の筋力はあったが、剣を振るうために必要な筋肉とはまるで違い苦労した。剣の道に入るのに遅すぎる、ということはあっても若すぎるということはない。


「名前はウォルターにしようと思う」


「ウォルター・アンヴェルス。とてもいい名前だと思います」


 ウォルター・アンヴェルス。それが私の名前らしい。


 アンヴェルス家に生まれたのか。剣しか知らぬ私でも知っている。戦の大局など関係ない一兵卒としてではあったが、希代の名将として知られたドリース・アンヴェルスの下で何度か戦ったことがあったのだ。


 ドリースの采配は見事であった。そして指揮官としてだけでなく剣士としても秀でていた。御前試合で優勝されたこともある。その戦いぶりを一度だけみたことがあるが、剣筋は鋭く全てのものを叩ききるような剛剣であった。私の剣の形とはまるで違うその剣のありようは、人にも現れドリース自身からまわり全てを斬るような威圧を感じ、若い私は恐怖を覚えたものだ。私がある程度の強さを持ち、御前試合に出られるようになる頃には剣士としては引退され、直接手合わせする機会がなく残念に思ったものである。


 大きな音を立てて扉が開かれた。


「生まれたらしいな」


 そう言って車椅子に乗った老人が入ってきた。私が死んだ齢よりも上であろうか。体は衰え小さく見えるが、その目にはとても年老いたとは思えないほどの覇気がある。


「ドリース様。扉を蹴って入らないようにとあれほどいいましたのに」


「そうですよ大祖父様」


「お前達も車椅子に乗ってみればわかる。面倒なんだよ。ダークもマリナも曾孫夫婦はそろって口煩くてかなわんな」


 そういいながら大声で笑いはじめた。どうやら父はダーク母はマリナというらしい。そしてこのドリースと呼ばれた車椅子の老人が私の高祖父のようであった。まだ生きていたのか。私が生きている間に死んだというような話は聞かなかったが、まだ生きているということは、どうやら死んでからさほども時を置かずに生まれ変わったようである。


 それにしてもこれがドリースか。車椅子から立ち上がり、こちらを鋭い目で覗き込んでいる老人を見つめ返した。


「この子は……」


 睨んでさえいるように感じる。この目は若き日に見たドリースそのままだ。


「この子はわしに似てとても男前だな。すぐに多くの女を泣かせるようになるぞ」


 そういってだらしない顔で私を抱き上げた。あの周りを威圧する覇気をまとっていたドリースといえども玄孫の私には甘いらしい。


「よし。この子にはわしの名をやろう。お前はこれからドリースだ」


 いや、私はウォルターなんだが。そう思い父と母を見ると大変困った顔をしていた。


「大祖父様。その子にはもうウォルターという名前がありますので」


 父が恐る恐るそう言うと、ドリースは父を睨んだ。その視線だけで人が斬れそうである。


「ウォルターか。お前がつけた名もいいな。よし、ではこの子はウォルター・ドリース・アンヴェルスだ」


 ドリースは身内には甘いらしい。さっきの視線はなんだったのか。もうだらしない表情になりこちらを見ていた。


 ウォルター・ドリース・アンヴェルス。それが正式な私の名前になったようだ。


「よしウォルター。では剣の稽古をつけてやるぞ」


 そういってドリースは下男に木剣を持ってこさせる。ありがたいがまだ生まれたばかりだ。首を動かすことすら満足にできないのに木剣をもてるはずもない。


「大祖父様さすがに無理です。まだ生まれて1日もたっていないのですよ」


 父がなんとかドリースを止めさせた。


「そうか。わしの玄孫だからもうできると思ったんだがな」


 高祖父馬鹿であった。


「この子に剣を教えられるまで生きていられればよいが」


 少し落ち込んだような顔をしたドリースはすぐに立ち直った。


「この子に稽古をつけるまで絶対にしねないな。稽古できるようにはやく大きくなるんだぞ」


 そう私に語りかけ母に私を渡すと、車椅子に座り大きな音をたて扉を蹴り開けながらでていった。


「あの様子だと二十年は死にそうにないな」


 父と母がそういいながら顔を見合わせながら笑っていた。私もそう思ったので、つい頷いてしまいそうになったが、さすがに不自然すぎるだろうとなんとか留まった。


 母が私をベッドに降ろした。ベッドの傍らにはドリースが置いていった木剣がある。木剣といえど剣は剣。十五の頃より毎日握ってきた。手を伸ばせば届きそうな位置にあるのだ。つい手を伸ばした私を誰も責められはしないだろう。父や母がその行為をどう思うかなど一切頭にはなかった。


 この小さな手では握ることすらできなかった。ほんの少し触れられただけだが、それでも喜びがあふれた。死ぬ数日前から床に臥し剣を握ることが出来なかった。そう今と同じように剣に少し触れていることしかできなかった。あの時感じたのは、もう剣を振ることのできない悔しさだった。だが今は違う。私はこれまでと同じように、これから何年も何十年も剣を振るうことが出来る。嬉しい。思わず声にならぬ声がこぼれた。


「ふあ」


 その様子を見た父と母は驚いたようだった。


「ウォルターはもう剣に興味をしめしている。大祖父様のいったこともそう間違いではなかったのかもしれない。すぐにでも剣の稽古をはじめそうだ。俺もはやくウォルターに剣を教えたいな」


 父が喜びの声をあげ、そんな父を見て母は優しげに微笑んでいる。


 幾人か貴族の子に剣を指導したことがあったが、六歳くらいから教わる子供が多かった。それまでに鍛えられるのは目と耳、あとは持久力くらいだろう。無理に筋力を鍛えても剣には何の役にもたたないことは前世でわかっている。


 剣に必要な力は剣によってのみ育つ。初めて剣を教えてくれた師匠の言葉だ。剣の才能については凡才という他なかった師匠だが、人を育てる才には溢れた人だった。技術は師匠を越え剣についてはすぐに学ぶべきものはなくなったが、それでも私の師匠と呼ぶべき人物は彼一人であった。師匠はお元気にしていられるのだろうか。


 高弟の一人に彼の娘がいたが、弟子達は私がいなくなった後どうしているのだろう。今も高みに向かい精進しているはずではあるが、師匠とは違い私は弟子を導く才はなかった。剣についてのみならば、多くのことを教え弟子の才を伸ばせたとは思っている。だが、それ以外の部分となると首を捻るしかない。剣の才に溢れた者たちばかりだったためか、驕り昂ぶった態度が目立つものも多かった。私が生きていた間はなんとかうまくやっていたが、私が亡き後どうなったであろう。


 不安はあるが、私もすぐに剣の道にはいるのだ。そうなれば彼らと出会うこともあるだろう。急ぎはしても焦ることはない。まだ生まれたばかりだ。

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