Ep.4
周囲の令嬢や貴族子息たちが、笑い声を漏らした。
「王子殿下はこの国でも随一の剣士だぞ」
「まるで自殺志願者ね」
「見苦しいにもほどがある」
そのすべてを、私は聞き流した。
言葉よりも先に――私は剣を抜いた。
鋭い音が響き、空気が一瞬で凍りつく。
「自殺行為かどうか、試してみればわかります」
唇が自然と笑みを描いた。
手の中の剣が、まるで自分の一部になったように馴染む。
この一ヶ月の修練が、確かに私の血肉になっている。
「フン、よかろう」
アレクシスは冷ややかに笑い、剣を抜く。
金属の擦れる音が、広間の空気を震わせた。
「無様に泣き喚くよりは、よほど愉快だ」
(その余裕面、今度こそ砕いて差し上げますわ)
私は地を蹴った。
先に動いたのは私。
一閃――だが、アレクシスの剣がすぐさま閃き、私の攻撃を軽々と弾き飛ばす。
反撃の一撃が鋭く迫る。
「くっ……!」
腕に衝撃が走り、体が揺れる。
それでも必死に立て直し、再び踏み込む。
何度も、何度も。
斬って、いなされ、追い詰められて――それでも、私は止まらなかった。
(速い……でも、前よりは見える!)
目で追えなかった剣筋が、今はかすかに掴める。
一ヶ月の修練で、私の身体は確かに変わっていた。
セドリックの教えが、筋肉と神経の隅々に染みついている。
だが、それでも――アレクシスの速さは常識を超えていた。
しかも、速いだけではない。
一切の隙がない。鋭く、正確無比。
一振りごとに刃が空を切るたび、まるで舞うような美しさすらあった。
なまじセドリックに鍛えられたせいで、今の私にはわかってしまう。
アレクシスの剣は、天賦の才と鍛錬が融合した“完成された剣”だ。
奇をてらうことも、感情に任せることもない。
ただ最短距離で、最適の角度で、確実に相手を斬り伏せる――それだけの剣。
だが、それが恐ろしいほど美しかった。
「――ほう」
アレクシスの口元に、興味深そうな笑みが浮かぶ。
何度も打ち合ううちに、彼の瞳がほんの少しだけ楽しげに光った。
「面白い。女の身でここまでやれるとはな」
(余裕……? いや、違う)
その表情を見て、私は思い出した。
アニメでのアレクシス――見下す相手には容赦しないが、努力を重ねる者には敬意を抱く男。
冷徹で、けれど芯の通った人物。
ヒロインの恋愛対象として多くのファンを魅了したのも、そういう誠実さがあるからだ。
(甘かった……)
私は歯を食いしばる。
彼をただの“傲慢な王子”だと思っていた。
でも違う。
彼は本物だ。
剣の腕も、人間としての在り方も――私より、ずっと。
「だが、これで終わりだ」
その一言が、空気を裂いた。
アレクシスの足が床を蹴る。
目の前の景色が一瞬で歪む。
音も風も置き去りにして、彼の姿が消えた。
(くっ……!)
次の瞬間、視界の中央に銀の光が閃く。
それが、まっすぐに私の胸元へ迫っていた。
(ここで……また……!)
身体が反応しない。
腕を動かそうとしても、間に合わない。
セドリックの教えが脳裏をかすめるが、身体がついていかない。
――ズブッ!!
強烈な衝撃が走った。
熱い。痛い。
いや、もう痛みさえ曖昧だ。
「……っ……!」
息が詰まる。
視界が滲み、世界が遠ざかっていく。
「……愚か者が」
アレクシスの声が、どこか憐れむように響いた。
胸の奥に残るのは、彼の剣が引き抜かれたときの、いやに冷たい感触。
自分の血が、ドレスを濡らしていくのがわかる。
力が抜け、足元から崩れ落ちる。
落ちる――ゆっくり、静かに。
(また……ここまで、なのね)
遠ざかる意識の中、私は小さく笑った。
(でも、今度は……少しだけ、違った気がする)
そして、闇がすべてを包み込んだ。
◇
再び目を覚ましたとき、私はベッドの上にいた。
見慣れた天蓋、白い天井。
息を吸い込むと、懐かしい香りがした。
胸元を押さえる。
――痛みは、もうない。
それでも、あの鋭い刃が貫いた感覚は、まだ身体の奥に焼き付いていた。
ゆっくりと上体を起こし、カーテン越しに射し込む光を見つめる。
眩しい夏の日差し。
庭の木々は青々と茂り、鳥が枝を渡って飛び交っている。
まるで世界そのものが、何事もなかったかのように呼吸していた。
「……また戻ってきましたわね」
自嘲気味に呟き、私は窓辺へ歩み寄る。
指先で窓枠をなぞりながら、遠くの庭を見下ろした。
前回――私の体感ではほんの少し前の敗北が、鮮明に蘇る。
アレクシスの剣。あの速さ、あの精度。
セドリックに教えを受け、確かに私は前より強くなったはずだった。
けれど、それでも届かなかった。
(……剣を磨くだけでは、駄目なのかもしれませんわね)
これまで何度死に、何度ここに戻ってきただろう。
そのたびに徒労感が積み重なり、何も変わらない現実に打ちのめされてきた。
けれど、今回は――少しだけ違う。
自分の意志で剣を取り、道を選び、努力を積み重ねた。
たとえ敗北でも、それは確かな“進歩”だった。
(ただ繰り返すんじゃない。私はまだ、何度でも“やり直せる”)
心の奥に、ほんの少しだけ光が差した気がした。
私は小さく息を整え、立ち上がる。
「次は……どうするべきかしら」
その答えを探すために、私は再び庭園へと向かった。
◇
夏の風が頬を撫でる。
鳥の声、揺れる木々の音。
そして――そこに、彼はいた。
木の下で、静かに白い花を見つめる銀髪の男。
まるで前とまったく同じ光景。
ただ、私だけが知っている。
あの日、彼と過ごした一ヶ月を。
「セドリック・モルデン様」
声をかけると、セドリックはゆっくりと顔を上げた。
変わらない穏やかな瞳。
けれど、そこに宿る光はどこか違って見えた。
「……リリアナ様」
落ち着いた声。
私の胸の奥が小さく震える。
「不躾で申し訳ありません。
ですが、おりいってお願いがあります。
――私に、剣を教えていただけませんか?」
前と同じ言葉。
同じ決意を込めて。
しかし、セドリックの返答は違っていた。
「申し訳ありませんが、私は弟子を取るつもりはありません」
その瞬間、心臓が跳ねた。
「……え?」
彼は静かに首を振る。
「お力にはなれません」
(そんな……前はあんなにもあっさりと……)
どうして。
何が違うの?
同じ場所で、同じ言葉を口にしたはずなのに。
「お願いです、モルデン様。理由を――」
「悪しからず」
言葉を遮るように、低く響く声。
その瞳は、どこか遠くを見ていた。
私は何度も頼み込んだ。
けれど、彼は決して首を縦には振らなかった。
◇
現在――
「あんなことは初めてでしたわ」
私は静かに言った。
「ループの中では、私が同じ行動を取れば、
基本的に相手も同じ反応を返すものでした。
多少の誤差はあっても、行動そのものが正反対に変わるなんて、
これまで一度もなかったのです」
思い返しても、胸の奥がざわつく。
何かが狂っていた、そんな感覚。
「だから私は考えましたの。あの回のループでは、
まずセドリック・モルデンという人物を深く知ることから始めようと」
彼を再び師として迎えるために。




