Ep.1
次のループ。
アレクシスを討ち取った直後、私はすぐにその場を離れた。
兵士たちが押し寄せてくる前に王城を抜ける――今回はそう決めていた。
「馬を用意しておきましたわ……これで逃げられるはず」
事前に脱出経路も確保してある。完璧な計画。
そう思っていた。
けれど――
「いたぞ! 逃がすな!」
衛兵への情報伝達速度は、私の想定よりもはるかに速かった。
数十人の兵が王城を包囲し、どこを抜けようとしてもすでに封鎖されていた。
結局、私は捕らえられ、その場で処刑された。
◇
それからも何度も繰り返した。
セドリックから学んだ剣は、すでに私の中で完成していた。
アレクの剛の剣に対抗するため、磨き抜いた柔の剣。
幾度目かの決闘。
私の細剣が再び、アレクシスの首筋を切り裂いた。
ここまでに、いったい何年分の時間を費やしてきただろう。
王子の血が広間の床に落ちていくのを見つめながら、私は冷静に周囲を観察した。
取り巻きの貴族や兵たちが混乱し、騒ぎ立てる。
きっとまた伝令が走っている。
すぐに包囲されるだろう。
剣を握り直し、私は正面突破を選んだ。
「全員まとめて叩き伏せますわ!」
叫びながら兵たちを迎え撃つ。
けれど、数には抗えない。
どれほど鍛え、どれほど研ぎ澄まそうと、私の肉体はすぐに音を上げる。
何人かを斬り伏せたところで、腕が痺れ、足が止まる。
ガキン――!
敵の剣を受け止めようとした瞬間、私の細剣が真ん中から折れた。
金属の悲鳴が耳に響く。
兵たちの刃が私の身体を貫く。
痛みよりも、ただ――ああ、またここまでか、と。
私は静かに目を閉じた。
◇
目を開けると、天井があった。
ベッドの上。
また戻ってきたのだ。
何度目のループか、もう数えてもいない。
天井に向かって手を伸ばす。
しばし虚空を見つめてから、私はふとセドリックとのやり取りを思い出した。
――あれは、ある日の修練の折だった。
「セドリック先生。策を練りに練り、軍備を整え、
極限まで兵を鍛え上げたとしても、それでもなお勝てない戦なら……
あなたなら、どうされますか?」
脈絡のない質問に、セドリックは少し考え、それから穏やかに答えた。
「軍師としては、勝つための策を探すべきでしょう……
ですが、それでも勝機が見えぬなら、視点をひとつ上げることも必要です」
「視点を、上げる?」
「ええ。なぜ戦うのかを考えるのです。
戦の目的は勝つことではなく、国に利益をもたらすこと。
ならば戦を避けて国益を得る道があるなら、そちらを選ぶべきだと私は思います」
◇
(目的は、アレクを倒すことじゃない――生き延びること)
セドリックの声が、頭の奥で静かに反響する。
もう、わかっていた。
私ひとりの力で、この運命は変えられない。
アレクを倒しても、次に待っているのは残されたものによる報復。
ならば、報復をさせない、すべてを覆す力が要る。
深く息を吐き、私はゆっくりと身を起こした。
寝間着のまま机へ向かい、地図を広げる。
「視点をひとつ、上げてみるとしましょうか」
指先でなぞったのは、北方の地――エーデルハルト公爵領。
国の北辺を守る一大勢力。
半ば独立した軍を持ち、王国直轄軍と肩を並べる軍事力を有する。
「エーデルハルト家が持つのは、財と名声だけではありません。力もです」
(アレクを倒すだけでは足りない。
その後の報復を防ぎ、私が生き残るためには――)
私は地図から視線を上げ、ゆっくりと微笑んだ。
「反乱を起こし、エーデルハルト家がこの国を手中に収める。
それが、破滅を回避するための最善手ですわ」
――ならば、父を説得しなければならない。
◇
「お父様、お話がございます」
そう言って、私は父――エーデルハルト公爵の執務室を訪れた。
扉を開けた瞬間に、紙の擦れる音とインクの匂いが鼻をつく。
大きな机の向こうで、父は書類に目を落としたまま、こちらを見ようともしなかった。
アニメでは、リリアナの父が直接登場することはなかった。
けれど、“リリアナは父に甘やかされて育った”――そんな説明だけは、何度も繰り返されていた。
それが、わがままで傲慢なお嬢様という彼女の人格を形づくる根拠として。
実際、帰省中に父と顔を合わせることはほとんどなかった。
けれど、使用人を通じてお願いごとをすれば、どんな無茶でも通った。
鍛冶師に剣を作らせるようなことですら、理由も聞かれずに許されたのだから。
――だからこそ、今回の説得も難しくはないはずだ。
私はそう信じていた。
「なんだ、リリアナ。話とは?」
書類に目を走らせたままの声。
その気の抜けた調子が、逆に身内らしい甘さを思わせた。
私は深く息を吸い、机の上に広げていた地図を滑らせた。
「お父様。私は――エーデルハルト家がこの国を統治するべきだと考えています」
父の手が、止まった。
「……何を言っている?」
「すでにお父様が中央に対し、反乱の準備を進めておられること、私は知っています」
わずかに眉が動く。けれど表情は崩れない。
公爵が密かに反乱の準備を進めているのは事実だった。
アニメでは、断罪イベントのあとに“反逆を企てたエーデルハルト家が取り潰された”と、
主人公クリスのモノローグで語られていた。
「……何の話だ?」
低く、鋭い声。
圧のある視線に、私は怯まなかった。
「今、この国は不安定です。戦争の兆しに人心は乱れ、国民は不満を抱えています。
それらを収める力が必要ですわ。――今こそ、我々が新たな秩序を築くべき時です」
(乗れ、乗ってきなさい)
言葉を重ねながら、私は祈るような気持ちで父を見つめた。
だが――
「愚か者」
その一言に、胸の奥が凍りついた。
父は深くため息をつき、椅子の背にもたれかかる。
「学院で誰かに吹き込まれたか? 王室に刃を向けるなど、エーデルハルト家を滅ぼす行為だ」
「ですが、今こそ――」
「黙れ!」
鋭い声が飛ぶ。
初めて、父が私を見た。
冷たい瞳が、突き刺さる。
「学院での素行の悪さは報告を受けている。
人前で猫をかぶることもできぬ小娘が、どうして我が家を動かせると思う?」
言葉が鋭く、皮膚を裂くように刺さる。
それでも私は拳を握り、唇を噛みながら視線を逸らさなかった。
「エーデルハルトは曽祖父の代から王室に仕えてきた譜代の家だ。
反旗を翻すなど、考えることすら恐れ多い」
その声は冷静で、私を“娘”ではなく、ただの“誤算”として見ていた。
「私は、お前のような愚かな娘を持った覚えはない」
一瞬、胸の奥が軋んだ。
それでも、震える手を押さえつけて、私は頭を下げた。
「……失礼しました」
静かに言い、執務室を出る。
扉を閉めた瞬間、膝が少しだけ震えた。
(……ダメか、公爵を動かすには、性急すぎましたわね)
冷たい廊下に、私の足音だけが響いた。




