EP6:一人の決意:??年前
夜明け前、あたりを薄水色の靄が覆っている。
森の端、静かに風が落ちる場所。リセは銀の弓を両の手に持って立っていた。冷たい空気が肌を撫でるたび、指先がわずかに震える。
足元で、何かが蠢いた。かすれた呻きとともに地を這う黒い影。
その輪郭はあまりにも小さく、かつて子供であった何かの形を、かろうじて残していた。 獣に成りきれなかった名残り。それとも、忘れられなかった祈りのようなもの。
リセは、矢をつがえる。
狙いを定めたわけではない。ただ、その震えにすがるように。
矢が放たれる。 音もなく、ただ空気が撫でられるような感触があった。
それは影に触れ、静かに崩れさせた。 澱を清めるように、涙のように。
やがてそこには何も残らなかった。
リセは気づいた。
この弓は、命を奪うためではなく苦しみを赦すためにある。
まだ“心”の輪郭が残っているものにだけ、それは届く。
ーーーー月日が流れる。
離れた倒木の陰で、別の影がうめいていた。大きい。片脚を引きずり、黒い血をにじませ這っている。
リセは静かに、弓を構えた。
激しい流星が獣を貫く。破裂するように獣が霧散する。
届かなかった。
その獣には、もう“心”が残っていなかった。 ただ壊れかけた肉体が、死を拒んで足掻いているだけだった。
リセはゆっくりと弓を下ろした。
届かない矢がある。
終わらせなければならない痛みがある。
だから――彼女は、立つ。
この弓とともに。それだけでは届かない場所にも、自分で歩いて行けるように。
ーーーーそうして時は積み重なっていく。
最後にはリセの表情は移ろわなくなる。あまたの獣をほふり、ほんの少しだけ救い。
そこに残ったのは本物。静かなる不変の心。
少しだけ彼方に向けた瞳には、たった一つの静かな決意。
「もう迷わない」
ただそれだけが研がれ残った。




