EP14:一人と一人と:現在
温度を下げながら太陽が落ちてくる。温められた空気が逃げ出すようにすこし足を速める。
リセは静かに、腰の短剣を鞘ごと外し、地面へ置いた。
刃は鳴らなかった。ただ、土にかすかに触れた音だけが、風に溶けて消えていった。
――短剣は、最後の武器。
それを捨てるということは、過去を、戦いを、そして「自分」すら晒すということだった。
「これはわたしの牙」
一歩前に出るリセ。
対面するカアレの肩が、ふっと揺れた。
彼の目に宿っていた赤い光が、わずかに色を和らげていく。
呼吸が、浅く静かになっていく。
にじるように下がるカアレ。
先ほどまで咆哮に満ちていたその身体が、まるで内側に沈んでいくように、ひとつ圧をさげる。
互いの息が、ひとつの波のように、ゆっくりと揃っていった。
リセは立ったまま、両手を背中へ回し、ガーターの留め具を外した。
金属の小さな音がひとつ。細いベルトが、するりと彼女の太ももを伝い落ちる。
獣の前で防具を捨てるのは、本来―― 速やかな死を意味する。
「これはわたしの守られたい弱さ」
また一歩すすむリセ。
見つめるのは、カアレ。最恐と呼ばれた存在。
そして、十年前、ただ彼女を「守りたい」と願った存在。
カアレは何かをこらえるように、ひとつ深く、鼻で息を吸った。
その胸の奥で、何かを噛み殺すように沈黙する。
皮膚の裏側に潜んでいた圧がまた下がる。
怒りの核だった炎が、輪郭をなくしていく。
カアレは下がらなかった。
しばしの沈黙が、二人をつなぐ。
必要なことは言葉の外側にあった。
リセは片腕のこてを外し、それを自分の足元に落とした。
草をかすかに揺らす鈍い音。土に沈んだ鉄。
「……わたしは、もう……誰かに守られるばかりの子供じゃない。」
彼女はそう言ったが、声には力を込めなかった。
ただまっすぐに伝わるように。
わずかに進むリセ。
カアレの瞳の奥に、何かがふっと灯った。
今度は視線をそらさず話せる。
あの時に彼がなるべきだった「声を聴ける自分」が、今ここにいた。
カアレはとどまった。
リセは胸当てに手をかけた。
鉄の留め金が外れ、ゆっくりと手前に滑り落ちる。 心臓を守る防具。
その下にあった布地が風に撫でられ、わずかに震えた。
ハンターは今、一人のひととしてそこに立っている。
きざむように進むリセ。もう獣の間合いだ。
カアレは眉をひそめた。
まるでその仕草が、彼にとって苦しみのように見えた。
だがそれは、怒りではなかった。
その瞳に浮かぶのは、悔いにも似た、けれど赦しに満ちた――まなざし。
彼の内側で、獣が完全に声を失っていた。
もはや咆哮はない。牙も、爪も、闇も。
ただひとりの男が、ただ彼女を見つめていた。
「……ありがとう」とリセはつぶやく。
そして心の中で祈るように――ありがとう。もう、あなたが苦しまなくてすむことに。
リセは真っすぐに見つめる。あの日のように。
カアレの膝が、かすかに折れ輪郭の炎がうすれた。
一度目を伏せるが、覚悟をもってリセを見つめる。
「目を閉じても、そこにずっと僕のあやまちがある。」
その胸の奥、嫌悪、驚愕、焦燥、深い傷跡としてそれは刻まれている。
リセの最後のベルトは弓。弓は獣を退ける道具。なくしてはいけないと言われた使命。
そっと横に置いた。ありがとうを添えて。
「それでも…わたしも一緒に生きたい。」
すっとリセのほほを涙がつたう。はにかむようなほほえみを添えて。
風が吹いた。草が鳴いた。
何も持たぬ彼女が、ただそこにいた。
そしてそれで、すべてが満ちていた。
リセの後ろに戦う道具が並び落ちている。
真紅の獣もいなかった。
リセがそっと手を伸ばす。
カアレも、握っていた拳を解く。
ふたりの指先が、ようやく触れたとき――
世界が、そっと息をとめた。
──遠く、鳥が鳴いた。
夕焼けの空は穏やかに晴れていて、
風はただ静かに、なにかを寿ぐように吹いていた。
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闇にうまれし もののこえ
やさしき獣も すくいたい
月のひとみが それを見た
ちいさな勇気に光を祝した
……
夜のおわりに弓を持ち




