彼女が故郷に帰るまで
一緒に眠って、一緒に朝食を取った。それからガイは、自宅でドリィ達と一緒に寝起きするようになった。
ヴァレリーは相変わらずしゃべらないが、この生活に少し慣れた様だ。ガイにももう怯えない。
森と村の往復の毎日。偶に、ガイが顔を出す。
「ガイさんは昼間何しているんですか?」
それは、ただの子供の純粋な質問にすぎなかった。
「……お前、それじゃ俺が大人の癖に仕事もせず、日がな一日村をぷらぷらしてるみたいじゃねえか」
「……えっと」
質問の仕方がまずかったらしい。
ふと、以前村の人からガイについて聞いた事を思い出した。触れてはいけない事だったろうか。
怖い顔をしたガイに、少し慌てる。
「えっと、どんなお仕事をしているんでしょう」
言いなおしてみる。
「村と森の警備。最近は森がほとんどだがな」
「ああ、だから昼間見かけないんですね」
「お前等もあまり森の奥に行くなよ。いつも俺の目が届くとは限らないからな」
「はい」
「この森って、実は怖い所なの?」
ヴァレリーと木の実を拾ってきたヴァルスが訪ねた。
「あー、まあな」
言葉を濁した。
ドリィ達は顔を見合わせ、ガイの方へと向き直った。ようは話せという事である。
「……言いたかねぇが、ガラの悪いのが最近森をうろうろしてるんだよ」
「…もしかして、今日も見に来てくれたの?」
「まあな。そういうわけだ、周囲に気をつけろよ。うっかり誘拐されてどっか遠くに売り飛ばされるかもしれないからな」
「はい、気をつけます」
ガイのセリフはどこまで本気か分からなかったが、ドリィは素直に返事をした。
「よし、良い子だ」
子供扱いだとは思わなかった。頭を撫でられて安心する。
「ガイさんは、私達のお兄さんみたいですね」
「そうかよ」
「頼りにしてるからね、お兄さん」
「……」
ヴァレリーもガイをじっと見つめた。
不安は無かった。
信じられる大人の人がいる、何かあっても大丈夫。
そう思えるのは、きっと皆と私の大切な家族だからなんだとドリィは思った。
一緒にいられるのがあと僅かだとしても。
森の中を走る、走る、走る。
ガイの言っていた事は本当だった。
今、ドリィ達は追われていた。
「ちやほやされていい気になってんじゃねえよ?お嬢ちゃん」
「羽根もねぇ異国のガキが、このままタダで帰れると思ってんじゃねえよな?」
「おまけに変なバケモン2匹も連れて」
「この村に何かしようってんじゃねぇだろうな?オイ」
いつもの森からの帰り道、遭遇した数人の若い男たち。
村の小母さま方が言っていた“ガラの悪い連中”とは、この人たちの事なのか。
小さなドリィ達はすぐに囲まれてしまう。
ヴァレリーがギュッとしがみついてきた。
目の前では、ヴァルスが男達に向かって唸っているが、たいして威嚇にはなって無い様だった。
「おい、こいついいモン持ってるぜ」
男の一人がドリィの首元に手を伸ばした。器用に銀のチェーンを引っ張り出す。
「だめっ!!」
とっさに身をよじって庇う。
ドリィが庇って握りしめた手の中には、小さなペンダントタグと、鎖に通した緑のブローチ、丸くて赤い石のペンダントトップがあった。
「チビの癖にいいモン持ってんじゃねえか」
「よく見るとカワイイ顔してるな?」
しばし、男たちは顔を見合わせた。
不味い、と思ったドリィは、大切なペンダントを握りしめたまま「ヴァルス」と呼びかけた。
ヴァルスがすっと息を吸い込んだのを見て、ドリィはヴァレリーの手を強く握りしめた。
「―――――――――――――――ッ!!!」
竜の大咆哮が炸裂した。
「ヴァレリー走って!」
男たちが衝撃で動けなくなった隙に、全員で正面突破した。
「村まで走るよ!きっと今のでガイさんが気が付いてくれるから!」
だから走って、とドリィはヴァレリーの手を引きながら叫んだ。
追っ手はすぐに来た。
やはり、元に戻っていないヴァルスの咆哮では、それほど長く足止めできなかったらしい。
撒く為に、森の木々をジグザグにすり抜ける。
このまま逃げていてもじき追いつかれてしまう。
「ヴァルス、ガイさん探してきて」
飛んで一緒に逃げていたヴァルスに言う。
「きっと近くまで来てる筈だから」
「わかった!」
くっ、と方向を変えてヴァルスは木の上に消えて行った。
上空から探すつもりなのだろう。嗅覚の鋭いヴァルスなら、きっとすぐガイを案内してくれるはずだ。
「もうすぐ村に着くからね!」
そう、ヴァレリーに励ました時、
「あっ」
「…!」
ドリィの足がもつれ、2人とも倒れ込んでしまった。
「ごめんね、大丈夫?ヴァレリー」
「……」
ふるふると顔を振られる。
顔を覗き込み、体をみるが、特に傷はなさそうだ。
「ナメたまねしやがって」
「つーかまーえたー」
「お前らまとめてどっかに売り飛ばしてやるからな」
覚悟しろよ、と男の一人が言った。
村まであと少しだった。もうちょっとだったのに。
背後の木にずり下がり、ヴァレリーを抱きしめる。
首から下げたペンダントをぎゅっと握りしめ、涙の滲んだ瞳で男たちを見据える。
その視線の強さに、男たちが何か得体の知れないものを感じた、
そして、ドリィが何か言いかけた、その時。
「ドリィ!ヴァレリー!」
「やっめろー!!」
天からの助けが舞い降りた。
「なんとか間に合ったな」
「ガイさん!」
「大丈夫?ドリィ」
「うん、ヴァルスも有り難う」
「…………あ、りがと」
「あ」
「しゃべった」
「しゃべったな。……どういたしまして、だ」
結局男たちは、村の自警団に取り押さえられた。
竜の咆哮を聞いてガイと合流して駆け付けたらしい。
その一方でドリィは安堵していた。
本当の家族との約束を、破らずに済んだからだ。
「おい、族長のババアがお前の事を呼んでるぜ」
ガイの家で休んでいた時、報告に行っていたガイが戻って来た。
「族長さんが、ですか?」
「ああ。……旅支度か?」
「はい、ヴァルスも元気になったし、ヴァレリーもいるので、一度家に戻ろうかと」
「どっか行く用があったんじゃないのか?」
「用はあったんですけど、荷物が」
「何か無くなったのか!?」
最初に会ったときは、こんなに親身になってくれるなんて思ってなかった。
優しいのは知っていたけど、とドリィは嬉しく思う。
「いえ、ただヴァレリーも一緒に行くとなると、ごはんの事情が…」
「そんなの、族長に好きなだけ貰えばいいじゃねえか」
むしろむしり取れ、とまで言われてしまった。
「ダメですよ!できません、そんな、十分お世話になっているのに」
「ドリィは良い子だね、それに比べてあんたときたら」
族長が来て、戸口から覗いていた。
「邪魔するよ」
族長は家主に許可も取らず家に入り、誰かに入って来いと指示した。
「すまんが邪魔をする」
「お父さん!?」
「げっ!?パパマスター!」
入って来たのは、緑色に金の縁取りの鮮やかな外套を着た、長身でがっしりした男だった。
理知的な光を湛えた緑玉の瞳、艶やかな緑の髪、厳しそうな顔はドリィ達を認めると、途端に柔らかな印象に代わった。
「ずいぶんと挨拶だな、ヴァルス」
「あーう、あうう」
ヴァルスが挙動不審になった。よほど恐れているらしい。
「旅の支度かい?」
族長がドリィ達の様子に気が付いて問うた。
「はい、あの、家に帰ろうと」
「その子は?連れて帰るのか」
父親がヴァレリーを見る。
「うん、この近くの森で生まれた子なの。ねえお父さん、私の子にしても良い?」
「……」
ふう、と溜息をつかれた。
「今家でその子を迎える準備をしている。お前は家に帰って、母さんに詳しい話をしてこい」
「お母さんが?」
「ああ。ボウからお前たちが来ないと連絡があって、母さんが占った。連れて帰るって言い出すのも予測済みだ」
「さすがマママスターだねえ」
ヴァルスが呆れた口調で言った。
事情が良く分からない3人は顔を見合わせている。
「コレは?」
ドリィが自分の首からペンダントを出した。
「俺が持って行く。最初からこうしとけば良かった」
「あ、…ごめんなさい」
任務失敗が確定したドリィは素直に謝った。
ガイが何か口を開きかけたが、結局何か言う事はなかった。
村の広場は、中央を開けるように人が集まっていた。
「やっぱり来てた」
うげげ、とヴァルスがうめいた。
中心には大きな金の竜。その瞳は血の様に赤い。
父親の最強の相棒、古竜のドレイクだ。
「ふん、主人を守れなかったちび竜が、反省しておるのか?しとらんようだな?」
「ぐっ、…今度はちゃんとやるもん!失敗しないもん!」
「喝!小童が、使いも満足に出来ず、家に帰るだけであろうが。そんな事で胸を張るでないわ」
「悪かったってちゃんと分かってるもん!!」
いい加減、ヴァルスが涙目だ。
ドリィが慌てて間に入る。
「上手く嵐を避けられなかった私も悪いの、ドレイク、あんまりヴァルスを責めないであげて」
「主人にここまで言わせるとは、何とふがいない。大体お主は…」
「そ、そこまでだってば」
始まりそうだったお説教を慌てて止める。
「帰ったらちゃんと話を聞くから、その位にして。ほら、ヴァルスも準備しよう」
「うん、じゃあいくよ」
風を孕み、巨大化していく竜。
瞬く間に、ヴァルスはドレイクと同じ位の大きさになった。
「それじゃ、族長さん、ガイさん、村の皆さん、今日まで本当にお世話になりました」
「別に大した事してねぇよ」
「気をつけて帰るんだよ」
「今度は落ちないし、落とさせないよー!」
仲良くなった何人かの村人からも声がかかる。
少しの間だったけど、優しい人達のいる村に落ちて本当に良かった。
ほんわか思っていたドリィだったが、その時、父から一番聞かれたくない事を聞かれた。
「約束、ちゃんと守ったか?」
「え、あ、うん。大丈夫だよ」
「ふーん、森から結構強そうな魔力を感じたのは気のせいだったか」
ぎくっ
「つ、使おうと思ったけど、使わずに済んだもん」
ぱっ、と顔を下に向ける。
嘘は言ってないし、大丈夫だと思っているけど、魔法を使おうとするのもダメなの?
そろそろと顔を上げ、父の顔を見る。
「旅の途中は魔法は使うな。父さんと母さんと約束しただろう?そんなんじゃ、この入学許可証は破いてしまうべきか?」
目を剥いて止めた。
「だめーっ!!」
慌てて父が手にした用紙を奪う。そのまま真剣な表情で、じっと見つめたかと思うと…。
「ぃやったあーーー!!!」
飛び上がって喜んだ。
「ヴァルス!帰るよ!」
ヴァレリーの手を引いてヴァルスの背に乗り込む。
訳が分からない様子のヴァレリーは、目を白黒させるばかりだ。
「杖よ!」
ドリィの首元にかかっているペンダントトップが赤く輝いた。
その手には小さな杖。どこからか取り出したらしい符を掲げ、
「舞い上がれ!」
竜の巨体が宙に浮き、そのまま上空へと一気に駆け上がる!
「皆さん、有り難うございました―――!」
そんな言葉を残し、少女達は空の彼方に去って行った。
「どういう事なんですか?」
黒い青年は緑の男に問いかけた。
「たいしたことじゃない。これを雷の国に届ける、って言うのは俺達があの子に課した試練みたいなものだ」
これ、と男が見せたのは、娘から受け取ったペンダントタグ。
「正直、こんなに大事になるとは俺は思っていなかったんだが、妻はそうじゃなかったらしい。こちらも色々動く羽目になった」
苦笑して、男は頭を下げた。
「娘が大変お世話になりました」
「よして下さい、竜の王」
族長が恐縮し、村人は皆驚愕した。
「は、……あいつ、ぃや、あの子は、“あの”竜の国の王女なんですか?」
「ただの魔物使いだ。今はな」
今は。その言葉が何を示すのか、その時の青年には分からなかった。
……分かる機会も恐らく無いのだろう。だって少女は帰ってしまった。自分の国へ。
「無事に“お使い”が終わったら、学校に入れてやると約束した」
「学校?」
族長が問いかけた。
「騎士の士官学校に入り、正式に騎士になる事。騎士として勤め、その働きが認められたならば、自由に世界を旅する事を許す、とね」
しばらくその場に沈黙が落ちた。
「なんとも、壮大な夢ですな」
何とも言えない顔で族長が返した。
「小さい頃から勇者になる、勇者になって世界中を冒険する、と言って聞かない子で」
破顔したその顔は、言っている言葉とは違い、まるで自慢している様だった。
「さて、こちらもそろそろ行くか。慌しくて済まないな、族長殿」
「いえ、こちらも娘さんを危険な目にあわせてしまった。申し訳ない」
「……今後は無い様にしていただけると助かる。何せ2度目なのでな」
「重ねて申し訳なかった。彼らについては、きちんと罰した後、この村から放逐する」
「南の方に逃がしてやれ、雷の国にでも辿り着く頃には、嫌でも自分たちが安穏とした生活をしていた、と気づくだろう」
雷の国に着いたとて楽に暮らせるとは限らない、何せあそこは元盗賊王のいた国だからな、と男は物騒な笑みを浮かべた。
「ドレイク、行くぞ」
「はっ、主人様」
竜に男が乗ると、軽く上昇する。
「ガイ殿、貴殿には娘が特にお世話になったようだ」
「は、あ、いや」
どう返事をしていいものかと、戸惑う青年に男は告げた。
「もし、魔の国に来る事があったら、我々を頼ると良い。必ずや力になろう」
村を出て、魔の国へ行く?そんな予定はない。
しかし、何故かその男の言葉は、確定した未来の事を話しているように聞こえたのだった。
「では、さらばだ」
「世話になった、また会おう」
黒い青年の心に謎を残し、男もまた去って行った。
とりあえず、分かりそうな疑問を解消しておく
「族長、2度目って」
「あの娘は小さい頃誘拐されてきたんだよ。魔の国からここまでね。本人は覚えていない様だったけど」
「あん?」
「あの子の父親は竜王、母親は魔女王の娘。聞いたこと無いかい?“伝説になったばかりの勇者の伝説”」
「最後の竜王と、黒の魔女」
思わず血の気が引いた。あの馬鹿ども、考えなしに誘拐未遂なんかしやがって!
「今回の馬鹿共の父親が、昔誘拐事件に手を貸した事があってね、それで知ってたんだよ。赤玉のペンダントに緑石のブローチ、蒼い竜」
「やたら親身になる上に、俺にも気を掛けるよう何度も言っていたのは、そのせいか」
「他に何があるっていうんだい、冗談じゃないよ、2度も村が存亡の危機に陥りかけるなんてさ」
「……あいつ、とんでもねえやつだったんだな」
黒い青年はぽつりと、少女の消えた空に向かって呟いた。
ここまでお読みくださって有り難うございます。
これにて第1部は終了です。
次回より第2部突入です。
数年経過した後の話になります。
舞台は魔の国。ドリィではなく別の誰かの視点から。
彼らがどうなったか、よろしければ見てやって下さい。




