鳥人の隠れ里
ねえねえお母さん、お話しして。
わるい竜を退治した勇者さまのお話。
竜をたおした王さまとお姫さまはけっこんして、まもの使いになるんだよね。
あのね、お母さん。
わたし、大きくなったら勇者になる。
そしたらね、世界中をまわるの。
どこまでも行くのよ。
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「わあ、気持ち良い風ね」
「天気は快晴、進路には雲ひとつ無し。“初めてのおつかい”にしてはなかなか良い旅立ちだね」
「ヴァルスの意地悪。その言い方だと、私が小さな子供みたいよ」
「僕に言わせれば、ドリィは子供」
「まだ、じゃないの?」
「子供」
「ひどいー」
どこまでも晴れた空の中、1匹の竜が小さな少女を背中に乗せて飛んでいた。
古竜種にして希少種の蒼竜ヴァルスは少女ドリィの1番の相棒。お互い、生まれた時からずっと一緒に居るから言葉にも遠慮が無い。
「ひとりで他の大陸に行くのが初めて、なだけじゃない。子供子供って」
そう言いながら、彼女は自分の口先がとんがっていくのが分かった。これ以上子供に思われたくなくて話題を変える。
「ボウさんに会うのは久しぶりだね。雷の国かあ…、今どうなっているのかな。」
これから会いに行くのは両親の昔の仲間。勇者と共に魔竜を倒し、一行が解散した後、彼は故郷へと戻った。
しかし最近になって、両親に相談事があるとわざわざ遠方から訪ねて来たのだ。
雷の国は、少女が住む魔の国から南方にある大陸にあり、竜の強靭な翼であっても数日はかかる距離だ。かつて滅んだ竜の国と共に魔竜の封印を見守っていたが、それゆえ近年まで鎖国状態だったという。
「他国と交流が進んでるっていうから、またいっそう賑やかになったんじゃない?今回のおつかいだってそれのせいでしょ?」
「ボウさんも魔物使いに転職かあ。知ってる人が同業者になるとこっちも張り切っちゃうね」
「大陸間交流試合も企画されてるし、力入っちゃうよね」
2人の声はわくわくした期待感にあふれていた。
魔物使いとは魔物を飼育し、人間の代わりに労働力となる様に躾ける仕事である。
また、戦闘向きのモンスターを育成し大会でその腕を競い合わせる事もあり、むしろ、最近はそちらの方面でよく知られている人気職だ。近年、魔の国だけでなく、他の地域でも認められつつある職業だ。
ドリィの両親も、郊外に大きな飼育農場を持つ人気の魔物使いで、ドリィ自身、ヴァルスを始め様々なモンスターと共に育ってきた。
「楽しみだなあ。早く時期が分かればいいのに」
「その為に、まずはこの荷物を早くボウさんに届けなくちゃね。」
「そうだね。…しっかりしなきゃ」
当初の目的を思い出した少女は、首に掛けられたペンダントタグをキュッと握りしめた。
「ねえヴァルス、なんか…曇って来たよ」
「海も森も近いから、雨の降りやすい地域なのかもしれないね」
旅を始めて2日目の日中、次の大陸に差し掛かろうという頃、急に空模様があやしくなってきた。
「進路を少し変えようか。海に落ちたら大変だから、森の上空まで行って」
「この雲どんどん大きくなってるみたい。嵐になりそうだよ」
「高度も上げよう、逃げないと巻き込まれるかもしれない」
普段はのんびりした様子の少女も、さすがに慌て始めた。
何せ一人でこんなに遠くまで来たのは初めてなのだ。何か起こってもすぐに帰れない、どうにかしなきゃ、と焦りの感情さえ芽生える。
「雷、鳴って来たよっ」
「とにかくここから離れなきゃ」
「風っ、強くて上手く動けないっ」
ドラゴンが必死に抗うが、急速に発達した雷雲は容赦なく彼らを巻き込み、
「きゃああ」
「ドリィ!!」
至近距離で光が炸裂した。
「う…ン…」
「気が付いたかい?」
「…え…?」
ドリィが気付くと、目の前に鮮やかな赤い色が飛び込んできた。
「何があったか覚えているかい?」
「はい、あの、えっと」
「ゆっくりでいいさね」
がっしりした体の女性は安心させるように目を細めた。
「私たち、嵐で、雷に打たれて…ヴァルス!」
相棒の事を思い出し慌てて周囲を見回すと、案外側から弱弱しい声が聞こえた。
「僕はここだよ、ドリィ」
「ヴァルス!」
ドリィの傍らには抱えられる程小さくなって、包帯を巻かれた痛々しい姿の蒼い竜が丸くなっていた。
「ごめん、起きれなくて」
「いいの、私の方こそご免なさい。うまく嵐から逃げられなくて、ヴァルスに怪我させちゃって」
「ドリィは怪我、してない?」
「…多分、大丈夫。痛くないからきっと平気よ」
「そっか」
「もう眠って。後は私がするから」
「ん…」
目を開けているのも億劫なのだろう。そのまますぐにヴァルスは眠ってしまった。
「さて」
「あ、すみません」
声を掛けられて慌てて向き直る。赤い髪に大きな赤い翼の大柄な女性。
ここはどこだろう、この人は誰?
今からこの人にこの場所の情報を得て、今後の交渉をしなければならないのだ。自分一人で。
無意識に胸元を探る。…無い。
「あのっ、ペンダントっ」
「安心して良いよ、荷物はあんたの枕もとだ。持っていたのはそれで全部かい?」
言われて確認する。身に付けていた貴重品は無くさなかったようだ。ただ、現金と食料の一部が無くなっていた。
「ああ、もしかしたら持って行かれてしまったかもしれないね。うちの村にも考えなしの奴らがいるから。すまないとは思うけど、どの道すぐには動けないんだから、その事についてはまた後で考えるとしよう」
「……はい」
確かにその通りなのでそれ以上何も言えなかった。
気を取り直して状況を把握しようと声をかける。旅に出る前、父に言われた交渉についてのあれこれを思い出しながら。
「助けて頂いたようで、有り難うございます」
「思ったより元気そうでよかったよ。そこの彼がずいぶん必死に頑張ったんだろうねえ」
「はい、そうみたいです。あの、私はドリィと言います」
本名は、名乗らない。
「あたしは鳥人族族長の“キリノ”ここは鳥人族の隠れ里だよ。魔の国のドリィ」
表情を変えるのを止める事は出来なかった。
「服装と、そのドラゴン。すぐに分かったが、何かするつもりはないよ。怪我が良くなるまで、あんたは私の客人さ。いいね?」
黒を基調に緑が入った調教師服。襟元の模様は魔の国独特のものだ。
族長に頼りがいのある笑顔で言いきられてしまって、ちょっと悩む。
「良いんですか?あの、」
「良いんだよ。全部あたしに任せておきな。…大国に借りを作るのはもうごめんだからね」
後半何か言われたようだが、ぼそぼそ呟かれてよく聞き取れなかった。
それに族長は、すぐに次の説明に入ってしまう。
「あんたが今いる家は空き家みたいなもんだから、この村に居る限り自由に使って良い。それと、村のそばには温泉が湧いていて、村人はそこで怪我や病気の治療をする。あんたもその竜を連れて行っておいで」
「有り難うございます。…すみません、何だか良くしてもらって」
「言ったろ、構わないって。自炊は出来るかい?」
「あ、はい。両親に教わりましたから」
「何か分からない事があれば、あたしや村の女衆に聞きな。ただし、中にはガラの悪い連中がいるからね、気をつけるこった。…それと、最後に1つだけ。あんた一体、どこへ行く気だったんだい?」
「それは…南の大陸です」
「…そうかい、災難だったねえ」
詳しく聞かれなかった事に安堵する。聞かれたところで何かあるわけじゃないと思うが。
「今日はゆっくり眠りな」
族長はドリィの頭をひと撫ですると家から出て行ってしまった。
「…緊張した」
ぽすっと布団に倒れこむ。後で改めて族長さんにお礼に行かなきゃなあ、と思いながら目を閉じると、すぐに意識は闇へと落ちた。
「うおっ!?」
変な声がした。
「何だ?こりゃあ」
父じゃない。誰か、低い男の人の声。
「おい、ちびすけ、起きろ。誰の許可があってこんな所に潜りこんだ?」
「ぞくちょーさん、です」
むくりと、起きる。横目でちらりと確認したところ、ヴァルスはまだ眠っていた。酷い怪我だったから、しばらくはこのまま深く眠り続けるだろう。
「あのババア」
男の人の声が一段と低くなった。
灯りが付く。そこに居たのは背の高い、黒い鳥の人。髪も、服も、翼も真っ黒。
意識がちょっとはっきりしてきたので、ちゃんと説明する。
「私、ドリィと言います。怪我をして運ばれて、族長さんに、この家は空き家みたいなものだから好きに使って良いと言われました」
「空き家みたいなもんって、空き家じゃねえよ、ここは俺の家だ」
呆れた声が降って来た。
「えっ!?」
「まあ碌に帰ってきてねえから、ほとんど空き家みたいなもん、か?」
それにしてもよお、勝手に、とぶつくさ言う。
「大体、なんで床に転がってるんだ。危うく踏み潰すとこだったぞ」
「え?」
転がっているというか、ちゃんと布団を敷いて寝ているのだが。
「お前、羽が無いのか?」
男は驚いたが、すぐ納得したようだった。
「俺達鳥人はあれで寝ているんだよ」
高い天井に架かる様吊るされた網。縦に2か所切れ込みが入ってる。
「布団は、今お前が使ってるな」
「す、すみません!」
慌てて謝る。男は気にすんなと手を振った。
「怪我してるんなら出てけとも言えないしな。俺が出てくわ」
「あっ、あの!」
「他の奴のとこで寝るから問題ない。ずっとそうだったしな。良いからガキは寝てろ。」
止める間もなく出て行こうとする。
ドリィは慌ててこれだけは聞かなければと男の背中に声をかけた。
「あの、お名前、教えてください!」
「お名前、ね」
男は皮肉げにクッと笑った。
「ガイだよ。小さなお嬢さん」
それきり、彼は帰ってこなかった。




