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植物の声が聞こえる出稼ぎΩ、冷徹α宰相に買われて枯れた領地を蘇らせる〜不器用な旦那様の重すぎる溺愛からは逃げられません〜  作者: 水凪しおん


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第1話「出稼ぎ農夫と冷徹な宰相」

登場人物紹介


◇ロイ

辺境の村から王都へやってきた出稼ぎ農夫のΩ。

植物に触れるだけで蕾を開かせる聖なる指先という特異な力を持つ。

心優しく働き者で、土の匂いと植物を心から愛している。

自己評価が低く、身分の違いに敏感。


◇アレク

国の実権を握る若き宰相であり、強大な力を持つα。

冷徹で無表情なため周囲から恐れられているが、内には領民を想う熱い責任感を秘めている。

自身の感情を表現するのが不器用で、一度執着した相手には底知れぬ独占欲を見せる。


◇シュウ

アレクの右腕として働く有能なβの錬金術師。

飄々とした態度で周囲を和ませつつ、鋭い観察眼で物事の本質を見抜く。

香水開発の知識を持ち、不器用なアレクと遠慮がちなロイの関係を密かに見守り、時には背中を押す。

王都の石畳は鈍色の冷気を放ち、どこまでも無機質に広がっている。

薄い麻の衣服など物ともせず、晩秋の空っ風が容赦なく体温を削ぎ落としていった。

ロイは薄暗い路地の片隅にうずくまり、かじかんだ両手をせわしなくこすり合わせる。

大通りを行き交う靴音はどれも足早で、足元の小さな命に視線を落とす者はいない。

ロイの目の前には、亀裂の走った素焼きの鉢がぽつんと置かれていた。

中には砂のように乾ききった土があり、枯れかけた一本の草が力なくうなだれている。

茶色く変色した葉の付け根に、固く閉ざされたままの小さな蕾があった。

水も光も足りない都会の裏道で、それは静かに命の終わりを待っている。

ロイは周囲の冷ややかな目を気にしながら、そっと土に指先を這わせた。

故郷のふかふかとした黒土とは違う、指を削るような荒い感触が伝わってくる。

村を離れてからもう数ヶ月が経っていた。

悪徳商人にたぶらかされ、村全体が背負わされた莫大な借金。

それを取り返すため、若いΩであるロイは身一つで王都へ出稼ぎに来た。

しかし特別な技能を持たない農夫に回ってくる仕事は、朝から晩まで荷物を運ぶような過酷な肉体労働ばかりだ。

少ない賃金の大半を故郷への送金に回し、ロイ自身は日々のパンを買うのにも苦労している。

腹の虫が鳴くのを無視して、ロイは鉢植えの草に顔を近づけた。

乾いた葉から、青臭くも確かな命の匂いがかすかに立ち上ってくる。

まだ生きている。

ロイはため息を白く散らしながら、親指と人差し指でそっと蕾を包み込んだ。

手荒れでひび割れた指先から、ほんの少しだけ自身の熱を流し込む。

ロイには生まれつき奇妙な力があった。

植物に触れると、そこに眠る命の力を呼び起こすことができる。

村の者たちはそれを聖なる指先と呼んで重宝してくれたが、王都では誰もそんなものを必要としていない。

ただ土を耕し、種をまき、芽吹きを待つ。

その当たり前の営みが、今のロイにはどうしようもなく恋しかった。

指先から伝わる微かな脈動に、ロイは静かに目を閉じる。

冷たい風の音が遠ざかり、植物の息吹だけが手のひらいっぱいに広がった。

固かった蕾が、内側から押し上げるようにゆっくりとほころび始める。

かすかな摩擦音を伴って、茶色い外皮がはがれ落ちる。

中から現れたのは、淡い黄色をした柔らかな花びらだった。

それはロイの熱を吸い上げ、陽の光を浴びたようにふわりと開いていく。

枯れかけていた茎が水を飲んだように立ち上がり、乾いた路地裏に小さな春が生まれた。

ロイはほっと息を吐き、花びらの表面を指の腹でそっと撫でる。

ベルベットのような滑らかな感触が、荒んだ心を少しだけ癒してくれた。

その時だった。

背後で硬い靴音が響き、不意に風の流れが変わる。

ロイの頭上を、大きな影がすっぽりと覆い隠した。

驚いて振り返ると、そこには見上げるほど長身の男が立っていた。

上質な黒の外套をまとい、夜空のように深い色の髪を整えずに流している。

その顔立ちには一切の感情が浮かんでおらず、氷を削り出したかのように冷ややかだ。

男の周囲だけ空気が張り詰め、近づくことすら許さないような威圧感が漂っている。

ロイは咄嗟に身をすくめ、鉢植えを背中で庇うように後ずさった。

男から漂ってくるのは、凍てつくような冬の森を思わせる鋭い香り。

それは相手が強大な力を持つαであることを、ロイの本能に叩き込んでくる。

男の鋭い視線はロイの顔ではなく、背後に隠した黄色い花へと向けられていた。


「今、お前が咲かせたのか」


低く、よく響く声が路地裏の空気を震わせる。

ロイは言葉に詰まり、唇を引き結んで頷くことしかできない。

男は外套の裾を翻し、ロイの目の前で片膝をついた。

贅沢な生地が石畳に触れることも厭わず、男は手袋に包まれた指で黄色い花に触れる。


「土は死んでいる。根も腐りかけていたはずだ。物理的に不可能な開花だ」


淡々と事実を述べる男の横顔に、ロイは恐怖よりも困惑を覚えた。

こんな高貴な身分の人間が、なぜ路地裏の枯れ草などに興味を持つのか。

男はゆっくりと視線を上げ、ロイの怯えた瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「お前はΩだな。名前は」

「ロ、ロイと申します……」


かすれた声で答えると、男はわずかに顎を引いた。


「私はアレクだ。この国の国政を預かっている」


宰相。

その言葉の意味を理解するより早く、ロイの背筋に冷たい汗が流れた。

王都の頂点に立つ男が、なぜこんな泥まみれの農夫の前にいるのか。

アレクは立ち上がり、見下ろすような姿勢でロイに告げる。


「お前のその指は、枯れた植物の命を強制的に引き上げる力がある。そうだな」

「強制だなんて……。俺はただ、少しだけ手伝っただけで……」

「結果は同じだ。私の庭に来い」


命令だった。

拒絶を許さない、絶対的な響き。

ロイは身を縮め、膝に置いた自分の汚れた手を見つめる。


「俺はただの出稼ぎ農夫です。庭師の教養もありませんし、こんな汚い身なりで貴族様のお屋敷に入るわけには」

「教養など不要だ。必要なのはその力だけだ」


アレクは懐から革袋を取り出し、ロイの足元に無造作に落とした。

硬い金属がぶつかり合う重い音が、路地に響く。


「借金があるのだろう。その手を見ればわかる。土を触ってきた手だ。王都で荷運びなどして稼げる額ではないはずだ」


なぜそこまで見透かされているのか。

ロイは革袋とアレクの顔を交互に見比べた。


「報酬は言い値で払う。私の温室にある植物を育てろ。それができれば、お前の村の借金など一日で消し飛ばしてやる」


村の借金がなくなる。

その言葉が、ロイの胸の奥で重く響いた。

朝から晩まで働きづめで、それでも利子を返すのが精一杯の毎日。

いつ終わるとも知れない絶望の連鎖から、抜け出せるかもしれない。

ロイは震える手で革袋に触れた。

中には、見たこともない額の金貨が詰まっているのだろう。


「俺で、役に立つのでしょうか」

「役に立たせる。立て」


アレクの短い言葉に、ロイはふらつく足で立ち上がった。

冷たい風が再び路地を吹き抜ける。

しかしロイの指先には、まだ花を開かせた時の微かな熱が残っていた。

アレクは背を向け、大通りに停めてある馬車へと歩き出す。

振り返ることなく進むその広い背中を、ロイは鉢植えを胸に抱えたまま、ゆっくりと追いかけ始めた。

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