第三十一話
こっちもしれっと再開
コーデリアも落ち着き、少し経った頃、ボルスの腹の虫が鳴いた。
「目覚めてすぐに食い物の要求か」
パトリックが呆れた目でボルスを見た。
「好きで鳴らしたわけじゃねぇよ」
「でも、三日間寝たままで何も食べてませんし……当然のことですね」
コーデリアが少し思案顔になり、
「下で何かもらって来ましょうか」
と、立ち上がり、部屋を出ようとする。
「御嬢さん、こやつはまだ起きたばかりじゃ。あんまり重いものはいかんぞ」
パトリックが注意すると、コーデリアは「分かりました」と足早に厨房へ向かった。
その様子を見送ると、パトリックはニヤニヤとボルスを見る。
「何だ?」
「いや、甲斐甲斐しいと思ってな。よっぽどおぬしのことを大事に思っておると見た」
「どうかな」
ボルスは肩を竦ませる。
ボルスのあまりに素っ気ない態度に、パトリックは面白くなさそうだった。
「素直じゃないのぅ」
「これでも自分の思ったことを口にしている」
「そういう意味じゃないわい」
パトリックは一息吐くと、
「何故、人を避ける?」
「……何のことだ?」
「とぼけるんじゃない」
パトリックは先程までぼのぼのと話していた時と打って変わり、真剣な表情だ。
「おぬしは随分と損な性格をしておる」
「損?」
「そうじゃ。おぬしの言動、一見他人が関わってくることを鬱陶しく思っている風に見えるが……実は関わってくる人間が不幸な目に遭わせたくないからこそ、遠ざけようとする。そのために、相手が自分に興味を持たぬよう、わざと嫌な男を気取って、のぉ」
「別に俺は……」
「違うのか?」
反論したボルスの目を、パトリックは睨みつける。
「でなければ、関わってほしくないあのお嬢さんを命がけで助けたりせんわ」
ボルスは反論出来ず、目を逸らした。
「図星か」
「……だったらどうする?」
「どうもせんわい」
ボルスの問いに、間も置かずパトリックは答える。
「何?」
「わしはわしのやりたいようにやる。あのお嬢さんが、おぬしに何と言われようとまとわりつくように、のぉ」
ニヤリとパトリックは不敵な笑みを浮かべる。
「後悔するぞ」
「わしの勘じゃと、おぬしをこのままにしておいた方がもっと後悔するわい」
「……勝手にしてくれ」
ボルスは溜息を吐く。
「おぅ、やっと折れてくれたか。これで、ハルディさん達も大喜びじゃな」
「どういうことだ?」
ボルスは嫌な予感がして尋ねる。
「なぁに簡単な話じゃ。おぬしとわしの二人が、護衛として旅団に加わる。目的地はサワラーン王国じゃ」
「待てよ、何勝手に決めてんだ」
「勝手にしろとおぬしが言ったばかりではないか」
「そういう意味じゃねぇ!」
ボルスは身を起こそうとするが、あまりの身体のダルさに再びベッドに突っ伏せた。本当に自分のものじゃないように、身体が言うことを聞かない。
「ほれ、無茶をするな。そんな状態で一人ほっぽり出されてみろ。どうなると思う? どんなにいい剣を持とうが、今のおぬしじゃ野犬にも負けるわ」
そう言って、パトリックは壁に立てかけている剣に目を向けた。
一本はザミェル帝国で会った、鍛冶屋の親方の自慢の一振り。
そして、もう一本は旅の途中で拾った、宝剣。途轍もない切れ味と硬度を持つ、謎多き剣で、ボルスが追われる原因になった。掘ってある文字から、「Destiny」と勝手に呼んでいる。
――どうやら、パトリックはしっかり回収をしてくれていたようだ。
「そういえば、聞かないんだな、あの剣について」
「どうせ、答えないじゃろうからのぅ」
「……それで納得するのか」
「わし程の歳になれば、細かいことなど気にせんよ」
細かいことなのか、と思っていると、
「お待たせしました」
と、コーデリアが戻ってきた。手には料理の乗った盆を持っている。
「お、これはうまそうな」
「はい。小麦粥を作りました。お口に合いますかどうか……」
ボルスは上体を起こし、盆を受け取る。ダルさは抜け切っていないが、大分慣れてきた。食事を手伝おうとするコーデリアを制し、スプーンを手に取る。
早速一口目を椀からすくってみたが――
「……なぁ」
「はい?」
「なんか、粥って割にドロドロしてないか?」
「何を言っとんのじゃ、おぬしは。煮込んだ粥が粘っているのは当然じゃろうが」
「いや、そうじゃなくてな……」
ボルスは何とか説明しようとするが、頭がボウッとしてうまく説明できない。パトリックの言うことは正論ではあるのだが、ボルスが今すくった感じは粥特有のとろみとは別の何かを感じる。
「けっ、起きて早々飯を要求したかと思えば、食う前から文句か。随分な身分じゃな」
パトリックが非難してくる上、コーデリアがどこか悲しそうな顔をしてきたため、ボルスは覚悟を決めた。
粥を口に運ぶ。
味わう。
口の動きが、徐々に鈍る。
手が震え始め、額には脂汗が浮かび、次第に涙目になる。
その様子を見て、コーデリアとパトリックがボルスに起きた異変に気付く。話しかけてこようとしたが、今口を開くと吐きかねない。慌てて手を前に出し、再度制する。
長い時間を掛け、ようやく口の中身を咀嚼した。
「お、おいボルス? どうしたんじゃ?」
「お、お口に合いませんでしたか?」
二人がオロオロしていると、
「コーデリア」
と、ボルスがこの料理の制作者の名を呼ぶ。
「はい?」
「……何を入れた?」
「え?」
「この粥に何を入れたかと聞いた。麦だけじゃないよな、これ?」
「えぇと、お腹がもたれない程度に、チーズを……」
なるほど、とボルスは原因を把握する。
そして、再度スプーンですくい、コーデリアの眼前に持ってくる。
「ちなみに、味見は?」
「してない、です」
「よし、今しようか」
ボルスはニッコリと笑う。
そんな姿を見たパトリックが「あ、おぬしも笑うんじゃな」などと場違いなコメントをした。
そんな笑顔に押され、コーデリアが怖ず怖ずと粥を口にする。最初はゆっくりと口を動かしていたが、やはりこちらも変化が起きた。コーデリアは口を抑え、慌てて部屋から飛び出していった。
「な、なんじゃ?」
パトリックが驚く。
「……チーズってのは、羊なり山羊なり動物の乳に色々手を加えて固めたもの」
「……そうじゃな。それが?」
ボルスの言葉の意味を理解しかねたのか、パトリックが首を傾げる。
「……この粥に入っていたのは、おそらく――」
ここで、コーデリアが部屋に戻ってきた。心なしか、ボルス以上に顔がやつれた気がする。
「なぁ、そのチーズ、入れる前に一口でも味を確かめたか?」
ボルスの問いに、コーデリアは首を横に振る。もう、喋るのも辛そうだ。
「……見た目は、百歩譲って似てたとしても、入れるかね、普通」
「おいおい、チーズじゃなかったら結局何が入っていたんじゃ?」
「……ラード」
ラードとは、動物の脂に色々手を加えて固めたものだ。
「ほぉ、ラードか……ラード!」
パトリックが絶叫する。
「そいつは、きついのぉ……目が覚めたばかりの人間に食わすモンじゃないわい」
「まぁな。で、料理経験はあるのかな、お嬢さん?」
ボルスの問い掛けに対し、コーデリアが無言を貫こうとしたが、
「お・嬢・さ・ん?」
「今回が初めてですぅ……」
ボルスの剣幕に、ついに折れた。
「だろうな。正直、粥自体が全然煮込めてなかった。結構早く持ってきたからおかしいとは思っていた」
「火、火を強くすれば早く作れると……」
「表面が焦げるだけで中に火が通らんわ」
コーデリアの言い訳を、ピシャリと切り捨てる。
「ご、ごめんなさい、作り直して来ます……」
そう言って、コーデリアがボルスの手から粥を引ったくろうとしたが、
「いい」
と、ボルスはコーデリアの手を避ける。
「でも」
「作り直したところで、また変な粥が出来るだけだ。材料と時間の無駄だ」
「うぅ……」
コーデリアがしょんぼりとする。
その様子に同情したか、パトリックが何か言おうと口を開いた。
だが、言葉が出てくることはなかった。
ボルスが、粥の入った椀に口を付けると、中のものを一気に口の中に流し込んだのだ。まるで水でも飲み干すかのように喉を動かして咀嚼していく。
やがて、中のもの全て飲み込むと、椀を盆に戻した。途端、ボルスは咳込む。
「な、何をやっとるんじゃあ!」
ボルスの咳にパトリックが我に返った。
「何って?」
「だ、大丈夫なのですか……その……お腹は?」
「ん? あぁ……まぁ、死にはしないだろう」
「いやいやいやいや……」
ボルスの言葉に、パトリックが呆れる。
「でも、わざわざそのようなもの食べなくても……」
「何言ってやがる。わざわざ俺のために作ったんだろ? その包丁を一度も握ったことのない手で? なら、食わなきゃ失礼だろうが」
ここで、ボルスは一息吐く。
「……まぁ、料理の一つも出来ないで嫁の貰い手が来るとは思えんけどな」
「そりゃあな。おぬしみたいなのは稀じゃろ」
「……よし、コーデリア、料理を覚える気はないか?」
「え?」
「あるのか、ないのか?」
「えぇと……」
コーデリアは少し考え、
「出来た方がいい、のでしょうか?」
「別に、俺はどっちでもいい。ただ、出来た方が困らないかもな」
「……私が出来るようになったら、ボルは嬉しいですか?」
「俺か?」
ボルスは椀に目を落とし、
「そりゃあ、今みたいなの食うよりは、うまいモン食えたら嬉しいな」
「……分かりました。覚えます」
コーデリアは決意を口にした。
「料理を覚えて、いつか貴方においしいと言ってもらえるものを作ってみせます」
ボルスはコーデリアの回答に頷き、
「よし。それなら、俺が教えてやる」
と、宣告した。
「ぬ? おぬし、料理出来るのか?」
「まぁ、一人旅していると、自然に、な。基礎と簡単なレシピくらいなら教えてやれる」
「よろしいのですか!」
コーデリアがボルスに詰め寄ると、
「どうせ、サワラーンまで同行するって、そこのおっさんが勝手に決めたからな。暇潰しにはなる」
「ありがとうございます!」
コーデリアが頭を下げる。そして、まだボルスが空の椀を持ったままのことに気付き、
「あ、片付けてきますね」
と、受け取り、部屋を出ていった。
そんな二人の様子を、パトリックはニヤニヤと見ている。
「結局行くのか」
「……逆らったところで無意味だと悟った」
「諦めが早いのぅ」
パトリックが笑いながら、部屋に出ていこうとする。
「お、そうじゃ」
「何?」
「いや、さっき、お嬢さんに味見させるとき、おぬし、自分で口付けたスプーンでさせたろ。あれ、間接キスにならんかのぅ、とな」
そう言い残し、部屋を出ていく。
――その日の夜、ボルスは甲高い声を上げ、ベッドの上で悶えることになった。
次回、第七章「乙女」