62 悪役令嬢、辟易する。
男たちを縛り上げ、私は数時間ぶりに外に出た。
来る時には晴れていた空が雲に覆われている。
遥か先では雨も激しく降っているのだろう。時折、雲の間に光が走っている。
私たちが捕らえられていたのは水車小屋だった。
水車に連結した部屋とは別に、私たちを閉じ込めていた部屋がひとつ。
こちらは納屋などに使われていたと思われるが、小麦を詰めた麻袋のような備品がなければ民家の一部屋と大差ない。かなり貧しい家なのだろう、と思う程度だ。
水車が動いていれば違ったのだろう。
が、何年も前に隣を流れていた川が枯れてしまったのか、小屋の脇に少し窪んだ道があるだけで、その道も雑草に覆われてしまっている。
だから民家だと思っていた、と言うのは今となっては言い訳でしかないけれど。
その雑草の中に紛れるようにして麦穂が数本、顔を出している。
挽きに来た時に零れ落ちた麦がひっそりと芽を出したのだろうか。
これも見る機会があれば、いや、何を言っても言い訳だ。私は屈み込み、何ともなしに麦に手を伸ばす。
物語だとこう言うのが伏線になるのだが。
そして伏線として使うとすれば小麦=ヨルム男爵領のアウリ麦。
けれど、これだけでは弱い。ジークラム国内で小麦は珍しくないし、この麦がアウリ麦だとも、此処がヨルム男爵領だと言う確証もない。
ヨルム男爵領だったとしても、その地で起きた犯罪が全て領主に結びつくわけではない。
「……麦、ねぇ」
視線を落として数分。
今まで見落としていた分、何か手がかりを、と思ったけれど麦は麦。大勢に影響するヒントは何もな……いや。
麦ではないけれど、男たちの台詞とオリヴィアたちの推測を聞いて何となくモヤっていた頭の中にうすぼんやりと光が差した、ような。
今回の件で黒幕はランドルフかアルノートか彼らの派閥の誰か、とオリヴィアたちは言っていたけれど、よくよく考えてみれば純粋に〝コーネリアが消えること〟で利益を得るのはマツリカだけじゃないか?
『コーネリアを手に入れることができなければ王位に就けないから排除する』は『手に入れることができれば王位に就ける』の裏返し。
コーネリアが彼らのどちらかと懇意になっているのなら違うほうの陣営が排除に動くかもしれない。が、現在、天秤はどちらにも……それどころか天秤の外にいるクリストファーに向かって傾いている。
だったらまずは彼女、もしくはバルトガー侯爵に気に入られるよう動くか、天秤が傾かない要因であるクリストファーを排除しようと思うはずだ。
しかしマツリカなら?
この件はマツリカが単独で動いたことによるのなら?
なんせ彼女はヒロイン。この世界で唯一、主人公補正でご都合主義がまかり通るであろう存在なら罪を問われる率は低い。
私の推測が確かなら──この乙女ゲーム化の目的がマツリカのハッピーエンド以外に、悪役令嬢のざまぁ展開を見ることでもあるのなら、攻略対象が減る( モブ に取られる)のは避けたいはずだ。
攻略対象が減れば悪役令嬢の破滅フラグも減る。
カジウラを学園に誘った際に『面白いことを見せるから』と言ったマツリカが、みすみす破滅フラグが減る要因を放置するとは思えない。
そう思えばなおのこと。
コーネリアには此処で退場してもらうわけにはいかない。
「コーネリア様、まだ近くにいればいいのだけれど」
水車の動く音がしていれば此処が民家ではないと──イグニートたちも同じ屋根の下にいるはずだと錯覚して様子を窺う必要もなかったのに。
錯覚したことも向こうの策略なのか、単なる偶然なのか。何にせよ無駄な時間を使ってしまったことだけは確かだ。
ほくそ笑むマツリカの顔が脳裏に浮かぶ。
「いますよ」
私の懸念を払拭するかのようにディナエルが頷く。気休めにしては妙に自信ありげな顔で。
とは言えぬいの顔は変わらないから、そう見えるとすれば私自身がかなり弱気に(誰かに肯定してもらわなければならないくらい)なっているのだろうけれ──
「だってこれは悪役令嬢のイベントなんでしょう? 絶対にエンカウントします。イベントは主人公の見せ場のために起きるんです」
──気の迷いではなかった。
しかし、「悪役令嬢は主人公ではないわよ」とは揚げ足取りでしかないから言わないが、「そうよね!」と安心できるかと言えば、答えは「否」。
それどころか、その根拠のまるでない自信は何処から来るのよ、と腹立たしくさえ思えて来る。これも弱気になっているせいだと思いたい。
「……さっきの大立ち回りで今回の見せ場は十分ではなくて?」
第一、見せ場なら既にいくつかあった。
1:アロイスと会ったこと。
2:此処まで来たこと。
3:男たちを返り討ちにしたこと。
特に三番目は見た目も派手だし、勝って終わったから見せ場としての役割も十分だろう。
悪役令嬢のざまぁ展開を期待している層は不満かもしれないが、今後の展開では『しかし結局コーネリアを奪還することはできませんでした』と締める可能性だって無きにしも非ず。
〝上げて落とす〟伏線としても十分だ。
「エンカウントするならもうしている時間だわ。舞台でも二時間前後でフィナーレの幕は下りるのよ?
もしイグニートがとうに進んでいるのだとしたら今頃は国境近くにまで行ってしまっている可能性が高いし、だったらイベントなんてもう、」
駆け落ちるにしろ、何処ぞに討ち捨てて金を貰うつもりにしろ、私がイグニートならアロイスの提案など放っといてコーネリアだけ先に連れ出し、他の女たちは仲間に運ばせるか後日、と言う策を取る。
これを機に悪事から足を洗って真っ当に生きるつもりなら、そもそも新たな人身売買の仲間(アロイス)などいらないし、足を洗う気がなかったとしても、リーナを始めとする行方不明の女性や私たちを共に連れて行くのは目立つ。
道中の何処かで私たちにコーネリアを奪われる危険もある。
アロイスを捨てて行ったところでイグニートは痛くも痒くもない。
これから仲間になる予定のアロイスから組織の情報が漏れることなどない。
とすれば、これ以上は見せ場がないことも十分にあり得る。私だって自分のざまぁ展開なんかごめんだけれども。
しかしどれだけ否定の言葉を並べても、ディナエルの自信は変わらない。
「大丈夫です。主人公はどんな時にも起死回生のチャンスがあるんです!」
……楽観主義者なのかもしれない。
彼は元・冒険者だし、一般人よりは前向き思考だろう。
けれどそれでも、感化されて「そうよね!」と言えるほど私は純粋でも単純でもない。
「悪役令嬢は主人公じゃ、」
「マルグリット様が何と言おうと、俺の中では主人公です!」
なにそのイケメンな台詞!!
腰に来た。
『主人公』を『主人公』に置き換えたら攻略対象の台詞にだって採用決定だ。
「腰痛ですか?」
「だ、大丈夫よ」
ああ、やはりディナエルも攻略対象なのだろうか。
クマだから対象に見られることはないと思っていたけれど、フォルッツの説によれば『人外は人外のまま恋愛対象になり得る(むしろ人型に戻るな)』らしいし、マツリカがケモナーな可能性もないわけではない。
ディナエルの好感度は今のところ私の方が高い。
けれどそれは今までマツリカと接点がなかったから、でしかない。
用心しなければ。
そんな私の心の内など気にする様子もなく、ディナエルは自信満々のまま続ける。
「ほら、例えば主人公って最後に必殺技を出して敵を一網打尽にしますよね? でもその必殺技を出す時の踊ったりポーズを取ったりしてる時間、敵は反撃しないでそれを見てるわけです。その隙を突けば簡単に倒せるのに、ですよ。
それと一緒です。このまま何もなく終わったりしないです。マルグリット様はまだ必殺技を撃ってません!」
「必殺技」
いや、この〝必殺技〟は比喩だ。
『かいしんのいちげき』のような一回の戦闘で一度しか使えないスペシャル技を指しているだけで、踊りながら技を繰り出す茶番を期待しているわけではない。
そりゃあ私は実技演習の時に必殺技っぽいものを出して見せたけれど、あれは偉そうに技名を叫ぶカジウラへの嫌味が九割。
何度も言いたくはないがこの世界は技名を出す時に叫ぶ習慣はないのだディナエルには申し訳ないがっっ!!
「ま、あ、必殺技は時期が来たらと言うことで」
そして脱線が過ぎる!
今は必殺技ではない! コーネリアだ! うかうかしていると本当にざまぁエンドになりかねない!
ホント、ディナエルと喋っていると時間が過ぎるのが早……私は首を振って雑念を振り払うと、水車小屋から少し離れた民家らしき建物に目を向ける。
「イグニートとコーネリア様はきっと彼処ね。ディナエル、先に行って偵察してきてもらえるかしら。中に何人いるか。誰がいるか。どんな様子か」
新たな任務にディナエルは目を輝かせる。
話を進めるためにも、腰のためにも、ディナエルには一時離れて頂こう、なんて思惑は以心伝心しなければいいのだが。
「あと、突入ルートの確保。コーネリア様が怪我をしなさそうな場所にある扉か窓にこれを引っかけて、ピンを抜いて頂戴」
「これは……〝血塗られた叛逆〟の爆破弾!」
Q:自分に引火するかもしれない爆発物を渡されて目を輝かせるクマってどんなクマよ。
A:こんなクマでーす。
とセルフツッコミしている間もなく、ディナエルは喜々として爆破弾を抱えると、自分の背丈よりも高い雑草'sなどものともせずに駆けて行く。
何だか『国のため』だの『正義のため』だのと大義名分を振りかざして幼気な子供を利用するテロリストになった気分だ。
「マルグリット様! 彼らは当分起きて来ませんわ」
ディナエルと入れ替わるようにしてオリヴィアとソフィアが姿を見せた。
男たちがすぐに意識を取り戻して追いかけて来ないよう、眠り粉を撒いてもらっていたのだ。
この眠り粉なる代物は私の仕込み武器と同様、彼女らが『こんなこともあろうかと』持ち歩いている暗具らしい。
堂々と武器を携帯できない女性が護衛の任に就くからにはこの程度の暗具の使用は想定内だが、
『マルグリット様が此処に来るのはどうしても嫌だと仰っていたら使っていたところでしたのよ』
と笑顔で言ったのは果たして冗談か、本気だったのか。
あまり考えたくない。
「それじゃ、」
「それより大変ですわマルグリット様!」
ディナエルには先行してもらっているが、私たちも近くにまで行きましょう、と言いかけた矢先。
オリヴィアとソフィアが食い気味に詰め寄った。
「ディナエルちゃんはお持ちです!?」
「え? ディナエ、ル……?」
ディナエルなら、と民家まで続く草むらに目を向けかけ指を指しかけて、慌てて視線と手を引っ込める。
何を言うつもりだ、私。
ディナエルが動くことは、彼女たちは知らない。
「え、ええっとディナエルなら、」
ここにいるわよ、と空のポケットを叩きかける。
だが。
「お持ちではないでしょう? ないですよね!」
即座に否定された。
そして、
「ああ、わかっておりますわ。あの戦闘でディナエルちゃんを失くしてしまわれたものの、コーネリア様奪還を優先させるために涙を飲んで我慢したのだってことは!」
「なんてお優しい! やはりマルグリット様は聖女、いえ、女神ですわ!!」
オリヴィアとソフィアは矢継ぎ早に喋り出した。
「でもご安心なさって! 私たちディナエルちゃんを見つけましたの! かわいそうに脂ぎった男の腹の下になっていましたわ!」
「腕も片方取れてしまって! きっとディナエルちゃんのこの怪我はマルグリット様の危機を肩代わりしたのですわ!」
フォルッツとディナエルで辟易していたマシンガントーク第三弾。
何があった? と尋ねるより前に、オリヴィアとソフィアは興奮冷めやらぬと言った風に頬を染め、私の眼前に白いクマを突き出した。
黒ビーズの目とへの字の口は確かに あの シリーズに違いない。
が、ディナエルはピンピンしていたし、腕も二本付いていたし、今は民家にいるはずだし、もし腕が取れたとすれば渡した爆破弾の衝撃に巻き込まれたからだろうけれど、未だ爆破音は聞こえてはこない。
と、すれば。
これはディナエルではない。
ディナエルではないが、だとしたら誰だ?
フォルッツか?
いや、奴が留守番を不満に思ってこっそり付いてきたとしても、後ろめたい自覚があれば私の目を真っ直ぐに見ることなどできるはずがない。
クマッティは毛並みからして違う。
まさか……トラウラか!?
「私たち感動しておりますの! ルブローデの習慣と奇跡をこの目で見ることになるなんて!」
「そうですわ、ディナエルちゃんはコンラート様からの贈り物。言うなればコンラート様がマルグリット様を案じる愛そのものですわ! この怪我は愛の奇跡ですわ!!」
「は?」
「ああ、いけないと思いながらも想像してしまいますわ! あのコンラート様がどれだけマルグリット様を案じていらっしゃるか。きっと今頃意味もなく紅茶のカップが割れて『義姉上の身に何か!?』って叫んでいるのですわ!」
「無事に帰ったら熱い抱擁が待っているのですわ!」
「ちょ、」
「それからは恋人の時間ですわ!」
「ちょ、待っ」
「うふふ、恋人と言うより実質許婚、いえ一緒に暮らしているのですもの、既に夫婦みたいなものでしたわね♡ きっと、」
「待って! そんなことは無いから!!」
妄想の世界に入り込んで好き勝手なことを喋り出したオリヴィアとソフィアの手からクマを奪い取り、無造作にポケットに押し込む。
トラウラなら最新の注意を払う必要があるだろうけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
「い、行くわよ!」
私は民家に向かって駆け出した。
「照れちゃってかわいらしいですわ!」「恋心はルブローデの魔女すら変えてしまうのですわ!」と好き勝手に盛り上がる声を背に受けて。




