51 悪役令嬢、酒場へ行く。
「──何だかんだと口実を付けたところで、お前も何番煎じだかのドジョウと変わんねぇよ」
そんな声が聞こえたのは、オリヴィア、ソフィアを連れてぬいカフェを出ようとした時だった。
男の声だった。
誰だ? と振り返ってみたものの店内には女性客しかいない。
唯一の男性は夢絵担当の絵描きだが、彼は店の奥、それも衝立の向こうにいる。
店を出ようとしている私にまで声を届かせるには大声を張り上げるしかないわけで、しかし周囲の皆さんの反応を見る限り声が聞こえたのは私ひとり。
となると、彼ではないと考えていいだろう。
フォルッツかクマッティだろうか。
鞄の口から中を覗けば目が合ったフォルッツがガッツポーズを見せた。ぬいだから片腕を上げ下げしただけだが、まぁ、ポーズの解釈なら多少違っても問題ではなかろう。
それよりも声。
やはり先ほどの悪態はフォルッツの声でもないようだ。
クマッティの可能性が無きにしも非ずだが、現状、奴は死んだように寝ているわけで……寝言だとすれば内心で私のことをどれだけ嫌っているんだ!? と絞める必要がある。
「あ、創造神様にご用ですか? 起こしましょうか」
「……生存確認しただけだからそのままで構わなくてよ」
しかしフォルッツの反応を見るに、あの声はクマッティの寝言ではないようだ。
もしあんな悪態を隣で吐かれた直後なら、小心者のフォルッツのこと、自身が吐いた悪態ではなくとももっと動揺している。
それにしても最近のクマッティは寝過ぎではないのだろうか。
老人だから体力が少ないのか、痴呆が始まりつつあるのか。
ぬいだから下の世話はしなくていいだろうけれど、いずれ、
『朝ごはんはまだかいのう』
『お爺ちゃん、もう食べたでしょ』
なんていうベタなやりとりを……うん、そうなったら 実家 にお帰り頂こう。
と言うのはさておき、実技演習の時もずっと寝ていたと言うし、マツリカがいない今、クマッティの力が緊急に必要になることなどないのも事実。
『乙女ゲーム?? 何それ??』な最初の頃はクマッティの知識の世話になったが、鉄板を履修し終わった今はその率も減った。
知恵を借りるだけなら連れ歩くこともない。何よりぬいを持ち歩くのはかさ張って邪魔。
と言うわけで今度からは留守番をしてもらうことにしよう。
が、それは今考えることではない。
まずはコーネリアの所在確認が先だ。
私はクマッティのことも声の主探しのことも一旦考えるのを止め、酒場に向かった。
ぬいカフェの前の酒場は〝馬のいななき亭〟と言うらしい。
馬の横顔に切り抜かれた黒ずんだ看板が、風でキイキイと音を立てている。
昼間から出来上がっているのか、大声で笑う声が通りにまで聞こえて来る。
「……いませんね」
通りに出たオリヴィアが左右を見回す。
コーネリアに付いて行ったと思われる護衛の方々の姿が見えないらしい。
早速、勘が外れたのか?
イグニートが向かったとされる『楽しい場所』は此処では──
「おら! 貴族の犬は犬らしく這いつくばってればいいんだよ!」
──と思いきや。
そんな笑い声と共に、ボロボロになった男が扉を突き破って飛んできた。
「リカルド様!」
どうやら男はリカルドと言う名で、オリヴィアとソフィアの知り合いらしい。
だが冒険者向けの酒場に伯爵令嬢と子爵令嬢の知り合いがいるはずがない。いるとすれば。
「ぎゃははは! 若い女の補充が来たぜ。さすがはバルトガー侯爵家。至れり尽くせりだな!」
その先を考える間もなく、私たちは出て来た男たちの手で酒場に引っ張り込まれた。
店内は下卑た笑い声と安酒の臭いが充満していた。
冒険者たちが一日の疲れを癒し、明日への活力を補う場所……にしては治安が悪すぎるように思えるが、これは人の出入りが激しい王都の酒場だからだろうか。
ルブローデにも冒険者と称する人々は多く行き来していたけれど、こんなにも酷くはなかった。
ただそれは酒が入っていないからか、領主の娘の前だったからか、それはわからない。
最奥のテーブルにまで引っ張られて行くと、そこにはコーネリアがいた。
ガラの悪そうな男(先日の青年ではない)に肩を抱かれている。
連れて来られた私たちを見て少しだけ安心したような、それでいてこの先に待ち構えているであろう私たちをも交えた最悪な未来を想像して怯えるような、そんな微妙な顔をする。
「せっかく来たんだ。酌でもしろよ、ネェちゃんたち」
「だっ、誰がお酌なんてするものですか!」
無理やり酒瓶を持たされたものの、気丈に抵抗するオリヴィアとソフィアに、男たちは薄汚く笑うばかり。
コーネリアを人質に取られていては何もできないと思っているのか、それ以前に貴族の女に何ができる? と思っているのか。
現に手出しできずにいるのだけれど……どうにも理解が追いつかない。
「いいのかぁ? ネェちゃんたちがおとなしく言うことを聞いてくれりゃあ、そこのニィちゃんもこれ以上痛い目に遭わなくて済むんだけどなぁ」
そう言いながら指し示した床にはリカルドと揃いの上着を身につけた男が転がっている。彼も身なりから言ってリカルドと同じコーネリアの護衛だろう。
少し離れたところにはイグニートがいる。
自慢の顔に腫れを作っているが、未だ立っているところからして護衛さん'sたちよりは軽傷のようだ。さすが冒険者パーティの後衛、防御力が高い。
しかしだ。
これはどういう状況だ? どうしてこうなった?
1:イグニートが冒険者仲間に自慢しようとしてコーネリアを酒場に連れて行った。
2:イグニートのくせに女連れなんてズルい! とコーネリアを奪われた。
3:コーネリアの危機に護衛さん'sが出動したものの、返り討ちにあってしまった。
4:なので今残っているのはイグニートだけ。絶体絶命です☆彡
と言ったあたりだろうか。
5:イグニートに騙されているっぽいこっちのお嬢さんは回収させて頂きました。あとで責任を持ってお屋敷にお送りします。
でないことだけはリカルドたちが凹られている時点で確定している。
無傷でお返しするつもりがあるのなら、そもそも護衛を凹る必要はない。
護衛さん'sを凹った上、私たちを見て『新しい女の補充』と抜かしたこの男がコーネリアを、そして私たちをどうするつもりか。
考えるまでもないが、その頭の端で『そんなことは可能なのか?』との疑問も明滅する。
平民に毛が生えた程度の貴族、もしくは経済難で首が回らなくなっている家なら、女が”殿方と楽しくお喋りしてお金を頂く裏のお仕事”で稼いでいる可能性もないわけではない。
中には冒険者を客に取る者もいるだろう。
一討伐終えて懐が温かい冒険者は金払いがいいし、冒険者にしてもお高くとまった貴族の女をここぞとばかりに組み敷くチャンス。そこには需要と供給が存在する。
しかし、コーネリアとバルトガー侯爵家は”裏のお仕事〟になど縁がない真っ当な家だ。
万にひとつの確率でコーネリアが金策に走らなければならない事情を抱えその手のお仕事に興味を持ったとしても、親馬鹿過保護な侯爵はそれを許さない。
やもすれば自分の臓器を売ってでもコーネリアを汚しはしないだろう。それがバルトガー侯爵だ。
そして。
「……彼らとあなたの隣にいる方がバルトガー侯爵家所縁の方々だと知っての行動とお見受けするけれど、これはどう言った状況かしら?」
そのバルトガー侯爵家と知った上でコーネリアに何かするつもりだとしたら、それで無事に済むと思っている頭のすげ替えをお勧めする。
『知らなかった。コーネリアから誘われた』なんて弁明は通じない。
体中の穴と言う穴に牛脂を詰められて熊の巣穴の前に放り出されることくらいは覚悟したほうがいい。
あの侯爵からは常々、私の兄と同じサイコパスじみた執着の強さを感じるのだ。
「そうですわ! その方はあなた方の小汚い手で触っていい方ではありません!」
「同じ空気を吸うのもおこがましい!」
私の問いかけに続くようにオリヴィアたちが声を上げる。
コーネリアの危機に奮起したのか、クラスレグルスに勝った私が背後に控えているから気を強く持ったのか。
渡された酒瓶を武器として握り直す様は頼もしいけれど、実力行使に出られない現状、逆に男たちの嗜虐心をも煽っている自覚もしてほしい。
「活きのいいネェちゃんじゃねぇか」
「きゃあっ!」
男がオリヴィアを平手で叩いた。
相手が貴族令嬢だろうが気にしないのは酒精のせいで気が大きくなっているからだろう。酔いから醒めた時にどうなるかが見ものだが、この判断力のなさからいくと、それまでに私たちが何もされずにいられる保証は何処にもない。
オリヴィアの悲鳴に床に突っ伏していた護衛さん'sが顔を上げる。
しかし「やめろ」と声を上げる前に頭を踏みつけられた。踏みつけられた際に顎が嫌な音を立てたが、無事だろうか。
どうする?
この狭い店内で剣技は使えない。
武器を持っていないと言う点については此処にいる屈強な皆さんから拝借するなどいくらでも解決策はあるけれど、振り回せばオリヴィアたちもただでは済むまい。
素手で殴るとか魔法を使うことも同様。
やるからには一撃で仕留めなくては、彼らがオリヴィアたちを盾に取って反撃してくるのは必至だ。
こんなときこそチートクラッシャーの出番だけれど。
私はテーブルの下で一気に汗ばんだ拳を握る。
チートクラッシャーは”転移者が神から付与されたチート能力を壊す”と言うのが公式見解だが、ディナエルやフォルッツの時のようにこの世界の人々が元々持っている力を奪い取ることも可能だ。
名称と効果と事前説明が全く嚙み合わないとんでもないザル設計な能力だが、何にせよこの力で男どもの力を根こそぎ奪ってしまえば形勢は逆転する。
ただ、力を奪われた彼らが総じてクマ化したら、それはそれでパニックになるだろう。
まず間違いなく私は魔女として捕らえられ、火炙り一直線だ。それは避けたい。
私たちが酒場に連れ込まれたことは店の外にいた何人かが目撃している。
そのうちの誰かか放り出されたリカルドかが通報してくれているだろう。今頃は警備隊がこちらに向かっているに違いない。
それまで持ちこたえることができればチートクラッシャーを使わずともいいのだが──。
その時だった。
「コ、コーネリア様を放せぇぇぇぇええええ!!」
男たちの注意がオリヴィアとリカルドに向いた隙を突くようにして、イグニートが男たちに向かって手を突き出した。
掌から奔流が噴き出す。
その水の流れは瞬く間に店内の全てを押し流した。
ちょっと待て。
あなた、後衛職ではないのですか?
魔法使いに匹敵するレベルのその攻撃魔力は今まで隠していたのですか?
それとも。
「……まさか、規格外の力に目覚めたの……!?」
水浸しになって目を回している男たちの間をくぐり抜け、コーネリアがイグニートに抱きつく。
「素晴らしいわイグニート! 私のために才能を開花させてくれたのね! これできっとお父様もあなたを認めて下さるに違いないわ!」
嘘だろう?
なにこの茶番。ご都合主義もいいところの急展開。
そう言いたいけれども、実際、あの荒くれ男どもをあっという間に倒してしまったのはイグニートなわけで。
一切合切を特等席で見届けてしまったのは私だけではなく、イグニートの重用に反発していたオリヴィアやソフィア、そして護衛さん'sの面々……と合計十個の目で確認してしまったわけで。
そこに待望の警備隊が到着した。
彼らは水浸しになった店内と目を回して気絶している男たちに目を丸くしたものの、手際よく男たちに縄をかけて連行していく。
ソフィアとリカルドは状況説明のために警備隊に付いて行き、怪我をしたオリヴィアとネイサン(護衛さん'sのもう片方)、そしてコーネリアとイグニートはバルトガー侯爵家へ戻り。
「……さて、詳しく話してもらおうか? マルグリット」
「お、お兄様どうして此処に……」
そして私は。
警備隊と一緒に飛んできた、とんでもなくいい笑顔の兄によって有無を言う間もなく馬車に押し込まれ、学生寮へと帰ったのだった。




