32 悪役令嬢、クマの心を掴む。
「あ、そうそう。ディナエルを貸して貰えるかしら」
私はコンラートに両手を差し出した。
忘れるところだった。今日はこのために慣れない社交を頑張ったのだと言ってもいい。
満面の笑みを浮かべている(であろう)私とは対照的に、コンラートは口元を引きつらせて後退る。
「何故」
突然何を言い出すのだ、と思ったことは確かだろう。
道端に落ちていた蝉の死骸に手を伸ばしたら突然ジジジジジジジジジジジジジと鳴きだした時みたいな顔をしている。
だが。
コンラートがどう思おうが知ったことではない。
「ほら、早く!」
「嫌だと言ったら?」
「じゃあディナエルに直接言うわ。ディナエル、用があるの。出てきて頂戴」
私の呼びかけにコンラートのポケットが動き、白いクマが顔を出した。
「何用でしょう? マルグリット様」
かわいくて、素直で、謙虚。存在するだけで今日の疲れが癒されるクマだ。
同じ顔なのに何故クマッティとフォルッツでは疲れしか感じないのだろう。
リラックスできるアロマでも頭から振りかけているのか、いや、これは内面から滲み出る人柄のせいだ。奴らを一晩アロマオイル漬けにしたってきっとこうはならない。
「ちょっとこっち来て♡」
「はい」
「待て! ディ、」
コンラートの制止も聞かず、ディナルはポーン、と差し出した私の両手に向かって飛んできた。
「愛いぃぃぃいい!」
何だこのかわいい生き物は!
フワフワモフモフの掌より少し大きいくらいのぬいぐるみが、両手を広げて無防備に私目がけて飛んでくるのを想像してほしい。
極限まで簡略化された顔で!
虚無っているようにしか見えない黒ビーズの目で!!
表情の表しようがないへの字型の口で!!!!
思わず頬ずりしてしまいそうになって、『いやそれは私のキャラじゃない』と理性で堪えた私を褒めてほしい。
そう。これはディナエル。推・定・年・齢・二・十・五・歳(年上)!!
「ディ、」
コンラートは女に捨てられたような顔を私たちに向ける。
心の中で『やっぱり男の友情より女を取るのか!』とか『そのツリ目女の何処がいいんだ!』とかが渦巻いているのは間違いない。ざまあみろ。
ではなくて!
「ごらんなさい、コンラート!」
何度も言うが、私はこのために頑張ったのだ!
私の声に反応するように、ディナエルが光り輝いた。
「……これは……?」
光が収まった後、私の前には『何が起きたのかわからない』と言わんばかりの顔で立ち尽くす青年、ではなく、『何が起きたのかわからない』と言わんばかりの顔で立ち尽くすクマ(要するに何も変わっていない)がいた。
「あの、義姉上? 私には何から何まで理解しかねるのですが」
眉間に皺を刻んだままのコンラートが呟く。
流れと演出から行けば、光が収束した後には人間の姿を取り戻したディナエルが立っているか、もしくは跡形もなく消えているのが順当だろうのに何も起きていない。
何だよ心配させやがって、とか言いたいのはそんなところだろう。
が。
「わからないの? 親友のくせに」
しまった。つい気が緩んで本音が出てしまった。
だがしかし私はこのために(三回目)。
コンラートが眉間の皺を深くする。
ああ、あの皺の一本一本から破滅を表す旗が生えて来る様が見えるよう……って実際に眉間から旗を何本も生やした男なんてどれだけ美丈夫でも笑えるだけだった。その表現は良くない。
仕切り直し。
私は首を振って今しがたのシュールな想像を振り払う。
それで親友とはよく言ったものだ。コーネリアの取り巻きなんて、彼女がチークの色を変えただけで先を争って褒め称えて来るのに。
いや、取り巻きだからわかるのか?
自慢ではないが私は彼女がシャドウを青から赤に変えたって気がつかなかったクチだけれども、それを言えば『わからないの? 親友のくせに』との矛盾を指摘されるのがオチ、ってそれは置いといて。
ともあれコンラートが事実を知ればそんなものは霧散する。
そして泣いて喜び、私の足下に平伏し、靴を舐め……なくてもいいけれど、あの常時上から目線の義弟が一八〇度豹変するくらいには変わる。
そう。ディナエルは変わったのだ。
本人にはわかるはずだ!
「コンラート」
『これが私!?』と叫び出しそう、にはやっぱり見えない虚無顔のクマは、ポツリと義弟の名を呼ぶ。
「力が、戻った気がする」
「え?」
そう!
私はただカジウラとキャッキャウフフしていたわけではない!
私が何のためにカジウラの隣を──『やっだ~カジウラ様ったらぁ♡』がなくともついうっかり肘がぶつかる距離を──キープして酒場女のように媚び続けたとお思い?
「力が戻ったって」
「うん」
ディナエルはポヨンと地面に飛び降り、てちてちと街路樹の一本に向けて歩いていく。
愛らしい擬音は私の脳内変換の賜物で、実際にそんな音がしているわけではないけれど、十人中八人は賛同してくれると信じている。
「見て」
そしてフワフワの手を街路樹に向けて突き出す。
と。
ベキッ! と言う鈍い音と共に街路樹が真っ二つに割れた。
ディナエルはさらにタタタタタと走り込むと、目にもとまらぬ早業で傾いでいく街路樹の周囲を駆け巡る。
私の目には幾重にも風が吹き荒れているように見えた。
そして。
風が止んだ時には、街路樹の代わりに綺麗に切り揃えられた薪が山のように積み上げられていた。
……そうね、街路樹をそのまま倒したら大きな音がするし、道を塞いでしまったら通行の邪魔だし、なにより夜中に騒音を立てるのはご近所迷惑よね。
荒唐無稽さを前面に出したコメディではたまに見かける演出だが、まさかこの目で見る日が来るとは。
冒険者と言うと大抵は剣士だけれども、ディナエルは格闘タイプだったのか。それとも剣も格闘もこなすオールインワンタイプなのか。
何にせよ、フワフワの手で木を倒すってかなり凄い。
手で薪を生成するのもかなり凄い。
「あ、義姉上、」
「約束は守ったわよ?」
『トラウラから力を譲り受けているであろうカジウラから力を奪い返せばいいのじゃ!』
『今すぐにとは言えぬが必ず力を奪い返すと約束しよう!』
と、許可もなく勝手に約束を取りつけたのは私ではなくクマッティだが、実践したのは私。
さあ、感謝しろ! 褒めてたたえてオーエン領に銅像を建てて朝晩祈るがいい! とは口に出しては言わないが。
「クマッティの口約束を私が叶えるいわれなど何処にもないけれど。でもそれとは別に、ディナエルを苛めたカジウラはそれ相応の不幸に遭うべきなのよ」
カジウラも最後には改心してドレスまで褒めて来たけれど、これはこれ。それはそれ。
受けた被害はそっくりお返しするのがルブローデ流と言うものよ!
「……つまり今までのアレは全部……」
「カジウラはディナエルだけでなく他の冒険者の力も奪い取って、それで勇者になった男。正面から行っても返り討ちにあうのがオチだわ。付け入る隙が必要なのよ」
カジウラはディナエルから力を奪った〝敵〟。
だからこそ力を取り返しもせず、チヤホヤとおだて上げるだけの私に嫌悪を抱いたのだろうが、自分でもその思考は短絡過ぎると思わないのか?
初っ端から敵だと牙をむいて何の得がある?
「全部……チートクラッシャーを作動させるための」
「気がつくのが遅いわよ、黒薔薇の貴公子」
必殺技は技名を叫んで発動させなければいけないものではないのだ!
さあ!
泣いて喜べ!
足下に平伏し、靴をお舐め!!
「マルグリット様」
ディナエルは黒ビーズの目をキラキラ(していないけれども本人的には絶対にキラっているつもりだと思われる)させて私を見上げる。
「こんなにも早く力を取り返してもらえるとは正直思ってませんでした。このご恩は一生忘れません。と言うか、不肖ながら破滅フラグ回避、俺も手伝わせてください!」
その目にあるのは信頼。いや畏敬に近い。
そうだろう。力を奪われ、人間の姿さえ失って実の両親に焼却処分されるのを待つばかりだったのに、再び力を取り戻したのだから。
ああ、これよこれ。
素直な賞賛と感謝。隣で呆けているだけの黒薔薇の貴公子も見習うがいい!
「もちろんよ。ディナエルがいてくれたら一〇〇人力だわ」
私もまさかディナエルが音速で薪を作る力の持ち主だとは微塵も思っていなかったが、結果オーライとはこのことだ。
私とディナエルはがっちりと握手を交わす。
と言っても相手はぬいだから、『人差し指一本と両腕で握手とは言わない』と何処からかツッコまれそうだけれども、現時点でそれをツッコんできそうな奴は奇跡を目の当たりにして呆然としている。
チートクラッシャーに関しては不安視していたが、この分なら本題の〝マツリカのチートスキルを奪うことで世界の歪みを正す〟のも思っていたより楽に終わるかもしれない。
彼女のチートスキルは”聖女”。
本人の口から聞いた限り回復魔法の類だと思われる。
ただ、簡単に力を奪えるからこそ、今後ディナエルは私の監視下にいてもらわねば困る。
トラウラが使ったとされる力は能力からいってチートクラッシャーと同じもの。だとすれば再び奪い取りに来る可能性は捨て切れない。
けれどディナエルをオーエン領に帰すことが安全かと言えばそうではない。
トラウラもクマッティも、突然私の前に現れた。
暴走する馬車に追走すらしてきた。
あの芸当ができるクマならジークラム国内、いや、国外でも一瞬で移動できるだろう。ピンポイントにディナエルの前に現れることも。
だったら此処に……クマッティもフォルッツもコンラートも、そして私もいる此処に、いてくれたほうが対処しやすい。
「よろしくね!」
「喜んで!」
そんな私とディナエルを、
「でも……なんでクマのままなんだ……?」
コンラートはただひとり、複雑そうに見ていた。




