9 悪役令嬢、婚約者(仮)を改心させる。
「そう言うことで、婚約は了承してもらえると言うことでいいね」
話は終わったとばかりにクリストファーは手を離した。
本当に、私が逃げ出さないためだけに手を握っていたらしい。
「後日、正式に登城する日程などを知らせる。ルブローデ辺境伯令嬢も準備があるだろうし」
「後日でよろしいんですの?」
「どう言うことだ?」
いや、『どう言うことだ?』ってこっちが聞きたい。
〝父親の借金を体で払え〟系に出て来るのは(話の都合上)大した抵抗もせずに店に行ってしまう娘ばかりだから、私もそうだと思っているのだろうか。
しかしだ。
あいにくと私はそんな殊勝な心掛けはできないし、する気もない。
女領主の椅子を蹴るのは残念だが、兄の尻拭いのために一生を棒に振るくらいなら家を出る。剣と魔法が使えれば、多分、何処でも生きてはいける。
クリストファーにとっても私が失踪してくれたほうがいろいろと都合がいいだろうし、責任を負わせる者がいなくなって兄にお咎めが行ってもそれこそ自業自得。
と言うか、責任を妹に押し付けて自分は彼氏とイッチャイッチャしている兄なんぞの犠牲になる気はない。
「いえ、お時間を頂けるなんて随分と寛容だと」
「普通はそうだろう? 今後は王妃教育──まぁきみが王妃になることはないと思っていてくれていいんだが、王族に嫁ぐ以上、それなりの教育は受けてもらわねばならないし、それには王城に居を移してもらうほうが」
待て。
まさか本当に婚約者待遇でお迎え予定なんですか?
本当にそれでいいんですか!?
説明するのも面倒だとばかりの溜息まじりの言葉には、『婚約を受けて貰えてうれしいな♡』なんて感情は塵ほども含まれていない。
だからこそクリストファーがこの理不尽を受け入れようとしていることが不思議でならない。
これでクリストファーが人間離れしたブサイクだとか、性格が悪いとか、体臭がキツいなどなどで、王子の肩書きを振りかざしたところでご令嬢がたから見向きもされないと言うのならまだわかる。
でも現実は違う。
交換条件を突きつけて私に婚約を迫らずともクリストファーはモテる。
『はいよろこんで!』と立候補する娘だって星の数ほどいる。
前述したように身分を越えて好みの女を集めてハーレムを作ったところで『一〇〇人でも二〇〇人でも世継ぎを』と言う要望には即しているわけだから文句を言われる筋合いもない。
なのに。
これではまるで私と婚約するのが一番の目的のようでは──
──ああ。
はた、と思い当たった。
そうだ。”私と婚約するのが一番の目的”となる案件があった。
当事者同士の意思に関係なく、理由も定かではなく、ただ私と婚約関係になることだけが理由の。
それは。
「……殿下。兄の件を極秘裏に教えて下さった代わりに、私も秘密を打ち明けとうございますわ。私がどうしても婚約をお受けできない理由を」
それは、例の強引な乙女ゲーム化が引き起こした〝歪み〟によるものだ。
シナリオと呼んでもいい。
悪役令嬢の断罪シーンはその前提として、〝悪役令嬢と攻略対象が婚約〟していなければ成り立たない。だから無理やり〝婚約している状態〟にさせるつもりなのだ。
「何だ?」
「私、実は未来視の力があるのです」
「そんな力は聞いたこともない」
「あら。未来が見えるなど誰が吹聴して回りましょう。我が身が危険にさらされるだけではありませんか」
恐るべし歪みパワー。
しかし私もクマッティからシナリオの流れは聞いている。まるきり同じになるとは限らないが、全く知らないよりは対処のしようもある。
つまり、聖女と恋仲になる未来をあらかじめクリストファーに教えてしまえばいい。
婚約とは契約だ。いくら気に入らない相手だからと言って、一方的に破棄することなどできない。
断罪シーンでは悪役令嬢が行った過去の苛めの数々などを正義面であげつらっているけれど、その陰で『そう言うお前は婚約者がいる身であるにもかかわらず他の女と浮気していたじゃないか?』と言うマイナス評価が付くことは否めない。
クリストファーは第三王子だからそれほど進退に影響はないかもしれないが、それでも王族だ。悪い評価は無いに越したことはない。
だから最初から、近い将来〝聖女〟と呼ばれる娘と恋仲になることがわかっていれば、彼もこんな茶番のような婚約は避けるはずだ。
ツリ目辺境伯令嬢よりも聖女のほうが国としても箔がつくし、もしかしたら聖女のネームバリューのおかげで第三王子にも王位継承のチャンスが回って来るかもしれない。
「この婚約の後、殿下は私ではない他の女性と真実の愛を見つけられます。そして婚約者である私が邪魔になります。考えた末、殿下は私を葬り、晴れてその女性を娶るのです」
「馬鹿を言うな。いくら好みではない相手とは言え、そんな不誠実なことをするものか」
好みじゃないってはっきり言ったー!
わかってはいたけれども!
自分が婚約したくないから教えたことだけれども!
それでも面と向かって言われれば傷つく!
しかしそれを顔に出してはいけない。
婚約しないことを私が残念に思っている、なんて誤解された日には、『ぬか喜びをさせてしまった責任を取って婚約する』などと言い出しかねない。
「私も殿下には幸せになって頂きとうございますし、私自身、処刑されるとわかっていて婚約をお受けすることはできかねます」
「うむ……未来が見えているならそうだろうな」
ああ、クリストファーが物わかりのいい人でよかった。
と言うか、よくもまぁこんな突飛な話を信用してくれるものだ。
実際にマツリカとクリストファーが真実の愛を見つけるかどうかは知らない。
しかしクマッティの話では、乙女ゲームの世界では大抵の攻略対象が『私は真実の愛を見つけた!』の言葉と共に婚約を破棄するらしい。
無理にでもテンプレどおりに進ませようとする現状を見る限り、クリストファーもご多聞に漏れず、同じ台詞を吐いてくれるに違いない。
「ですからこの婚約はなかったことにしませんこと?」
「しかし、」
だがクリストファーは煮え切らない。
恐るべし歪みパワー(二回目)! 世界はどうしても私とクリストファーを婚約させたいらしい。
「もう少しだけ待てば、殿下には私よりもずっと良い相手と巡り合える未来が待っておりますのよ? もしそんな出会いがなかった日には『王族を騙した』と断罪でも何でもして頂いて構いませんわ」
「いや、その程度で断罪なんて」
「これも全て、私を信じて頂くためでございます」
こう言う場合はメンタルに訴えかけるのが最適解だ。
シナリオがどうあろうとも、動くのは人。最後の最後に感情を優先させて命令を覆した例などいくらでもあるし、それが良い結果に傾いた事例もないわけではない。
「兄への処罰はまた別に。この件で何の関係もない殿下が犠牲になることの方が私は心苦しゅうございます」
金で解決でも領地没収でも爵位返上でも。
後ろふたつは私の将来設計上、無いに越したことはないが、私自身を代償にされることに比べたら安いものだ。
ことの発端となった兄の話にしても、クリストファーやシナリオの強制力を疑うわけではないがあまりに唐突で信憑性がない。
真偽を確かめるためにも時間は必要だろう。
なんせストーリーは動き出したばかり。今の今まで浮いた噂のなかった兄に恋愛感情を抱いたところでまだ一線は越えていない。はず。
つまりまだ対処できる。単なる噂や匂わせの時点でどうにかできれば私が犠牲になる必要もないし、それどころか逆に慰謝料を請求できるかもしれない。
「そ……うなんだが、それではきみが困るだろう?」
クリストファーはまだ煮え切らない。
しかし長く火にかけ続けた鍋が必ず沸騰するように、彼の鍋が煮えるのももう少し。
「私が婚約を申し込みに来たことを知っている者がいる以上、婚約せずに私が帰ればきみの女性としての資質が疑われる」
「処刑されるよりましですわ。それに私の巷での評価からすれば、誰しも破棄されて当然と思うでしょう」
ツリ目でかわいげがなくて、流行にも疎い。
コミュニケーション能力は皆無に等しく、そのくせ、こまめにお茶会に誘ってくれる幼馴染みには毎度毎度嫌味を言い放つ悪役令嬢。
そんな女が王族の一員となって自分たちより上に立つなど、貴族の皆様が許すはずがない。
ねぇ、そうでしょう? 殿下。
あなたも内心ではそう思っているでしょう?
このまま私を妻とするのなら、私の女性としての資質だけではなく、夫となるあなた自身の資質をも疑われましてよ?
「……そうか。そうだな」
煮えた。
何処までを取って『そうだな』と判断したのかが気になるが、とりあえずクリストファーは考えを改めてくれたようだ。
私は心の中でガッツポーズをする。
乙女ゲームの攻略対象があっさりと婚約者を断罪するのは、幼い頃に決められた相手──分別のつかない子供の頃に決まった相手だからだ。
だから罪悪感が薄い。
しかしクリストファーは違う。
突然の乙女ゲーム化のせいで、自身が婚約を申し込む形になってしまった。
破滅するとわかっているのに婚約を無理強いしたところで、後にその相手を断罪して断頭台に送るのはクリストファー自身。彼の性格から言って、その後も罪悪感に苛まれて生きることになるだろう。
だったら最初から婚約などしないほうがいいに決まっている。
「殿下が聡明な方でよろしゅうございましたわ」
クリストファーが帰ったら、両親とメイドたちにも破談になったときっちりしっかり教えておかねば。
先手を打って王宮にも『破談になった旨』をしたためて出……すのはやめおいたほうがいいだろうか。仕事の早いデキる女と認識されても困る。
『わざわざ王子が出向いたのに何も言って来ない無能女』と思ってもらったほうが好都合。
手紙を書くとなればクリストファーと口裏合わせをした通り〝私が相応しくないから〟と言う理由を述べることになるわけだが、「謙虚なのはいいことだ」と謎の高評価をつけられてクリストファーの嫁候補に再浮上、なんてことにでもなったら目も当てられない。
「しかし人間とはわからないものだ」
去り際、クリストファーは笑みを浮かべて私を振り返った。
あの腸が煮えくり返っているような笑みではない、ご令嬢がたを卒倒させるあの笑みで。
「ルブローデ辺境伯令嬢がここまで親身になっていろいろと考えてくれる人だとは思わなかったよ。いつものきみは黙っているか嫌味を吐いているかのだったからね。
そうだ。これから私のことはクリスと呼んでくれたまえ、心の友よ!」
「まぁそんな、恐れ多いことでございますことよ。おほほほほ」
心の友って。
「私もこれからはメグと呼ぼう。だから遠慮しなくて大丈夫だ!」
「遠慮させてくださいどちらとも」
「何?」
「空耳ですわ殿下」
正直、愛称呼びも心の友扱いも、恐れ多いどころか関わり合いになりたくないレベルだけれども、よもや面と向かって「嫌です」とは言えないのが対王族の辛いところ。
悪役令嬢の今後を考えれば、心の友と呼ばれるほどに好感度が上がっているほうが都合がいいことは確かだけれども。
「ほら、いきなり愛称呼びでは何かあったと詮索されましょう? それで今回の縁談が表沙汰になってはいけませんわ。せめてマルグリット、とお呼びください」
「他者の目か……そうか。そうだな。聡い友人が出来て私も嬉しく思う」
マツリカをどうにかするまでの期間限定でお友達になってあげよう。うん。
「ユリウスの件もある。きみとは今後も親しくしたいものだ」
だがこれは本当に好感度UPしたと考えていいのだろうか。
今の台詞は『賠償額は今後、双方ですり合わせて行こう』としか聞こえなかったのだけれども。




