表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の審問  作者: ゆの
5/5

5話 橋上の叛逆



 空は、すでに雲に覆われていた。


 王城へ続く大通りを歩きながら、ヴェルンは空を一瞥した。厚い雲が西から流れてくる。しばらくすれば降る。


 最初の雨粒が石畳を叩いたのは、城門が見えてきた頃だった。


 街の人々が軒下へ、扉の奥へ、急ぎ足で消えていく。荷車が幌を引き下ろす。露店の女が商品を抱えて駆ける。雨は瞬く間に本降りになった。


 ヴェルンは立ち止まり、空を見た。


 それだけだった。また歩き出した。


 王城は海に面した崖の上に建っていた。


 玉座の間は城の本棟から橋で繋がれており、その下は切り立った断崖だった。橋の欄干から見下ろせば、雨に煙る海が見える。


 城内を歩くヴェルンの靴音が、石廊下に静かに響いた。すれ違う官吏が目を逸らす。近衛兵が敬礼する。誰も何も言わない。


 玉座の間の扉が開かれた。


 玉座の間は広かった。


 高い天井に、雨の音が反響している。太い柱がいくつも連なり、その間に深い影が落ちていた。空気が淀んでいた。石と燭台の臭いの奥に、何か別のものが混じっている。ヴェルンはそれに名を与えなかった。


 ヴェルンは玉座の前で片膝をついた。


 エルドラン二世は玉座に深く座り、杯を片手に持っていた。


「よくやった、灰色の剣。これで蔵に巣食う鼠は減った」


 ヴェルンは、短い肯定だけを返した。


「……貴様には褒美を与えよう。酒はどうだ?」


「お心遣いに感謝いたします。しかし、あいにく酒は嗜みません。代わりに、ひとつ願いがございます」


「申してみよ」


「捕縛したガルドという者、私に尋問をさせてもらえれば——」


「それは叶わぬ。もうヤツは処刑した」


 ヴェルンはわずかに間を置いた。


「……枢密院法務官の判断でしょうか」


「貴様には関係のないことだ」


「失礼しました」


 王は杯を口に含んだ。ゆっくりと、満足そうに。


「うむ、良い香りだ。酒の味を知らぬ貴様でも良さが分かるはずだ」


 別の杯を手に取り、王は酒を注ぎ始めた。傾けられた瓶から流れ出る液体は、どこか澱んでいた。混ざり切らない赤と黒が、杯の中で揺らめいていた。


「さぁ、飲んでみよ。遠慮はするな」


「それでは——」


 ヴェルンが立ち上がろうとした時、扉が乱暴に開かれた。


 飛び込んできた衛兵は、声を張り上げた。


「陛下! 騎士団内に造反です! 首謀者は副団長エルンスト・グレイヴ。兵は少数ですが——宝物庫が破られました。内門も、すでに突破されています!」


 膝をついた衛兵の肩に、血が滲んでいた。それでも男は、息を整えるより先に頭を垂れた。


 王は落ち着いた様子で再び杯に口をつけた。柱の陰から、近衛兵が次々と姿を現す。


「鼠は一匹では巣を作らぬ。飼い主が来るなら、なお都合がよい。近衛、待機せよ。ここで討つ」


「陛下、ここは私にお任せを。玉座の間を血で汚すことはありません」


 王はヴェルンを見た。値踏みするような、しかし満足した目だった。


「……よかろう。近衛を二名つけよう」


「不要に願います。近衛は御身の守護を」


「頼もしい限りだな」


 ヴェルンは立ち上がり、踵を返した。


 廊下で呆然としていた衛兵に、ヴェルンは声をかけた。


「衛兵を全員下がらせろ。急げ」


 衛兵は短く応え、先へ駆けていく。


 玉座の間から外へ出ると、横殴りの雨が出迎えた。石橋が雨粒に叩かれ、欄干の向こうで海が白く霞んでいる。退避していく衛兵たちが背後を流れていった。


 ヴェルンだけが、橋を歩いた。


 中程まで来たところで、足を止めた。


 静かに瞼を落とした。


 唸る風の音。雨が石畳を叩く音。

 

 それらが少しずつ、遠くなっていく──














 ——ヴェルンの耳が、空を切る音を捉えた。


 灰色の剣が、一本の矢を二つに割った。


 折れた矢が橋の上に落ちた。雨に流されていく。


 ヴェルンは、何事もなかったように剣を鞘へ戻した。


 やがて、足音が近づいてきた。複数。整然としていた。


 正騎士の鎧をまとった者が八人。そして——外套を目深に被った者が一人。弓を腕に掛け、その手にはまだ矢があった。


 彼らはヴェルンから距離を置いて、足を止めた。


 一人が矢を番えようとした。先頭の騎士が腕を上げて制止する。


「よせ、リュシエル。矢を無駄にするな」


「しかし……」


 騎士は腰から、古びた剣を鞘ごと外した。


 それをリュシエルへ差し出す。


「奴は危険だ。我らが失敗した時は、これを持って逃げろ」


 リュシエルは弓を腕に回し、両手でその剣を抱えた。


「……ご武運を、グレイヴ」


 騎士——エルンスト・グレイヴは、ひとりヴェルンへ歩み寄った。


 激しい風が二人の外套をはためかせた。橋の下で、海が鳴っている。


「灰色の剣よ。民を守るため、大義のため——その道をあけよ」


 グレイヴは剣を抜き、ヴェルンへ向けた。


 ヴェルンは雨に打たれながら、ゆっくりと腰の剣に手をかけた。鞘から刃が抜ける気配だけが、雨音の隙間に滑り込んだ。


「これは仮説だが——」


 剣を外套の陰に引き、グレイヴと向き合う。


「貴様たちの目的は王の暗殺。それは叛逆であり、大逆だ」


 一歩、歩み寄る。


「剣を捨て、法の裁きを受けろ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ