勇者の木の実
海外ドラマを見ていると、親に反抗した少年少女が「外出禁止」をくらう場面はお約束になっている。
日本ではあまり馴染みの無い文化なのでこれまで気にしたことは無かったが、実際やられると窮屈なものだね。
「——あらカッシェ、どうしたの?」
母さんは俺や鎧姿のニョキシーがトイレに立つたび質問してきて、俺たちが少しでもリビングを離れようとすると攻撃してでも止める気配を見せた。
「……トイレだよ、母さん」
その言葉は別に嘘でもなんでもないのに、いちいち疑われると腹が立って来る。
俺は仕方なく子犬と暇つぶしに励み、女騎士さんが俺のバイト先から盗んだトランプを得意げに見せびらかしたので、レベルが虚数になっている叡智の加護にものを言わせた。簡単に言うと〈作文〉アプリでカウンティングしまくった。
敏捷さがすべてを決めるスピードはともかくジンラミーやらピケといった戦略的な2人用ゲームで怪盗の負けを取り戻した俺は、
「くっ……殺せぇ……!」
「いや殺さないから」
テンプレ発言を安売りしつつ、半泣きで鎧を脱ぐ子犬を慌てて止めた。
この子犬、マジでどういう教育を受けたんだ?
女騎士さんは俺に負けるたび鎧を脱ごうとして、それはまあ良いのだが、子犬は鎧の下に下着しか身につけていなかった。昨日の勝負中に制服が盗品と聞いていた彼女は「着てはいけない」と思ったらしい。
涙を浮かべ赤面しながら鎧を脱ごうとする騎士さんにボクは補修したばかりの制服を着てもらい、ニョキシーはそれでずいぶん心を安定させた。鎧も取り戻したし、ここからはカウンティングは無しかな。
「おおー? しかしこれは……これは貴様のチートに耐えた服ですよ!?」
「良いから着てよ。その代わり鎧は返してもらう」
「ふははッ! 愚かな月のアホめ! わたしのHPはすでに全快しています。しかもこの服を装備したわたしを倒せるとでも!?」
「うん、昨日倒したよね」
「…………そうでした」
ともかく、ニョキシーは補修した私服に着替えると焦げから回復したブレザーやほつれを直したスカートを翻し、「おおー?」と吠えた。これは人狼の彼女的には遠吠えのつもりらしいが、ニョキシーは上機嫌でトランプの再開を要求し、ここで俺は小さな違和感を覚えた。
「なんだ貴様、クリベッジを知らないのか?」
「知らない。それって〈月〉の遊び? 向こうにもトランプがあったのか」
それは小さな違和感だったのだが、
「……まあ、知らないなら別のをやれば良いでしょう。おい悪魔、なにかオススメは? 貴様はわたしの手札を予想するのが上手いので、ハンドを交換できるルールが良いですね」
「それじゃあ、エカルテは知ってる?」
「ふん、それは月から来たわたしに対する皮肉ですか? これでもわたしは人並みに文学に親しんでいます」
そこでニョキシーは一瞬、母に視線を送った。
「悪魔は、エカルテを断れません」
子犬はさらりと俺に告げ、激しく動揺する俺に5枚の手札を配る。
——悪魔はエカルテを断れないという話は俺も聞いたことがある。19世紀フランスの作家、エドガー・アラン・ポーが書いていたはずだ。
◇
母が見張っている手前、そのあと俺は普通にエカルテをした。
「くっ……殺せ!」
「いやいや、これは命を賭けた勝負じゃないから。ていうか俺のプロポーズ宣言を断れば良かったのに、どうしてしなかったの?」
「しかし手札を交換しなければ、」
詳しい理由を聞く前に母の声がする。
「あら、それは野暮よカッシェ。あんたはカレシなんだから♡ 好きな人からプロポーズされたら断れないでしょ?」
「なッ!? おい悪魔、勝手な妄言は許しませんよ!?」
「あら怖い♡ ところで、そろそろ晩ごはんにしましょう」
母は俺たちを見張りながら台所に立ち、謎の煮込み料理を制作していた。自分の倉庫を開いてかなり傷んで見える大きな木の実を取り出し、繊維質の果肉をほぐして煮つめていて——……?
俺は心拍数を上げた。テーブルを挟んだ先ではニョキシーもトランプを取り落としている。
「あ、このスープはどうやってもおいしくならなかったから、今夜はカッシェに習ったオーク肉のケバブだけよ? この実、迷宮で拾ったんだけど使い道がわからなくて……試しにかじってみた感じ、毒じゃないのはわかったんだけど……中に詰まってる種も苦いだけだし、大失敗」
母は鍋の中身を流しに捨て、ついでに台所に転がっていた豆を捨てようとした。
「母さんダメ!」
「よしなさい!」
俺と同時にニョキシーも叫んだ。子犬はハッとした顔で母を見つめ、慌てたようにそっぽを向く。
「……え、なに?」
母が小首をかしげ、俺は怪盗が捨てようとした木の実を取り上げた。ニョキシーは滝のような汗をかいて焦りつつ、俺が手に持った豆をチラ見している。
俺は子犬のリアクションを後回しにして豆に鼻を近づけた。匂いにほとんど確信しつつ母に聞く。
「母さん……この“豆”をもらって良い? できれば全部」
「その種を知ってるの? 高値で売れると思って必死に回収したのに、ポコニャのやつ、使い道がわからないからまだ買い取れないって……倉庫にはまだ大量にあるわよ」
それは明らかにカカオ豆に見えたし、黒い子犬のニョキシーは、俺が持つカカオ豆をじっと見つめていた。
夕飯が済んでも父さんは戻らず、母さんは子犬を風呂に引きずり込んで洗った。
俺はほとんど机とベッドしかない自室で作業机に向かい、ハサミと糸を使いながらアクシノさんに相談した。叡智の女神は俺が地球の「ポー」について鑑定を願うと興奮しっぱなしで、
〈天罰はない。たぶんね〉
(曖昧だなおい)
〈では言い方を変えようか。歌様がそうしようとしたら、ワタシは知的好奇心から全力で止めに入ると約束する〉
俺は母用の服を補修をかける作業に没頭し、ノックを聞いて振り返った。
「……ニョキシー? どうぞ」
湯上がりの子犬は母のパジャマを借りていて、サイズはあまり合っていなかった。萌黄色のぶかぶかの寝間着で、頭にはバスタオルをかけている。長い黒髪からはまだ湯気が立っていた。
「……おい、貴様それ」
ニョキシーは長い黒髪を拭くのをやめ、女性用の服を持つ俺を不思議そうな顔で見つめた。
「ああ、服が2着完成した。この1着も裾直しするから少し待ってくれ。制服と同じで好きに着て良いから」
「……使わせてもらいます」
ニョキシーは俺の部屋につかつかと入ると、風呂上がりというのもあるだろうが、上気した頬で背後を振り返った。しっかりとドアを閉め、犬の耳と人の耳をドアに当てる。
「——お風呂上がりで油断してたし、あの女には眠ってもらいました」
「はあ!?」
「殺してはいませんし、怪我も——」
俺はニョキシーを押しのけてリビングに出た。母さんはバスタオルを巻かれソファで眠っていた。なにかの呪文か、薬を使ったのだろう。
「ひとはお風呂で歌いたくなるものです」
さりげなく呪文を唱えたらしい。
ひとの親になにをするんだと言いたくなるが——まあ、今は助かる。俺もこういう機会を伺っていた。
部屋に戻るとニョキシーは俺のベッドに腰掛け、ギターを手に取っていた。
ウユギワ村で使っていたものはユエフー・コン・フォーコに取られてしまったので、俺がこの数年で自作し直した杉のアコギだ。バイト先の〈調合〉持ちのおばちゃんに頼んで黒く染めてあり、この世界の人間には誰も読めない「漢字」を使い、「影」とペイントしている。
ニョキシーはその文字を見つめ、レテアリタ語で「影」とつぶやくと、直後にめちゃくちゃ懐かしい言葉を口にした。
『……中国人?』
それは英語だった。
アーユーチャイニーズと問われた俺は、アクシノさんが〈おい、なんて?〉と聞くのを無視し、どもりながら「アイキャンノット英語」と叫んだ。
ニョキシーはイングリッシュの使用を停止した。
「母音を強く発音してる……日本人の訛だ」
英語の代わりに彼女が語ったのは、日本語だった——日本語だ!
俺は震えながら自分も日本語を使った。久しぶりすぎて少し噛んだ。
「あんた、どうして日本語を知ってる……?」
「……月に来た瞬間は危なかった。焼きそばが普通に売られていたし、ハンバーガーの屋台もあって、知らないふりをするのが大変だった。店での乱闘でゴブリンがトランプを盗んで来た時は興奮した。ルールを知らないふりをして、どうにか騎士仲間と遊ぼうとした」
子犬はギターを手に持ったまま、返事にならない返事を日本語で返した。
「マガウルがシェイクを知っていて驚いた。あの老人はかつてわたしを誘拐した犯人だが、好奇心に勝てず再び誘拐されてみた。フィウの家で日本風の弁当箱を見て愕然とした。フィウからおまえが働く店のことを聞いた」
ニョキシーはCのコードを弾いた。普通に上手で、澄んだ和音が鳴る。
「わたしはフィウと一緒に変装して店に向かい、狐の女の子が……あの可愛い子が英語で、店先でレディオ●ッドを歌うのを聞いた。あのときは本当に、泣きそうに、なった……」
Fのコードを押さえたが、これも丁寧にセーハしていてミケ並みに上手だ。
「店に入ったらジャパンのラーメンが普通に売られていて、ハンバーグやらオムライスまであった。旗がユニオンジャックだった。祖国の旗だ。やっぱり泣きそうになった……」
次のコードは予想通りGだった。CFGの順はコード進行の基本だ——少なくとも地球では。
「ドキドキしながら戦おうとしたら、貴様はエレクトーンを演奏しやがった。意味不明だった。どうしてあれで魔女が出て来るの? 第一わたしはド●クエ派だ」
ニョキシーは俺を見つめ、俺が彼女に聞きたかったことを先に質問した。
「貴様、わたしと同じ地球人だろ?」
◇
その夜、ムサはできる限り平然とした顔で仲間と合流したし、ラヴァナと役目を交代して自分の倉庫を開いた。
倉庫の中の明かりは落としている。深夜になると「マキリン」に化けて子猫に付き添っていたユエフーが倉庫に飛び込んできて、ムサはその姿に心をかき乱された。
マキリンは昼間のうちに〈泥棒猫〉の称号を持つ子猫が盗んできた銀色の鎧を脱ぎ、ナンダカやギルマスに手早く報告した。
「ダメでした。竜皮の奪還は失敗。ミケはずっとハッセとかバラキって爺さんに見張られていて、わたしも本人に合わないよう警戒しっぱなしで……全然ダメ。メイドのほうがまだチャンスがあったかも」
マキリンはあくびしながらユエフーの姿に戻った。声も少女のものに変わる。
「それと、キラヒノマンサ公爵の偵察はもっと無理ね。ギルマスには悪いけど、そもそもわたしたち三本尾はクエストを達成してるわけで……ミケは『もう面倒にゃー』って眠ったわ。お館の自分の部屋でベッドに入って、一緒に行動していたわたしにも『寝ろ。リーダー命令』って。確かに眠たい……あとは『剣閃』だけでどうにかしてください」
子狐は妙にハキハキとした口調でそれだけ言うと倉庫の2階にある寝室に入り、ムサはできる限りいつもの顔でギルドマスターやリーダーと夜通し見張りを続けた。
それから数時間後、暗い倉庫に朝日が差し込み、屋敷の正面玄関から堂々と子猫が現れる。ミケの背後には数十人の騎士がいた。
「にゃ。今朝で3日……もはや貴様らに用はない」
「こちらのセリフだ、殺人犯め。とっとと失せろ」
叡智アクシが課した天罰を受けきった三毛猫は騎士団長ハッセと軽く口論し、嫌味たっぷりにハッセの鼻先で玄関のドアを閉め、出迎えに来た母親やナンダカ、そしてムサに振り返った。
「にゃ。さっそく子犬を殴らせろ」
「にゃ。とりあえず眠れ娘よ」
「にゃ? ……確かに子猫は寝不足ではある」
「にゃ」
尊大な態度を取ってはいたが、3日間ずっと緊張しっぱなしだったのだろう。ポコニャが優しく抱きしめるとミケはゼンマイが切れたように眠り、ギルドマスターは信頼しきった顔でムサに娘を預けた。
ムサは自分の倉庫へ三毛猫を寝かせた。Lv5の倉庫なら1時間程度は空気を入れ替えなくても平気だ。ムサはできるだけ笑顔を保って倉庫を閉め、ずっと頭に鳴り響いている声に返事しないよう気をつけた。
〈くそっ、その忌々しい盾を捨てられないのか? お前の鎧も、中の下着もだ! よもやこれほどの結界だとは——せっかく加護を与えたというのに、鑑定阻害が強すぎて外の様子がほとんどわからぬ! 私には、その防具に刻まれた銘すら読めない……!〉
(すんません。俺の役職は盾すから、自宅以外じゃ防具は外せませんよ)
団地の5階で倉庫を開き、ギルマスとヒゲに熟睡している子猫を引き渡す。
「うちで朝飯を食べていけよ。おまえの倉庫で寝てるユエフーも起こそう」
リーダーのナンダカは気楽な顔でムサを誘い、彼は断る理由を思いつかなかった。
リーダーの家に入るとそこには仲間のナサティヤがいて、初めて顔を見る子犬がいて、鑑定持ちのカオス少年が謎の種を炙っていた。前に月の孤島で拾った食えない木の実に入っていた種だ。
少年は興奮した顔で種を炙っていて、その隣では子犬が夢を見るような顔で種をすりつぶし、湯煎しながら砂糖を混ぜていた。室内には信じられないほど良い匂いが充満している。
「良い所で帰ったね、父さん。ユエフーとムサさんも……チョコレートを知ってる?」
少年はムサに鑑定を発動しなかった。知った顔だし当然だが、ほっとする。
「にゃー!? 見つけたぞ、子犬!」
「おおー!? 貴様は……!」
急に猫の鳴き声がして、ムサは驚いて声を出してしまった。ドアを蹴破って三毛猫がナンダカ家に押しかけてくる。2人の少女はあわや戦闘になりかけ、リーダーとナサティヤ、それに子猫を追いかけてきたギルマスとヒゲが緊張した顔を見せた。
「やめろミケ。チョコ作りの邪魔だ——12年ぶりのカフェインだから容赦しねえぞ?」
閃光と同時に目で追えない速さでスキル表示が流れ、子猫は一瞬でHPを空費して倒された。子犬が「うっわ」と引いた声を出し、ムサの脳内に叡智の声が響く。
〈お前の目を通じ、わずかに見えた。これが魔女の子か……凄まじいな〉
(——マキリンを頼みますよ? 裏切ったら全部ギルマスに喋る)
ムサは顔色を変えずに念じ、ユエフーに支えられながら子猫がよろよろと起き上がる。
「にゃ。上等……出所したばかりの子猫に〈無詠唱〉とは……!」
「出所て。よせよミケ。眠そうだけどまだ殺られたいの? 俺とニョキシーは本気の調理中だから、手加減はしないよ」
「にゃはは。強気だなカオス、子猫の新たなる加護を知らぬらしい!」
「いや知ってるし——そうだ、怪盗の神はこれを気に入るかもね」
「にゃ? それなに……めちゃくちゃ良い匂い」
「売りに出したら豪邸に住める」
「にゃ!?」
「——食べてみますか、悪魔ども? 本当は冷やしてから食べるので、少しだけですよ」
子犬がスプーンを差し出し、ひとくち舐めた子猫はニャーニャーと鳴きまくった。
「にゃにゃにゃ!? 最強にやばい……これはやばい!」
語彙を失ってわめく子猫を見てユエフーや〈剣閃〉の仲間たちも少しずつ味見し、全員顔を綻ばせる。
ムサは無理に笑って見せて、初めて体験する「チョコ」とやらの感動を仲間と分かち合った。




