エピローグ4 私を見て……
あの会議から、三日。
出発の朝を迎え、私たちはギャラの門前に集まっていた。
広場は、仲間と警護の兵士たちが十名そしてオオトカゲ二体と、久しぶりの大所帯で熱気に包まれている。皆、出発に向けて走り回り、リックさんとブルーさんの指示が飛び交っていた。
そんな喧騒の片隅で、ウーさんがぽつんと地面に座り込んでいた。いつもなら誰より忙しく支度をしているウーさんが、珍しく耳をぺたりと垂らしてしょぼくれている。それだけじゃない。いつもウーさんの頭にしがみついているツーの姿がどこにもなかった。最近はすっかり大きくなって頭からはみ出し気味だったけれど、あの定位置にツーがいないだけで、ウーさんの醸し出す違和感は半端じゃなかった。
「何見てる」
心配になって見つめていると、背後から覗き込んできたバーツと目が合った。
「ツーがいないねって」
「あぁ、そうだな。……それならいい」
――何がいいんだろ?
そんな意味不明な許可をバーツから貰いつつ、私はウーさんに歩み寄って声をかけた。
「ウーさん、ツーはお留守番? 置いてきちゃったの?」
「……そうや。あれは、俺からの巣立ちさせなあかんのや」
そんな……眉尻を思いっきり垂らし、下唇を突き出しながら言われてもね、説得力はまったくないし。はぁ、と心の中でため息をつく。今頃きっと、置いていかれたツーも同じ顔で部屋の隅に丸まっているのかもしれない。
「うーん。まだ、早いんじゃ……?」
「そんなことあらへん。他の子はもう抱っこなんか求めへん。……ツーは、ちょっと甘えん坊が過ぎるからな」
「いいじゃない。パパ大好きなんだから」
「さよか? 女神の国では、あんな甘えたのままで問題あらへんのか?」
ウーさんが、すがるようなキラキラした目をこちらに向けてくる。私は苦笑しながら頷いた。
「ツーは今まで寂しかったから、その分、ウーさんに甘えたいんだと思うよ。すごくかわいいじゃない」
「――ッ! そうやな! まだ一緒でええな! それに、あいつに教えなあかん商売の基本っちゅうもんもあるしな! ほんなら、今すぐ連れてくるわ!」
ウーさんの垂れていた耳が、限界までピンと跳ね上がると同時に、彼はものすごい勢いで家の方へと走り跳んでいく。あまりの爆速に、あっという間に後ろ姿も見えなくなった。
「ウーさんもツーは離れるの寂しかったんだね」
ウーさんの残像を見つめながら呟くと、バーツがふっと表情を緩めた。
「そうだな。あんなにデカくなったのに、まだ頭に乗せて歩くくらい親バカだしな」
「ふふ、そうだね」
ウーさんの幸せな姿が嬉しくて、じんわりと込み上げてくる温かい涙を、私は満面の笑顔でごまかした。
全員が揃ったところで、私たちはついに目的地へと出発した。
目指すは、狼国の跡地『ドゥ』。あの女神の洞窟発見の時以来の、私にとってはこれが二度目の訪問になる。けれど――道中の景色は、二回目の私でもはっきりと分かるほど激変していた。
「あれ!? 道がすごく綺麗なんだけど」
トカゲロッジの窓から外を覗き込み、私は思わず声を上げた。
以前は草だらけだった土の道が一変し、どこまでも美しく補整された石畳が続いている。一緒に窓の外を見ていたバーツも、低く感嘆の声を漏らした。
「おお……すげぇな。噂には聞いていたが、ここまでやるとは……」
「バーツは知ってたの?」
「ああ。女神参拝ツアーの連中が、目の色を変えて何かやってるらしい、ってことだけだがな」
「ん? ツアー客?」
ここでなんで、女神参拝ツアーのお客さんたちが出てくるんだろう?
疑問符を頭上に浮かべまくって悩んでいると、バーツが私の頭をポンポンと優しく叩いた。そのまま、愛おしそうに後ろからぎゅっと抱きしめられる。背中に伝わる彼の体温と匂いに、いまだにドキドキしながら、耳元に届く低い声に耳を傾けた。
「なんでも奴ら、女神のそばに少しでも長くいたいってんで、金を出し合ってこの道を舗装したんだとよ。仕事を休める期間には限りがあるからな。貯め込んでいた金をここぞとばかりに吐き出してる。ちなみに、一番張り切って金を積んだのは……長老たちだ」
――あ……。
私の脳内で、あの元気な長老たちがニッコリと幸せそうに笑って手を振った。
「……納得。そういえば……長老たち、この間も神殿に行ったって言ってなかった?」
「ああ。だから、あいつらはいつもギャラにいる。まぁ、お前の後を追いかけて移動するから、あんまりギャラ在住とは言えないがな」
後継者や国の代表が決まり、兵士たちが強くなったことで虫の脅威はだいぶ少なくなった。すると……重圧から解放された長老たちは、一様に幸せそうな顔で「女神、女神!」と連呼しながら、己の趣味へ全速力で狂奔し始めたのだ。
――もう、言葉も出ない。
呆れ果てて、顔が梅干しを食べたみたいに酸っぱく歪んでいくのを止められなかった。……あ、梅干しか。懐かしいなぁ。日本にいた頃、おにぎりの具で一番好きだったんだよね。あぁ……白いご飯と梅干し、食べたいなぁ。
その後なんと、私たちはたった三日という驚異的なスピードで、ドゥの跡地に到着した。これまでの旅路と比較しても、間違いなく過去最速。それもこれも、すべては女神参拝ツアー効果のおかげだった。
途中、完璧なキャンプ地が完備されていた。場所によっては、立派な家とお風呂、そして水が引いてあるという充実ぶり。女神への、信者たち――特に長老たちの凄まじい熱意がこれでもかと伝わってくる。さらに至れり尽くせりなことに、私たちの出発を聞きつけたツアー客たちが一日前に先発し、各キャンプ地に大量の食料を差し入れてくれていた。
袋には『めがみさまへ』『るるさま けんじょおひん』と書かれているので一発でわかる。ただ、たまに――『おすくうな』『おおかみきんし』など書き置きが添えられているのも……ご愛嬌ってことでいいのかな?
今夜は、ドゥの跡地に建てられた石造りの家に泊まることになった。ここもツアー客が作った建物らしいのだけれど、中に入ると、大きな差し入れの袋が机の上にドデン!と鎮座していた。
「うーん、凄いね……」
綺麗な布の袋にパンパンに詰まっているのは、大量の干し肉だ。ただ、問題なのは量ではなく……その袋の真ん中に貼り付けられた、一枚の札だった。
『ばーつきんし』
その文字を睨みつけながら、バーツが盛大に眉をひそめた。
「……おい、これ。完全に俺たちへの嫌がらせだろ」
「違いますね。私たちではありません。バーツだけです」
「バーツ、何をしたの? 明らかにバーツへの嫌がらせだよ、これ」
「直前のツアー客っていえば、猿族やな」
ウーさんが言った瞬間、ブルーさんとリックさんが目を合わせて「あー」って納得顔になった。
「バーツ、心当たりあるの?」
「……ない」
フイッと顔ごと目を背けて言われても、説得力は皆無だ。これは間違えなく何かやらかしている。そして――こういう時の彼の暴走は、百パーセント私絡みだってことも、今までの経験上よく分かっている。チラリとリックさんを盗み見ると、彼の笑顔は一段とキラキラと輝きを増していた。
――間違えない。
リックさんも、バーツが何をやらかしたか知ってる。
ただ、ここでリックさんを問い詰めるのは悪手の中の悪手だった。前に同じことをした時、リックさんには笑って誤魔化されるし、リックさんに焼いたバーツにはそのままベッドへと連れ込まれてお仕置きされるわで、本当に悲惨な目に遭ったのだ。
大丈夫、私は学べる。
「ブルーさん」
私はターゲットを切り替え、振り向いた綺麗な顔をジィィィ、と穴が開くほどガン見した。視線の圧力に負けたのか、ブルーさんが観念したようにハァと重いため息を一つ吐く。
「ルルちゃんを拝んでる猿族に、ヤキモチを焼いたバーツが、因縁つけては追いかけ回してるんですよ」
「てめぇ!」
バーツはバッと振り向きざま、ブルーさんに向けて鋭い蹴りを繰り出した。けれど、ブルーさんは涼しい顔のまま、鮮やかなバックステップでそれを軽く避ける。
「あーあ、言っちゃうんだ」
「当然です。ルルちゃんのご希望ですよ」
気楽に肩をすくめるリックさんに、ブルーさんが淡々と返す。その横で、早くも差し入れの袋の中身を漁っていたウーさんが、目線すら上げずに呟いた。
「あくどいリックとは、別やな」
ウーさんにあくどいとか言われるなんて、リックさん、日頃何してるんだろ……。ううん、違う、それどころじゃない。
「バーツ! ダメでしょ」
「ルルは俺のメスだ! 見られるだけでもイヤだ。拝むなんて擦り減るだろう!」
――減らない。絶対に減らない。
……なんて理屈が通じる相手じゃない。ここで下手な反論をすれば、「じゃあ減ってないか確かめる」とか何とか言われて、ベッドに引きずり込まれるのがオチだ。
――うーん。でも、このままでは絶対にダメだ。
最近のバーツは、私の言動に嫉妬しているというより、どこか周囲の状況に呑まれて焦っているように見える。前と――なんて比べたくはない。けれど、どうしても不安が胸をよぎる。ほんの少し、本当にほんの少しだけど、二人の間に小さなしこりのような「すれ違い」を感じるから。もしこのまま、すれ違いが増えていったら? 脳裏をよぎるのは、元の世界にいた両親の姿だ。リビングでいつも互いに怒鳴り合っていた、あの二人。……絶対にあんな風にはなりたくない。
「……わかった」
お揃いの指輪もつけている。気恥ずかしいペアルックにだって付き合っている。それでもまだ足りないと彼は言うけど、愛情を表してもバーツが見てくれなきゃ意味がない。怒っても、優しく諭してもダメなら、もう残された手段は一つだけ。
ドクン、と胸が大きく高鳴る。
大丈夫。やれる。……私なら、やれる!
「愛情ってね、たくさんあっても『もっと欲しい』って暴走しちゃうことがあるんだって。もしかしたら、今のバーツがそうなのかもしれないね。……だから私、今日は別のところに泊まる。バーツは、私がどれだけバーツを好きか、一人で静かに思い出して」
「!?」
物理的に距離を置いて、お互いに頭を冷やす。溢れかえって溺れそうになっているこの愛を、これから二人でどうやって抱えていけばいいのか、もう一度ちゃんと見つめ直さなきゃいけない。
耳をグルグルと激しく動かし、現実を受け止めきれない様子で私を凝視するバーツ。その視線をあえて無視して、私はブルーさんへと向き直った。
「ブルーさん、あっちの家で寝るので、兵士さんの振り分けとかお願いしてもいい? ウーさんとツーもあっちで寝る?」
「わかりました。私も警護しながら仮眠を取りますね」
「せやな。うちもツーはまだ小さいからな、何かあってからやと困る。あっちで寝るか」
ウーさんの柔らかそうな毛並みに顔をうずめ、その匂いに鼻をピクピクさせているツーを見る。……そして、そのすぐ下にある、幸せそうに目を細めるウーさんの顔を見つめる。
――顔の大きさ、ほとんど変わらないよね?
小さいってところに突っ込みを入れるか迷っていると、それまで黙っていたリックさんが慌てた様子で口を挟んできた。
「待って。あっちの建物は部屋が三つしかないんだよ。俺の部屋は……」
「リック。これは、ルルちゃんのご指名です」
「ル、ルルちゃん、警護なら俺でもいいよね!?」
「兵士長はブルーさんだし、何より教えてくれたのもブルーさんだから、ごめんなさい」
「そ……そんな……!」
「アホやな。策を巡らせすぎやねん。少しは反省せぇ」
これまでに見たことがないほど絶望に染まったリックさんの顔を、ブルーさんとウーさんが冷ややかな目で見つめる。そんな中、背後からカタカタカタ……と奇妙な音が鳴り始めた。振り返ると、バーツが小刻みにガタガタと震えている。
「る、る……。おれ おいて、く、の、か?」
バーツは糸が切れたようにその場に崩れ落ち、私の足元に縋りついてきた。
「るる。るる……おれのつがい。おれのなのに」
大粒の涙が、彼の逞しい頬をボロボロと伝い落ちていく。その恐怖に満ちた姿に胸がキリキリと痛むが、横からウーさんの低く落ち着いた声が響いた。
「お前も大概にせぇよ、バーツ。そばにおって温もりを分け合えるだけで幸せや。愛シャツに匂いと愛情が纏わりついとる幸運に感謝もせんと、足りんと喚くんはガキのすることやで」
ウーさんは、頭の上にツーをどっしり乗せたまま、袋から出したしっとり感のある大きめの肉をツーに渡し、自分も齧り始めた。
「バーツ、また明日会おうね」
腰のあたりに押し付けられたバーツの頭を、愛おしさを込めて優しく撫でる。
――大好き。
ずっと一緒にいたから、一晩離れるだけでも本当はすごく不安で寂しい。攫われたときの恐怖は消えても、あの辛かった記憶は今も鮮明に焼き付いているから。それでも、今は少し距離を置く必要がある。……お互いのために。そうだよね、バーツ。
すがりつくように絡まる彼の手を、ゆっくりと、だけど意思を込めて引きはがす。そして、ブルーさんが開けてくれた扉から、私は一歩外へ踏み出した。
「る……っ、ぅ……」
後ろを振り返ることは、絶対にしない。
それでも――しゃくり上げるバーツの子供のような泣き声が、閉まった扉の向こうから、いつまでも私に聞こえてくるような気がした。
……誰も見るな。
ルルの太陽のような笑顔はな……誰かに見せるためにあるんじゃねえ。俺一人が、浴びて溺れるためにあったはずだ。
俺だけのもんだ!




