1-6. 転移の代償(2)
主が巣を出奔してから3日がたった。
朝。
朝露に濡れる森はまだ涼しく、多くの生物が活発に活動する。
しかし、巣にいる蜘蛛たちはその多くが動かなかった。
「みょんみょん様いねぇと・・・食欲でねぇよ・・・」
薄墨は蜘蛛の糸できれいに梱包された蜂の幼虫を投げ捨てる。
それは今しがた濃墨が食料庫から持ってきたものだった。
「ごちゃごちゃ言ってねぇで食え。1日3回食わねぇとみょんみょん様の眷属じゃねぇんだぞ」
濃墨は蜂の幼虫を弟に投げ返す。
眷属にとって主の命令は絶対だ。逆を返すと、主の命令を守れないものは眷属と認めてはもらえない。
「もしかしたら本当に、俺っち達捨てられたのかも・・・みょんみょん様のご命令・・・ちゃんと守ってたのに」
薄墨は投げつけられた食料に目もくれず、あおむけに寝転がり四肢を投げ出す。
「だっかっらっなぁ!・・・はぁ、もう疲れた。」
昨日から薄墨は口を開いては泣き言を漏らしていた。
そのたびに濃墨は否定していたが、濃墨も消耗してきていた。
主は3日前の早朝、忽然と姿を消した。
フットマンのAにはよんよんと散歩に行くと言い、門番たちには外出していたよいちとすぐそこで合流すると言い、実際は一人で出奔したようだった。
そして主が消えたことが判明して、巣は大騒ぎになった。
まず、寝所警護だったよんよんと前の晩に夕飯でひと悶着あったこことちろが責任を感じたのか発狂しておかしくなった。
ななんも知らせを受けて主の部屋に駆け付けたが、“探さないで”という主の書置きを見て顔面蒼白となり、すべてを放棄して私室に引きこもってしまった。
伝達<コール>が使える眷属達はこぞって主に連絡を取ろうとしたが、主につながらない。
状況もわからず眷属たちは途方に暮れるしかなかった。
“主を探さない”これが最後の主からの命令だ。
しばらくして、『主は自分たちを捨てた』という話が出てきた。
濃墨が探ったところ、どうやらその話の出どころは上位ナンバーと呼称される眷属達のようで、上位ナンバーたちには思い当たる節があるとのことだった。
確かに以前から、ここは食料班のリーダーとして部下となった他の眷属が犯したわずかなミスでも強くとがめ、口癖のように『眷属が無能だと思われればみょんみょん様は我らを見限られる』と言っていた。それを聞いても他の眷属はここのヒステリーだとしか思っていなかったが、心当たりがあった故の発言だったということだ。
なお、上位ナンバーとは、4番目の眷属であるよんよん、5番目の眷属であるここ、6番目の眷属であるろくろ、7番目の眷属であるななん、8番目の眷属であるはっち、9番目の眷属であるきゅ~の6人をまとめて呼ぶ呼称で、この6人は異様に仲がよく行動を共にすることが多いことを揶揄してつけられたあだ名だ。
濃墨は主が自分たちを捨てて出て行ったとは微塵も思っていなかった。
「ちょっと出てきます」は捨てる相手に書き送る言葉ではない、というのも理由の一つでもあったが、これは主が出奔するときにAや門番たちに嘘をついていることから書置きも嘘である可能性はある。
ただ、失踪する前の晩も主に特に変わった様子もなければ、いつも通りとても楽しそうに笑っていた。
なにより主は眷属をとても大切にする。
「気まぐれでお一人で散歩したくなり、寝所警護が寝ているスキに出かけられたところ、思った以上に楽しくて帰ってこられないのだと思うが・・・」
主が失踪した折にカラスはそう分析していたが、濃墨も同意見だった。
「今朝はまだアイテムボックス内の料理は召し上がっていないようだな」
カラスは食事時になると、主のアイテムボックスを覗いていた。
食事アイテムが消費されているのを見て、主の生存確認としていたのだ。
「流石に、そろそろ探しに行かないか?」
濃墨も“探すな”と主に書きつけられた以上、出来るだけ主の捜索は避けたい。
ただ、主が本当に散歩を楽しんでいるという確証もない。
魔法が使えない等の伝達<コール>ができない状況かもしれない。
主が危機的な状況にある可能性だってあるのだ。
状況がわからず眷属の多くが不安で摩耗していた。
だから多くの眷属は主に書きつけられた“探すな”という命令にすがるしかなかった。
それは濃墨だって変わらない。
しかし濃墨はたとえ主人の命令に背いても主人の笑顔を守りたい。
もしも主に危険が迫っていたら、そう思うと居てもたってもいられなかった。
「そうだな、行くか」
カラスも意を決して立ち上がる。
放心状態の薄墨を引きずりながら、濃墨はカラスの後ろに続いた。




