縁(中)
慢心の誹りを恐れずに言うのなら、もはや戦いの趨勢は見えている。
よほど大きく状況が変わらない限り、自分たちの負けはない。
そう確信して、セツは刃を振るう。
(と言っても、その“よほど大きく”はいつ起きてもおかしくないか)
頭がいきなり増えたのだ。
今度は体も別れて二体に増えてもおかしくない。
「予想外のことが起きる前に、片付けてしまいたいな」
呟いて、牙を横に躱した。
すれ違い様に、その顎門に刃を差し込む。水平に振り抜いた。
顎から上を失って、墨染めの蛇身がのたうつ。
さらに蛇の胴を輪切りにするが、その断面から新しい頭が生える。
「ううむ」
すかさず切り離された己の一部を呑み込む蛇に、セツは低く唸った。
やはり燃やすなりしないとキリが無い。
道世の術が頼りだが。
(さっきから、式神の動きが目に見えて悪くなってる)
術者の不調が反映されているのだろう。
式神を破られた反動か、別の理由か。いずれにせよ、今、陰陽師に頼り過ぎるのは良くないとセツは判じる。
ならばどうするかという話だが――
「ん?」
守任を援護していた烏がセツの元へと飛んで来た。
何か話があるのかと、大蛇から距離を取る。
「調子は?」
「大不調です。後一度、大きな術を使えば品切れですね」
「なるほど」
素直で結構と、セツはうなずいた。
変に強がられると状況が見えなくなるので、この方がありがたい。
「今後の動きについての策は?」
「申し訳ありませんが、火呪で焼き払うのは一度が限度。その後に“おかわり”が生じたら詰みとなるでしょう。確実を期すのであれば――」
「先に紡錘を壊せと?」
セツは眉間に皺をよせた。
先ほどから蛇の頭部に刃を入れること十数回。紡錘を捉える気配は微塵もない。
最悪、全ての小蛇を斬り滅ぼせば紡錘を見つけ出せるはずだが。
「少々、時間が掛かりますよ?」
「今、何をしようと考えたのかは敢えて訊きませんが――」
烏が苦笑をこぼす。
「――手助けを頼みました。紡錘を露わにするのは、そちらがやってくれます」
「……南に陣取っている人が、それですか」
道世が新しい式神を飛ばしたのには気がついている。
その行き先を目で追うようなことはしないが、推測は出来る。
(さっきから、凄い気配がするからな)
あれが味方でなくて、別の怪異だとしたらセツは逃げることを選択する。
その巨大な気配に、最初は五夜が来たのかとも思ったが、方向も違えば気配の質も異なっている。
何者だろうと思っていたのだが。
「気がついていましたか」
「さすがに気がつくでしょう、アレは」
「ですよね」
印象は、嵐を前にした空のようだった。
見上げる者に畏れを抱かせ、同時に心を沸き立たせる巨大な気配。
万人をひれ伏させる威と、万人を惹き付ける光を同時に併せ持つ何者か。
敢えて正体は尋ねずに、セツはうなずいた。
「分かりました。紡錘が見えたら、即座に叩き斬ります」
「ええ。かなり派手なことになるでしょうから、驚かないように。それと、紡錘を斬ったら、すぐに離れてください」
「分かりました」
烏が飛び立った。
一度、道世の元に飛び、さらに守任を援護する馬の上空を経由して大蛇に向かう。
その嘴には、糸巻きが咥えられていた。
烏が、大蛇の周りを旋回する。化け物の首に糸が絡みついた。
さらに数度旋回。ぐるぐると念入りに巻き付ける。
「よし」
二体の式神で縛れるのかと、セツは考えない。
陰陽師は出来ると判断した。ならば、疑いなく動くのがセツの役割だ。
「シャァアアアア――ッ!!」
擦過音を聞きながら、セツは大蛇への間合いを詰める。
尾側の頭が、何事か動こうとしたようだが守任に阻まれている。
その様子を視界の端で捉え、セツは笑みを浮かべた。
京に来て良かった。
(あれほどの達人に会えるとは)
世間は広い。
烏が東に飛んで、馬が西に走った。
ぴんっと糸が張り詰めて、大蛇の首を括る。指先に符を挟んだ道世が鋭く告げた。
「鎖となりて、縛り封ぜよ。急急如律令!!」
投じられた符が、糸に貼り付く。
先ほどの封陣に比べ、一段も二段も劣る拘束術。
それでも、ほんの僅かな間、墨染めの大蛇の動きを封じた。
そして。
「――――」
セツは見た。
もがく大蛇の頭部。その眉間を撃ち抜いた矢を。
鏑矢だろうか。
鏃の根元に筒が取り付けられていたのを、彼の目は捉えていた。
どれほどの勢威を持っていたのか。突き立った矢は深く――矢羽のあたりまで蛇身に潜り込み、直後、その頭を弾けさせた。
「ハ――」
なるほど、“派手なことになった”とセツは口の端を吊り上げた。
雨のように蛇が降り注ぐ中、金の輝きを探す。
――空中でくるくると回る金の紡錘。
間合いに捉える。
銀の一閃が澄んだ音を立てた後、離脱するセツの前で蒼い炎が吹き上がった。
◆
夕暮れ時の空。
市楼に据えられた大太鼓が三度鳴らされて、西市が閉ざされる。
人々を追い出しに掛かる市人の声を背に、セツたちの乗った牛車は緩やかに門を出た。
流石に疲れたので、帰りはセツも車上の人だ。
元々、四人乗りの車である。特に狭いということもない。
「大丈夫ですか?」
「ええ。屋敷に着く頃には治っていますよ」
「嘘を言わないでくださいまし」
夫の強がりを一言で切り捨てて、十花が眉尻を下げる。
その泣きそうな顔を見て、道世が困ったように頬を掻いた。
「そんな顔をしないでください」
「ですが、わたくしが西市に行こうと言わなければ……」
「言わなければ、先ほどの一件での犠牲はどれ程となっていたことか。そこは、悔いるようなことではありませんよ」
「…………ですが」
狭くはないが、そんな夫婦のやり取りを間近で聞かされるのは、とても居心地が悪い。
物見窓から車外を眺めていると、ふと視線を感じた。
目をやれば、五夜が物言いたげな表情を浮かべていた。
普段と異なる華やかな袿姿に目を奪われながら、セツは首を傾げた。
「どうした?」
「特に何も。あなたは怪我はないのよね?」
「うん。難といえば、事情を話しに行くのが面倒なくらいだな」
「そう」
市司に所属する役人たちとのやり取りを思い出し、セツは顔をしかめる。
ちなみに、助っ人の守任はそそくさとあの場を離れ、南棟の何者かはいつの間にか姿を消していた。
状況を説明できるのはセツたちだけだ。それでも、いったん解放されたのは、道世の身分がしっかりしているからだろうか。
(そういえば、どういう立場なんだろうな)
陰陽寮に出入りしているが、官職を持っている様子はない。
関白の命を受けて動いているが、家人というわけではなさそうだ。
それなのに、陰陽寮の術士を差し置いて、高陽院から散逸した呪具集めなどという、大事を請け負っているのは――
「……ん」
いつの間にか、目を閉じて俯いていた。
眠気を飛ばそうと、セツは顔を上げて首を振る。しかし、瞼が重い。
「着いたら、起こしてあげるわよ」
「う……わるい」
思っていた以上に疲労していたらしい。
眠気に思考が溶かされていく。
横からの声に素直にうなずいて、セツは目を閉じた。
「……ああ、そうだ」
ふと思い出し、何とか目を開ける。セツは袂からそれを取り出した。
「これ……」
紐状の薄い布だ。髪を括るのに使うとか。
白を基調としたそれは、両端付近に浮織りの桔梗文があしらわれている。
買い物の待ち時間に覗いた市廛で買ったもの。
「私に?」
「ん。さっきはわるかった」
言うだけ言って、セツは目を閉じた。
ふと、頬に何か柔らかい感触を感じたが、正体は分からない。
「馬鹿ね。気にしていないといったでしょう」
優しい声を聞いた気がした。




