縁(上)
高陽院から流出した呪具の一つに、“祷糸の紡錘”というものがある。
人々の祈りから糸――祷糸を紡ぎ出すためのものだ。
「といっても、紡がれる祷糸に特別な力はなく、糸としての強度も低いので、神事用の布に用いる以外の使い道はありません」
そのため、“祷糸の紡錘”の価値はさほど高くないのだと、道世は言った。
「しかも、同じものが他にもあるので替えが効く。単に糸を紡ぐだけなので危険度も低い。回収の優先順位は低かったのですが」
そこで陰陽師は言葉を切った。
その眼前には、人間を丸呑みできるほどの巨体を誇る墨染めの大蛇。
蠢く無数の蛇によってカタチ作られた悪夢の化身。
その威容を見上げ、彼は朗らかに笑った。
「いやあ。悪意を紡ぐとこれほどの危険物になろうとは」
「シャァアアアア――――!!」
大蛇が飛び掛かる。
ひらりと躱した道世が、滑るように後退した。
そこに割り込みながら、セツは太刀を振りかざす。
(狙うべきは、頭部)
先ほど目にした金の紡錘。
あれをそのままにしては、何度でも“おかわり”が生じるだろう。
振り下ろされた白刃が、すっぱりと蛇の頭を断ち割った。
しかし。
「ハズレか」
当てずっぽうでは、小さな紡錘を捉えることなど出来ない。
百、千と繰り返せば、いずれは当たるだろうが、今はより効率的な手段があることを知っている。
「道世様、先ほどの術をもう一回!」
「少し時間をください」
距離を取り、糸を取り出した道世を背に、セツは攻撃の手を強めた。
四体の式神の援護も受けながら、墨染めの巨体に対して至近の位置を保つ。
狙うのはやはり頭部。届かない時には、その腹を。
「――――っ!!」
微塵に還れと、滅多斬りにする。
断ち切られた小蛇が消失するのは、元が陰の気であるためか。それとも太刀に宿る神気の働きか。
一太刀で十数、当たり所によっては数十もの蛇を斬って、青褪めた銀光が嵐の如く荒れ狂う。
「シャァアアア――――!!」
「っと」
頭上から降ってくる擦過音を、ひらりと躱す。
ちょうど良い位置に下りてきた頭を、横薙ぎに一閃した。首を落とす。
「セツ殿!」
「――――ッ!?」
道世の声に、咄嗟に飛び退く。
一瞬前まで己がいた場所を、側面から襲ってきた顎門が通過した。
そのまま、落とした首を丸呑みにして、失った首を即座に生やす。
(頭が、増えた)
尾の先端から、第二の頭が生えている。
二股ではなく、胴の両端に首を持つ大蛇の姿を見て、セツは顔をしかめた。
「あまり良くないな」
気がつけば、援護の式神が減っている。
伏翼と狐の姿がない。新たな頭に喰われたか。
(さて――)
体躯の差ゆえに、大蛇の攻撃は躱す以外の選択肢がない。
とはいえ、それ自体はさほど難しくない。速度こそ凄まじいものの、直線的に飛び掛かってくるだけのものだ。
射かけられた矢を斬り払えるセツにすれば、恐れるようなものではない。
しかし。
(同時に攻撃を仕掛けられると、少々キツいか)
二方向からの攻撃となると、紙一重での回避は危険だ。
とはいえ、大きく躱すと反撃が一呼吸ほど遅れてしまう。
「どうするか……」
鎌首をもたげた大蛇を見据えながら、セツは思案する。
牙を剥き、正面から己を睥睨する大蛇。
それを見上げる視界の端で、側面からこちらを伺うもう一つの頭を捉える。
道世が操る烏と馬が、その動きを牽制しているが――
(動きが悪い。道世様に何か不調が……うん?)
セツの耳が、ふと細石を蹴立てる足音を捉えた。
道世ではない。
視界の端で捉えていた蛇頭へと、人影が躍りかかったのは次の瞬間だった。
「助太刀する!!」
剛剣一閃。
その人影は、尾側の頭部を一太刀で落としてみせた。
「ジャァア――ッ!!」
怒りの声を上げて、正面の顎門が闖入者に牙を剥いた。
それを転がるように回避して、声の主がセツの許へと駆けてくる。
その姿を見て、セツは目を丸くした。
「あなたは」
「先ほどは、失礼した」
照れたように笑うのは、身の丈六尺を超える偉丈夫だった。
彼は、新たな頭を生やした怪異を見て、その顔をしかめるが、声に怖じた気配は微塵もない。
二人は、肩を並べて大蛇を睨んだ。
「早池根守任だ」
「渡辺切です。蛇の頭は、あんな感じで斬り落としてもすぐに生えるので注意を。切り落とした方も、襲い掛かってくるかも知れません。後、もし金の紡錘を見かけたら、即座に叩き斬ってください」
「紡錘? 何故そんな物が……いや、了解した」
最小限のやり取りをして、二人は左右に展開する。
それを追って、双頭の大蛇は各々の獲物へと牙を剥いた。
◆
双頭の大蛇と渡り合う二人の姿に、道世は小さく息をついた。
(頭が増えた時にはどうしようかと思いましたが……)
完全に不意を突かれたあの一瞬。
伏翼を喰らい、セツを側面から襲う顎門を思い出し、背筋が寒くなる。
咄嗟に狐に化けさせた防壁を、薄紙同然と破られた時の焦燥は、出来れば二度と味わいたくはない。
(本当に助かりました)
式神二体を失った反動で、右耳が死に、左手の指が麻痺している。
加えて呪力を大きく削られたため、大きな術は一度か二度が限度だろう。
そんな状況で得られた守任の助太刀は、正しく当千の価値があったのだ。
彼の助けを得たことで、大蛇側に傾きつつあった天秤が元に戻った。
いや、こちら側に大きく傾いたと言えるだろう。
明らかに動きが鈍くなった大蛇を見て、道世はそう思う。
「胴の両端に頭を備えては、それも当然でしょうが」
頭を増やしても、胴は一つしかない。
それぞれが勝手に動けば、互いが邪魔となるのは自明の理。
あれならば、体を二つに分けた方がよほどに効率的だろう。
「蛇の集合体なのだから、身を割くことは出来るはず」
それをしないのは、何故か。
紡錘から離れたら体が崩れる、などということはないはずだ。
現に紡錘を格納しているだろう頭部を切り落としても、彼の怪物は元気に動き回っていた。
蛇のカタチを得た時点で、陰の気は怪物としての存在を確立している。
「まあ、単に知恵が足りないだけかも知れませんが」
前後の頭が同時に牙を剥き、無防備に胴を伸ばす様を見て、道世は呆れたように呟いた。
危なげなく牙を避けた武士が、揃って太刀を振り下ろす。
セツはもちろん、守任も難なく大蛇の首を落としてみせる。
それを見て、道世は淡い苦笑を浮かべた。
「まったく――」
早池根守任は、文句なしに手練れの武士だった。
化け物相手に一歩も退かず、どっしりと構えた巨躯から繰り出される剛剣は、端から見ても寒気のする威力を宿している。
頑丈そうだが何ら霊的な力のない太刀で、鬼気をまとった蛇身を両断する様に、道世はかつて抱いた畏れを思い出す。
「武芸一つで妖を斬ってみせる。そんな者が、果たしてどれだけいるか」
京にいないだけで、意外とたくさんいるのかも知れない。
少し前の自分なら、一笑に付して終わりだった考え。
今は、真面目に否定出来なくなりそうで、少し恐ろしい。
(まあ。それ程の使い手が増援なのを喜ぶべきでしょう)
しかも、増援は守任だけではない。
南棟の屋根の上に、道世は二つの人影を捉えていた。
距離があるため、その顔をハッキリとは見ることは出来ない。しかし、その内の一人が誰であるかを彼は知っている。
二十丈ほどの距離を経て、感じ取れる気配は背筋が粟立つほどに凄まじい。
(あんな少年が、二人もいてたまるかという話ですから)
少年。そう少年だ。
セツと同じ年頃の少年が、弓を手に、従者とともにこちらを見ている。
その手にしている弓が、三人張りの剛弓であることを道世は知っていた。
「一応、繋いでおくべきでしょうね」
助けてくれるのであれば、これ以上心強いことはない。
陰陽師は、無事な右手で一枚の符を取り出すと南に投じた。




