とある因果(下)
中庭に飛び降りたセツは、一切の迷いなく大蛇に向かって駆け出した。
裸足で強く細石を踏み締めて、その感触で意識を研ぎ澄ます。
「――――」
一歩ごとに、余分なものを削ぎ落としていく。
それは、恐怖であるとか、怒りであるとか、あるいは五夜たちの身を案じる心だ。
いずれも不要。
刃を振るうには、目的と戦意の二つがあれば良い。
「ひっ!? 嫌、た、たす、助け――」
新たな贄に選ばれた娘が目に映る。
どこぞの姫君だろうか。
華やかな紅の表着と、その下の五衣を盛大に着崩しながら、涙と鼻水で顔をべちょべちょにしている。
「やだあ、やだやだやぁ!!」
髪を振り乱し、童女のように泣き叫ぶ声。
父。良人。恋人。舎人。そうした、娘を庇おうとする者の姿はない。
彼女の身を守るべき者は、すでに食われたか。あるいは、命惜しさに遁走したか。
一人、尻餅をついたまま後退る彼女の前で、蛇の顎門が開かれた。
「ひぃ!?」
意外と心根たくましいのか。
この期に及んでも、未だに正気を保っている少女だが、それが何かの助けになることはない。
容赦なく、生き餌を丸呑みにせんと大口を開けた大蛇。
「――ふっ!!」
その横面に、疾風の速度を乗せて、セツは太刀を叩き付ける。
銀光で弧を描く切っ先が、墨染めの首を刎ね飛ばした。
(手応えはある。が……)
宙を舞う頭、首無しの胴体。
その両方に注意を向けたまま、セツは娘の傍らで腰を屈める。
「……ぁ、ぇ?」
「ご容赦を」
状況の変化に頭が追いついていないのだろう。
目を白黒させる娘の腰に手を回す。そのまま、荷物を小脇に抱えるように持ち上げた。
「ひあ!?」
小さな悲鳴が上がるが気にしない。
ただでさえ着崩れていた娘の衣装が、物凄いことになっているが、セツの目には入らない。
一瞬たりとも大蛇から気を逸らしてはいけない。
そのことを己が肝に銘じながら、彼は距離をとるため後退した。
その途中。
「ひっ!?」
首を落とされた蛇身が、新たな頭を生やしたのを見て、娘が悲鳴を上げた。
大蛇が牙を剥く。ただし、その狙いはセツたちではない。
「…………」
セツの視線の先で、大蛇の頭は斬り落とされた首に食らいつく。
新たな頭に咥えられた、古い頭。
それが、無数の糸に解けるように、そのカタチを損なった。
「ぁ、ぁあ」
解けた糸が蠢いて、縄を縒るように新たな顎門と絡み合う。
斬り落としたはずの首が、あっという間に大蛇の一部に戻る。
「面妖な」
娘の悲壮な声を聞き流し、セツは顔をしかめた。
間近で見た姿ゆえに、一太刀くれた程度で死ぬとは思っていなかったが、実際に再生されると、少し嫌になる。
生まれた余分を切り捨てながら、思案する。
(刀との相性は良くないな)
無数の蛇の集合体。
墨染めの大蛇の正体は、それだ。
数万もの蛇身が絡み合い、喰らい合いながら、巨大な体を構築している。
その首を刎ね飛ばしても、実際には数万のうち、十数から数十ほどの蛇を斬ったに過ぎないのだ。無論、痛打になどなっているはずもない。
「しかし、斬れてはいる」
手応えはあった。
両断した小蛇の死骸はどこにも見当たらないが、斬り滅ぼしたという確信がセツにはある。
ならば。
「あの無数の蛇がどこから湧いたのかは、分からないが」
そのあたりの解明は、陰陽師の領分だ。
今、自分がするべきは、あの蛇どもの鏖殺である。
一太刀で殺せないのなら。
――死に絶えるまで、数百、千と斬れば良い。
単純明快、迷う余地のない結論にうなずいて、セツは娘を下ろした。
これだけ離れていれば大丈夫だろう。
「失礼しました。出来るだけ早く、中庭から退避を」
「あ、あの、貴方は」
か細い声には答えずに、セツは再び駆け出した。
◆
先ほどまでは、弱者をいたぶる愉悦を求め。
今からは、我が身を傷付けた強者への怨恨ゆえに。
――人を喰らうモノは、大蛇の姿で牙を剥く。
矢に迫る勢いの牙を躱し、セツは太刀を薙ぎ払った。
水平に奔った剣閃がその口を引き裂くが、即座に修復される。
反転して飛び掛かる顎門をひらりと躱し、再びその頭部に斬り掛かる。
そんな攻防を繰り返し、墨染めの大蛇を中庭の中心へと導く。
「そろそろか?」
憎悪と怨嗟に燃える目を見返して、セツは太刀を構えた。
その身を折り畳み、鎌首をもたげる大蛇。
そこに、突如として四体の鳥獣が挑み掛かった。
――伏翼と烏が空を、狐と馬が地をかける。
「うま!?」
「遅くなりました」
馬の背から飛び降りて、目を丸くするセツに道世が笑う。
思わず気を逸らしたセツを余所に、伏翼と烏が大蛇の周りをグルリと旋回した。
その口に、あるいは嘴に咥えた糸を怪物の首に巻き付ける。
「これは」
四体の鳥獣が、標的の四方に陣取った。
西に飛んだ烏が、東で伏せる狐と糸を引き合って。
北ではばたく伏翼は、南でいななく馬と糸で繋がっている。
「――四方封陣」
道世の呪に従って、蛇を括る糸が四方に引かれた。
とはいえ、所詮はただの絹糸。
人を丸呑みにする大蛇を封じることなど出来るはずもない。
そのはずなのに。
「シャアアア―――ッ!!」
擦過音のような鳴き声。
苛立たしげに身をよじり、長い尾をうねらせる大蛇だが、しかし頭はピクリとも動かせない。
もたげた鎌首を固定され、大蛇の腹が無防備に晒される。
そこにセツは踏み込んだ。
(丸呑みなら、まだ間に合うか?)
まだ、時間は幾分も経っていない。
蛇身を縛る糸に触れないよう気を付けて、うねる尾を躱し、セツは太刀を振った。
その切っ先で、蛇の腹を縦に裂く。
そこからまろび出たものを見て、セツは舌打ちをした。
「駄目か」
元より蛇の集合体。その体内に臓腑の類はなかった。
無数の小蛇が蠢く腹から出てきた犠牲者は、消化液に溶かされたというよりは、無数の何か――おそらくは絡み合う蛇身にすり潰された様子だった。
絞られた布のような惨状で、辛うじて人の部位だと見て取れたのは、半ば潰れつつあった頭部のみ。
(……六つ)
こぼれ落ちた骸の数。
厳つい顔の男たちに歳経た老爺、うら若き乙女と丸顔の貴人――
それらが虚ろな目を向ける先で、セツは太刀を構えて大蛇を睨む。
そんな彼の背に、道世が静かに告げた。
「下がってください。焼き払います」
建物からは十分に離れている。
この位置であれば、延焼の恐れもないと陰陽師は呪を口にした。
声に従ってセツが飛び退いた後、大蛇を戒める糸が燃え上がる。
「――――っ!?」
大蛇が身をよじった。
術で生み出された蒼炎に、その総身が呑み込まれる。
擦過音を響かせ、抵抗するように全身をうねらせて――
その尽くが燃え尽きるまで、さほどの時間はかからなかった。
◆
わずかに残った灰は、腹の中に残された犠牲者の一部だろうか。
風に吹かれてあたりを舞うそれを見て、セツは小さく息をついた。
「悪因悪果とは言うけれど――」
こんな悪果となる程の悪因が、彼らにあっただろうか。
セツは、物言わぬ彼らにそっと手を合わせ――ふと、ソレに気がついた。
「コマ?」
細長い鉄の軸棒に、金の円盤。その形は、独楽というには少々歪だった。
首を傾げたセツは、母親が似たような物を持っていたと思い出す。
紡錘だ。
京で生まれた糸車が伝わって、今では使う者も少なくなった糸紡ぎの道具。
――ソレが、くるくると回っていた。
ぞわりと、首筋が総毛立つ。
「――――!!」
「駄目です!」
咄嗟に踏み込もうとしたセツを、道世が引き留めた。
直後、鬼気が膨れ上がる。
半ば潰れた厳つい顔の首が、開いた口から陰を吐き出した。
さらに白目を剥いた眼窩から、真っ黒な涙が溢れ出す。
それらは、瞬時に揮発して黒い靄となる。
おぞましい気配が、周囲に立ちこめた。
「何ですかアレ!?」
「あれが陰の気です」
慌てて後退するセツに、道世が顔をしかめて答える。
先ほど焼き払ったのは、あくまで蛇としてカタチを得ていたものだけだ。
陰気そのものを焼却したわけではない。
「材料は、まだ残っていたということです」
「ええと、つまり?」
見る間に膨れ上がった靄の中心で、狂々と金の紡錘が因果を回す。
悪因悪果。
無数の憎悪と怨嗟、嘲笑する悪意。
そこから紡ぎ出されるのは、人を喰らうモノ。
紡がれた黒糸は、縒り集まって蛇となり、絡み合って大蛇のカタチをなす。
最後に金の紡錘を頭部に呑んで、墨染めの大蛇は再び鎌首を持ち上げた。
「つまり、“おかわり”です」
「これだから、妖は!」
思わず悪態をついたセツに、大蛇は敵意の籠もった声を上げた。




