第一章
魔族と人間の戦争が終結してから千年。お互い交わること無く穏やかな生活がこれからも続いていくと思っていた。
───王国歴1000年。かつて、魔族が世界を巻き込んだ戦争により人類の半数が死滅した。千年経った今もその爪痕は濃く残っている。
「と、ありますが。そもそも魔族とは?はい!そこの寝てる君!君だよ!ナスタ君!」
若き女教師───スノーに名指しされたナスタ少年は渋々突っ伏していた机から顔を上げ、答えた。
「...外見上は人間と変わらない。飯も食うし、寝るし、言葉も同じだし...唯一の違いは、"魔石"を身体に宿すこと...稀に異形もいるけど、基本的にほぼ人間。」
「あら正解。意外とちゃんと聞いてるのね。感心よナスタ君!」
「そりゃどうも...」
このスノーという教師、特に歴史に関しては口うるさく、何度も同じ内容の授業をする。古い時代の出来事より魔術のひとつも教えて欲しいのにな、と思いながらナスタは気づくと居眠りをしている。
「ナスタ。お前ほんとに歴史の話になるといっつも寝るよな。」
そう軽口を叩くのは隣の席のアルス。
「お前だって眠そうだろ。そもそも、戦争が終わった時に魔族とは友好条約を結んで和解してるんだ。いつまでもああだこうだ言うべきじゃないだろ。」
「...お前、良い奴だよな。」
アルスはまじまじとナスタを見てそう呟く。普段なら軽く流しているような言葉のはず。しかし、何故か今日はそれが癪に触った。
「そういうんじゃない!」
そう言いながらナスタはガタン!と音を立てて立ち上がった。
「あ...す、すいません...」
流石にまずいと思い、ナスタは頭を下げて座り直す。
「ナスタ君。君の言いたいことはわかるけど。それでも歴史を知ることは大事よ。同じことを繰り返さない為にもね。」
「...はい。」
「とはいえ、ナスタ君の言うことは間違ってもいないわ。戦争は実質人間側の勝利。そして魔族の生き残りは友好条約に応じたの。でもね...」
「戦争って、負けた側に権利は無いのよ。」
「え...それって...」
スノーの口から出た予想外の言葉にナスタが反応した瞬間、教室のドアがガラッと開いて壮年の男性がゆっくりと入ってきた。
「スノー先生。その話はもう良いのでは?......今日はこの後実戦訓練が控えてますので。」
冷たい目でスノーにそう伝えたのはこの学校の校長であるギリソー。
「こ、校長。...失礼いたしました。すぐ準備に取り掛かります。」
「そういう訳だ。皆もすぐに支度し外に出るように。以上!」
パンパンと手を叩くとギリソーは教室を後にした。スノーが授業に熱を入れすぎてストップをかけられる光景は珍しいものでは無い。むしろ見慣れている。
(何だろう、あの言い方...でも、所詮は過去の出来事でしょ。)
スノーの言葉が心に引っかかりながらもナスタは考えるのをやめた。過去の事はあくまでも過去の事。この時代を生きる自分達には関係ない...とまでは言わないけど、知ったところで過去を変えられるわけでも無いし、別にそうしたいとも思わない。
「...今日はなんだか疲れる日だな。」
昼寝の続きといきたいところではあるが、流石に実戦訓練をサボるわけにはいかない。準備でバタバタしつつある教室の様子を見てナスタは浅くため息をついた。
─────────────────────
学校の中心に位置する鬱蒼とした森。模擬戦場と呼ばれ、ここでは街の外と同じように魔物が放たれている。
訓練時は巡回の教員が配置されているものの、危険な場所であることに変わりはない。
「はい。それでは実戦訓練始めていきます!今日は2班に別れてターゲットを討伐してもらうわ。制限時間は60分。いつもの事だけど、訓練とはいえ死の危険はある。私達も見回るけど、油断しないこと。いいわね?」
「はい!!」
生徒達は威勢よく返事をした。その後2班に別れ、準備を整える。ナスタも同じ班のメンバーと擦り合わせをしているとスノーが話しかけてきた。
「ナスタ君。」
「何でしょうか?」
「私は、あなたみたいに考える子にこそ色々と知ってもらいたいわ。」
「...今は実戦訓練の時間ですよ。」
「...そうね。」
今日はやけにしつこいな。そうナスタは感じていた。
それにスノーの雰囲気もこころなしか普段と違う様にも思う。
「まいっか...さて今日も死なないように頑張ろう。」
「そうだぞ。余計なこと考えてる場合じゃないぜ。...まあ先生にだって色々あるさ。」
いつの間にかアルスが背後に立っていて、ピシャッとナスタの肩を叩きながら言った。
「...お前は死なない程度にボコボコにされとけ。」
「おー根に持ってるなあ。」
ハハハハとアルスは笑いながら大袈裟に怖がる素振りを見せる。ナスタはその様子にカチンときて、手でシッシッと追い払うと笑ったまま森の中へと駆け出していった。
(とは言ってもアイツ強いからな。この位の訓練じゃ傷一つ負わないで帰ってきそう。)
アルスの班が出発して15分後、スノーの号令がかかる。
「それでは第2班!出発するわよ!」
「よし...」
ナスタが気持ちを切り替えていざ出発しようとした
その時。
ズドォォオオン!!
森の中心部から凄まじい爆発音が鳴り響いた。
地面が揺れ、森にいた鳥たちが一斉に飛び立つ。
頬を撫でるような熱風が校庭まで吹き抜け、生徒たちは思わず息を呑んだ。
「?!」
「え、何?!」
「爆発?!」
次の瞬間、スノーの所持する通信用のブレスレット型マジックアイテムから警報が鳴り響く。
「訓練場にいる全ての生徒、教員に告ぐ!!ただ今中心部で正体不明の爆発を確認!!魔術によるものと思われるが、ここまでの力を持った魔物は放たれていない!」
2班の生徒たちはざわつき始めた。
「え...どういうこと?」
「皆無事なの...?」
生徒たちが困惑するのも無理はない。実践訓練でのこんなトラブルは聞いたことがないからだ。
「みんな落ち着いて!これから先生達で先に行った子達の救助に向かいます!みんなは速やかに教室へ待避!他の先生の指示を仰いでください!」
スノーは生徒達にそう一喝すると、迷いなく森の奥へ駆け出した。
その背中が木々の向こうへ消えていくのを見送りながら、ナスタの胸には、拭いきれない嫌な予感だけが残っていた。
その頃───爆心地付近。
「う……一体、なんだってんだ……」
立ち込める土煙の中、アルスは地面に倒れ込みながら呻いていた。
(討伐対象を見つけて……戦闘に入ろうとしたら、いきなり大爆発が起きて。モンスター諸共吹き飛ばされて……皆はどうなったんだ……)
意識こそあるものの、至近距離で強大な爆発に巻き込まれた体は、思うように動かなかった。
何とか周囲を見渡そうとするが、広範囲に立ち込める土煙が視界を遮っている。他の生徒たちの姿はおろか、その安否すら分からない。
「ナスタ達は……まだ時間的に来てないよな……。良かった。」
アルスは安堵するように呟いた。
だが、その直後。
自分へと近づいてくる、明確な殺気のような気配に気づいた。
(ちょっとこっちは……あんまり良くないなぁ……)
「なんでこんな奴がいるんだよ……」
土煙の奥を見据え、アルスは掠れた声で呟く。
「A級モンスター……ベヒーモス……」
「ヴァァァアアアアアアッ!!」
咆哮と共に、土煙の奥から巨大な影が姿を現した。
それは、巨大な豚を思わせる異形のモンスター。
全身から凄まじい魔力を放つその存在は、本来ならば、この森に現れるはずのないA級モンスター・ベヒーモスだった。
(こんなの……万全の状態でも戦いようがねえ……。クソッ……!)
心の中で毒づいた、その時。
まるでアルスの絶望に呼応するかのように、ベヒーモスの周囲へ膨大な魔力が集まり始めた。
「ヴァァァアアアアアアッ!!」
次の瞬間。
ベヒーモスはアルスへ向け、強大な炎を放った。
「――っ!」
逃げることも、防ぐこともできない。
無慈悲な爆炎が、倒れ込むアルスへと迫る。
(もう……ダメだ……)
迫り来る炎を前に、アルスは死を覚悟した。
───その時。
「そんな簡単に、うちの子達はやらせないわよ」
聞き覚えのある声が、アルスの耳に届いた。
そして
「──全てを流し去る激流。アクアカノン!!」
「ヴァッ!?」
ベヒーモスの反応が一瞬遅れた。
しかし、その一瞬だけで十分だった。
そう。
この学園最強の教師、スノーにとっては。
スノーの詠唱と同時に、圧縮された無数の水流がとてつもない勢いでベヒーモスへと襲い掛かった。
ベヒーモスは防御態勢を取るため、アルスへ向けていた攻撃を中断する。
だが、時は既に遅かった。
「ヴヴァ……ヴアアアアアアアアッ!!」
一撃、二撃を防いだところで意味はない。
水流は幾重にも枝分かれし、複雑な軌道を描きながら、あらゆる方向からベヒーモスへと襲い掛かる。
炎属性であるベヒーモスにとって、水の魔術は相性最悪の攻撃だった。
次第に抵抗する力を失い、その巨大な体は目に見えて動きを鈍らせていく。
「悪いけど……眠ってちょうだい」
スノーは静かに呟くと、片手をベヒーモスへ向けた。
「──慈悲を与えよ。眠りを与えよ」
周囲の空気が、一瞬で凍りつく。
「永久凍土の棺の中で」
詠唱と共に、スノーの瞳が蒼く輝いた。
「アブソリュート・ゼロ」
───パキン。
小さな音が、静まり返った森に響く。
次の瞬間。
ベヒーモスの巨大な体は、一瞬にして分厚い氷の中へ封じ込められていた。
咆哮も、抵抗もない。
先程まで暴れ狂っていたA級モンスターは、まるで最初からそうであったかのように、静かに氷の棺の中で眠っていた。
「……え?」
一部始終を、アルスは見ていた。
(スノー先生って……こんなに強かったのか?)
「アルス君。無事かしら?」
大魔術を連発した直後だというのに、スノーはまるで何事もなかったかのように振る舞っていた。
「だ、大丈夫……ではないですけど……。先生、こんなに強かったんですね……」
「あら。当たり前じゃない。先生ですもの」
そう言うと、スノーは腰に手を当て、にっこりと笑った。
(あ、可愛い……)
「じゃなくて!先生!他の奴らは!?」
一瞬だけ頬を赤らめたアルスだったが、すぐに他の生徒たちのことを思い出した。
「今のところ、全員無事よ。他の先生方も救助に向かっているから、安心していいわ」
スノーはそう答えると、ふと表情を引き締めた。
「……それより」
鋭い視線が、周囲へと向けられる。
「ベヒーモスなんて、この学園の敷地内に現れるはずがないわ」
スノーは静かに言った。
「人為的に呼び出しでもしない限り、ね」
「そんな……まさか……」
「どこかにいるわね」
スノーは周囲を警戒しながら呟く。
「侵入者さんが」
──次の瞬間。
「ご名答」
どこからともなく、冷たい男の声が響いた。
「さすが学園最強の先生。お強い上に、ずいぶんと勘も鋭い」
「!?」
「誰なの!?」
スノーは声のした方向へ叫んだ。
しかし───
「私ですか?」
男の声は、今度は別の方向から聞こえた。
「そうですねぇ……世の中をひっくり返したいと願う組織の一員……とでも言いましょうか」
返答はある。
だが、気配がない。
(魔力を感じない……)
スノーは眉をひそめた。
(手練ね。この状態でアルス君を庇いながら戦うのは、リスクが大きすぎる……)
スノーは即座に判断した。
今は戦うべきではない。
「アルス君。逃げるわよ」
「に、逃げるったって……どうやって……」
「そうですよ」
声が聞こえた。
「せっかく、こんな上玉と戦える機会なんてないのに……」
「───っ!?」
その声は。
スノーの真後ろから聞こえた。
スノーは即座に振り返り、迎撃しようとする。
しかし、一手遅かった。
「ぐっ……ふうっ!」
男の蹴りが、スノーの腹部を捉えた。
咄嗟に腕を交差させ、防御する。
だが、勢いを殺しきれない。
スノーの体は大きく吹き飛ばされ、背後の木へと叩きつけられた。
「スノー先生!!」
「ちくしょう……! 動けねえ……!」
アルスは叫ぶ。
だが、爆発によるダメージで、いまだ体を動かすことができない。
(速い……!)
木にもたれながら、スノーは男を睨みつけた。
(それに、やっぱり気配がない……。なんなのよ、こいつ……)
直撃を避けられた分、ダメージは抑えられた。
それでも、不意を突かれた一撃は重い。
「クフフフ……」
男は楽しそうに笑った。
「さあ、美しき先生が追い詰められていくところを……じっくり堪能するといい……」
男はそう言いながら、ゆっくりと袖をまくった。
その前腕には、黒い魔石が怪しく輝いている。
「ま、まさか……それは……」
「ああ。申し遅れました」
男は不敵な笑みを浮かべる。
「私、魔族のサディオンと申します」
「魔族……!?」
「魔族と戦うのは、初めてでしたか?」
「なんで魔族が、こんなところに───きゃあっ!?」
突如、スノーの両手足が黒い魔力によって拘束された。
「あまり騒がないでくださいよ」
サディオンは笑みを浮かべたまま、ゆっくりと近づく。
「興が削がれるでしょう?」
さらに闇の魔力が伸び、スノーの口元を覆った。
(しまった……)
(典型的な闇の拘束魔術……!)
「美しいまま、死ぬのもまた一興ですよ」
サディオンは腕を広げる。
「私が直々に、手を下して差し上げますから……ねぇ!!」
高笑いと共に、周囲へ濃密な闇の魔力が広がっていく。
(寒い……)
倒れたままのアルスは、全身が震えていることに気づいた。
(闇の力って……こんなにおぞましいのか……)
スノーは拘束を振りほどこうとする。
しかし、魔力を吸い取られているのか、思うように力を練ることができない。
「──狂え、抗えぬ幾千の責め苦の中で...」
サディオンの周囲に、黒い魔力が渦巻く。
「アイアンメイデン」
次の瞬間。
スノーの体は、巨大な闇の棺へと閉じ込められた。
視界は完全に閉ざされる。
何も見えない闇の中、四方八方から黒い魔力が押し寄せた。
「──うっ……うううっ……!」
口を塞がれているため、声にならない。
「クハハハ!!」
外から、サディオンの笑い声が響く。
「すぐには終わらせませんよ!! じっくり味わってください……!」
(持続型の魔術……)
スノーは必死に思考を巡らせる。
(見た目ほどの威力はない!でも、この空間にいる限り、絶えず魔力を削られる……)
(せめて……腕の拘束だけでも解ければ……!)
そんな状況でも、スノーは諦めていなかった。
しかし、闇の棺の中にいる限り、少しずつ力を奪われ続ける。
(……厳しいわね)
(油断した……)
次第に、スノーの意識が遠のいていく。
「もうじきですねぇ!!」
サディオンは歓喜に満ちた表情で、声を張り上げた。
「綺麗な亡骸が、この世にまた一つ生まれますよぉ!!」
───その時だった。
「生まれねーよ」
またしても聞き覚えのある声が、森に響いた。
「お前、何やってんだ」
「……はぁ?」
サディオンが、声のした方向へ振り返る。
その瞬間。
この場を支配していた闇の力が、ぴたりと止まった。
そして、何事も無かったかのように霧散し、消え去った。
「な……何事だ!?」
「魔族が使う闇属性魔術ね...そのまんま過ぎて芸がないよ。」
(き、君は……)
「……ナスタ!!」
そこに立っていたのは退避命令を無視し、仲間たちを捜すために森へ入ってきたナスタだった。
「お、お前ぇぇぇぇ!!」
サディオンは怒りに満ちた声を上げた。
「何をしてくれる!!」
「何って」
「先生と友達を助けに来た」
そして、サディオンへ視線を移す。
「そしたら、変な魔族がいたってわけだけど……」
「な……な、なんだとぉ!?」
(ナスタ君...やっぱり来ちゃったか...)
闇の棺が消え、拘束から解放されたスノーは、力なく地面へ崩れ落ちそうになる。
だが。
ナスタが片手をかざした瞬間、その体は地面に触れる寸前でぴたりと静止した。
スノーの体はゆっくりと宙を移動し、アルスの隣へと降ろされた。
「テレキネシス...?そんな矮小な魔術如きで……」
サディオンの腕に埋め込まれた魔石が、怪しく輝く。
「私の術を相殺するなど、あってはならない……!」
「その代償は、高くつきますよ……」
「やってみろよ」
ナスタは一歩前へ出た。
「ただのテレキネシス使いだと思うなよ」




