32話:氷の姫君Ⅶ
「……」
室内に響く無言の時間が、まるで重く圧し掛かるように感じる。
心の中で、あらゆる言葉が頭をよぎっては消え、また浮かび上がる。どう言い訳をするべきか? どう誤魔化せば良いのか? 一瞬でもこの状況から逃げられる方法を考えろ、考えろ――。
しかし、そんな気配を察したのか、王女が静かに口を開いた。
「アルクス大尉。貴方がノイアス帝国の――アーク・ノイアス第一皇子だと、やっと確信が持てました」
その一言が、まるで雷のように俺を直撃する。
いや、ちょっと待ってくれ。いや、待たなくていい。そんな余裕はない。目の前の王女が、確信に満ちた顔で俺を見ている。
「……私の目は誤魔化せませんよ」
その言葉が、俺の胸を冷徹に突き刺す。
やはり、彼女の目は特別なだけあって、俺の正体がバレている。
こっちも冷静を保とうと努めるけど、心の中は完全にパニック状態だ。
程なくして、俺は大きく溜息を吐いた。
「……どうしてか。それを聞いても?」
俺の問いに、彼女は答える。
「最初は雰囲気でした」
「最初って言うと、王城での時か」
彼女は表情を変えずに頷く。
「アーク皇子と同じような雰囲気をしていました。次にお茶会の時。私、尋ねましたよね?」
覚えている。
「ああ。以前どこかでお会いしたことはあるか、だったな」
俺はすでに敬語で話すのを諦めていた。
だって、正体バレてるもん。
「はい。あなたは誤魔化しましたが、私は一度会った人の顔は忘れません。こう見えて、記憶力は良い方で」
「……さいですか」
「魔道具で変装しているようですが、視ようとしても視えないのは、貴方だけですから。帝国でお会いした時も、表面上しか視えなかったので」
彼女には何が視えているのか。
俺はそれを知っている。それが理由で、彼女は命を狙われているのだ。
「はあ、そうだ。俺がノイアス帝国第一皇子のアーク・ノイアスだ。これで満足か? 未来視の魔眼の持ち主よ」
この時初めて、彼女の表情が驚きに変わった。
「やはり、私の目のことを知っていましたか……」
『未来視の魔眼』。
「未来も過去も全てを見通す絶対の目。一度視た未来は、避けることができないとされる」
「……」
王女の驚いた顔が、俺にとってはなんだか妙にリアルで、少しだけ面白かった。
「……その様子じゃ、まだ覚醒していないようだな」
これを言った瞬間、王女の表情が一瞬固まる。その目に宿るのは、少しの疑念と不安。でも、やっぱりそのまま答えを待っている。
うん。余計なこと言ったわ。
「覚醒? それはどういう意味ですか?」
質問を返されて、俺は少しだけ肩を竦める。まあ、何も隠すつもりはないけど、この話はもうちょっとしたユーモアを交えた方がいいか。
「簡単な話さ。未来視の魔眼って、最初はただの視覚的な力なんだ。未来や過去が視えるだけ。でも、覚醒すると――ちょっと面倒くさい能力がついてくるんだ」
「面倒くさい能力……?」
「まぁ、簡単に言うとね。覚醒した『未来視の魔眼』は――【月の魔眼】と呼ばれる。相手の未来を見て支配できる。覚醒前の状態では、ただ視るだけ。未来や過去、感情などをね」
すると彼女は俺に疑問をぶつけて来る。
「では、何故あなただけは視ることが出来なかったのですか?」
王女のその問いに、俺はちょっとだけ首を傾げてから、軽く肩をすくめた。
「それは簡単だ。俺も魔眼を持っているからだ」
彼女の目が一瞬鋭くなる。
「あなたも魔眼を? 私は他の魔眼持ちでも視ることはできましたよ」
「それは俺の魔眼が特殊なだけだ」
だって俺、ラスボスだし。
原作では怠慢だから覚醒すらしてなかったけど。設定では最強の魔眼を持っているとされていた。
公式万歳。
「俺の魔眼は【無限の魔眼】。王女。いや、システィアのように、未来や過去は視れないが、それ以外なら何でもできる。他者の魔眼による干渉を阻んだり、物体や空気中の魔力の流れを視たり、遠視、相手の動きが遅く見えたり。色々なことが出来る万能な魔眼さ」
「……無限の魔眼?」
王女は少し驚いた表情を見せるも、すぐに冷静を取り戻し、眉を顰めて続けた。
「それは確かに、かなり強力な能力ですね。でも、どうしてそんな力を持っていながら、わざわざ王国軍にいるんですか?」
その問いに、俺は思わず目を瞬きながら考え込む。もちろん、心の中ではその答えがすでに決まっている。だが、口に出すのはちょっと――いや、かなり、まずい。
「うーん、まあ……」
何か言おうとするけど、結局、うまく言葉が出てこない。どうしてもこの状況を正直に言うのは気が引ける。王女に「破滅フラグ回避のため」とか、言いたくないしな。
「本当に……どうして?」
王女が再び問いかける。
心の中で「言うな、言うな」と呪文のように呟く自分を振り払う。
「……帝国が嫌いで、あのままいたら俺は傀儡になっていたさ。だから亡命したのと、安定した生活を手に入れたかったからさ。王国軍にでも入って、目立たず地道に功績を積んで、最終的には静かな田舎で、野菜でも育てながら、ゆっくり暮らしたかったってわけ」
思わず目を背けて口を滑らせる。王女はしばらく黙って俺の顔を見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「……それは、かなり現実的な考えですね」
王女のその言葉に、俺はさらに顔を赤らめた。いや、待て、そんなこと言っても、俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ。地道に、というよりも、地味に、だったんだよ。ちょっとした夢を持ちながら、普通の生活を送りたかっただけだ。
「でも、目立っていますよね? 【虚構の怪物】さん?」
「やめろ! そんな恥ずかしい名前で呼ぶな! 誰だよ、そんな二つ名付けたやつ! 絶対に後でボコボコにしてやる!」
俺は思わず叫んでしまう。心の中で「やっぱり、俺はダメだ」と思う反面、この状況に対する自分のツッコミがどんどん大きくなっていくのを感じた。
「ここで正体がバレるとか……帝国め。後で滅ぼしてやるからな!」
俺は深いため息をつきながらも、心の中で呟く。静かに、静かに過ごしたかっただけなのに。地道に努力して、普通の生活を送りたかっただけなのに――いや、それすら難しいという現実に直面している。
「俺の理想の生活を返しやがれえぇぇぇぇえ!」
俺は拳を握りしめ、もう一度叫ぶ。
正直、最初はそんな派手なことにならずに、王国軍で地味に貢献して、その後は穏やかに暮らすつもりだった。でも、どうしてこうなったのか……。
王女は、しばらく俺の叫びを静かに聞いた後、ほんの少しだけ肩を竦めた。
「ふふ、でも、どうしてそんなに穏やかな生活を望んでいるんですか?」
「それは、俺の希望なんだよ!」
俺は気が付くと、力強くその希望を口にしていた。正直、突っ込まれたらつい力が入ってしまう。そして、王女――いや、システィアの一言が心に響く。
「アルクス大尉……いいえ、もうそのままでいいです。あなたと話して、あなたがどんな人なのか理解できました。最後に、どうして私を助けてくれたのですか?」
その言葉を聞いて、俺は少し驚いた。
どうして助けたか。
彼女がこのゲームにおけるヒロインだからか?
否である。
最初は仕事だからと割り切っていた。
しかし、彼女の護衛として過ごすにつれて、原作や設定では知り得ない彼女のことをもっと知りたいと思っていたからだ。
それに――心を開いた時に笑う彼女が、もっとも輝いており、可愛いからだ。
だから俺は素直に話すことにした。
「君に心から笑ってほしかったからだ」
あれ? 何言ってんだ、俺。
心の中で何度も呟いた言葉が、なぜかそのまま口から出てきてしまった。
いや、確かにそうだよ。あの時の笑顔、今でもはっきり覚えているし、彼女が心から笑った瞬間、なんだかすごく、すごく――心が温かくなった。それがどうしても忘れられない。
でも、そんなこと言っちゃったら、どうなるんだ? ちょっと恥ずかしくなってきたぞ。
ていうか、俺、何言ってんだよ、マジで。
絶対に気持ち悪いとか思われてそう。
まあ、これで秘密を守ってもらいつつ、護衛解任となればいいけど。
システィアの表情が一瞬固まって、その後、ちょっと照れたように頬を赤らめた。
それ、普通に可愛いな――いや、ちょっと待て。
「……あ、ありがとう」
その言葉が、また俺の胸に響く。
でも、あのゲームで見た笑顔に比べたら、まだちょっと足りない気がする。
「それはそうと、俺の正体のことは――」
「もちろんです。ノイアス帝国の皇子が軍に入っているなんて知られたら、大騒ぎですからね」
よかった。どうやら秘密にしてく――
「秘密を守る代わりに」
ちょっと待て。嫌な予感しかしないんだが?
「か、代わりに……?」
「公の場以外では、システィアと、名前で呼んでください。二人きりの時は、アークって呼んでも?」
「――えっ⁉」
一瞬、俺の頭がフリーズした。
システィアが、まさかそんなことを言うなんて。照れながらそう言った彼女の顔が、なんともいえないほど可愛くて――ちょっとヤバい。いや、ヤバいとか言う前に、そもそもどうしてラブコメルートに突入してんだ、俺は!
心の中で絶叫する。
――どうしてラブコメルートに入ってんだよおぉぉぉぉお⁉
「アルクス……?」
「い、いや、な、なんでもない、なんでもない。……システィア、よろしく頼む」
頼むから秘密は守ってくれよ?
あぁ、なんでこんなことになっちゃったんだよ。
こんなに可愛い笑顔を見ると、なんだか気持ちがぐちゃぐちゃになるじゃないか。
まあ、可愛いから良し!
いや、よくないけど!




