31話:氷の姫君Ⅵ
最初の気配が完全に警戒領域へと足を踏み入れた瞬間、俺は反射的に剣を振り抜いた。
音もなく放った斬撃が、扉の外で気配と重なり、無音の悲鳴のような気配の消失をもたらす。
姿を見せる前に一人、排除完了。
「――ッ! クソッ、バレている!」
外から声が聞こえた。
けど、それで終わるわけもなく。
次の瞬間、扉が吹き飛んだ。
風圧と木片が舞い、破片が頬を掠める。だが、殿下の方へは一片も飛ばさせていない。そういう配置で俺は立っている。
現れたのは、全身黒装束の暗殺者たち。数、九人。瞬き一つしない瞳。全員が殺意を研ぎ澄ませた状態で、こちらに視線を定めている。
「おやおや、夜這いの流儀も随分と大胆になったものだな。王女の寝室に団体様ご一行とは。招待状を拝見しようか」
暗殺者たちは無言を貫く。
「ふむ。招待状は持参してないと? ならば、ご退場願おうか」
普通なら絶望するところだろう。いや、俺だって内心は絶賛げんなり中である。
胃が……胃が……!
しかし、顔には出さない。出したら負けだ。
「殿下、ここから先は、少々お見苦しいかと。耳を塞がれるか、目を逸らされるか、あるいは――」
「アルクス大尉、私を甘く見ないでください。王女としての覚悟があります」
とても強い。だからこそ、プレイヤー投票人気ナンバーワンに選ばれるのだろう。
「……承知しました。頼もしすぎて俺の存在価値が心配になってきましたよ。では、全力で守らせていただきます」
次の瞬間、暗殺者たちが一斉に動いた。
全員が息を合わせ、無駄のない殺到。完璧な連携と戦術。
……あー、こりゃ間違いないな。
ノイアス帝国の暗殺部隊、その中でも『黒影』と呼ばれる精鋭部隊。
よりによって、そっちのルート引いたのかこの世界……!
原作でハードモードを選択すると、普通の暗殺部隊が精鋭の暗殺部隊『黒影』に代わる。
どうやらこの世界では、『黒影』になったようだ。
「……お前たち、ノイアス帝国の暗殺部隊『黒影』だな」
「黒影」――その名を口にした途端、敵の間に一瞬の動揺が走ったのがわかった。けれど、それがどうした?
俺の目の前には、命を賭けた戦いが待っている。そんなもの、名前だけで脅えるほど俺は甘くない。
――とはいえ、敵が本気で来ている以上、俺も全力を出さねばならない。
だけど、今、俺が使える力は二割。身体能力に制限をかける魔道具を装着していて、それを一つ外せば四割近くの力を出せるが――それをここで使うわけにはいかない。
俺の役目は、殿下を守りつつ敵を排除すること。
それに、万が一、戦いが長引けば、俺がノイアス帝国の皇子だって王女にバレちゃうからな。
だけど――それでも、俺は十分に戦える。
俺はこの世界のラスボスだから。
魔法の力を高め、剣を構える。わずかに視線を動かすだけで、周囲の動きが見えてくる。足音、息づかい、冷たい空気を裂く刃の軌跡。それら全てを感知し、敵の動きを予測する。
その瞬間――俺は足を踏み出し、魔力を身体に流し込んだ。
──ガッ!
瞬間、膝が伸び、重心を低く保ちながらも、速度は一気に倍増。肉体の限界を魔法で押し上げて、闇の中にあった敵の影を一閃する。
まるで止まっているかのように見える暗殺者が、無音で地面に崩れ落ちる。彼が振るった短剣の刃が、かろうじて俺の顔をかすめたが、その一撃はすでに外れた。
「おっと。ちょっとズレたな」
だが、そんなことを言っている暇はない。
次は左から来た。爪のような手刀が鋭く、俺の肩に向かって振り下ろされる。しかし、それも予測済み。
右手に持った剣を、少しだけ前に出すと、金属同士がぶつかり合う、甲高い音が響く。
もう一度、頭の中で動きを予測し、相手の腕を弾いて体勢を崩す。そして、追撃。相手の膝を狙って、軽く斬りつける。
――また一人が倒れる。
次々と暗殺者たちがその場から飛び込んでくる。十人前後、いや、それ以上だろう。だが、数がどうした。俺の戦いに関して、数の問題なんて無意味だ。
剣を軽く舞わせながら、一歩、一歩、じっくりと距離を取る。
力に制限があるとはいえ、それでも圧倒的なスピードと力を持つ俺の動きに、敵は全く対応できていない。
構える左手に魔力を集め、視界の端で感じた気配に向けて、拳を振り抜いた。
「――紫電!」
振り抜かれた拳に青紫の雷が纏わり付き、正面の暗殺者を焼き尽くし、塵一つ残さずに消し飛ばした。
そこからも、疾風のように次々と動きを重ね、ひとり、またひとりと、俺の剣と拳によって倒れていく。
最後の一人――おそらく隊長格だろう。
他の者たちが全滅してなお、動じず、冷静に俺の剣筋と立ち位置を観察していた。
殺気は確かにあるが、今は即座に襲いかかってくる気配ではない。
……それが、逆に面倒くさい。
「……まさか、とは思ったがな」
沈黙を破るように、低い声が室内に響いた。
その声には、疑念と確信がない交ぜになった妙な色があった。
「その動き、その剣の構え。まさか、お前は、いや、貴方様は……」
俺は剣を構えたまま、目を細める。
やばい、やばいやばい。
この流れ、めっちゃくちゃ面倒くさいやつじゃないか。
「……なんの話か、さっぱり。人違いじゃないか?」
さりげなく誤魔化してみたけど、相手は引かなかった。
むしろ、確信を深めたような顔を浮かべる。
「数年前、ノイアス帝国の帝城から一夜にして消息を絶った第一皇子――アーク・ノイアス。
俺は、かつて遠目に一度だけ、その剣を見た。誰よりも流麗で、誰よりも速い剣を。それを、今、間違いなく目の前で見た。それにその顔、魔道具を使っているのだろうが、私の目は誤魔化せない」
うっわ……終わった。確信の顔じゃん。
っていうか、一度見ただけの剣筋で皇子特定って、どんな人材教育してんだノイアス帝国。やっぱブラックだわ、あそこ。
「……聞き捨てならないことを言ったな」
と言いつつも、俺は冷静を装って一歩踏み出す。心の中では赤信号どころか非常ベルが鳴り響いてるけどな!
「だが……たとえそうだとして、お前はここで俺に倒される」
はい、話を打ち切る! 全力で黙らせる方向に持っていきます!
相手も察したのか、言葉を継がずに一歩、二歩と後退――いや、逃げる気か?
「情報を持ち帰れば、帝国はあなた様を放置しない」
――いや、ほんとそれな⁉ 俺が皇子だってことが帝国にバレたら、滅茶苦茶めんどい!
俺、亡命したのにまた亡命する羽目になるじゃねぇか!
「まあ、逃がすつもりはないんだけどな」
「私が逃げられないとお思いで?」
当然。
俺が指を鳴らすと、周囲は結界に覆われる。
「冥土の土産に、良いことを教えてやる」
俺は笑みを浮かべて告げた。
「――ラスボスからは逃げられない」
俺は剣を一閃。
銀色の剣閃が走り、男は地面に膝を突いた。
「……無念、です……な……アーク……皇子……」
最後にそう呟き、男は崩れ落ちた。
男には目もくれず、俺は内心で叫んだ。
――厄介ごとを増やすんじゃねぇぇぇぇえ!




