30話:氷の姫君Ⅴ
近衛騎士団長と模擬戦をしてから数日が経った。
俺は未だにシスティア王女殿下の護衛任務を継続していた。
胃痛も継続中である。
というか最近、もはやこの腹の鈍痛が通常営業になってきた気がする。人って慣れるんだな……。慣れとは怖い。
あれから数日。
王女殿下は相変わらず完璧超人で、リリアはちょっとずつ「社交性」が板についてきて、俺はというと……まあ、背景として頑張っている。
そして今は――夜。
王女殿下の居室の前、俺はいつも通り警護中。
隣では、仮眠中のリリアが椅子にもたれて軽くうとうとと、眠そうにしていた。
寝息こそ立ててないけど、まぶたが重力に敗北しかけている。勇者も眠気には勝てないらしい。
「……少し、休んでていいぞ。何かあれば俺が起こす」
「ん……ありがと……ございます……ぐぅ……」
即落ちか。はえぇよ。
そのままこてんと首を傾けたリリアを横目に、俺は軽く息を吐いた。
夜の静寂。
けど、俺は仕事である以上、手を抜くつもりはない。
巡回するということも可能だが、リリアが寝ている以上、離れるわけにはいかない。
なので、薄く魔力を広げることで周囲の気配を探る。
俺が編み出した索敵方法であり、魔力を持つ者なら反応する仕組みだ。魔力がない人間もこの世界には存在するようなので、それには効果を発揮しない。
しかし、ほとんどの者は少なからず魔力を持っているので、非常に効果的だ。
――だからこそ、すぐに気づいた。
「……っ」
僅かな、しかし明確な異質さ。
魔力に触れるような、肌の裏をなぞられるような、そんな不穏な気配が、警戒領域の端で揺らいだ。
範囲は王城とその周囲に絞っている。侵入者がいれば、すぐに気づける。
……来たか。こんな時間に、こんな場所に、そんな動き。間違いなく異常だ。
俺は目を閉じ、意識を目に移し、魔眼を発動する。
俺の魔眼は特別製だ。魔力を見ることも、遠視することだってなんでもできる。
ラスボスの名は伊達ではないのだ。
視界の中に、ぼんやりと城の一部が浮かぶ――気配のあった場所を遠見する。
映ったのは――黒装束の男が複数。
フードを深くかぶり、顔を隠したまま、城内を音もなく進んでいた。
……いや、違う。進んでいたんじゃない。排除していた。
あの手際。動き。ためらいのなさ。
通りがかった侍女を、衛兵を、すれ違いざまに静かに、確実に沈めている。
「……マジかよ」
しかも、そいつ――こっちに向かってきている。
王女殿下の部屋に。
警戒していたように、再び暗殺をしにきたようだ。
手際の良さから、ノイアス帝国の暗部の者で間違いない。
つまりは――
……はい、来ました暗殺イベントー!
いや、知ってたよ? ゲームでもあったよ? 夜中に侵入者が現れて、リリアが機転を利かせて解決して、王女殿下の信頼ゲットっていう流れ。
でも、その勇者――今――寝てますけど!?
いやいやいや、どういうこと!? なんでこの世界線、よりによって一番重要な時にリリアがスヤァしてんの!? 起きてくれ勇者ァ!
やめてくれ。ほんとやめてくれ。
「……リリア、起きろ。非常事態だ」
肩を軽く揺する。
最初はぐにゃっとした反応だったけど、俺の真剣な声に、ようやくぱちりと目を開けた。
「ん……? アルクスさん……?」
「侵入者だ。今すぐ、王と王妃のいる本館へ向かって、安全を確保するんだ。緊急時のルートは覚えてるな?」
リリアは一瞬で顔を引き締めた。さすが勇者。起きてさえいれば、反応は早い。
「……でも、私も行きます。戦えます、少しは!」
「ダメだ」
即答した俺に、リリアがびくりと目を丸くする。
「お前はまだ未熟だ。戦えるって言っても、あいつらはプロの殺し屋だ。一瞬の躊躇いが命取りになる。あいつらも、あわよくば勇者であるリリアを排除しようと動く。悪いが、今回は退いてくれ」
「でも……!」
「お前がいなくなったら、みんなが悲しむ。だから行け、リリア。……これは命令だ」
しばしの沈黙のあと、リリアは強く唇を噛みしめて、こくりと頷いた。
「……わかりました。気をつけて、ください」
言い終わると同時に、彼女は音も立てずに駆け出していく。うん、やっぱ勇者だな。素直に動けるのは偉い。
で、残ったのは――俺と、王女殿下の部屋。
中から、静かに開かれる扉。寝間着姿のままのシスティア王女が、まったく取り乱すことなく俺を見つめていた。
「……アルクス大尉。今の話、聞こえていました」
うん、知ってた。殿下、寝てなかったパターン。
「あなたの言葉も、すべて把握しています。それに、リリアをお父様のところまで向かわせたのも、まだ殺しを経験していない彼女を、戦いから遠ざけるための方便だってことも」
冷静すぎて怖い。相変わらず女王スペック高すぎる。あと、この状況で一糸乱れぬ美しさって何なの? 俺の胃に優しくしてほしい。
「殿下、これより王宮警戒態勢に移行します。敵は複数。目的はおそらく……」
「私の命、ですね」
さらっと言うな怖いわ!
「……はい。その通りです。よって、ただいまより、俺と殿下は城内の安全地帯まで退避――」
「いいえ」
「えっ」
「私は動きません。ここが最も防衛に適した位置ですし、なにより、私には――あなたがいますから」
……えっ、ちょっと待って? なにその信頼感? 怖いんだけど? ちょっと心の準備とか必要なんだけど!?
「あなたは私を守る護衛なのでしょう? それに、異名を持つほどに強い」
どうやら俺の実力を評価しての言葉だったようだ。
「……了解しました。護衛、全力で遂行します」
結局俺は、覚悟を決めるしかなかった。
殿下を守る。その重みは胃の痛みどころじゃない。
でも――目の前の王女殿下は、信じてくれている。その事実が、不思議と背中を押してくれた。
足音ひとつしない深夜の回廊。
だが、静寂はすでに破られている。俺の警戒領域の端っこで、さっきからチラチラと動く気配がある。
しかも数、増えてきてないか……?
何人いるんだよ、今回。せいぜい三人くらいかと思ったら、下手したら十人超えてるぞ。これ、下っ端とかじゃなくて普通に精鋭クラスのチームだろ。俺に何期待してんの、ほんと。
とりあえず、殿下を守りやすい部屋の奥に誘導する。
寝間着のままでも凛としているあたり、さすが王女殿下。
俺の「ちょっと急ぎましょうか」に対して「ええ、わかりました」と即答してくれるあたり、この状況でもすでに冷静だ。
そのまま部屋の奥、簡易ながらも守りやすく作られた内扉の手前まで移動する。
「ここなら背後も塞げます。殿下、俺に期待しているなら、ここから先は余計なことをせずにすべて任せてください」
「ええ、期待していますよ、【虚構の怪物】アルクス大尉」
……ああもう、やめて、その二つ名。なんでこのタイミングで出してくるの。
胃が……胃がまたキリキリしてきた。
でも――今さら逃げも隠れもしない。
王女殿下の命を狙う連中。しかもあんなやり口、俺が見逃すわけがない。
「さてと――お仕事、開始だな」




