18話:スタンピードⅣ
その魔物たちの姿を初めて見た瞬間、俺は理解した。
――あれは、ただの魔物じゃない。
重く、空気そのものが沈み込むような圧力。視線ひとつ交わさずとも、肌が粟立つ。強者が放つ、絶対的な殺気。瘴気の渦が大地を蝕み、周囲の魔物ですら距離を取っていた。
大地を踏みしめた足跡からは黒い煙のようなものが立ち上っている。漆黒の外殻に覆われた巨体、鋭くねじれた双角、目元は紅く燃えたぎっていて……なんだあれ、なんで二体もいるんだよ!?
推定Sランク。間違いない。俺でも一目でわかる。そりゃそうだろ、並みの魔物じゃありえない。
そこで、俺は本編でラティア師団長が出てこないことを思い出す。
序盤で主人公が勇者に選ばれ、第三師団で鍛えるという内容だが、そこでラティア師団長は出てこないのだ。
公式を調べると、このスタンピードは帝国が引き起こし、二体の強力な魔物によって派遣された第三師団が壊滅的被害を受けた。
その中で、師団長が自身を犠牲に、原因である魔物を討伐した、と書かれていた。
つまり、この戦いで――ラティア・ヴァルグレイスは死ぬ。
「――下がれ」
前に出たのは、やっぱりというか、当然というか、ラティア師団長だった。
彼女の足元に氷が舞い上がる。次の瞬間、白銀の鎧が陽を弾き、風よりも速く駆ける影が敵の目前に躍り出た。
「こいつらは……私が相手をする」
師団長の声が、戦場に凛と響く。
だけど、それを聞いて俺は即座に判断した。いや、ダメだ。あれは一人で抱えるべき相手じゃない。
俺が出れば、三割から四割近い力を出せば簡単に倒せるだろう。
しかし、それをしては今までの計画がパーになる。
ならば、最善策を。
「全隊、指示を聞け!」
声を張り上げる。鼓膜を破りそうなほど、叫んだ。
「周囲の魔物は本隊で引き受ける! その間に、精鋭部隊十名はラティア師団長の支援に回れ! ――死ぬなよ、絶対に!」
ぐっと剣を握りしめ、喉が焼けるのも構わず次々と指示を飛ばす。
「弓兵! 散開して後衛を守れ! 魔法部隊、こちらに迫る集団へ火力集中! 第二陣、左翼の谷間を塞いで、包囲を防げ!」
部隊が動き始めた。
……だけど、本当はわかってる。こんなの、全力で動いても時間を稼げる程度だ。あの二体が、今ここにいる全員を相手にしても余裕で勝つようなバケモンだったら?
いや、考えるな。考えたら、動きが鈍る。
「ミナ、ライナス! 今から精鋭班を編成する。お前らも行ってくれ!」
俺は二人の実力を評価している。ミナも研修中ではあるが、実力は高い。ライナスも同様に、研修中ではあるが、士官学校時代の制御率では俺に次いで91%を叩き出している。
「了解ッ!」
即答だ。こっちも命かかってんのに、即答で飛び込めるあたり、ほんとすげぇわ……。
視線を先に向ける。ラティア師団長が、まさに魔物の爪と剣を交えていた。
――速い。剣技と氷魔法の融合、それはもう芸術的ですらあった。
氷の刃が宙に舞い、足元の氷床で加速した跳躍から、魔物の肩口に一閃。
肉を断ち、黒血が飛び散るが、相手は怯まなかった。
もう一体の魔物がラティア師団長の背後に回り込み、地面を踏み抜いて襲いかかる。その巨体が放つ拳――まともに喰らえば、彼女でも無事じゃ済まない。
けど、それすらも読んでいたように彼女は身体をひねり、氷の翼を生やして跳躍。背後に回った魔物の頭上へと剣を振り下ろす。
激しい衝撃音と共に、氷が砕け散った。
だが……攻撃は通らなかった。
「なっ……!?」
師団長の剣が、魔物の外殻に弾かれた。
――そうか。こいつら、単なるSランクじゃない。上位個体。それも帝国により強化されている。もしかすると、SSの領域にすら足を踏み入れているのかもしれない。
これが二体も?
いや、無理ゲーかよ。
「っ……第三部隊、側面支援を続行! 精鋭班、隊列を組んで合流! 回復班は後方で待機、負傷者を絶対に見捨てるな!」
俺は叫び続ける。命令し続ける。
師団長は、明らかに押され始めていた。彼女の動きは変わらず鋭い。だけど、魔物たちの動きもまた異常だった。
どこか知性を感じさせるような連携、仕掛け、隙を突く動き。
そんなの、ありかよ……!
「アルクス! このままだと……!」
ミナが叫ぶ。その手には既に矢が番えられ、目は獲物を狙う鷹のように鋭かった。
「わかってる!」
でも、まだ終わってない。まだ打つ手はある。
――戦場では、常に『最悪』を前提に動けと。
だったら、こいつらが現状、最悪の敵だって前提で、全力でぶつけるしかない。
俺は一つ、深く息を吐いた。
背後では、兵たちが俺の指示で動き、少しずつ魔物の包囲を崩している。
ラティア師団長は、確かに苦戦している。けど、まだ折れてない。だったら、支えればいい。誰よりも目立つ彼女の背を、支える役なら……俺だってできる。
「精鋭班、突入用意!」
氷の刃が散り、ラティア師団長の足が一瞬だけ止まった。
すぐに体勢を立て直すも、相手の動きがそれを許さない。まるで、狙っていたかのように、もう一体の魔物が迫る。
「くっ……!」
氷の壁が瞬時に生成され、拳と衝突した瞬間、爆音と共に霧散した。
押されている。誰が見ても明らかだった。
俺は唇を噛みしめた。
精鋭班が突入してから周囲の魔物はほぼ一掃された。
残る敵は、あの二体の怪物だけ。
だけど、そのたった二体が戦況を膠着させている。いや、確実に、師団長たちを追い詰めている。
……今が、分水嶺だ。
「第三部隊、右翼の残兵と合流しつつ前進を継続! 魔法隊は火力を落とすな! ……ジェイド准将、ここから先の指揮、お願いします」
「えっ、ま、待て! 少尉、まさか――!」
ジェイド准将の顔色が変わるのがわかった。
「はい。俺も行きます」
内心じゃ、俺の正体がバレ、ラスボスとして破滅するかもしれないと足が震えてる。心臓がうるさいくらいに跳ねている。だけど、それ以上に――腹の底が、熱い。
本編前にこんな内容があったなんて、クソすぎる。
目立つのは嫌だ。できるなら、裏で地味にやっていたかった。これまでのように、ただ指揮して、ちょっと頭が切れるだけの軍人で通せれば、それが一番だった。
だけど。
――あの人を見捨てるのは、無理だ。
ラティア・ヴァルグレイスを見殺しにはできない。
俺が亡命している時点で、物語はすでに狂っている。ならば、彼女を救うのだって今更だ。
「師団長がいなくなるのは……俺の計画にも大きな誤算なんで」
わざと軽く笑って見せた。たぶん顔は引き攣っている。
それでも、ジェイド副官は目を見開いて、言葉を詰まらせたまま、最後には頷いた。
「……わかった。だが、死ぬなよ」
「大丈夫ですよ。俺、ラスボスなんで」
何言っているのかと理解できない表情を尻目に、俺は駆け出す。
足元を踏みしめるたびに、地面の感覚が変わっていく。魔物が発する瘴気が濃くなっていく。普通の兵なら息をするだけで倒れる濃度。送り出した精鋭でも、キツイだろう。
でも、俺は違う。
もう隠している余裕はねぇ。
俺は――本当の力を少しだけ解放する。
力を制限している魔道具の指輪を一つ、取り外した。
それだけで、二割だった力が四割近くまで上昇した。
手のひらに魔力が集まり、瞬時に構築した防護陣を身体に纏わせる。魔力の濁流が喉元を逆流し、視界が焼けるように広がる。
「アルクス、結局は目立ちまくりじゃねぇか」
「いつもの光景じゃん」
ライナスとミナの呟きが、背後から聞こえた。けど、もう応える余裕はない。
ラティア師団長の剣が折れかけた瞬間、俺はその間に飛び込んだ。
「後ろ、下がってください師団長。ここからは――俺がやります」
師団長が、驚いたように目を見開いて俺を見た。
そして、俺は真正面から、その魔物たちと対峙した。
――もう、逃げられない。