第七十七話
城塞が迫ってくる。
それは僕が認識した衝撃波だ。立木の影に先生を引っ張り込む。衝撃波は枝葉をなぎ散らしながら大木で分断されて飛んでいく。
「先生、大丈夫ですか」
「腰がちぎれそうになったけど平気……もうすこしそっと運んでくれると助かる」
およそ人間のやる戦闘の規模を超えている。
賢者たちが指を鳴らす、腕を振る、その先で橘姫たちが粉砕されてチリとなる。衝撃波と閃光が走り、その余波で蒸発してしまいそうな熱量が荒れ狂う。
大柄な北欧系の人物が足を踏み鳴らす。その前方が円形に陥没し、十数体の橘姫が火花を上げながら平らになる。
上空からは無数のロケットやレーザーが降り注ぐ。だが賢者たちに届かない。見えない壁で静止し、あるいは回れ右をして別の橘姫へと飛んでいく。
「すさまじいですね……あんな装備を」
「賢者たちはプロジェクトと並行して、身を守るすべを開発していた。このプロジェクト自体をどんな勢力が狙うか分からなかったからだ」
橘姫だって人類の科学力を超えるほどのロボットのはずだ、多くの重奏を渡って力をつけていたはずなのに、ああも簡単に。
桜姫の方を見る。彼女も多くの橘姫を相手に奮戦している。剣技と言うより全身で回転するような斬撃、橘姫の群れの中を突っ切って複数を斬り飛ばす。
上空の橘姫はさらに数を増している。まるで雪が降り注ぐかのようだ。あまりの数に空が黒くかげっている。
「数に任せて押し切る気か? そんなことで賢者たちに……」
天の一角が密度を増す。
形成されるのは黒い立方体。大きさはティラノサウルスが丸ごと収まるほど。
視力を集中させる。見えたのは無数のメカニズム。あれは破壊的な機構の固まり、先刻の雪の世界でビルを削ったものと同じか。
「やばい……」
「昼中くん、もっと後退」
それが落ちてくる。あろうことか、それは島の大地に触れると抵抗なく沈み込んだ。大量の土砂を消滅させたのだ。
そのまま転がるように動く、大地を消滅させながら。
「野蛮なことを、機能美のかけらもないな」
賢者たちはそう言って、大きく飛んで回避する。放電する球体を打ち込む者もいたが、電撃すらそのサイコロに吸い込まれて消える。
その立方体から黒いモヤのようなものが放たれ、手近の橘姫たちに伝播していく。黒いものに覆われた橘姫は手足をぶるぶると震わせ、やがて黒一色の個体となる。
それらが賢者の一人に襲いかかる。彼が何かを投擲するような動作をすると、空中に槍が生まれて雷速で射出。それは幾何学的な軌道を描いて橘姫たちを貫いていくが、黒い個体で止まる。
槍はがりがりと黒を削るかに見えたが、削れているのは槍の方だ。刃先がすべて削り取られると、竿の部分は灰のように崩れ去る。
「橘姫が強化されてるのか」
「黒橘ってとこだね。あれじゃまともに戦えない。レーザーか爆薬で仕留めるしか……」
ぎいん、と硬いもの同士がぶつかり合う音。
振り向けば桜姫だ。黒い個体に囲まれている。先生は箱型端末に向かって叫ぶ。
「桜姫! そいつと戦うな! 戻ってこい」
「てったい!」
桜姫がジェットをふかし、こちらへ来て――。
大いなる悪寒。
僕の感覚が何かを捉える。振り仰げばほぼ真上、空の一点が黒く染まっている。黒い真円。まるで闇の太陽。
視力を集中させる。おそろしく高い位置にあるが、同時に凄まじい速さで接近している。
表面がざわめいて見える。黒いものの集合体。密集陣形。あれはまさか。
黒い柱が。
天から落ちる滝のように、黒橘の群れが桜姫へと降り注ぐ。
「桜姫!」
その衝撃は凄まじい。一瞬で周辺の木と遺跡が消滅し、黒い波となって研究施設を襲う。熱湯を浴びた雪像のように建物が一瞬で崩れる。
桜姫はジェットを噴射させながら脱出してくる。だが一瞬でその全身はボロボロになっていた。ジェットの炎が消滅しながらも慣性で飛び、僕たちの十数メートル付近にばあんとバウンドしながら落ちる。
「桜姫! 大丈夫か!」
僕が駆け寄り、そして戦慄が走る。頭部が少し欠けている。
「やられたね……ストレージを物理破壊された。修理不可能だ」
「そんな、死んだんですか」
「ラボにバックアップはあるよ。肉体の破損もラボの予備パーツで直せる。残念だが桜姫はここでリタイアだね」
僕は少し戸惑う。直せるとか予備があるとか、そういう問題では……。
「ロブ、少し危ういか?」
「数域重奏を出す。全員、自己座標を認識しろ」
前線にいた男性、ロブがそう言い、チョークを取り出すと舗装された道路にがりがりと記号を刻む。
その瞬間、ロブが凄まじい勢いで遠ざかる。光も遠ざかり、海も遠ざかり、どこか広大な場所に放り出される感覚が。
そこは神殿だ。
大理石の円柱が無数に立ち並ぶ場所。とてつもなく広い。柱は等間隔に整列しているが、目を凝らしてもどこまで続いてるのか分からない。
すべての柱がぼんやりと光って明かりとなっている。この世界には影が生まれないように見える。
「ここは……ずいぶんシンプルな世界だな」
重奏には違いないが、人工的な気配が強い。やはりここはロブという賢者が生み出した世界か。
「洗練されてなくて完成度が低い……って感じか」
「君の理解が足りないだけだ」
声は背後から来た。素早く振り返る。
皿のような面をかぶった白人男性、背格好で分かった、ロブだ。
「あんた、どこから」
「ここは数列の並びが自然界とは違う。隣り合っている数字が物理的に隣接しているとは限らない。一種の算法的迷宮だ」
ロブはそれだけ言って僕のそばを素通りし、桜姫のそばにかがみ込む。
「派手に壊されたな、見せてみろ」
「ロブ、無理だ。桜姫の頭脳が傷ついてる。ラボのバックアップを再インストールするしか直しようがない」
「それは直すとは言わない」
ロブは桜姫の指を取り、石の床にチョークで四角を描く。すると四角の中が区割りされキーボードが出現。その手の手品に驚くつもりはないが、ロブの技術には洗練されたものを感じる。
「残った頭脳から全体を復元する。この子のストレージはフラクタル構造に近い。わずかでも残っていれば過不足なく復元できる」
「桜姫の頭脳が分かるって言うの?」
「分かる必要はない。推測できればいい。この子にある自己復元機能を見つけて活性化させる。それと演算が重いようだな、バグフィックスをあてて軽量化しよう」
当たり前のように言ってるが、桜姫が一般的なコンピュータと違うのは僕でも分かる。それを何事でもないようにいじくっている。これが真の天才ということなのか。
しばらくはロブが床を叩く音のみ。先生は桜姫を膝に抱えて座り、僕は周囲を見て橘姫を警戒する。なるほど、柱に囲まれた部分が一区画。区画から手を出そうとすると消滅する。おそらく数学的に巨大な数まで飛ぶのだろう。この場所で一度はぐれたら再会は絶望的だ。
「ロブ、なぜ助けてくれるの」
先生が言う。ロブは手を止めずに答える。
「子供が怪我をしたなら仕方ない」
「桜姫が怪我しなかったら無視していたの?」
「私はあまり君を認識したくない」
「部外者だから? タイムマシンの存在を否定したいから?」
「そうではない。君を認識することが現在のミス・アグリーへの期待を削ぐからだ」
ロブの白衣のボタンから光が出ており、空中にモニター画面が表示されている。タイピングは必ずしも早くないが、画面は異常なほど高速でスクロールしている。
「ミス・アグリーはプロジェクトに貢献できる。君はできない。ミス・アグリーは何になるか分からない可能性の芽、成長した姿など見たくないんだ」
「ロブ。ここは私の記憶だ。私の重奏だよ。あなたたちは私が去れば消えてしまう」
「無意味な仮定だ。君は我々の消滅を知覚できない」
立ち上がり、描かれたキーボードを靴先で消す。
「終わった。じきに目を覚ます。動きもだいぶマシになっただろう」
「桜姫のロゴスを書き換えたって言うの? ありえない、いくらロブでも」
「完全な理解など必要ない。1%でも理解できればアプローチは可能だ。手を付ける前より悪くならなければ有意と言える」
ロブは軽く手招きして歩き出す。この場所に居続ける意味もないので後を追った。
どこからか音が聞こえる。橘姫が暴れまわっているのだろうか。だが姿は見えない。
僕は視線をあちこち動かしながら呼びかける。
「ロブさん、あんたは手帳を守り抜けるのか」
「この場に留まっていては無理だろうな。あの橘姫というロボットは加速度的に数を増している。さまざまな重奏から技術を取り込んでいるようだが、その中に無限の複製を可能にする技術があるようだ。この数的領域もいずれは埋め尽くされる」
分身体は本体よりは弱いようだが、あの数はやはり脅威だ。どうにかして打開策を見つけなければ……。
「予定は大して変わらない。我々は重奏を用いて次なる世界へ行く。あのような無法者に技術は渡せないからね」
「予定を……」
先生はそう言いかけてハッとなる。
「ロブ……もしかして今日は12月24日?」
「そうだよ。この島は暖気で包まれていて初夏の気候だがね」
先生は何かを思い出したようだ。この島で過去に何かがあったのか。
「どうかしたんですか?」
「私が10歳の頃、12月24日に急にみんながいなくなった。私は馬教授に手を引かれて地下のシェルターに連れ込まれたんだ。しばらくしてシェルターのロックが外れて、外に出てみると島は廃墟になっていた。激しい攻撃を受けたようで、施設も島もボロボロになっていた」
「それは……つまり、橘姫の襲撃があったからですね。それを先生が記憶していた」
「そうではないな」
先頭を歩くロブが言う。
「君の記憶はあの襲撃者と関係ない」
「ロブ、どういうこと?」
「島を破壊するのは我々のはずだった」
何だって?
「我々は世界の裁定者だった。人の手にあまる技術を重奏の彼方に持ち去るのが使命なのだよ。その際に施設もすべて破壊する。最初からそこまで織り込み済みの計画だ」
――予定は大して変わっていない。
確かにそう言っていた。
だけど僕は納得しかねた。
「なぜ亜久里先生にそれを黙ってたんだ」
「基本世界に残る人間には何も知らせない、それもルールだ」
「先生はまだ10歳だったんだ、それを放置していなくなったのか」
「ミス・アグリーが庇護を求めるなら、彼女の頭脳を買う資本体はいくらでもある」
隔たりを感じる。
客観的に見れば僕の意見の方がお門違いだろう。ロブたちは先生の保護者ではないし、先生はまだ10歳とはいえ、自分の生活を確保するぐらいの能力はあるはず。
彼らは無責任というわけでもないし、己の使命を成し遂げることに真剣である。
だが、それでも。
先生を放置して消えたことに憤りがある。
おかしなことだ。だいたい、先生がどう考えてるかも分からない――。
「ロブ、なぜあなたが去ってしまったの」
先生が言う。意図して声を抑えている。強い自制を身にまとっている。
「あなたが残るべきだった。なぜ私をこの世界に残したの。私がもっとも年下だから? それとも未熟だから?」
「重奏とは分かれゆく種子であるべきだ」
ロブは、そこで初めて足を止める。
先生の方を振り向いて。仕方なく話すという気配を放つ。
「君はそうではなかった。繋がりを求めていた。だから基本世界に残した」
「どういうこと」
「重奏は離別でもあり融合でもある。世界は枝分かれして、まれに寄り添い合おうとする。だが、現在のところは分かれゆく力のほうが強い、宇宙の物理的挙動と同じだな」
「離別、融合……」
「そうだ。本来は分かれていくほうが健全。その離別はほとんどの人間には認識できない静かな別れ。それを否定し、離合を求めればやがて手に負えなくなる」
……。
先生は、重奏を宝探しのように使っていた。
失われた芸術や技術、人物などと出会うことができる場所だと。
だが、それはもしかして少数派の考え方なのか?
世界には放っておいても新たな芸術が生まれてくる。優れた技術や人材も。
それは花が綿毛を飛ばすように離散していくのか。
気づかぬうちに自然に起きて、当たり前のように繰り返される日常的な離別。可能性の喪失。失われたものは二度と出会うことはない、世界が分かれてしまったかのように……。
「私が間違ってるって言うの」
――離合を求めれば、やがて手に負えなくなる。
今のロブの発言は、先生の行動に対する批判とも取れる。
重奏を使って世界を撚り合わせるなど、するべきではないと。
「稀にそういう意思の持ち主が生まれることは仕方ない。稀であれば世界もそれを許容できるだろう。だが、君の行動は整合性を欠いている」
ロブの言葉にはごく僅かに悲痛がにじんでいた。本来はそんな言葉を投げたくはないが、意図せぬ責務を背負ってしまったような気配。面の向こうで目が歪む。
「君は新たな家族を持てばいい。重奏の中で失われた家族を求める必要などない」
静寂。
先生を見る。先生は目を丸くして、まったく予期していなかった言葉に戸惑うように見えた。
「わ、私が、何を求めてると」
「失われた家族だ。君の行動原理はすべてそこに集約される」
「あんな女! 私の家族なんかじゃない! 私には家族なんか必要ない!」
「君をあの家から連れ出したのは私だ。君のことは幼少期から知っている」
「だから何だって言うの! 親身になってるつもり! これから私を捨てて重奏の果てに行くくせに!」
先生の行動原理が、失われた家族……。
あの雪に覆われた家。一般論で言えば母親失格としか思えないあの女性が、先生の心の奥に……?
会話ができたのはそこまでだった。
世界に亀裂が入る。すべての柱が、床が、はるか高みにある天井が、すべて一斉にひび割れて――。




