第七十六話
方向性のない加速。
脳の内側に迷い込むような酩酊感。
おそらく百回乗っても慣れることのなさそうな橇の旅。移動が終わった時、上空から降り注ぐのは陽の光だ。
潮風を含んだ陽気な風。断崖絶壁の上は芝に覆われ、羊が放し飼いになっている。
遺跡もある。オリエント様式と言うのだろうか、大理石の丸い柱と、朽ちて下半身だけになった石像。
その向こうにあるのはコンクリートの建造物だ。長方形を並べたような幾何学的な建物。建物の前にはヘリポートもあり、テニスコートなども見える。
「ここって……島ですか」
「そう、地中海にある小島。私は8歳から10歳までここにいた」
先生は潮風を受けて歩を進める。地中海の風を受けてメイド服のスカートがなびく。先生はどんなシチュエーションでもメイド服を割り込ませることに長けている。
「前に聞きましたね、天才たちを集めたプロジェクトだとか」
「某大学の主導という建前だったけど、実質的なスポンサーは世界的な大企業、というより財閥とか個人投資家とか、とにかく千億ドル単位のプロジェクトだったらしい」
「あの施設だけでそんな大金が?」
「人材だよ。私は拾われたようなもんだけど、ここに集められたのは本当の天才ばかり。彼らはそれぞれ国家を背負うようなプロジェクトを抱えていた。集めるのは大変だったらしい」
やがて人が見えてくる。建物の入り口付近にベンチがあって、それに座っているのだ。
金髪で長身、白人男性のように見える。
見える、と言ったのは、その人物はお面をかぶっていたからだ。白くのっぺりとした皿のようなお面、目の部分にだけ細長い穴が見える。
「ロブ、あなたが来ないと始まらないわよ」
そこに女性の声。今度は色黒で肉付きのいい女性。やはり皿のようなお面をつけている。
「先生、お面をつけるルールでもあったんですか?」
「ないよ。ここが私の過去だからだ。私は彼らの顔を覚えてないんだ」
「え……」
「彼らを表現するものは論文だ。私は彼らを論文でのみ認識してる。だから顔がないんだろう」
男女の二人は連れ立って建物の中へ。僕たちは後ろからついていく。いつしか忍び足をする遠慮も無くなって、大股で後を追う。
「はいてく!」
建物にはいくつのものセキュリティがあった。二人は手首の静脈や虹彩認証で突破していく。僕たちは開いたドアが閉じる前に滑り込む。
「先生、これ後で出られなくなったりしません?」
「中から外へ出るなら何とでもなるよ」
まあ重奏の中であまり気にしてもしょうがないか。
桜姫は物珍しそうに絵画とか彫像を見ている。科学関係のプロジェクトのはずなのに美術品がやたらと多い、しかもどことなく高価そうだ。
「なぜこんなに美術品が?」
「これもプロジェクトの一部。古今東西の天才と呼ばれる人の作品を集めていた。私たちの脳に影響を与えることが期待されていた。これは脳の極限に挑むプロジェクトだった」
やがて、広間に至る。
円形の空間に10の椅子。
黒髪黒瞳の少女もいた。先生だ。先生だけはお面をかぶっていない。
他のメンバーは人種も性別もさまざま、彼らは資料どころかタブレット端末すら持ってない。お面をつけているが、みな聡明そうに見える。
一人の人物が指を鳴らす。その背後に複数のディスプレイが浮かぶ。
「砂岸改造についての検討は終わった。いくつかアイデアが出たから精査を頼む」
「メイヤー、材料工学については進んでるのか」
「いくつか良質なものは生まれたが、正確な数値はこれから出す。オヴァーノン博士の半導体設計の結果によっては進展がある」
「その件だが、40フェムト単位の設計でサンプルはできた。爆発的な速度向上には専用設計がいるな。心理学の馬教授の方は」
「大脳生理学を基準にして検討中。悪くないけど汎用モデルにして組み直したいの、明日また発表するわ」
彼らは何かを報告し合っているようだ。少女期の先生はそれらの言葉をノートに取っている。
彼らは皆それぞれ違う言語で話している。だが聞こえるのは日本語だ。唇の動きと言葉が噛み合っていない。広間のどこかに自動翻訳装置でもあるのか、それともここが重奏だからか。
「この人たちって何を研究してたんです?」
「タイムマシン」
え、と先生を見る。タイムマシンだけは絶対にありえないと言ってたのは先生では。
「彼らには課せられた使命があった」
「使命……」
「人類が到達しえない場所に到達すること」
空間がふいに暗くなる。
浮かび上がるのは太陽系の模式図だ。中心に太陽。そこから近い順に水星、金星、地球、火星。
それらはぎゅっと縮んで、ほとんど点のような光球になる。
そして部屋の端の方に、もう一つの光球。
「宇宙進出についてだが、その後の見解は」
「世代間宇宙船には解決すべき課題が多い、運べる人口もせいぜい二千人」
「超光速航行のほうも進めてる」
「恒星系以外の惑星系が近くにないか探せないかな」
「人類は行き詰まりを感じていた」
先生は床にかがみ込んで言う。
「アポロが月面に降りてから50年以上、人類はまだ火星にすら行けない。さらに百年も待てば行けるだろうか。人類の抱える諸問題が解決すれば行けるだろうか。いや、そもそも本当に行けるのだろうか。人類はそろそろ本気で考えねばならなくなった。自分たちがどのような「幼年期の終わり」を迎えるのかを」
「なるほど……宇宙船の開発が使命なんですね?」
「違うよ、彼らが探求していたのは全ての分野だ」
彼らは喧々諤々と議論を続ける。内容は難解そうなものもあれば、SF小説についての気楽なものもある。日本の漫画やアニメにおける創作物についても。
「摂氏5000度でも融けない金属。狂犬病の特効薬。常温超伝導。超能力や宇宙人の発見。彼らは人類が積み上げてきた妄想の山と戦っていた。何が現実的な可能性であり、何が実現不可能なことかを考えた」
それは……リソースの集中だろうか。
実現不可能だと思われるプロジェクトはばっさりと切り捨てて、可能そうなことに投資する。人類がどんな未来を迎えるかを模索する。
このプロジェクトを計画したのは大企業とか大富豪らしいが、彼らにとってそのような「選択と集中」は大きな意味を持つのだろう。
僕がそう言うと、先生は首を振る。
「そうじゃない。言ったでしょ。何が可能で、何が不可能かを模索していたって」
「……?」
「マイナス450度ね、実現できそうだよ」
ロブと呼ばれていた白人男性が立ち上がる。彼は黒革張りの手帳を持っていた。
「時間遡行機については切り捨てよう。水素生産プラントのほうは続行だ」
先生はそのロブを横目で見て言う。
「彼らは決めることを求められた。何が不可能で、何が可能かを決めるのは彼らだった」
「……? すいません、よく意味が……」
「今ロブが言ったように、彼らはタイムマシンは不要だと判断した。だから人類は未来永劫、タイムマシンに到達することはない」
「え……」
「タイムマシンが存在することにはデメリットが多すぎるからだ。誰かが人類の生まれる前に行き、人類の祖先であるネズミのような哺乳類を殺す。それだけで全人類は消滅する。その可能性を考えればタイムマシンの発生は容認できない」
「それを……誰かが決めるんですか? 決められるものなんですか?」
「望まれざる訪問者がいるな」
はっと、賢者たちのほうを見る。
だが僕たちに反応したわけではない。空中に浮かぶのは建物と島の模式図、そこに高速接近する輝点がある。
「迎撃兵器を無効化してる。複数のチャンネルで島の防衛機構にアクセスも」
「接近に気づくのが遅れたな。重奏からの敵か」
彼らも重奏を知っているのか。
「マニュアルで迎撃しよう。馬教授とミス・アグリーはここにいて」
名指しされたのはアジア系の女性と少女期の先生。他の人物は部屋を出ていく。
「先生、橘姫ですか」
「そうだね、桜姫も感知してる。私たちも打って出よう」
「ぶちかま!」
……。
橘姫の接近。それは、何か変じゃないか?
ここは先生の過去であり、先生の記憶を元にした重奏。
では、なぜ橘姫には気付いたのか? 彼女が敵意を持った略奪者だから?
いや、それとも。
彼らはもしかして、最初から僕たちに気づいていたのか? その上で無視していただけ?
僕は少女期の先生を見る。
その黒一色の瞳と目が合った。だが、すぐにノートに視線を落としてしまう。
「先生、みんな僕たちに気づいてます」
「気づいてないよ。言ったでしょ。彼らはタイムマシンを否定してる。私がそこの女の子と同一人物なことは建物のセンサーで分かっている。同一人物がいるのは矛盾だ、だから彼らには見えていない」
「見ないフリをしてるだけでしょう」
「まあね。厳密にはそうだよ。敵対しない限りは黙殺する。見るものと見ないものを自分で決めている。だから天才なんだ。彼らはそういう役割を持ってプロジェクトに参加したんだ」
つまりは、傲慢ではないのか。
それは科学者という人種のスタンスに似ている。理論的にありえないものは存在しない。見えていたとしてもなにかの間違いだと黙殺する。
この世界にも吸血鬼やバク飼いの一族はいるのだろうか。いるとしたら科学者たちはどう向き合うのか。
切り捨てる。
科学者という人種が、吸血鬼を理論的に否定した。魔法も、呪いも、魔獣たちも。
だから存在しなくなった。
あの賢者たちは、世界の可能性を切り捨てていき、あるべき形に造形する彫刻家のようなものなのか。
「ワールドオーダーズ・ルールブック」
先生はそうつぶやく。
「ロブの持っている手帳、あれが世界の設計図。世界に存在するべきルールをまとめた物理法則そのものだ。橘姫が狙ってくるとすればそれだ」
世界のルールを定める手帳……。
もし、その手帳に「タイムマシンは実在する」と書けば、それが世界のルールとなる。
そんなことを決める権利が彼らにあるのか。
それとも、誰かが決めねばならない事を、彼らに押し付けただけなのか。
やがて建物の外へ。
並走すると分かるが、やはり彼らは僕たちに気づいている。体がぶつからないように間合いを取るからだ。
「私たちは建物から離れて戦おう、桜姫、上空にて陽動を」
「ようどう!」
ぴょんと数メートル飛び上がって、ジェットをふかして一気に遠ざかる。爆圧のような噴気が僕たちを打つ。
上空には黒い影。
橘姫……しかも数十体いる。本体と同程度の性能なのか、それとも外見だけなのかは分からないが、複製技術はだいぶ進歩してるようだ。
その中の一体が地上まで降りてくる。長身のメイド服。先生よりさらに足が長く、眼光は鋭い、どうでもいいが褐色のタイツが攻撃的な印象を与える。
「ミスターロブ、あなたの手帳を渡しなさい」
「君はミス・アグリーの作ったロボットだな、造形に癖が見える」
皿のようなお面をかぶった男性は、ずけずけと近づく。
「なるほど不格好だ。自己進化の核も不完全だし、複数の重奏から技術を取り込んでいるな。武装に統一感がない」
「賢者たち、抵抗はバッドシング、手帳を渡しなさい」
「どうかな? 君ぐらいねじ伏せるのはわけもないが」
馬鹿な、橘姫の戦闘力が分かっていないのか? 生身の人間で勝てるわけが……。
「昼中くん、もう少し離れよう」
「先生、賢者たちが危険です、助けないと」
「大丈夫だよ、彼らは強い、知の巨人というだけじゃなく、物理的な影響力という意味でもね」
「え……?」
橘姫が動く。
僕の目がそれを捉える。コンマ以下2桁の世界、見せしめに一人を斬ろうとしたのか、腰にさしてあった剣に手をかけ、それを音速で抜き放ち――。
ざん、と。
切断の音が響き、橘姫の上半身が地に落ちる。
「え――」
次の瞬間、メイド服がさいの目に斬り刻まれる。装甲も、内部機構もすべて刻まれ、さらに微細に切断。砂鉄のようなものになって地に積もる。
「守護妖精、そこまで」
ロブの肩で何かが飛んでいる。護身用の小型ロボットか? 分身とはいえ橘姫を圧倒するとは。
「プロジェクトは失敗したんだよ」
先生が言う。
「彼らは人類には扱いきれない技術を消去した。計算違いだったのは、技術を消すためには彼ら自身も消える必要があったことだ。彼らは人類が到達できない技術を持って、重奏の彼方へ消えてしまった。彼らが自らを消すために生み出した最後の技術、それが重奏概念だ」
何だって。
それは、しかし、それでは先生の研究テーマとは……!
思考できたのはそこまでだった。
上空から無数の砲弾とロケットが降り注ぐ。僕は先生の体を抱えて後方へ飛んだ。




