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天使狩り  作者: 飛鳥
第1章
13/124

廃教会


 錆びきった長い長い廊下を、一人虚しく影絵を描いて駆け抜けた。アラビアの宮殿みたいな内装は白一色。人っ子一人いない、実に静かなものだった。

 両手の銃が泣いている。てっきり、突入した途端に戦争じみた乱戦になると思っていたのだが――

「おい……どうなってんだ、こりゃあ」

 次第に予兆が見え始める。壁に床に、果ては天井まで、何をぶつけたのか謎の小クレーターなんかがどこかしこと形成されていたのだ。まるで隕石。静寂の教会は、胃の中を焼かれたクジラみたくボロボロに傷んでいた。

 変わらず生物の気配はまったくない、歪んだ夢の中のような空間だったが……。

「……んだこれ……石? 岩のカケラかなんかか」

 ミニクレーターの中心部に、灰色の破片を発見した。何か意味があるんだろうか。注意深く観察してみたが、どう見ても石の破片にしか見えない。

 月光しかない青い闇の教会で、どこからか、ずしんずしんなんて重々しい音が聞こえる。巨人でも暴れてるのか。

「…………ち……面倒だな」

 この大教会が天使の根城なのは間違いない。さっきから視界をチラつく白羽の幻影が、俺に天使の気配を教えているのだ。

 だが、それにしたって、こんな訳の分からないクレーターを量産できる奴が相手ってのは面倒だ。巨人か怪力持ちか――どう転んだって、一撃で人体が吹っ飛ばされる相手なことだけは間違いないんだから。

「気合い入れねぇとなー」

 新たなタバコに火をつける。いつだって、どこでだって元気のもとはニコチンなのだ。ああ麗しのニコチン様よ。ニコチン最高、タバコがない人生なんて生きてる意味がない。

 ――パンがないならタバコを吸えばいいじゃない?

「明日の昼飯どうすっかなー。あ、タバコでいいか」

 だはは、がははとバカ笑いしながら廃教会ダンジョンを邁進した。古びた図書館みたいな砂になってくずおれそうな壁、絨毯の模様みたいな天井、意味もなく幾何学的な床。この光景ゲームで見たことある。まんまデビルメイク○イのステージだ。砕けて鉄骨をむき出しにした天井の穴から骸骨でも襲ってきそうだったが幸い、クレーターばっかで誰もいない。

 代わりといっては何だが、行き倒れた少年兵が倒れていた。俺は冷めた心境で手負いのガキを見下ろす。

「ぐ……ぅぅ」

 たとえどれほど無垢な少年だろうと、血を流して苦しんでいようと、背中に羽がある奴は家畜だ。

 そばには少年が使っていたらしき真新しい槍なんかが転がっていた。傷ひとつないのでもしかすると、本当に新品だったのかも知れない。なら、戦場の礼節を教えてやらないとな。

「よう、辛そうだな。胸か? 脚か? 腕か? 頭か? どこが痛いんだ、遠慮なく言えよ。すっきりふっ飛ばしてやるからさ」

「!」

 俺が向けた銃口に、引っ張ったスライドの音にようやくこちらを向いた。ただし身動きできないらしく、顔だけではあったが――表情は、手負いの犬のそれ。

「うぅぅ……! なんだ、おま、え――!」

「あん? 見て分からない? 敵だよ敵、そんでもって、お前にトドメを刺す人間サマさ。でどこ希望? 頭? 心臓? なに遠慮すんなって、これも戦場の礼儀ってやつさ」

 すなわち、殺らなきゃ殺られる弱肉強食の絶対律。武器を手にしたが最後・もう甘やかしてなどもらえない。

 殺すってことだ。俺だって兵士だから、遠慮などしない。

「……くそ、くそ、くそくそくそくそ――ッ!」

「あぁん? 泣いたって駄目だぜボウヤ、誰だって死ぬときゃ死ぬんだ。お前が誰かを殺そうとしたのと同じように、お前も誰かに殺される。殺しあうってのはそういう契約書にサインするってことさ。何かおかしいか? 間違ってるか? いやいや、絶対的にただしいね、戦争やって生きてきた人間サマのジャスティス理論だね」

「ふざけるな! 僕は、僕はぁああああ!!」

 大人にでも、なりたかったのだろう。哀れなやつ。周囲が止めるのも聞かないで兵士になんてなるからそうなる。

 俺はくわえタバコをふかしながら、人類ってのがミサイルの雨と核を降らせたクソ生物だったことを思い返した。

 まったく俺たち腐ってら。浅葱光一も天使狩りも、狩人も戦争屋もそれ以外も。

「お前も、“あいつ”の仲間かぁ――ッ!」

 槍を、武器を握ってしまった手、ダウト。

 吠えた顔を、大口径銃で吹っ飛ばされてガキは死んだ。散る脳漿。すぐさま灰になって、次に炎のような七色の燐光になってあっさり消えていった。まるでロウソクを何かの化学変化で急激に溶かし蒸発させたみたいな散りざまだった。

 跡形も遺さず消え去った天使の跡を、つまり床に残された槍を見下ろしながら、俺は少年の遺言を咀嚼する。

 周囲を振り返った。無数のクレーター、天使は死体なんて残らない。

「………………“あいつ”……?」

 少なくともタケルではないはずだが。

 いつの間にか鳴り止んでいた、ずしんずしんっていう重いものが断続的に墜落するような音。手負いだった天使。この廊下の先で一体、何が起きているのだろう。

 前方廊下の先、教会の奥のほうばかりに目をやっていたためか――

 背後から振るわれた凶器がかなり至近距離で唸りを上げるまで、俺はいつの間にか現れていた殺気に気付けなかった。

「ッ!?」

 ほぼ脊椎反射だけで防いだ。突き出された日本刀の切っ先を銃身で弾いてやり過ごしたのだ。わけわからん物質でできてる俺の愛銃だからこそできる芸当――で俺は、この俺に刀向けてきたバカを睨みつけていた。

 長い長い、長い沈黙が大教会の暗黒をしばらくの間支配した。

「…………おい。何の冗談だタケル」

「ん。そのたばこ臭い声はまさか、光一か?」

「見りゃ分かんだろ、知ってて斬り掛かってきただろお前」

 俺と同じ学ランにおかっぱみたいな黒髪と、何より大理石みたいな言いようのない色を宿した双眸。

 いかに薄暗いといえど間違えるものか。俺の銃と鍔ぜり合いをしているのは間違いなくタケルだった。

「ほう……そうか光一だったか。何やら楽しげにいたいけな少年を銃殺していたのでつい、敵だと思ってしまってな」

「馬鹿言ってんじゃねぇや。天使を殺して何が悪い」

「悪いとは言っていない。だから俺は、怒りの感情を表明しない」

 そう言って静かに澄んだ表情を向けてくる顔は、いつものタケルだったが。しかし鍔迫り合いに込められた力はいつものタケルではない。

「……俺はな光一、お前を買っている。いかな天使が相手だろうと、幼い少年を喜び勇んで虐殺する腐った家畜殺しが趣味だとは思いたくない」

「いいこと教えてやるぜタケル。戦場で敵兵を見逃すってのはよ――――逃した兵に、身内を殺されたって文句言えないってことだ」

「そうだな。だから、この話はこれで終いだ」

 キン、と超高速で納刀される日本刀。紫の残像が見えそうだった。

 しばし睨み合ったが益なし。腐った俺たちはだらだらと、教会の奥へと進むことにした。

「……ったく、何なんだお前。意味分かんねーぜ」

「何、意味なんてないから気にするな。お前のタバコと同一だ」

「ああそうかい、愉しみだか嗜みだかってやつ? 物好きだねぇ、ガキといえどほら、相手は羽人間だぜ羽人間。んなもんに感情移入するなんざ気味が悪いっての」

 そして――感情移入してはいけないとも思う。天使たちは何の故あってか人間を殺す。十年前から、いや俺の親父の時代からそれだけは変わっていない。

 殺される人間に法則性はない――ただただ、ここ数年で爆発的に行方不明者の数が伸びていることくらい。

「まったく人間外の行動原理は分からん。何なんだアイツら? 何の恨みがあって人を襲う」

「それは俺が聞きたいのだがな。アレの専門業はお前だろう、光一」

「専門業っつったってなー。単に狩ったり殺したりする技術のプロであって、実際俺らにも何だかわからないんだぜ、アレ。」

 春子さんにも、そして親父にも真実“分かって”などいないのだ。普通に考えれば――――神様の遣い? 馬鹿げてるにもほどがあるだろう。

「そうか。お前にも掴めてはいないのか」

「ああ、ワカンネ」

「部外秘だが――」

「ん」

 伊達男の声のトーンが沈んだ。横顔は味気ない、教会内は静寂的な情緒たっぷり。

「……一度、狩人が天使を捕らえて拷問したらしい。“お前たちは何者なんだ?”とな」

「マジか。初耳だぜそれ」

 いっけねぇ、春子さんにも教えなくっちゃ。

「“我らは神に仕える兵士である”――って、答えたんだそうだ。死ぬまで拷問し続けても、それが真実だと言い張って撤回しなかった」

「…………」

 やっぱやめ。くだらなすぎる。俺は吸い終えたタバコを指で跳ね、神の住処とやらにポイ捨てしてやった。

「神様か……んなもんがいるんなら、俺に一生分のタバコと金を恵んでほしいねぇ」

「実に即物的で刹那的で快楽的だな。そんなだからお前は運がないんだ」

 ああうるせぇ。金はねぇ、主に、ぜんぶパチンコのせいだ。

「なぁタケル。神様って、いるのか」

「いるらしいな。お前が言うところの羽人間どもの証言だが」

「なぁタケル」

「なんだ」

「偽善ぶったところで、俺たちゃ人間側なんだぜ?」

「――――」

 主に、さっきのガキの件についてである。そう我々はヒト・ホモサピエンスなのであって、ああいった羽の生えた奴らとは相容れない。感情移入する場合は俺たちゃ“こちら”側に立つべきだし、立たなければならないのだ。

 何か得心したのか、タケルがかすかに目を見開いていた。

「……まったく、お前という奴は実に的を射ている」

「そうか? 単に排他的なだけだが。俺、身内以外は人間すら嫌いなんだ」

「ああ、そうだな光一。俺も狩人だ。立つなら100%人間側で、そのことに罪悪感を感じる必要はない――――お前らしい、実に“ひとでなし”な理屈だな」

 そんな言葉を言いながら何故、こいつはとびきりのギャグでも聞かされたように笑いを噛んでいるのか。

 俺らしい=ひとでなし、という部分が実に心外である。

「ま……どうでもいいけどよ。ああくだらねぇ」

 本当に、本当にどうだっていい。善か悪か? 正義か罪か? そんなことには微塵も興味がない。そんな価値観に意味はない。

 ただただ、立ち上るタバコの煙を見上げながら思うのは俺って本当にどうしようもない人間だってこと。

 汚れ役という言葉が最高に似つかわしい。

「さて……どう思うタケルちん、あの硬そうなドア」

 俺たちの前方にいよいよ、終着駅が見えてきた。まっすぐな廊下に蓋をするようにしつられられた、大聖堂へと続く扉である。

 あの先に――この教会の主が待ち構えているのか。

「油断はするなよ光一、どう見たってボス戦のフラグだ」

 ああ、そういえばそんなゲームやってたね。タケルは再び刀に手をかけ、俺は二丁拳銃を両肩に掛けて扉の前に立つ。

 鯉口を切る音、張り詰めていく沈黙。ここは戦場で、俺もタケルも殺し合いの契約書にサインをした死にたがりの一員なのだ。殺そうとするように殺されても文句など言えはしない。そしていつかあっさり死ぬだろう。

 ――今夜は生きるか? 死ぬか? そんなことはやってみなければ分からない。

「いくぞ」

「応」

 タケルの抜刀がドアをチーズのようにスライスし、俺が銃弾ぶち込んで蹴り飛ばす。実に豪快で迅速な突破作業だった。

「くたばりやがれぇええええええ――ッ!!」

 掃討射撃を開始するため銃口を双龍の如く突き出す。しかし、引き金を引く前にあらゆる思考が停止した。断線した。俺は目を見開いたまま完全に動けなくなった。

「………………あ……?」

 赤い。

 赤い赤い赤い赤い赤い赤い、赤い赤い血のような両翼。

 ――――脳裏をよぎるあの日の影になった死神の目、俺を見下ろす悪魔の蛇笑い。

 そんなものが、クレーターだらけの大聖堂の真ん中で立ち尽くしていた制服姿の少女と何故か重なる。

 ――背中を駆け上がる官能にも似た恐怖と絶望の痺れ、いますぐに俺を殺そうとするほどの悪寒の津波。

 見間違えようもない。この10年、夢のなかで一体何度、あいつのあの赤い翼を繰り返し見たことか。

「…………え?」

 そいつは血を浴びた頬をそのままにぼぅっとこちらを振り返る。俺はばかみたいに間抜けな声を漏らす。

 そいつは性懲りもなくまた生物を殺していた。あの日、街中の人間を蟻みたく挽き潰して虐殺した時のように。何も変わっていない。あいつはいつだって血に濡れていた。

 右腕で白羽の天使の心臓部をブッ刺し、片腕だけで持ち上げている神話のような絵。殺したのか。あいつが、この教会の主を、俺たちの戦うべき敵を虫みたく殺しちまったのか。

 神の膝元、ステンドグラスに飾られた大聖堂、そこに人食い少女みたいな赤羽の地獄が。


「……………なに? おまえ。」


 “椎羅”がいた。



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