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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
逆理
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3

 全てが、あっという間だった。

 雲は天上でみるみる流れ行き、うねる波は飛沫を上げて瞬く間に砕け散る。そして時もまた、この島に着いてはや1節が過ぎていた。そして今、帰りの船を出す時を待っている。

 もっとも、この分ではまた数日待ちそうな気配ではある。来た時も辛うじて晴れ間を縫ったが、今の時期は最も海の荒れる真冬の最中である。今日も海は、うねりが激しい。

 ジャンは行きの船旅の有様を思い出し、帰りはあれ以上かと暗澹(あんたん)たる気分になるが、今更それを思ってもどうしようもない。

 今、できる事と言えば、ただ待つしかない時間を使って、この島での出来事を振り返る事くらいだった。


 自分達がこの島に来た目的は、完全に果たした。硝石の買い付けも出来たし、島の港への入出港料や関税は、どこよりも優遇された条件で契約を結ぶ事が出来た。

 今後も北方航路での交易は、安東(あんどう)家の重要な財源となり、戦費となるだろう。

 またアドス島の金を巡る一連の交渉の副産物として、アドス市の好意と、北朝政府との繋がりを持つ事が出来た。

 交渉後にコルデロと会った時に、もし今後何かあった時には、本気で安東家を傭兵として雇って守ってもらおうか、などと言って笑っていた。

 交渉の際に、財務卿を味方に引き込んだおかげで、北朝政府にも一つ貸しを作った事になる。

 これで一応、南朝方を名乗っている安東家も、向こうにも利益が入る交易ならば、露骨な妨害を受ける事は無くなるかもしれない。もっとも、政府の実権を握っているペルティナクス大公の一声でどうなるか解らないが。

 事のあらましを知ればユアン公爵からはさぞ不興を買うだろうが、玄州(げんしゅう)総督に就いたばかりで、これから州の反対派を抑えて確固たる地盤を築かなければならない公爵に、大した事をする余裕は無いだろう。

 沿岸の港を封鎖するくらいはしてくるかもしれないが、アドス島が有る限り、ほぼ無問題である。

 結果を見れば、今回この島を訪れた事で、思わぬ幸運を拾ったと言える。


 幸運と言うならば、硝石の取引相手である大商人のロウと組んでのジルコンの相場で一儲けした事。あれこそまさに幸運だろう。

 いくつもの偶然が重なった結果、自分達は相場を動かす立役者として働き、儲ける事が出来た。

 一度は駄目かと諦めもしたが、提督とロウは綿密な準備の末、『奇跡』を演出して見せた。あれも計画の内だったのだから幸運とは言えないかもしれないが、やはり自らの力で引き寄せた『幸運』だったと思う。

 だが結局あの相場で一番儲けたのはロウだろう。と言うよりも、ロウが描いた絵図に丁度あてはまる存在が安東家だったのであって、要はロウの思惑に乗せられたのである。

 儲かったので良いが、その前の硝石の買い付け交渉の際の駆け引きも併せて考えると、やはり大商人だけあって恐ろしい人物であり、敵には回したくない。

 だがその心配は無いだろう。ロウは安東家の当主に興味があると言う様な事を言っていた。それは決して否定的な感情では無い様なので、何か双方が大きく儲けられる話でも持ちかける気なのかもしれない。


 黄金の島・アドス島。実に甘美な島だった。美しく、豊かで、食べ物はおいしく、気候もいい。誰もがこの島での生活に、快楽を覚えるだろう。

 いや、誰もがと言うのは少し違う。十人に一人か、百人に一人か、とにかくここでの甘い暮らしを楽しめない人間も、間違いなく居るだろう。

 ひょっとしたら自分もそうかもしれないとジャンは思った。この島で甘く、穏やかな日々に浸かり切った自分は、どうにも想像できない。

 今ですら何もしない事に漠然とした不安を覚えるのだから、そんな生活をしたら、ひょっとすると発狂するかもしれない。

 いや、発狂するでは無く、この島を楽しめない人間が居るとしたら、それはすでに狂人に分類される事だろう。まともな人間が、思いつく限りの楽園を絵に描いた様なこの島を、楽しめないはずがない。

 だが、それが狂人と言うのなら、自分は狂人でいいかもしれない。少なくとも、自分はまともな人間ではないと思っているし、今はまともな人間でなくてもいいと思っている。

 なぜなら、まともでない人間がまともでないまま得られる楽園を、創ってやろうと言う人に、自分は惹かれているのだから。

 それにこの島は、単純な楽園などでは無い。誰もが涎を垂らして欲しがる、魔性の魅力を持った島でもある。今回の騒動も、この島の魔力に魅せられた者達が起こしたものだ。

 結局一番おいしい所を持って行ったのが、魅せられた者でも無く、住んでいる者でも無く、冷徹な打算の上に動いた者だったと言うのも、生々しいものがある。

 今回はその冷徹なる者が自分達であったが、次もそうだとは限らない。ましてや自分自身となると、魔力の虜にならないと言う自信は無い。

 そう思うと、この島の美しい風景までが裏に悪意を秘めた罠の様に思えてくる。全く、ついさっき楽園と形容したばかりだと言うのに、自分を含めて人間とは勝手なものだ。


「おーい、ジャン」

陶明(とうめい)、お前こんな所でぶらぶらしてていいのか」

「またしばらく船を出せそうにないらしいからな。船乗りもしばらくは陸の上で時間を潰すしかない」

「そうか。まあ、この様子じゃそうだろうな」

「お前もこんな所に突っ立っていないで、どこか暇つぶしのできる場所にでも行かないか?」

「それが目的だな? 一人じゃつまらないから、俺を巻き込もうと言う魂胆か」

「魂胆とは酷いな。せっかく誘ってやったのに」


 そう言いながらも、陶明は笑いを隠さない。笑いだけでなく、なんであれ素直に顔に出る男である。


「まあ、いいか。少し冷えて来たから、何か温まる物が飲める所が良いな」

「お、いいな。どこに行こうか?」

「宿の一階でいいだろ。その方が安上がりだし、勝手にあまり出歩くと何かあった時にまずい」

「気にしすぎだろ。どうせしばらく出航も入港も出来ないんだから、何も無いって」

「お前の方こそ考え無しの迂闊すぎだ。もうちょっと慎重に物を考えろよ」


 言ったところで無駄な事は解っている。それほど親しい付き合いをした訳では無いが、偶然で出会ってからもう一年の付き合いになるのだ。

 ジャンは鼻からため息を一つ吐きだして、さっさと宿の方へと歩き出した。陶明もそれに文句も言わずついてくる。

 文句を言ったとしても、所詮それは軽口だろう。


     ◇


 長い滞在で、いい加減ここに住んでいる様な気がしてきた宿の一階で、ジャンと陶明は取り留めの無い事を話しながら、暖を貪っていた。


「で、どうなんだよ?」

「なんだ、藪から棒に。どうと言われても、何の事だか解らん」

「提督なんかがこの島に来て、色々やってた事だよ。俺はほとんど水夫の仕事と雑用と鍛錬で、その辺がどうなったのかよくは聞いてないんだ」

「ああ、そういう事か。そうだな……色々有ったが、まあ万事上手くいったな」

「その辺詳しく」

「詳しく、と言われもな。どう説明したものやら……」

「なんだよ、もったいぶるなよ」

「もったいぶってる訳じゃない。お前に解る様に説明するには、どうすればいいか悩んでいるだけだ。なにせお前は馬鹿だからな」


 馬鹿の部分を、少し強調した。


「まあ、経済がどうの、駆け引きがこうの言われても確かに解らん!」

「威張って言うな! 威張って!」


 軽く頭痛を覚えながらも、なんとか陶明に解る様な説明を考える。


「細かい説明は省いて言うと、この島に来た目的、儲けるための準備は上手く行った。これから商売をすれば、何かしくじったり、良く無い事が起こらない限り、儲けられるだろう。

 そのついでに、この街の自治会と、それに北朝政府ともいくらか仲良くなる事が出来た。おかげでこれから商売を邪魔される事は無いだろうし、上手く行けば手を貸してくれる事もあるかもしれない。

 この二つのおかげで今後、金の心配はまずしなくていいだろうし、収入源を守る事も心配しなくていいだろう。つまり、戦に専念できるようになる。本格的に、全力で俺達の敵との戦争が始まる事になるだろうな。解ったか?」


 陶明の顔を見ると、どこか遠くを見つめているような表情をしていた。


「……おーい、大丈夫かー?」

「ああ、うん、大丈夫大丈夫」

「ほんとかよ」

「大丈夫だって。それで、気になる事が有るんだけどいいか?」

「いいぞ。と言うか、一応ちゃんと理解してるんだな?」

「理解できてるかどうかは解んないけど、お前商売は心配無くなって、戦に専念できるって言ったよな?」

「ああ、言った」

「これからは、多分ずっと戦いっぱなしになるんだよな?」

「多分な。元々長期戦は勝ち目が無いって話だったし、金の心配が無くなったらもう、四六時中戦う事になるんじゃないか?」

「そうなるとむしろ、こっちの商売の方に集中しなきゃならなくなるんじゃないか?」

「は?」

「だってそうだろう? 金の心配が無くなって、戦に専念するとなると、商売の方はどうしたって手薄になるだろう」

「まあ、そうなるな」

「そうなったら、俺達の敵は真っ先に俺達の資金源を断つ事を考えるんじゃないか? で、それを防ごうと思ったらそっちに集中しなくちゃならなくなる」

「つまり……敵からしたら標的が一つ増えて、俺達からしたら守らなくちゃいけない場所が一つ増えた事になる、と?」

「そうなるんじゃないかな。だからまあ、これからもっと大変になる様な気がするけど、その辺はどうなのかなって」

「いや、そこまでは俺も解らん。しかし、そういう考え方もあるのか……。これは、あれだな」

「なんだ?」

「馬鹿って偶に良い事言う」

「褒められてるのか、それ?」

「お前の解釈に任せるよ」

「じゃあ、褒め言葉と受け取っておこう」

「全く迷いが無いのな」


 半ば呆れつつも、この迷いの無い楽観主義は少し羨ましいと感じた。もっとも、楽観的過ぎて深く考えずに行動に移すきらいがあるのは、一兵卒とは言え仮にも軍に籍を置く者としてどうなのか。

 その辺りはまあ、自分が偶に手綱を引いてやればいいだろう、とジャンは思った。


     ◇


 雑談の種の乏しくなってきた頃、エステルがやって来て召集を掛けた。

 何事かと(いぶか)しみながらついて行くと、すでにほぼ全員が集まっていた。残り数人が集まるまで待ちを喰らったが、向き合う形で前に座す提督の様子からして、緊急でも重大事でもなさそうだ。

 やがて全員が揃い、エステルと提督が並んで前に立つ。


「皆、急に呼び立てて済まなかったな。悪い話ではないので、楽にして聞いてほしい」


 提督が語り出す。その手には何やら、手紙らしき物が握られていた。


「先日入港した郵便船で、本国から手紙が届いた。儂とエステル殿に宛てたごく私的な手紙だ。

 しかし内容に関しては、皆にも早く伝えておいた方がいいと思い、集まってもらった」


 差出人は銀華(ぎんか)だろうと思った。高星ならば、おそらく私的な手紙と言うものは書かないし、他にわざわざ真冬の荒海を越える手紙を送ってくる人物は、思い当たらなかった。


「この手紙によると……なんと殿の奥方にご懐妊の兆し有りとの事だ!」


 ざわめきが起こる。ご懐妊の兆し有り、つまり、それは。理解が追いつく前に、提督の駄目押しの一言が響いた。


「殿にお子が出来たぞ! 男ならばお世継ぎだ!」


 わっと歓声が上がった。子供、世継ぎ、棟梁に? ジャンは呆然としたまま、喜びに沸く周囲の者達に巻き込まれて、されるがままにもみくちゃにされた。

 まだ男と決まった訳では無いだろうとか、そもそもまだ生まれても居ないだろうと言う様な事は、考えるだけ無駄だった。

 いずれ来るべきもの、来なければならないものが来たと言うだけの事なのだ。ただそれが不意の事で、実感できずにいると言うだけの事なのだ。

 だがそれでも思わずにはいられなかった。早い、早すぎると。

 自分が覚悟を決める間もないまま、どんどん時が流れ、全てが変わってゆく。自分はまだほとんど何も成していないし、できないままだというのに。

 周囲の様に無邪気に喜ぶ事などできなかった。自分が置いて行かれる様な気がして、不安と焦燥感ばかりが胸を占めていた。

 つまり、自分には全く覚悟が足りないのだ。

 生きる事に対する覚悟が、まだまだ足りていなかったのだ。

黄金の島編<了>

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