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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
三つ巴利権争奪
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4

 雪が舞う中を帰って来たエステルは、流石に体が冷えたらしく、たっぷりとしょうがを入れて温めた葡萄酒を一気に飲み干して、大きな息を吐いた。


「ふう……やれやれ、こういう時の一杯は、実に抗い難い魅力を持っているものだ」

「そんな事より、裏を掴んできたってどういう事ですか。エステルさん」

「ああ、順を追って話そう。まず確認だが、君と提督殿がこの街の有力者であるコルデロ氏の屋敷の前で見かけた、グオ・コウゼと言う名の痩身の男と言うのは、こいつで間違いないか?」


 エステルが似顔絵の描かれた紙を取り出す。確かに、あの時コルデロ邸の前で押し問答をしていた、そしてそれ以前にもジャンが何度か見かけた男で間違いなかった。


「間違いありません。こいつです」

「儂も、間違いないと思う。身元が解ったのか?」

「ああ。この男、ユアン公爵の手の者だ。公爵の意を受けて動いているのでほぼ間違いない」

「この男の。いや、ユアン公爵の狙いは?」

「この島から産出する、膨大な量の金」

「まあ、そうでは無いかと思ったが、それにしては不可解だ。儂らの方で掴んだ情報によると、財務卿が勅命までちらつかせて今まで以上の金の供出を要求しているらしい。

 だと言うのに、何故公爵が金の取り立てに人を送り込んでいる? 確かにこの島から金を徴収するのは、玄州(げんしゅう)総督に就任したユアン公爵の管轄だが、それにしては政府と公爵が共同しているという事実を(うかが)わせる情報は、全く無かった」

「それなんだが、財務卿とグオ氏が言い争っているのを見たと言う者が居た。その時の様子は、お互いにどうしてここに居るのだと、責めている様な様子だったと言う」

「両者は、別々の思惑を持ってこの島に来ていて、偶然に出くわしたという事か? しかも、お互いに相手がこの島に居るのは、都合が悪いと考えている」

「ただしその言い争いが有ったのは、7日ほど前の話になると言う。それ以来、両者が顔を合わせたところを見た者は居ないらしい」

「喧嘩別れか。いや、そう単純でもないかもしれんな。水面下で密かに連絡の取り合いをしているかもしれん。

 だが一つだけ、これだけは確実に言えるという事が解った」


 提督が一旦言葉を切り、溜める。ジャンもすでに、この街が今、どういう事態にあるのかを理解した。提督がおもむろに口を開く。


「この島は今、金の取り分を巡って、三つ巴の争いの中にあるという事だ」


 それが、この街を覆っている問題の核心にして、急所だった。

 政府、公爵、そしてアドス市がそれぞれ、自分の金の取り分を増やす、あるいは守るために、複雑な駆け引きを行っているのだ。


「政府は他の場所からの金の上りが少なくなった分、この島から取り立てる分を増やして金貨を作り、政府としての信用を守りたい訳だ。

 ユアン公爵は……」


 政府の立場は理解したが、公爵の立場を把握しきれていないジャンが、言葉に詰まる。

 提督が、ジャンが詰まった先の言葉を続けた。


「玄州の総督には、この島からの金の徴収を代行する手数料として、徴収した金の一部を受け取る権利がある。

 玄州総督に就任した公爵は、その権利を行使して自分の懐に入る金の取り分を増やしたいのだろう」

「それでいて政府も公爵も、相手を出し抜いて自分だけ金が得られればいいと思っている。

 お互いに出し抜こうとしてこの島に人を送ったら、鉢合わせしちゃったという事になる訳ですね」

「そういう事になるのだろうな。そうすると、この街の苦しい立場についても見えてくる」


 今度はエステルが、その続きを口にした。


「この街が自治権を持てているのは、他に無い大きな財力を持っているからだ。財力が権力の源泉となり、自治都市として独立が保てている。

 もし財力を大きく吸い取られてしまえば、この街の持つ権力は大きく低下し、自治権の無い一都市に成り下がる事もありうるだろう。

 さながら煮えたぎる釜の下から、燃料の薪が抜かれていく様なものだ。徐々に熱を失っていく」

「街としては、ひとかけらの金もこれ以上出したくないでしょうね。一度でも金を差し出したら、二度三度と要求されるに決まっている」

「そうだな。こちらが一歩譲歩すれば相手も一歩譲歩して、お互いに妥協点を探るような交渉ではない。

 一歩でも引き下がれば、その分相手が踏み込んでくる戦いだろう。だが相手方が本気で押して来たら、この街に勝ち目は無い。

 いくら財力と権力を持っていても、総督や政府が相手と言うのは分が悪すぎる。そこをどう切り抜けるかで、街の上層部は手一杯なのだろう」

「だから俺達との交渉なんてやってる余裕が無いって、門前払いにされたのか」


 地道な調査の甲斐あって、全てでは無いが概要は見える様になった。

 ではどうするのか? ジャンは、コルデロの邸宅から帰るときに提督と話した事を、忘れてはいなかった。


「この情況でアドス市に恩を売るには、政府と総督を相手取って、アドス市の今の権利を守り抜いてやればいい。という事になる訳だ」

「うむ、そういう事になるだろうな」

「……で、どうすればそれが出来ますかね?」

「それはまた、これから考えるしかあるまい。

 もっと具体的に、それぞれの狙いがどこにあるのか。何か問題や弱点の様なものを抱えていないか。

 当事者達の詳しい思惑を知る。あるいは、ある程度根拠のある予想を立てられる様にならない事には、部外者である儂らでは手が出せん」

「つまり、また情報収集ですか」

「根気とひらめきの作業だな」


 それしかないかとは思いつつも、また地道でハードな作業の繰り返しかと、辟易するしかなかった。


     ◇


 翌日からの情報収集は、ピニエル財務卿、グオ・コウゼ、そしてアドス市自治会の有力者の周囲を張り込んで、それぞれの現在の動向を調べるという動きになった。

 そうして得た動向の情報を持ち帰り、総合して、その思惑を推測する。ジグソーパズルを組み立てる様な作業である事は変わらないが、一つ一つのピースが異常に細かくなった様な手間と複雑さだ。

 ジャンは昨日の情報整理の手腕がそこそこ認められて、引き続き次から次へともたらされる、価値が有るのか無いのか解らない情報の洪水を捌く作業に追われる事となった。

 ある程度認められた事は確かだが、それが本人にとって幸か不幸かは判断の分かれるところだろう。

 陶明(とうめい)は全く役に立たないという事で一連の仕事から外され、独自に提督から鍛錬を課されていた。

 本人はそれを苦にするでも無く、むしろ性に合っていると喜んでいるが、こちらはこちらで本人にとって良いか悪いかの判断が分かれるところだろう。

 兎にも角にも地道で多忙な作業に追われ続けるジャンであったが、それでも朝から冬の早い陽が傾き始める時間帯まで集中力を保ち続けたのは、かなり頑張ったと言って良いであろう。


「う~へぇ~……。もー駄目、もー辛抱できん……」


 窓から差し込む西日に照らされる机に突っ伏しながら、ジャンはとうとう音を上げた。

 誰に言った訳でも無いし、誰からの返事も返ってこない。調べる対象が増えたため、そちらに人員が割かれて、居残り組は手薄である。

 その手薄な人員が、それぞれ山の様な未整理の情報に埋もれていて、返事をする余裕も無い。いや、ジャンのぼやきが聞こえているかも定かではない。


「一体いつになったら終わるんだこれ。いやそもそも、前に進んでいるのか……?」


 前進しているとしても、米粒の様な小さなピースを組み上げていく作業では、ほとんど進捗が有るのか解らない。

 進んでいるのかいないのか解らぬまま地道な作業を続けるのは、苦痛を通り越してもはや拷問の域に達していると思った。

 これで実はまったく何の役にも立たなかったりしたら、それこそ完全に心が折れるだろう。


「でも世の中こういう仕事をずーっと続けている人も居るんだろうなぁ……、心底尊敬するわ」


 軽く現実逃避していると、誰からか声を掛けられた。しかしジャンはすぐにはそれを認識できず、何度か呼びかけれてハッと気づいた。


「はっ!? あ、いや、サボってないですよ!」

「いや、別に叱りに来たわけじゃなくて」


 同じ居残り組の一人だった。名前は知らないし、会話をした事も無い。


「おやつ食べるかい? さっき休憩がてらに買ってきた」

「あ、いただきます」

「あっちに置いてあるから、好きに持って行ってくれ」


 向こう側の机の片隅に、木皿に載ったおやつが置いてある。干し芋だった。

 一つ取りに行くと、ジャン以外の者もそれぞれに干し芋を(かじ)りながら机に向かったり、どこから持ちだしたのか、火鉢に網を乗せて干し芋を(あぶ)ったりしている。

 せっかくなのでジャンも網の片隅を拝借して、芋を(あぶ)る。

 特に会話をする訳でも無いが、親しい雰囲気と連帯感の様なものを感じた。もう少し、頑張れると思った。


     ◇


 流れが変わった。いや、まだ変わりつつあると言う様な微妙な変化だ。だが確実に、事態に変化が起きつつあった。

 政府の代表である財務卿と、属州総督ユアン公爵の旗下の者であるグオ氏の行動に、示し合わせたような動きが見え始めた。

 例えば、同じ人物の屋敷をそれぞれ同じ日の午前と午後に訪ねたり、ほぼ同時刻にそれぞれ別の高官を訪ねたりしている。

 ある時から偶然の一致と言うには、不自然すぎる程にそういう事が頻繁に見られるようになった。


「まずいな……」


 流石の提督も、はっきりと顔を曇らせている。


「お互いに一時休戦してまずは金を絞り上げ、分け前は後から考える。と言ったところですかね?」

「そんなところであろうな。お互いに出し抜こうとしていたのが、そう簡単に合意に達するとは思えん。それでもまずは金を確保する事を優先したのだろう。

 こうなってしまっては、街の方には勝ち目が薄いな。それはまずい。他人事ではないぞ」

「街が金を徴収されて大損すれば、いくら将来的には儲けが出ると言っても、俺達安東(あんどう)家に優遇措置を認めて、これ以上の出費をしようとは思わない。ですか?」

「そうだ。だからこそ何とか街の利権を守ってやり、恩も売っておきたかったのだが、政府と総督が手を組んでとなれば、勝ち目は無い。

 流石に一枚岩という訳ではないだろうから、何とか仲を裂ければ突破口が開けるかもしれんが、どうしたものかな……」


 皺だらけの顔にさらに皺を寄せて提督が悩む。

 ジャンはなんとなく、手近なまとめ資料の紙を一枚取って、目を落とした。

 何か、引っ掛かりが有る。政府と総督が一時休戦して、共同してアドス市を追い詰め始めた。それは間違いない。

 だがそれ以外に、何か感じるのだ。文字に記された事実の向こうに、何か文字に出ない、人の意思・思惑が微かに見える様な気がする。


「……焦ってるんですかね?」

「なに?」

「いや、政府と総督が、それとも財務卿とグオ氏かな? とにかく、焦ってる様な気がしたんです」

「焦っている……何故、そう思う?」

「何故、と言われると、なんでかな……。

 そう、一時休戦して金を確保したとしても、それが自分の物になるかは解らないじゃないですか。その後の取り合いに負けたら、むざむざ相手のために金を取り立ててやった様なものです」

「ふむ、確かに」

「それでも一時休戦したのは、お互いに相手に勝つ自信があるのか、それともこのまま三つ巴の膠着状態を続けるのがまずいからじゃないかと思うんです」


 話すごとに、言葉にするごとに、思考が明確になってくる。頭の中だけで考えていたときよりも、はっきりとものが見える様になってきた。


「お互いに相手に勝つ自信があると言いましたけど、政府もしくは総督が、相手を出し抜く自信があるなら、もっと立場の弱いアドス市から金を取るのに、共同する必要があるのは不自然だと思います。

 つまり、これ以上問題を長引かせたくない、と言うのが本音ではないかと思うんです」


 ジャンの言葉が終わってもしばらく提督は、無言で腕を組んで考えている様だった。

 何か大きな間違いでもしただろうかと、ジャンは背中に冷や汗が流れるのを感じながら、提督が何か言うのを待った。何十分もそのままでいた様な気がする。


「問題をこれ以上長引かせたくない、か。そうだとしたらその意思は、それぞれが抱えている、弱点と言えるものに起因していると見るべきだろう。

 これ以上長引けば困る理由、あるかもしれん」

「本当ですか!」


 自分の推測がそれほど的外れでは無い事に、心底安堵した。


「まず総督ことユアン公爵は、つい最近総督に就任したばかりで、玄州を完全に抑えているとは言い難い。

 公爵に臣従する事に反発を隠さない玄州の貴族も、確かに居るのだ。面従腹背の者も、少なくは無いだろう。そういう者達を抑えて、玄州を確固たる地盤にするのが何よりも優先するはずだ。

 ならば今、アドス市との揉め事を長引かせて、そちらに多くの労力を割くのは避けたいはずだ。ましてやアドス市が、反ユアン勢力に資金援助をする様な事態は避けたいはず。

 決定的な対立は、今は望んでいないだろう」

「だから、これ以上時間は掛けずに、一応の決着は付けたい。損さえしなければ、何も得られなくてもいい。後からどうにかすればいい、と?」

「そういう事だ。少し推論が過ぎるかもしれないが、裏を取っている余裕が無い以上、推論のまま進むしか無かろう。

 次に政府の方だが、こちらの方はおそらく面子の問題だろう」

「面子?」

「政府ともあろうものが、一介の自治都市に要求を通す事が出来なかった。下部組織であるはずの属州総督に出し抜かれた。いつまで経っても進展を見せず、財源を確保できないままでいる。

 どれをとっても、政府としての面子は丸潰れだろう。単に面子の問題では済まず、北朝方を見限る者が出るやもしれん」

「それだったら、政府の顔が立つ形で妥協した方がいい。公爵と共同すれば、とりあえず金の取り立ては成功するから面子は立つ。その後の事はその時また考えればいい、という訳か」

「加えて言うなら、万が一失敗しても公爵を道連れにできる。あわよくば責任を全部押し付けられる、と言ったところか」

「仮にこの推測が正しいとして、どうするべきでしょうか? 推測の裏付け調査は別として、弱みが見えたのなら、何とかつけ込みたいと思うんですが」


 ジャンの問いかけに、提督はこれまでとは違う、余裕のある笑みを見せた。


「安心せい。お主のお手柄のおかげで、十分儂らの勝ち筋が見えた。

 ここから先はまた儂の仕事だな。それも、商人としての戦いだ」


 提督の顔は、勝ち誇っているのをまだ早いと押さえつけている様な、抑えきれない笑みの顔だった。

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