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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
黄金の島
84/366

5

 勝負の日がやって来た。

 この日、朝一にやって来たロウの使いが、今日中に暴落を起こさせたいから用意をしてくれと言う意向を伝えた。


「ジルコンはどれほど集まった?」

「十分かどうかは解らないが、とりあえず一度に売れば衝撃を与える事はできるだろう。175アウレもつぎ込んだのだ、これでしくじれば相当痛いぞ」

「その時はこの白髪頭を下げて殿にお詫びをすれば済む。なんなら頭を丸めよう」


 丸坊主になった提督を想像して、思わずジャンは噴き出した。


「まあ、どのみち高星(たかあき)ならばこれで大損しても、むしろ笑い話として受け取りそうではあるか」


 エステルも半ば呆れ気味だ。


「そういう事だ、あまり硬くなる事も無い。適度に力を抜いて、行くとしようか」


 市場開放にはまだ間があるが、早く場所を確保しなければ人ごみにさえぎられて、思うような行動が取れないかもしれない。

 広場に向かうのは船乗り達まで加えて総勢で20人にもなる。手持ちのジルコンは全て提督が持ち、提督の判断で売りに出すが、何が有っても対応できるように人を散らしておく。

 ただエステルだけは別行動である。一度に売りに出す量が多ければ多いほど効果が見込める以上、ギリギリまで買い付け工作を続ける。

 広場は案の定、市場開放前だと言うのに黒山の人だかりだった。効率化のためか、ジルコンを扱う商人達が一つにまとまり、露店を繋げて大きな店舗にしている。

 情報が確かならば、この商人達は全員グルだ。そしてさらにその後ろに、黒幕が居る。自分達の利益が目的ではあるが、それはこの連中に鉄槌を下す事にもなる。そう考えると、高揚感が高まった。

 目立たない様に少人数ずつ広場に入り、分散して待機する。噂を流すのも、比較的自然にできるだろう。ジャンは提督の傍に付いたまま、露店の前まで進んだ。

 札が掛かってあり、昨日の終値が書かれている。すでに並の質の物で380セルスにもなっている。

 次いで周囲の人々を見渡す。誰もが目を血走らせ、値札を穴が開くほど凝視している。 その中で、一人の男が目についた。そこそこ金持ちそうな男だった。

 何故その男が目についたかと言えば、一人だけ雰囲気が違うのである。周りは皆目をぎらつかせ、熱気を発している様な気迫でいるが、その男だけは悠々としていて、そこだけ温度が低いような感覚がした。

 何者だろうと考えた。初めはロウの様な大商人かと思ったが、本業そっちのけで投機に熱中する商人は信用を失うと言う話を思い出し、不自然だと思った。

 職人と言うにはあまりに身ぎれいだし、そもそも肉体労働に従事する者の体つきではない。

 この街の役人と言われればそういう風にも見えるが、商人ですら首を突っ込むのは躊躇(ためら)われる投機に、役人が手を出すのもおかしいと思った。

 結局、何も情報が無いため根拠のない想像を弄ぶしかできない。そうしているうちに市場開放の鐘が低く鳴り響き、空想は頭から吹き飛んでしまった。

 露店に人が殺到する、だが提督は微動だにせず、腕を組んで屹立していた。


「まずは、様子見ですか?」

「まあ、そうだな。おそらく皆が思うほどには動きも無いだろうし、意外とにらみ合いに終始するかもしれん」


 提督の言う通り、人が殺到したにしてはいつまで経っても値札が動かない。


「やはりな」

「どういう事です?」

「買いたいと言う者は大勢いるが、それに対して売りたいと言う者が少なすぎるのだ。

 多少、売りが有ってもすぐにそれは消化されてしまう。慢性的に需要超過が起こり、取引が成立しないのだ。

 しかし買いたくても買えないまま時間が経てば、いくらか頭も冷えてくる。そこで今の値はおかしくは無いか? と聞かせれば、この空気は一気に変わりうる」

「それを、俺達で起こすんですよね」

「後は機を逃さぬ事だ。長い戦いになりそうだな」


 ジルコン相場は、ほぼ膠着状態に陥りながらもまだじりじりと上がり続けた。

 380が384になり、389まで上がったところで正午を迎え、昼休みに入った。その間、提督は(けん)に徹し、動かない。

 広場に多く店を出しているカフェで昼食にした。ジャンは席に着いた途端、緊張を全部吐き出すような、長く大きな息を吐いた。


「見てるだけなのに、きついです」

「おそらく、多くの者が同じ心境だろうな。そしてそういう余裕の無い状態でいる者の心は、脆い」

「ロウ氏は、今日中に暴落を起こしてほしいと言ってきたんですよね?」

「できれば向こうが合図を送ってきたときに起こしたいが、現場の判断に任せるとも言っていた。

 あちらの企みを成すには、もう少し時間が必要なのかもしれん。とは言え、そろそろ動かねば自然に暴落が起きてもおかしくは無いな」

「ううっ、連絡を待つべきか、打って出るべきか、悩みどころですね」

「戦と変わらんな、こういうところは」


 隣の席に座った客が提督に耳打ちをする。何の事は無い、別行動をしている仲間の一人だ。

 耳打ちはわずかの間の事で、二言三言しか言えないはずだが、それで通じたらしい。あらかじめ暗号の様なものを用意していたのかもしれない。

 提督の方も小さくうなずいた後は、素知らぬ風に海鮮炊き込みご飯が美味いなどと笑顔を浮かべていた。


     ◇


 午後の市場が開いてすぐに動きが有った。まとまった量の売りが入ったのだ。

 と言っても、暴落狙いの安東(あんどう)家が抱える様な量では無く、見た限りでは200個から300個の間と言ったところだった。

 いくらで買ったのかは解らないが、これだけ纏め売りをすれば結構な利益になった事だろう。

 金を受け取って振り向いた男の顔を見た。

 卵に髪と髭が生えたような顔、前に女連れで土産物を買っていた男だった。隠しきれない笑みを浮かべているので、やはりかなり儲けたのだろう。

 それをきっかけに相場が動き出した。活発な取引とは言えないが、今の男が売ったジルコンを買い求める客が殺到し、その合間に別の少量の売りが出る。

 一人売りが出た事で、そろそろ売り時かもしれないと考え始めたのだろう。それはつまり、潮の変わり目が近いという事でもある。


「提督」


 できるだけ感情を抑えようとしたが、どうしても焦りの色が浮かんだ声になってしまう。


「……そろそろ動かねば拙いか。ジャン、皆に伝えろ、噂を流し始めろ、とな」

「はい!」


 人ごみをかき分けて散っている工作員に伝令する。連絡網は出来上がっているので、数人に伝えれば後はすぐに全員に情報が伝達される。

 ジャンが提督の元に戻ると、とき同じくして人ごみをかき分けて提督の元にたどり着いた男が一人いた。


「もし、安東家の方でございますね?」

「左様じゃ」

「ロウ・シーケイ様から伝言でございます。こちらの用意は整った、今すぐ始めてもらいたい。との事です」

「了解した。万事任されよ、とお伝えください」

「ご武運を」


 拱手(きょうしゅ)して、使いの者はまた人ごみをかき分けて行った。その背中を見ず、提督は動き出した。

 人ごみの中でも頭一つ抜ける高身長、しかも長年の船乗り生活で老いてなお鍛え上げられた肉体の提督が進む。

 人ごみをかき分けると言うのではなく、海が割れるようだった。


「店主、売りだ」


 苦も無く店先まで進み出た提督が短く言う。後ろを付いて来たジャンが横にずれ、今の相場を確認する。

 すでに400セルスの大台に達していた。デナリ銀貨ならば5枚である。元は20セルス程度に過ぎない宝石の成りそこないが、すでに20倍の値になっていた。


「売りでございますね。いかほどでしょうか?」


 提督が買い集めたジルコンの入った袋を無造作に放る。その袋の大きさと、ドサリという音に、商人が笑顔のまま固まった。


「1000以上はあるな。全部売りだ」


 音が消えた。周囲の全員が、皆例外無く息を飲んだのだ。


「どうした、早く換金してくれ」

「あっ……し、失礼しました。ええと……」


 言われて露天商が慌てて算盤をはじく。


「ああ、支払いは金貨で頼むよ。それ以外だとかさ張ってしょうがない」


 何気ない口調で提督が言う。銀貨で支払うと概算で5000枚程になってしまうのだから当然の要求ではあるのだが、言われた方の商人は蒼白である。


「しょ、少々お待ちください。おい、両替だ! 金貨を寄越せ! なにしてる、早くしろ!」


 あたふたする商人達がドタバタと騒いだ末に、ようやく支払いが行われた。


「お、お待たせいたしました。まず大きい方が200アウレになります」


 200枚のアウレ金貨を提督に手渡す。心なしか手が震えていたようだ。細かい端数を受け取ると、提督は踵を返してさっさと店先から離れた。

 人ごみを抜けたところで、ジャンは提督に問いかけた。


「暴落は起きるでしょうか?」

「さて、どうだろうな。だがそこそこ儲けたのだ、後はどうなろうと儂らの知る所では無い」

「……それだと、ロウ氏が困るんじゃないですか。仮にも味方で、協力者でしょう?」

「味方ではあるが、身内ではない。第一に考えるべきは自分達の利益であり、駄目だと見れば味方であろうと躊躇(ためら)わずに切り捨てなくてはいかん。

 向こうもそれは百も承知のはずだ、味方を裏切るような真似は絶対にしてはならんが、味方を見捨てなければ生き延びられぬのならば、容赦なく切り捨てる。

 そういう非情さは、絶対に必要なものだ」


 理解する事は容易かった。実践した事も、有った様に思う。ただしそれは、覚悟したうえでの行動ではなく、倒れた者に見向きもしないと言う、ある種の無意識の行動だった。

 しかし今は、それに一抹の寂しさの様なものを感じた。


「……棟梁も、例えば提督やエステルさんを見捨てなければいけない情況になったら、見捨てるんでしょうか」


 気付けばそんな事を言っていた。


「殿、か……。どうだろうな。殿は頂点に立つ者の責務として、努めて冷徹に事に対する様にしておられる様だが、本質的には人の良いお方だ。

 捨てるべきだと解っていても、捨てられないかもしれん。それが、ご自身を苦しめる事にならなければ良いのだが」


 提督は高星(たかあき)を本質的に人が良いと評し、懸念を示したが、ジャンは心のどこかで安心した。それでこそ、高星であると言う気がした。


     ◇


 背後で歓声が上がり、思わず振り返った。暴落ではない、熱狂の歓声だ。


「買い支えられたか……!」


 提督が唸る。ジャンは人ごみの中に突撃して遮二無二前に進み、露店の店先が見える位置まで進んだ。

 ジルコンの相場は、395セルスで留まっていた。一旦落ちかけたのが、そこで止められたのだろう。


「買い! 買いだ! もっと上がれぇ!」


 以前にも見かけた痩身の神経質そうな男が、必死になって買いを宣言している。おそらくここで売っても、ほとんど利益が出ないのだろう。


「買いを、300」


 その隣で、あの熱狂の中、一人冷めていた男も大口の買いを入れていた。先も今も、この投機に熱狂している様には見えない。ひょっとしたら、この男が相場を操作している黒幕ではないかと思った。

 後ろから前に出ようとする人の波に流されて、店先から遠ざかってしまう。別にこれ以上、店先に張り付いている必要は無いので、人ごみの中から離脱した。すでに息苦しいほどの圧力だ。


「駄目だったか」


 人ごみからはじき出される様に脱出したジャンに、提督が落ち込む風でも無く淡々と言った。


「395で止まっていました」


 ジャンが力なく言う。決して損をした訳では無く、儲けが出てはいるのだが、暴落を引き起こすと言う計画は失敗した。その事が言い様も無い疲労感を感じさせる。


「なんだ、お主はもう諦めたのか?」

「え?」


 提督の言葉が理解できなかった。


「儂は、この勝負は負けだとも、もう諦めるとも、一言も言ってはいないぞ?」

「でも……」

「儂らの利益が第一で、駄目な時は容赦なく味方も切り捨てる。それは変わらん。だが仲間がまだ戦っているのに、さっさと諦める気は毛頭ないぞ?」

「でも、もう打つ手が……」

「いや、打つ手ならある。お前は、窮地に大逆転の一手が転がり込んでくるような事は、物語の中にしかないと思うか?」


 何を言っているのだと思った。今、この期に及んで、都合よく大逆転の一手がこの手の中に転がり込んでくるような、そんな奇跡みたいな事は有りはしないと思う。

 だが提督は、そんな奇跡が今にも起こると言わんばかりだった。


「事実は小説より奇なり。全くその通りだ。だから人生は、おもしろい」


 提督が振り向き、広場の入口の方を向く。ジャンも顔を上げて、そちらの方を見た。

 エステルが、右手に袋を握りしめて、駆け込んできた。


「情況は?」

「まさしく、最高のタイミングで来てくれた。

 手持ちは全て売ってしまったが、買い支えられた。だがおそらく、もう一撃には耐えられぬだろう」

「そうか。だが事前に用意した量の半分ほどしか無い。これで十分な効果を見込めるだろうか?」

「案ずるな。儂に考えがある。おい」


 提督が、呆然としたままのジャンに声を掛ける。我に返ったジャンは、半音外れた返事をして、直立した。


「皆を集めろ」


 提督の指示は、ただそれだけだった。ジャンはまだ頭が回らないまま、指示を実行に移すべく駆けだした。

 程無くして広場に散っていた全員が集められた。ジャンの思考はすでに大分回復していたが、これから何をするのかはまだ理解も予想もできない。


「いいか皆、最後の作戦を伝える」


 提督の顔は自信に満ち、すでに勝利を確信している様だった。


     ◇


 一度暴落するかと思われたジルコン相場は、ここで落ちられては困る者達の必死の努力によって買い支えられ、僅かな下落で留まった。

 だがそれ以降、値下がりはしていないが値上がりもしない。大部分の者達は迷っているのだ。利益が出なくても、もう売った方がいいのか。それともまだ待てばまた上がるのか。

 膠着状態と言うにはあまりに混沌としていた。それは言わば渦潮、異なる二つの流れがぶつかり、進むべき方向を探してその場で渦を巻いている。

 その渦潮を、突っ切って進む者こそが道を切り開き、全てを決する。ほとんどの者は、それに気付くのが遅すぎた。

 エステルが長い銀髪をなびかせて、最初に渦潮を突っ切って進み、露店の前に立った。


「店主、売りだ」

「売り、ですか」


 店主の声に一瞬、警戒の色が混じる。自分達が元から在庫として抱えているジルコンを、高値で売り捌くまで値下がりされては困る商人にとって、売りは警戒すべき事だ。

 もちろん普段なら、そんな警戒した様子はおくびにも出さない商人だが、相場が過熱しすぎたせいで取引に追われ、自分達の売りができないまま暴落の兆しを見せた事が、冷静さをいくらか失わせている。


「ああ、売りだ」


 エステルが袋を置く。商人が袋をひっくり返して中身を出すと、500個ほどのジルコンが散らばった。

 この程度の売りならば、相場に大きな影響は無い。居並ぶ商人達、それに値上がりを願う者達は内心ほっとした。


「俺も売りだ!」


 この人ごみの全員に聞こえる様に、必要以上の大声でジャンが叫んだ。それが、最後の一撃だった。


「売りだ!」

「俺も売りだ!」

「俺も売る!」


 一斉に売りをすると宣言して、店先に飛び出してくる者が続出した。それも二人や三人ではない。十人以上が一斉に売りに出た。

 群衆を覆っていた熱が、まるでひっくり返した様に冷気に変わった。さっきまでの熱が酔いであるならば、この冷気は恐怖である。

 一斉に売りが殺到した。このまま暴落するジルコンを抱えていれば、大損害を受ける。その前に、少しでも損が少ないうちに、ジルコンを手放そうと客が殺到し、パニックが起こった。

 ジャンは危うく押し潰されそうになりながら、人ごみをかき分けで脱出した。


「すげぇな」


 振り返ってそんな事を呟いた。凄いとしか言い様が無い。中には呆然と、その場にへたり込んでしまっている者もいる。


「後はロウ氏に任せよう。儂らは帰って祝杯を挙げるとしようか」


 人ごみの外から一部始終を見ていた提督が、にんまりと笑う。


「いいですね。いろいろ気になる事は有るけど、とりあえず疲れました」

「そういう時は美味い物を食って寝るのが一番だ。金ならたっぷりあるしな」


 そう言って提督は、船乗りらしい豪快な笑いをしたのだった。


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