4・騰貴
ロウは、ある儲けを得るために、資金力のある協力者を必要としていると言う。儲け話とは一体何かジャンは気になったが、提督がまず確認した事はそれでは無かった。
「何故、私達にその話を? 資金力のある協力者ならば、他に候補となりうる商人はいくらでも居るでしょう」
「理由はいくつかあります。あなた方に儲けさせる事で、今後の友好の証の一つにでもなればと言う思いもありますし、信頼できる相手だと見込んだからという事もあります。
ですが最大の理由は、この企みを成功させるためには、できるだけ秘密裏に行動する事が必要だからです。
他の商人にこの話を持ちかければ、どうしてもどういう行動をしているか、競争相手に探られます。その点、いわばよそ者であるあなた方ならば、情報が漏れる恐れも少ないと考えての事です。
なにせ、商人同士の横の繋がりと言う物は、時に恐ろしいですから」
そう言って、ロウは肩をすくめて見せる。
「ふむ、ではどのような事をするつもりなのかお話しいただこうか。我らにどれほど資力が有るか、そしてその話に乗るかはそれを聞いてからです」
「当然の事ですな。いいでしょう、これをご覧ください」
ロウは、透き通った結晶を一つ取り出して、机の上に置いた。一見すると宝石の様だが、良く見ると傷が付いていたり、見栄えの悪いゴミが中に入っている。
「ジルコンか、土産物屋で売っていたやつだな」
すぐにそれと判ったジャンが、他意無くつぶやく。
「ご明察。実は今、このジルコンが高騰していましてな」
「高騰?」
妙な話だった。宝石として価値を持つ美品ならばともかく、土産物屋で安く売っている様な石が高騰するなど、普通ではありえない。
「この石一つが、今いくらするかご存知ですかな?」
ロウが出した石は、ジャンが20セルスで買った土産物と大差無い代物だった。もう少し美品でもせいぜい40セルス程度だったはずだが、高騰していると言うのだからそれ以上だろうと考える。
「100セルス」
半ばそれは無いだろうと思いながら、きりのいい数字を言った。
「270セルス。3デナリと30セルスです」
「んなっ!?」
思わず音のずれた声を上げた。本当ならば露店で買った土産物が、13倍以上の値で売れる事になる。
「昨日の終値ですから、今日はもっと上がっていると見ていいでしょうね」
「なんだってそんな馬鹿な事になっている」
エステルが呆れた様に言う。
「それについて調べるのに少し時間が掛かりましてね。しかし結果的に、値上がりするジルコンにいきなり飛びつかなくて良かったと思います。まあ、どのみちそんな軽率な真似はしませんが」
そう前置きして、ロウはこの馬鹿げた情況に至る過程を話し始めた。
「まず前提条件として、今この時期のこの場所、即ち冬のアドス島だからこそ、今の事態は起こっていると言えます」
「今この時期のこの場所?」
「この島に居ると忘れがちですが、真冬の最中である今の時期は、まともな航海は不可能です。
もちろん晴れ間を縫って快速船で行き来する事は可能ですが、大船に積み荷を満載して出入りする事は不可能です。つまり今、この島の経済は閉鎖されている状態にあるのです」
「なるほど、そうでなければ大した価値の無いジルコンの高騰などと言う、馬鹿げた事は起こらないだろうな。
今この状態が馬鹿げていると、誰も指摘する者が居ない、誰もが熱狂の中に居て、そこから出る手段が無い訳だ」
誰もが熱狂の中に居ると言うが、それを言うエステルの口調はどこまでも冷めていた。
「だがそれだけでは特定の、しかも大した価値を持たない物の高騰など起こらないだろう?」
「おっしゃる通り、この高騰は人為的に起こされたものと私は見ています」
「人為的に起こされた?」
「『仕手戦』と言うやつですよ。即ちある商品を身内同士で売り買いし、どんどん値を吊り上げていくのです。
その値上がりを見た誰かが、自分もこれを買って値上がりしたところで売れば儲かる、と考えて買い求める。ところが買ってみればごみの様なものだった。
初めに仕手戦を行った者達は、途方も無い高値で売りつける事に成功する、という訳です」
「ジルコンの高騰は、仕手戦の結果か」
「初めはそれで間違いないでしょう。しかし今は違います、熱狂が熱狂を呼び、皆先を争ってジルコンを買い求めています」
ここでそれまで黙って話を聞いていた提督が、おもむろに口を開いた。
「それで、資力のある協力者を求めているという事は、我々にもジルコンを買えと?」
「単純に行為だけを言えば、そうなります」
「だがその様な熱狂は、いつ冷めるか解らない危ういものだ。高値で買ったジルコンが暴落する危険が常に……いや、それが狙いか」
提督が鋭いまなざしでロウを見つめた。対するロウは柔和な微笑みを崩さない。
「話が早くて助かりますな。そう、私はジルコンの値を暴落させたいのですよ。それも私の望むときに」
「それに成功すれば、儂らは最高値でジルコンを売りぬく事になるな。確かに儲けは出るだろう。
秘密裏の行動と言うのも、暴落を起こすような多量の売りができるだけのジルコンを買い集めるのを、悟られないために必要な事だ。
だが失敗すれば大打撃な行為だ。こちら側にだけ博打を打たせ、そちらは情報だけ出してびた一文出さないおつもりか?」
「そう思われても無理も無いでしょうが、あいにく私は別件で忙しくなりますのでな。
それに、ジルコンの売却益は全額そちらに差し上げますし、情報量も取りません。私はただ、相場を暴落させる事さえできればよいのです」
ジルコンの相場を暴落させる事さえできればいい。一体それで何の利益が有るのか不可解な言い様だが、本人が言うからには何か絡繰りが有るのだろう。
今は、この話に乗るか否かである。立場として優位にあるのは安東家の方だ。なにせ一言断ると言えば、ロウの目論見は外れるのだから。
こちらには博打を打たせておいて、自分は絶対安全なところで傍観するなどという申し出は蹴ってもよかったのだが、勝ち目の薄い話を軽々しく他人に持ちかける男が、大商人としてやっていけるとも思えない。
だから、最低限の条件だけを提督は申し出た。
「万が一、ジルコンの売りぬきに失敗して損害を出した場合、その損失分は双方で折半する事。これだけ飲んでいただけるのならば、協力いたしましょう」
「ふむ、折半ですか。ふむ……」
ロウが考え込む。それとも、ここで嫌と言えば交渉決裂なのだから、こちらとしても苦しいが他ならぬ安東家の申し出なので受け入れようと言う姿勢を見せる、商人流の演出なのかもしれない。
「よろしいでしょう。万が一損失を被った場合は、損失分は双方で折半する。この条件で話をまとめましょう」
たっぷり考え込んだ末に、ロウはそう返答した。
「よろしい。それならばこちらも話に乗りましょう」
「契約成立ですな」
提督とロウが握手をする。文字通り、手を結んだのだ。
「では最初の情報です、仕手戦でジルコンの値を吊り上げているのは、おそらく普段からジルコンを扱っている露天商達です。おそらくその背後には、卸の商人が居ると思われます」
「なるほど、わざわざ仕入れる必要が無く、万が一目論見が失敗しても普通に売れば済む連中か。ならばその者達からジルコンを買うのは避けた方がいいですかな」
「値が上がり続けている間は、彼らもすぐには売り捌こうとはしないでしょう。しかし可能な限り彼らに利益を掴ませたくはありません。
ジルコンの値を最も操作しやすい立場に居るのが彼らです。彼らが十分な利益を得て、この熱狂から下りてしまえば、それで暴落は起こります。
逆に言えば、彼らが儲けないうちはまだ、彼らは値を吊り上げようと動くでしょう。その間は暴落は起きません。何も無ければ、ですが」
「私達が暴落を起こすためにも、他の要因で暴落が起きる様な事は避けるべき、という訳ですな。お任せを」
「今後も、定期的に連絡を送ります。何かあれば緊急連絡も送りましょう。この宿でよろしいですか?」
提督が一瞬考える。
「そうですな。下手に隠すよりは、堂々としていた方がいいでしょう。常に人を残すようにします」
「解りました。では、私はこれで。あなた方の儲けを祈ってますよ」
ロウの去り際の言葉に、提督は笑って応えた。
ロウが帰るとすぐに全員が集められ、エステルが指示を飛ばし始めた。
「銀行から、私達の裁量で動かせるだけの現金を引き出して来い! その間にジルコンの値動きを調べろ! それから商人以外で、ジルコンを売ってくれる相手を探して交渉を始めろ! 買値はとりあえず相場の一割増しだ!」
ジャンはジルコンを買い集めようにも、売ってくれる相手の当ても無いので、値動きを調べに広場へと走った。
広場は人だかりができているのはもちろんの事、ジルコンの高騰による異様な熱気に包まれていた。
複数の露店の前に人だかりができている。それを苦労しながら一つ一つのぞき、今どのくらいの値で売買が行われているかを見る。
平均すると今は並品が320セルスで取引されているようだ。実にデナリ銀貨で4枚分の値である。
「買う! 買うから売ってくれ! 金ならいくらでも出す!」
やや痩身の神経質そうな男が、悲鳴にも近い声を上げてジルコンを買い求めていた。まだ安いうちに買い損ねたので、さらなる値上がりを信じて、今からでも儲けようと必死なのだろう。
「こりゃ、買い集めるのも楽じゃなさそうだな……」
今のところ、集まった人々はほとんどが買い目的で、売ろうとしている人はほとんど見られない。
偶に売りが有っても、すぐさま買い手が殺到して買われてしまう。この情況で、多少金を積んだところで買い集められるとは思えなかった。
しかしそこはまた商売に長けた者ならば、何か良い方法の一つもあるのだろう。ジャンはとにかく宿に戻り、見たもの聞いたものをできるだけ全て報告した。
「大層な熱狂ぶりの様だな」
戦ではないが指揮を執る提督は、意外に悠々としていた。いや、こういう時だからこそ、大きく構える事が必要なのだろう。
しかしジャンにはそれだけでは無い様な気がした。思えば高星も戦場では落ち着いていて、むしろ普段よりも余裕がある様に見えた。
今、提督が悠々としているのは決して演技では無く、本心から余裕があるのではないかと思った。人は己の戦場に立った時、普段よりもむしろ力を発揮できるのかもしれない。
「ついこの間まではこんな事は無かったはずですが、一体いつの間にこんな事になったのかと言う感じです」
「そう思うほど僅かな間にジルコン熱が過熱したという事だろう。そしてそれだけの急激な熱狂だからこそ、熱に浮かされる者達が大勢出るのだろう」
「渦中に居なくて良かった気がします。最初から直接あれに中てられていたら、平常心でいられる自信は無いです」
「そうじゃな。儂でもちょっと酔うかもしれん。さて、エステル殿」
「なんでしょうか?」
「確か今、相場の一割増しで買い集めていたな? 今の相場が320だから、350程か」
「はい、大体その辺りの線で買い集めさせています」
「それ以上には上げるな。おそらく、天井は遠くない。これ以上高値で買うのは危険だ」
提督の声音は低く、重く、厳しさを多量に含んでいた。
「了解しました」
提督が全体の総指揮を執り、エステルが買い集めを担当すると言う構図が、自然に出来上がっていた。それぞれ、自分が最も果たすべき役割を心得ていて、自然にそうなったと言うべきだろう。
「なあ、エステルさん。聞いてもいいか?」
「あまり長くならないのなら、いいぞ」
「質問の方は長くは無い。値上がりが続くこの情況で、売ってくれる人なんているのか?」
エステルは横目でジャンを見て、少し口角を上げた。
「値上がりが続くこの情況だからこそ、売ってくれる人が居るのさ」
「はい? 値上がりするから売ってくれる? 一体どういう……?」
訳が解らない。まだまだ値上がりするならば、売らずにそれを待つ方が得ではないのか。
「君が広間で見てきた人々と言うのは、言わば身軽な連中だ。好きな時に買い、好きな時に売れる。
だがそうではない、売りたいときに売れない者もいるのさ。例えばこの街に居を構える商人や職人」
「この街に居を構える商人や職人?」
「真面目に仕事をして信用を得ている街のパン屋が、本業そっちのけで投機に熱中しているところを見たら、街の人間はどう思うだろうか? 信用は金より重い。特に、一つ所に居を構えて仕事をする人間にとってはな。
初め小遣い稼ぎのつもりでジルコンに手を出したはいいが、予想以上の値上がりで売るに売れなくなった。売れば目立ってしまい、それを見られれば自分の信用に関わる。
そういう人間を狙って、秘密裏に買い集めさせている。どれほど集まるかはまだ解らないが」
「はあ、そういうものなのか」
「人間、自分に縁が無い事はどうしても疎くなる。君が知らない、理解できなくても今は仕方が無いだろう」
定まった根拠を持たず、ましてや信用など考えた事も無い道を歩んできたジャンには、思い至らなくても仕方の無い事だという。
一方のエステルは、仮にも領地や屋敷を持つ貴族の娘として歩んできた。信用や名声というものの意味は、知りすぎる程に知っている事だった。
「さて、暴落を起こすにはまだ足りるか解らない。さらなる買い集めの算段をしなくては。失礼する」
「頑張ってください」
エステルが部屋を出るのと入れ違いに、ロウの使いが定時連絡にやって来た。取り立てて目新しい情報は無かったが、今回の熱狂の黒幕はやはり、宝石の卸商人と見て間違いないと言う。
宝石の副産物として出る屑石で、うまい具合に一儲けできないかと企んだ結果だろうとロウは見ているそうだ。
ロウの使いが帰ると、ジャンはふと浮かんだ疑問を提督にぶつけてみた。
「提督、この熱狂のきっかけは、ジルコンを扱う商人達の仕手戦だって話だけど、そんな風に身内で物の値段を吊り上げてもいいのか?」
「まさか、政府の命令に依らない意図的な物価操作は、当然犯罪になる。
もっとも、単に買占めを行った程度では、買い占めたから値上がりしたのか、値上がりを予想して買い占めたのか、水掛け論にしかならん。証拠が足りなくて罪にはならん事が多い」
「ああ、やっぱりそうなのか。今回は卸商人が黒幕で間違いないだろうってロウ氏が言ってるし、ひょっとしたら捕まるかな?」
「どうだろうな。どのみち、この熱狂は決して長くは続かんし、儂らもあくまでちょっとした稼ぎが目的であり、本当にするべき事は別にある。深入りは避けるべきじゃろう」
「うっ、そういえば本来の目的は、この街の自治組織との交渉でしたね」
「忘れておったな?」
「恥ずかしながら……」
「若いのう。まあ、その歳で儂の様に、熱に中てられても冷めている方がよろしくは無いか」
かっかっかと提督が笑い声を上げた。亀の甲より年の功などと言うが、多くの経験を積んだ人生の先輩は、やはり大きいと感じた。




