4・過去ではなく歴史でもなく
航海も三日目に入った。
風向き天気共に良好、行く手を遮る者も無く、今日中に目的地シオツチの港に入る事ができるだろう。
ジャンは高星の船室に朝食を持ってきた。
「棟梁、朝飯を持ってきましたよ。起きてますかー?」
「おう、入れ」
船室に入ると高星はまた寝台に横たわったまま天井を、いや虚空を見つめていた。ただ頭は冴えている様である。
「めずらしいですね、何かある訳でもないのに棟梁が早起きなんて」
「……お前私に対して少し遠慮が無くなってきたな」
「ずっとそばに控えていたら、棟梁の……何と言うか、人間臭さみたいなものが解ってきて、肩に力を入れるのが馬鹿らしいというか、そんな事する必要が無いってのが解ってきたんですよ」
「だからって主君に対してその態度はどうなんだ。まあ確かに本気で気にはしていないが」
「それで今日は何をお考えで?」
「なに、シュヤ家が皇室に背を向けて、よりによってヤリュート家と縁戚を結ぶとはずいぶん皮肉な事だと思ってな」
「何の話です?」
「歴史の話だ。興味があるというなら、話してやってもいいが?」
「その前にさっさと朝ご飯を食べちゃってください、片付かないので。
……と、銀華さんが言ってました」
「ああ、そうかい……」
◇
一度高星の船室を辞したジャンは、そろそろ食べ終わっている頃だという銀華の言を受けて再び高星の船室を訪れた。
見事にちょうど食事を終えたところだったので食器を回収して戻り、その後三度高星の船室を訪れた。
「それで棟梁、歴史の話というのはどういう事かお話しいただけますか」
「そうだな、じゃあまずシュヤ家の事から話そうか。
シュヤ家が歴史に現れるのは四百年前、初代皇帝である武帝がまだ一勢力だった頃の話だ。
今の変州は当時まだ『長城のあちら側』と呼ばれ、いわゆる天下の外と言う認識だった。変州が帝国の両方に組み込まれるのは、二代明帝の時代からだな」
「長城っていうのは、今も玄州と変州の境界に有るっていう?」
「そうだ、対異民族用の城壁が長い歴史の中で増築されて、ついに巨大な長城となった。かつてその内外で世界は分かたれていた。
さてここでウー・シーヤンという歴史上の人物が現れる。武帝の二十八功臣の第二位、大将軍ウーとして記録される人物だ。
長城に近い国境の土地で顔を利かせていたこの人物、武帝のために長城を越え、異民族の騎馬隊を配下に加えようと活動し、成功した。以来、精強な騎馬隊を率いて多くの軍功を挙げ、大将軍に上り詰める。
この時ウー将軍の説得に応じて騎馬隊を提供したのが――」
「シュヤ家という訳ですね」
「そういう事だ。これによってシュヤ家も武帝の天下統一後伯爵位を授かったが、当時はまだ名ばかりの伯爵だった。
シュヤ家が爵位にふさわしい領土を得るのは明帝の時代だ」
「以前言ってた二代目の皇帝ですよね?」
「明帝の時代、武帝の弟、すなわち明帝の叔父を総司令官にして、今の変州征伐が始まった。私の先祖との死闘だな。
そのときシュヤ家が現地に詳しい人間として重宝され、さらに軍功も多く立てた。それによってほぼ今のシュヤ家の領土を授かったのだ。中央の人間がやって来て治めるよりも反発が少ないという計算もあったのだろうな。
ちなみに変州征伐の総司令官である武帝の弟こそが、コルネリウス家初代当主だ」
「なーるほど。そんな歴史のある家が皇室に背いて安東家と結んだら、確かに皮肉ですね」
「ちなみにシバ家もシュヤ家と似た様なものだ。ただしこっちは変州の北部の地理に詳しいという事で重んじられたのは同じだが、特に軍功があった訳ではなく、最初は爵位も低く領地も小さかった。
だが征伐された不満のくすぶる変州で、同じ征伐された現地の民だと公言しつつも巧みに政府の意に沿う統治を行い、反乱などで持て余した土地を次々に請け負っていつしか大きな領土を持ち、それに合わせて爵位も侯爵まで引き上げられたという経緯を持つ」
「なんか、昔っから性格みたいなものが出てますね」
「そうだな。家庭や家族の空気と言うものが似たような性格の人間を作るのだろうが、やはり血筋と言うものはあるのかと思ってしまうな」
「ヤリュート家はどんな歴史を持つ家なんですか? 確か六百年前に隆盛を誇った国の末裔だとか言ってましたね?」
「ヤリュート家の興りは確か八百年……いや七百五十年程昔の話だと聞く。やはり長城のあちら側と呼ばれた、今の変州南部が発祥の地だ。
最初の百年程は乱立する小勢力の一つにすぎなかったが、やがてヤリュート三代と呼ばれる英傑が次々と現れて、一気に隆盛を誇る。
最終的に今の変州の南部と、長城を越えて今の玄州の1/3を版図とし、当時の中央にあった国家に対して毎年の貢物を出させるまでになった。
それから約百年その状態が続き、ヤリュート三代の三人目、ヤリュート家六代目当主は聖王とまで呼ばれている。
王朝が違うとは言え、中央の連中には屈辱の歴史さ」
「棟梁がシュヤ家とヤリュート家が縁戚を結ぶなんて皮肉な事だと言った訳が解りました。
ひょっとしてそれが目的で今のシュヤ家の当主は結婚を決めたんでしょうか?」
「まさか、どんな歴史があろうとも今の実力が無ければ意味が無い。実力があればそういう歴史や正当性は武器になるが、それにしたって今シュヤ家とヤリュート家が結ぶ理由は無い……はずだ」
「棟梁、この際ですからもう一つ教えて欲しい事があります」
「なんだ」
「安東家の歴史を」
高星が目を細める。ジャンは待った。重い話であろう事は解っている、高星にとって苦しい話になるだろう事も解っている。
だがそれでも高星は話してくれるだろうと思った。なぜならそれを知らない事には、高星がこうまでして戦おうとしている理由が解らないからだ。
戦う理由が解らないまま、命を懸けて苦しい戦いに人を臨ませる事はできない。高星にそれが解らないはずがない、ゆえに必ず話してくれるだろうと思った。
やがて高星がゆっくりと口を開いた。
「それを語る事は、怨念と復讐の言葉を綴る事になる。
だが……未来と言う楼閣は今と言う土台の上に建て、今と言う土台は過去と言う地層の上に築かれるものならば、怨念の歴史も語るべきなのだろう。
なにより過去に何があったのか知らぬままでは、今ある世界がどうしてこうなっているのかも解らず、なぜ戦う道を選ぶのかも解らぬだろうからな」
そして高星は語り始めた、過去と言うには重く、歴史と言うには葬られてしまった話を。
◇
「さっきも少し触れたが、今の変州はかつては『長城のあちら側』と呼ばれ、有史以来ずっと『長城のこちら側』世界とは別の国、別の世界と言う認識だった。
歴史上『天下を統一した』とされる国家はいくつかあるが、それらは皆『長城のこちら側』世界を統一したという事だ。
その頃の変州は、乱暴に言えば国と言うものは無く、小さな部族領主の緩やかな連合体だった。有力部族が中心に立ち、それなりに平和を保っていた。
もちろん平和な時代もあれば戦乱の時代もあるが、そういうどこでも同じ様な歴史をたどっていた。
安東家は、古い時代は半ば伝説だが、千年以上も昔からこの地に根を張り、最大部族として変州の事実上の君主であった事も多い家だ」
「千年……」
「もっと古い時代の話もあるが、そこまで行くとさすがに信憑性に難があるな。
さて今の帝国が成立し、初代武帝が即位した頃の変州も安東家を盟主としていた。武帝の七年に北方の対抗勢力を討伐し、国境の安全のために長城を越えて、帝国に反抗する部族をいくつか討った。これが最初の接触だな。
この時はまだ、それまでずっと続けていたお互いに相手の領土に干渉せず、友好関係を結ぶ事を確認しただけだった。これをもって武帝の天下統一はなったとされている」
「はじめから争っていた訳じゃないんですね」
「お互いに相手の領土を征服したところで持て余すのがおちだし、互いに交易を行い、特産物を交換する事も望んでいた。戦乱で欲しい産物の生産元が破壊されても困るしな。
それから十二年、武帝の時代は両国の平和が続いた」
「ところが二代目の皇帝・明帝の時代はそうはならなかったと。一体何があったんですか?」
「仕掛けてきたのは向こうだ。明帝は武帝の崩御で動揺する帝国をまとめ上げ、支配を強固にするための様々な政策を進めた卓越した統治者だったが、我々に対しては厳しかった。
それまでの友好関係から明確な上下関係へと移行させようと様々な要求を突き付け、両国の関係は急速に悪化していった。
そして明帝の十六年、ついにアラハバキ戦役と呼ばれる我らの最終決戦が始まった。結論から言うとこの戦いは実に二十八年も続いた」
「二十八年……そんなに長く」
「これだけ手こずっている時点で向こうの負けだと私などは思うがな。
それにこの戦い自体も、父を超えたいという明帝の野心の産物にしか私には思えん。当の本人の考えはもっと政治的で合理的な理由もあったかもしれないが。
そもそも二十八年も戦が続いたのは、帝国側がしばしば負けたからだ。その度に一度は征服された地域も反乱を起こし、振出しに戻る。だが明帝の執念すさまじく、何度負けても軍勢を送り込んできた。
おかげで土地は荒廃しそれは悲惨な有様になったという。いったい我々が何をしたというのだ」
「その間、棟梁の先祖はずっと戦い続けた訳ですね?」
「そうとも。勝利だって一度や二度ではない。特に戦役二十年目の戦いは我らの大勝利だった。なにせ三万五千の軍勢を全滅させたのだ。
あれはすでに老いていた明帝には強烈な打撃だった様だ。そもそも明帝はアラハバキ戦役に固執する一方で、軍縮も進めていた。
そこに三万五千の全滅だ、さぞ致命傷だった事だろう。その五年後に明帝は崩御し、三代皇帝・景帝が即位する。景帝の三年に二十八年続いたアラハバキ戦役は終わり、現在の変州の体制の基礎が確立した。
……だが失ったものは多すぎた」
「結局、安東家は負けて辺境に押し込められる形になった訳ですからね」
「こちらの一人を殺すために、向こうの十人を犠牲にする様な戦い方で押しつぶされた格好だ。
皇太子時代に参戦していた景帝が、あまりに馬鹿らしいと即位後すぐに和平に動いて戦は終わった。
だが全ては手遅れだった、我々が失ったのは領土なんかではない。解るか?」
「……さあ、そう言われても。誇りとか?」
「間違いではないが、もっと具体的なものでもある。私の話をここまで聞いて、何かおかしいとは思わなかったか?」
言われてジャンは高星の言葉を辿り、思案する。そして一つ、引っ掛かりを見つけた。
「そういえば棟梁はずっと『変州』って言ってましたね? 変州というのは帝国の領土に組み込まれてからの呼び名なんだから、当時の呼び名があったはずでしょう?
当時はこの土地を何て呼んでいたんですか?」
「解らない」
「解らない?」
「その記録は抹消された。今では誰も知る者は居ない。だから解らない」
「抹消されたって……」
「国が亡ぶとは、そういう事だ。
ただ単にそこにある政府が無くなるというのではなくて、言葉や、文化や、風習、歴史、歌……自分達の名前さえも、無くなってしまう。
幸いアラハバキの民と言う名前は辛うじて残ったが、いつ失ってもおかしくは無かった。
過去何百年何千年も生きてきた者達の残したものはそこで断ち切られて残らず、まだ生まれていない未来の者達は自らの過去を持たない民になる。
そんな事があっていいと思うか? それがどんなに虚しい事か、ジャン、お前になら少しは解るのではないか?」
何も無くなる、何も無い人間になる。過去も未来も無い、ただ呪われた様に寝ても覚めても変わらない日々がいつまでも続く。
滅びた国の人間が、そういう存在になるのだとしたら、確かにそれは虚しすぎるだろう。それこそ、虚しいという思いすら出てこなくなる程に。
「だが、まだ間に合う。国が滅びても、そこに生きる人間はそう簡単に滅びはしない。
我らは今までずっと北の果てで生きるために戦ってきた。それは死なないという事だけではなく、我らが何者であったか忘れないという事、アラハバキの民として生きるという事だ。
今、立ち上がって、戦って戦って、戦いの果てに全てを取り戻せば、我らは滅びぬ。過去の出来事のために、復讐の炎を燃やす者も、私で最後になる。
だが座してただ時が過ぎるに任せていれば先細り、いずれは完全に消えてしまう。
だから、今なのだ。この乱世は天が与えた千載一遇の好機であるし、たとえ好機が無くとも私は、その時にできる戦いをする。
そしてその先には目指すのは、誰もが自分として生きる事の出来る世界だ」
◇
「つい長話をしてしまったな」
「いえ、棟梁の思いが聞けて良かったと思います」
「自分語りなど弱者のする事だ。自分語りではないにせよ、少し内側の話をしすぎた。もっと事実だけを語るべきだったな」
「人を動かすには、自分の思いを語る事が必要なんじゃないですか?」
「自分の思いを語っている、そう思わせる事が重要なのだ。本当に心の内を話すものではない。自分の思いを言葉にすると、それは言い訳になってくる。
自分のする事に言い訳を始めた人間は、一歩も前に進めなくなる。口と手足は同時には動かせないものだ、だから黙って手足を動かせ」
「俺はまだ言葉にする様な思いがありませんから、黙って棟梁についていきますよ」
「まあ、今はそれでもよかろう。
だいぶ時間を過ごした、そろそろ荷物をまとめておけ、昼頃にはシオツチに着くだろう。昼飯が船の上か陸の上かは風次第かな」
「解りました、いつでも降りられる様にしておきます」
「待て、私の荷物もお前がまとめておくのだぞ」
「えー」
「えー、じゃない。私の従者ならそれが当然の仕事だろう」
「でも大抵銀華さんがやっちゃってますから、俺がする事はありません」
「銀も皆を甘やかせすぎだ、却って本人のためにならんだろうに全く……」
「で、俺はどうすれば?」
「さっさと行け。そして銀が私の荷物をまとめる前に、自分の仕事だからと言ってお前がやれ」
「もう遅かった場合は?」
「その時は仕方が無い。一度まとめた荷物をまた解く訳にもいかん。言っておくが、わざとゆっくり歩いたりする様だったら海に叩き落としてやる。この海は鮫がいるぞ」
「では急ぐ事にいたします。棟梁、失礼いたしました」
ジャンはわざと真面目な表情と口調を取り、直立して敬礼した。高星はさっさと行けと手を振って追い払った。
船室を出て戸を閉めたところで、ジャンは我慢できずに小さく噴き出した。荷物はとっくに銀華がまとめてしまっている事だろう。




