3
風が強く吹いていた。
真北よりも少し東寄りの追い風だった。南に向かうのだから真北から風が吹くのが一番良いと思っていたが、今の様に少し斜めに吹く風の方が速力が出るらしい。
なぜそうなるのか初めに聞いたときは理解できなかったが、高星が絵図を描いて説明をしてくれた。
完全な追い風の場合、風の力を1とすれば前進する力も1である。これはまあ、当然である。
ところが同じ1の力の風が斜めに吹いている場合、1の線と直角におよそ1.7の線を引いて長方形を作る。
そうすると船の進行方向が長方形の対角線になる。この対角線の長さは2ある。つまり1の風の力で2進む事ができるのだという。
今でも手品か詐欺の様な気がしているが、実際完全な追い風よりも早いのは事実らしいのでそうなのだろう。そもそも高星がこの様な事で無意味に嘘を教える理由が無い。
「せっかくだ、このまま船について教えてやろう。私の供をしていれば船戦をする機会もあるだろう。そういう時に船の知識があった方がいい」
「そうですね、お願いします」
「お願いしますではない。お前一人だけでなく、親衛隊全員に言える事だ。特別講義をしてやるから、皆を集めて来い。まあ、呼んでも来ない奴はそれでも構わんが」
「あはは……。では皆を呼んで……この船室には入りきらないと思いますが、どうしましょうか?」
「む、そうだな……では甲板に集めろ。少々日差しがあるが、他に広い場所も無いゆえ仕方が無い」
「では甲板に」
「うむ、まかせた」
◇
甲板に親衛隊の大部分が集合した。全員ではないのはすでに船の知識がある者や、そもそも興味が無いという誰かが欠席しているからである。
「よく集まった、皆暇の様だな。座って構わんぞ」
高星が冗談を飛ばしながら皆の前に現れた。教壇代わりに箱に乗っている。
「さて、これから船について皆に教えようと思う。まず初めに、船には2種類ある。操、答えてみろ」
「えっと、帆船と、櫂船です」
「正解。それでまずは帆船から説明するが、帆船とは文字通り帆で風を受けて走る船……というのは正確では無い」
「そうなんですか?」
「この船は軍船なので櫂船に分類されるが、見ての通り帆を張って風で走っているだろう? 帆船は帆で風を受けて走る事を『主体とした』船と言う方が正しい。
帆船と櫂船は見た目で違いが解る。帆船は積み荷を多く積める様に全体として丸っこい形をしている。それで通称ドングリとか、ドングリ船と呼ぶ事もある」
「ああ、確かに丸っこい感じがよく伝わりますね」
「また櫂船よりも大型化できる事も特徴だ。現在最大の船は五百トン級で、北朝政府が所有しているはずだ。理論上は一千トン級も建造可能だという」
「……と言われても、大きさがピンときません」
操が困った様な、戸惑った表情で言う。
「ああ、排水量を教えないと解らないか。船の大きさは水に浮かべた時、水面下に沈んだ部分が押し出した水の重さで表す。これは船全体の重さと等しくなり、排水量と呼ぶ。風呂屋から裸で飛び出したという古代の学者の見つけた理論だな」
風呂屋から裸で飛び出した古代の学者の話はジャンも知っていた。
なんでも国王が黄金の王冠を作ったが、職人が混ぜ物をして材料として渡した金の一部を盗んだのではないかと疑い、学者に調査を依頼した。
王冠を壊して調べる訳にもいかず学者は悩んだが、風呂屋に行って湯船につかった時、こぼれるお湯を見てひらめいた。
すなわち水を一杯に入れた水槽に物を入れてこぼれた水の量を測れば、入れた物の大きさが解る。これを使って王冠と、王冠と同じ重さの純金を比べれば、王冠が純金でできているか、混ぜ物がされているかが解る。
これに気づいた学者は喜びのあまり風呂屋から裸のまま家に駆け戻ったという。ちなみに王冠はやはり混ぜ物がされていた。
その後、学者はこの時に発見した理論の研究を重ねて様々な成果を残した。排水量もその成果の一つであるそうだ。
「帆船は一にも二にも多くの荷を乗せる事に特化している。平均で船自体の排水量と同じ重量の積み荷を乗せる事ができる。二百トン級ならば二百トンの荷を乗せられるという事だ。まあ、このあたりの計算も独自のものを使っているのだが、それはいい。
乗組員は二百トン級で水夫二十人、最低限の護衛として二十人、計四十人と言ったところだ。乗組員一人当たり5トンの荷を積める計算になる。船が小さくなればこの数字は小さくなるし、船が大きくなれば数字も大きくなる」
「船が二倍に大きくなっても必要な人員は二倍にはならないからですか?」
「そうだ、流石にジャンは冴えているな。逆に船の大きさが半分になっても、必要な人員は半分にはできない。
さて帆船は当然風の力で動いているのだから、速力は風に大きく左右される。それでも平均すれば三ノット、速足で歩くくらいか。最大では六ノットといったところだ」
「意外と遅いんですね」
「そうかな? 二百トン、すなわち二十万㎏の重さの乗り物を陸上で、歩くだけの速さで動かせるか?」
「……無理ですね」
「二百トンの自重があって、さらに二百トンの荷を積める船が、人が歩く速さで移動できる。これは驚異的な速さだと私は思うな。
さてそんな驚異的な速さを出す船の構造だが、船によって個性があるが共通する部分としては、まず帆柱が複数ある。主帆が一つとそれを補う副帆が最低一つ。現代ではどんな小さな船でも必ず副帆を一つは待つ」
「主帆に何かあった時に、副帆が無いとただ流されるだけになるからですか?」
「その通り。昔の船は帆が一つだったので、漂流する危険も大きかった。それに平時でも帆を複数張った方が風を多く捕まえられるので速くなる。
緊急用というのならば、帆船でも少数の櫂を備えた物もある。うちの帆船では二百トン級で二人漕ぎの中櫓を四本備えさせている。だから帆船は帆で進む、櫂船は櫂で進むとは言い切れない。
そして船の幅も大体同じく決まっている。船はどれも長さと幅が三対一の比率になる様に造られている。帆船の場合は横に太い方が多く荷を積めるが、これ以上太くすると航行に支障が出る。最大ギリギリの幅が三対一の比率という訳だ。
帆船についてはこれくらいにしておこう」
「さてと、次は櫂船の話に移ろうと思うが皆質問はあるか?」
「ちょ、ちょっとまってください」
「おう、ジャン。熱心に書き留めて感心だな」
「覚える事が多すぎてついていけないんです。えーっと帆船の幅は三対一……と。はい、お待たせしました」
「では話を続けよう。帆船と櫂船は見た目で違いが解るとさっき言ったが、櫂船は水をよく切って速力が出せるように鋭い形をしている。このおかげで風に頼っている状態でも四ノットから六ノットの速力が出せる。
また櫂船は二百トン級が最大で、これ以上大きな物は無い。これ以上大きいと風や潮流の影響を大きく受けすぎてしまい、漕いで動かす事が困難になるからだ」
「棟梁様、質問良いですか?」
「イスカか、なんだ?」
「この船は櫂船のはずなのに、出航の時以外櫂を使っているところを見た事がありません」
「櫂船とは言うが、実は櫂を使わない時の方が多いのだ。普段は今の様に帆船と同じく風の力で航行している。と言うのも櫂を漕ぐのはかなりの重労働で、普段から使える様なものではないからだ」
「じゃあ、いつ漕ぐんですか?」
「まず出港時、入港時の細かい操船が必要な時。帆船の場合は小舟で曳航して入港するか、沖に錨を下して艀という小舟で行き来する。
次に凪の時。いくら副帆があっても風がなければ帆船は何もできない。櫂船はその点凪でも向かい風でも進むことができる。まあ三角帆があるから向かい風はジグザグ航行をすれば帆船でも進めるが。
そしてこれが一番重要と言って良い、戦闘時だ。櫂船は全力で漕いだ場合の最大速力は八ノットに及ぶ。さらに自由自在に細かい運航が可能だ。
大まかな動きしかできない帆船ではこうはいかない。戦闘になれば同じ大きさならば、帆船は一方的に櫂船の餌食にされる。それ位の差がある」
「解った、だから軍船はみんな櫂船なんだ」
「そうだ。だが帆船に劣る点もある。二百トン級の櫂船は積載量が百五十トン程度しかない。帆船の3/4しか積み荷を乗せる事が出来ない計算になる。
しかも櫂船の乗組員は、二百トン級で水夫二十人、漕ぎ手百二十人が最低でも必要になる。この時点で乗組員一人当たり約一トンの荷しか積めない上に、当然人件費がかかるからコストがかさむ」
「商船には向きそうにないね」
「おや、うちの交易システムで使っている船は皆二百トン級の櫂船だという事を忘れたか? 櫂船を商戦に使う利点もちゃんとある。
櫂船の利点は何と言っても確実性だ。風頼みの帆船と違って、少々の悪天候をものともしない櫂船は、期日を守るという点において信頼性が高い。
陸でも海でも不測の事態によって、荷物の到着や支払いが数日遅れるのは日常茶飯事だ。その中で期日を守れる櫂船はそれだけで大きな武器になる。
効率が悪い事も、軽くて小さくて高く売れる高級品を選んで扱えば十分補える。この場合、帆船よりも圧倒的に戦闘力のある櫂船ならば、警備の点でも安心だ。
ま、帆船と櫂船を上手く使い分けるのが上手な商売のコツだな」
「ちなみにうちの交易船はどんな品を運んでいるんですか?」
「さあて、詳しい事は実際に商いをしている商人達の領分だが、高い物は海獣の毛皮、装飾用の鷲鷹の羽、海産物の乾物なんかだそうだ。手堅い物としては木材だな」
「なんか地味だね」
「もっと良い商品が領内にあればと思うよ。中継貿易は税を取られる回数が多くてな」
高星がちょっと横を向いてため息をつく。安東家の財源の大きな部分を占めるだけに、悩みも多いのだろう。
「話を戻そう。櫂船の構造だが、縦横比は帆船より細長い六対一だ。もっと細い櫂船もあるのだが、細すぎると横波や風に弱くなり、外海での航行に支障が出る。
細長い櫂船は西方の内海専用か、兵器の一種と言った方がいい小型船だな。
二百トン級櫂船では三人漕ぎの大櫓が四十丁付いている。だから漕ぎ手が3×40で百二十人だ。
この漕ぎ手は準戦闘員でもある。完全な軍船として運用するときの櫂船は、戦闘員が最大六十人乗る。ここからは実際に見てみるのがいいだろう、ついて来い」
高星を先頭に船内を移動する。まず訪れたのは戦闘員の待機室だ、常に数人の戦闘員が武装した状態で待機している。高星が事情を説明すると、いい暇つぶしになりますと快く協力してくれた。
「よし、皆よく見ろ。これが船戦での武装だ」
見本として前に立った兵の格好は、簡素な鎧に刀を差した、特に変哲の無い物だった。
鎧は胴丸と呼ばれているもので、開閉式で胴体を挟み込む様に着る物だ。着たときに体の右側に口が来る。陸では一兵卒の鎧である。
もっとも、陸でも高星以下騎兵はほとんど鎧も着ない軽装であったが。
「船戦では陸と違って殺す必要は無い、海に叩き落とせばそれで無力化できるからだ。だから戦いも殺し合いと言うより突き落とし合いになるし、海に落ちた時にすぐに脱げる様な鎧を使う。
武器は基本的に刀剣の類だ、狭い船上では長物の武器は邪魔になる。後は弓矢だが、これは斬り込んで白兵戦になる以前に使うものだな。
陸の戦よりずっと剣の出番が多くなるのが船戦の特徴と言って良いかもしれん。さ、次だ」
高星は兵に一言礼を言うとまた移動を始めた。次の移動先は下部甲板である。
ジャンは甲板と言うのは、船の上の壁や天井の無い床の事を言うと思っていたが、船底以外の船の床で、船の胴体内部に敷かれた床板全てを甲板と言うそうだ。艦橋や船の外部に増築された部分の床は甲板とは言わない様だ。
下部甲板には長い腰掛が並んでいて、漕ぎ手達が一つの腰掛に三人並んで座っていた。
「ここが漕ぎ手の持ち場だ、見ての通り一つの腰掛に三人並んで座り一つの大櫓を漕ぐ。腰掛の下に武器がしまってあるのが見えるか」
高星が腰掛けの下を指す。なるほど剣と小型の丸盾が収納してあるようだ。
「白兵戦になって漕ぎ手が必要なくなると武装して参戦する。今は戦闘状態に入る可能性が低いから皆丸腰だが、いつ戦闘になってもおかしくない海域を航行するときは、厚手の革でできた胴着を鎧代わりに着る。どちらかと言うと矢傷を軽減するものだな。
櫂船についてはこんなところか」
高星がちょっと顎に手を当て、忘れている事は無いかと思案した後、何か質問はあるか? と聞いた。
質問は上がらなかったが、それは理解ができているからと言うよりも、覚える事が多くて一杯一杯だと言う様な顔を皆していた。
「まあ、お前らが一度に全て覚える必要があるかと言われれば、無いからうろ覚えでも構わんか」
高星が苦笑いをする。何人かは早くもあきらめたという顔をしているが、意地になって全てを今この場で理解しようとしている者もいる。
ジャンなどは小さな紙が真っ黒になるまで書き込んで唸っている。
「ジャン、うなされているところに追い打ちを掛ける様で酷だが、白兵戦に関する知識はあまり重要じゃないんだ。
船戦ではもっと重要で、もっと多様なものがある」
「うげぇ……なんですかそれは」
「兵器だ。船戦ではまず兵器を使った船同士のぶつかり合いをするし、そこで相手の船を沈めてしまえばそれで決着だ。
その話をまだしていないが、これは全部話すと少なくとも今まで話した事と同じくらいの量がある。聞くか?」
「……もう勘弁してつかあさい」
「よろしい。今日はこのくらいにしておいてやる。だが兵器ではないが、船戦特有の装備をお前はすでに一つは目にしているはずだ」
「……なんかありましたっけ? 特に変わった物は無かった様な」
「お前昨日後部甲板で釣りをしていただろう。その時に縄が何本か置いてあっただろう」
「ああ、そういえばそんな物もありました」
「あれは海に落ちた者を拾い上げるための物だ。艦隊同士の決戦では海に落ちた者を一々拾ってなどいられない、だから船尾から縄や網を下して掴まらせる。そして戦いが終わってから引き上げるのだ」
「へえ、そうなんだ。作業用の物かと思ってました」
「もっとも、一度縄を掴んでも途中で力尽きる者も多いがな」
絶句。一気に空気が重くなる。
「覚えておけ。船戦と言うものは、陸よりもずっと生死の境界がはっきりしている。剣も抜かぬうちに海の藻屑となる事もあれば、無傷のまま数倍の敵を葬る事もある。
生きて再び土を踏みたければ、力を誇らず考え抜け。海に、一騎当千の英傑は居ない」




