2・教義
目が回る様な忙しさとはこういう事を言うのだろう。
高星が当主の地位を得て新体制が始まって以来、ジャンは高星の従者として雑務に追われている。
しかもそれに加えて、高星の指示で新兵部隊に配属されて各種武術や座学を学ばされ、さらに何かにつけて高星が宿題を出してくる。寝る間も無いとはこの事だ。
最も、高星はジャンの数倍は政務に追われているので、文句など口が裂けても言えない。しかも高星の場合は、他人と違って自分から仕事を作って増やしているのだから恐れ入るばかりである。
今日もこれから重大会議らしい。ジャンも資料係として参加していて、適宜必要な資料を配って回らなくてはならない。
執務室に安東家家臣の中でも上位に属するらしい者達が集まっている。まず高星とエステルの他には、提督と騎兵部隊の中小国隊長。その他に歩兵大隊の隊長四人と、政務の各部門担当者が数人いる。
「よし、では始めるか。本日は私が当主となって以来10節の間に進めてきた各政策の決算、及びそれを踏まえて今後の方針の策定だ。まず刑法の改定はどうなっている?」
「はい、これまでの罰金刑・懲役刑・労役刑に加え新たに武器の供出を刑として科す案ですが、細目を決定次第施行できそうです」
「うむ、量刑はどの程度にする予定だ?」
「傷害罪に対して歩兵用の武器と鎧一式、窃盗罪に対して最低で矢五十本を基準に策定する方向で進めております」
「いいだろう。刑法に関してはこれで良い。次、交易の収支に関しての報告を」
「はい、今年の交易収支は帝都での内乱の影響を受け、前年比2%の減収が予想されます」
「仕方の無いところだな。新たな販路の開拓で補いたいところだが、今後戦乱が拡大するにつれて減収は避けられないだろう。当面は軍需物資の取引に重点を置く事でカバーするしかないな」
「もう一つご報告があります」
「なんだ」
「シバ侯爵家領内の自治都市トザキの市長が急死し、新市長に替わったのですが、交易船の減少による減収を補うため入出港料を値上げすると宣言しております」
「値上げか……値上げ額は?」
「入港料が一隻当たり3アウレから4アウレへ、出港料が5アウレから6アウレにするとの事です」
「ふむ、常識的な範囲か。交易船の減少の事実だし、文句のつけようは無いな……」
「高星、何か気になる事でも?」
はっきりしない高星の物言いに、エステルが疑問を投げかける。
「いや、このタイミングで市長が替わり値上げに踏み切った事にひっかかってな。と言っても客観的に見れば何も不自然は無いのだが……」
「我らに対するシバ家あたりの経済制裁だと?」
「しかし棟梁、入出港料合わせて一隻当たり2アウレの増税ではほとんど打撃はありませんが」
「だが無傷でも無い。ほんのわずかでも損失は損失だ、そしてその金はどこへ行く? 自治都市から税を取るシバ家の懐に入るだろう。わずかでも利益は利益だ」
「しかし、向こうの措置は正当なものだ、こちらからは文句も言えまい」
「そうなんだよなぁ……。
まあいい、この件はこれまでだ。次」
「ではこの冬10節の間に起きた情勢の変化のまとめを報告いたします」
ここで提督が報告のために立ち上がって前に出た。ジャンにとっても、断片的にだがこの10節、日数にして150日程の間の出来事は聞いているので、理解できる話になるだろう。
「帝都内乱により新帝が即位し、皇族のペルティナクス大公とユアン公爵が実権を握る体制が出来ましたが、噂によると早くも内部の争いが始まっているようです。
あくまで外戚アウストロ一門の排除と皇統の維持が目的のペルティナクス大公に対して、ユアン公爵は自身が帝位に就くという野心を持っているとの噂。
噂の真偽は別にしても、両者の間が上手くいっていないのは確かの様です。政府の要職が、大公の臣下で占められている事も一つの原因でしょう」
「一悶着ありそうだな。しかしそれを黙って見ているアウストロ一門ではあるまい」
「はい、アウストロ一門は都の南西、朱州の一族の領地で独自に皇帝を擁立し、正当政府を名乗っております。ただしその勢力は朱州の半分を治める程度にとどまり、正面から対抗する力は未だ持っていないと思われます」
「待て、はっきりと落ち目のアウストロ一門の擁立を受けるような皇族がいたのか?」
「皇統の本流から見れば、分家の分家に当たる伯爵が皇帝として担ぎ出された様です」
「必死さがここまで伝わってくる様だな。ともあれこれで皇帝が二人になったという訳か」
「それに関してですが、近ごろ幽州のカルノー公爵が皇帝を自称したそうです」
「カルノー公爵? ああ、あの先祖代々ユアン公爵家と仲の悪い。それで、皇帝を自称した結果はどうなった?」
「諸勢力から総スカンを食って、孤立している様です」
「だろうな。皇統が割れたからと言って、そう簡単に皇帝を自称して認められる訳が無い。
そちらは放っておくとして、両勢力の動向はどうなっている? いまにも激突はありそうか?」
「いえ、南朝……失礼、アウストロ派の亡命政府を南朝、都の新政府を北朝と呼称するのが定着しつつあるようなので、今後それに準じます。南朝は勢力の維持のために軍備の増強を急務としており、自分から戦を仕掛ける余力も意思も無い様です。
一方の北朝も、朱州に攻め込むには内海を渡る海軍力が必要ですが、まとまった海軍力を確保できずに手が出せない状態にある様です。それに加えて内部の争いとなれば、当面は大規模な軍事行動は無いのではないかと思われます」
「南北朝のまま膠着か。存外、このまま定着するかもしれんな……」
「それを後押しする要素がもう一つあります」
「なんだ?」
「法王猊下が両者の仲裁に入り、戦を避けるべく動いている様です」
「法王? そうか、法王庁は都から川を下って内海に出ようとすると、河口を塞ぐ位置に立地していたな。その法王庁が協力を拒否すれば、都から内海に出る最短ルートが止められる。これは逆らえない訳だ」
「そうなりますな」
「それにしても、宗教の総本山である法王庁が妙に俗世の権力を握っているものだ。神聖騎士団という軍事力まで抱えている。
いや、軍事力など大した事は無い。むしろ政治と宗教の両方に影響力を持っている事が性質が悪い。なあ、エステル?」
「……そうだな」
「まあ、敵に回したくはない相手だが、その心配は要らない。なにせ連中にこの辺境は遠すぎる、中央から見れば情報を集めるだけでもめんどくさい程だ。おかげで好き勝手出来るがな」
「高星、不穏当な発言は慎むべきだと思うが」
「まあ、せいぜい気をつけよう。それにしても、法王猊下がそんなに平和の維持に熱心な方だったとは知らなかったよ」
「いや、むしろ今の地位を賄賂で得たという噂がある程で、歴代法王の中で最も法王らしくないと言われていた方だったはずだ」
「うん? そうなのか?」
「うむ、はっきり言って悪名高い」
「いきなり世を平和にする使命に目覚めた……なんて事は」
「あると思うのか?」
「いや全然。そうだとしたら頭の中がお花畑だ。まあ、聖職者としてはその方が良いかもしれんが……。
当面、直接に関係を持つ事は無いだろうが、法王庁の動きには注意させよ」
「はっ」
「他に、何か気になる事はあるか?」
「一つ。南朝方の政府要人ですが、右丞相にコー・バウファン殿が就きました」
「コー・バウファン? あの、当代きっての大学者、コー氏か?」
「はい。間違いありません」
「しかし確かあの方は、内乱前に政府を痛烈に非難する上奏文を提出して、流刑になったはずだが?
あの頃はもうちょっと罪が重くなってくれれば流刑先がうちになって、当代一の大学者に会えたのにと皆で悔しがったものだが」
「内乱前の緊張が高まった時期に恩赦が降りて、アウストロ派の立場強化のために丞相として招かれた様です。
そして就任してすぐに内乱が起こり、そのまま南朝方に付いて都落ちをした様です」
「難儀な事だな、これから苦労も多かろう。とにかく頭の片隅には止めておこう。そのうち交渉相手として会う事もあるかもな」
◇
一旦、休憩になった。銀華がお茶を淹れて回る、給仕係に任せればいいのにと言うと、いつも『今日は私が給仕係なの』と言って自分でお茶を淹れる。
厚手の湯呑に熱すぎないお茶は、いつだって高星の為に淹れられたものだ。高星はお茶をごくごくと飲むが、ぬるいお茶は嫌いだ。だから熱過ぎずぬるすぎない温度で、しかも今日の様に仕事中に飲むときは、仕事優先でしばらくお茶に手を付けない事も多いから、冷めにくい様に厚手の湯呑を事前に温めておく。
以前は高星が銀華の淹れたお茶と、他人の淹れたお茶をすぐに見分けるのが不思議だったが、高星が解っているのではなく、銀華がこれだけ細やかな気遣いをしてお茶を淹れているという事を知ったときは、驚きと感心で言葉も無かった。
「さて、続きに取り掛かろうか。ここからは今後の政策についてだ」
高星の一声で一斉に湯呑が脇に寄せられ、緩んでいた空気が再び真剣なものになる。銀華が手早く湯呑を回収し、静かに部屋を後にしていった。
「我々は今後、ほぼ常時戦時体制を取る事になるだろう。だが、だからこそ民生の安定を第一とする。
民の衣食は常に十分に足りるようにしなければならない、生活に余裕があれば心のゆとりも生まれる、心にゆとりがあれば指導にする事によって犯罪を予防し、治安を維持する事も、我々の国に協力させる事もできる。
逆に生活に余裕が無ければ心のゆとりも無く、目先を追う様になる。そうなれば敵の扇動にも簡単に乗せられるだろう。
『倉廩満つれば即ち礼節を知り、衣食足ればすなわち栄辱を知る』のだ」
あくまで人々の生活が第一、それが高星の考えらしい。だがジャンにはそれよりも高星が『我々の国』と言った事の方が重要に思えた。
我々の国、つまりこの国この帝国ではない、今は高星率いるこの安東家とその治める領地の事。
だがそれに止まらない、将来的に高星が打ち建てようとしている新たな国。流刑人形が胸を張って人間だと言える国。それを指して高星は我々の国と言ったのだと解釈した。
「具体的な方針として、民の嫌う四つの事を取り除く事を基本理念とする。すなわち苦労・貧困・災難・死の四つを取り除いてやる政治を行う。
我が子の苦労を無くす為ならば、進んで苦労を引き受ける様になるだろう。同様に明日の豊かさの為ならば、今日の貧困に耐えられる。明日の安全の為ならば、今日の災難は耐えられる。明日の繁栄の為ならば、死をも恐れず闘える。将来の栄光が約束されていれば、人は進んで苦難に挑める。それを約束するのが私の政治だ」
大勢の人々を、戦争という困難な事業に積極的に協力させるにはどうすればいいか。高星は将来の栄光を約束することでそれを為すつもりのようだ。
もし誰かが、本当にその栄光は得られるのか? と聞いたら高星はきっと、それはお前の協力次第だ、と答えるのだろう。
「生産は食糧と生活必需品が最優先だ、軍備はその余剰で増強しろ。それと今後、褒賞は全て金銭で行い官職では行わない。官職は純粋に能力でのみ配分する。
信賞必罰の徹底を民間まで及ぼし、善行あった者には金一封を与えて表彰しろ。臨時徴収は例え私の命令であっても一切禁止だ、どうしても必要なときは利子付き債権を発行しろ」
ここで高星は一息置いた。
「だが、あくまでも全ては我々の目指す国を創ると言う大目的のため、その目的を果たすための手段としての戦争のために、民生を重視するものである。そこを決して履き違えない様に。我が国は軍事のために全てを行う軍事国家である。今はな」
「若、それに関しては異論はございませぬが、早急な軍備拡張を行うと言うならば、まとまった予算が必要になります。現在のままでは必要な予算の確保に、年単位の時間をかけて増収を図る必要があります」
高星の顔がわずかに曇る。
「解っている、交易による収入が絶えれば海軍も維持できない状態では軍拡は難しいな。政府に納めていた税を着服するとしても、増税は避けられぬか……」
「一応、税収を減らさずに民間の負担を減らす方策はいくつか検討していますが、はっきりいって焼け石に水と言う程度でしょう」
「そこはやむを得まい。何時どの程度の増税を行うかは私の判断で決める。ただ、当面は新政策の定着が優先だ、税率に関しては据え置く事とする」
「はっ」
「ふぅ……政務に関してはこれで大方済んだか?」
「急ぎではないが目を通しておいてもらいたい資料を、ジャンに預けてある」
「そうか。ではジャン、終わったらその資料を私の執務机に置いておいてくれ」
「はい、棟梁」
「他には何も無いか……? ならば政務の担当者はもう退席して仕事に戻ってくれ、ここからは軍事の話と行こうか」
高星の眼光が、獲物を狙う猛禽の様に鋭くなったのが誰の目にもはっきりと見て取れた。
◇
「戦いにおける絶対の原理が解るか?」
唐突に高星がそんな事を言った。絶対の原理? そんなものがあるのか。
今この場にいるのは軍事の担当者である部隊長達だが、彼らも目を泳がせたり、顔を見合わせたりしている。
「戦いにおける原理は一つにして絶対だ。『優勝劣敗』優れた者が勝ち、劣った者が負ける」
なんだ、そんな事は当たり前じゃないかと思う。
「ならば戦に勝つためにはどうすればいい? そこ、答えてみろ」
高星が部隊長の一人を指す。指された方は少し狼狽えながら答える。
「じ、自分を有利な側に置けばいいのではないでしょうか」
「その通りだ。ではどうやって自分を有利な側に置く? 特に、我らの様に兵力において大きく劣っている立場の者が、有利な側に立つにはどうすればいい?」
高星の言わんとしている事が解った。高星が言っている事は当たり前の事などではない。いや、当たり前の事でもあるが、それ以上に自分達が取るべき戦略を問うているのだ。
「例えば今私がやって見せた様に、意表を突く事で主導権を握るのも一つの手段であるな。
戦にはこれを得れば必ず有利であるという原則がいくつか存在する。この原則の内我々は何を持っているのか、そして何を持っていない弱点としているのか、敵の方の原則はどうか。そこを抑えるのがまず大前提である」
これはとても重要な話だ、そう思ったジャンは小さく折りたたんだ紙を取出し、高星の一言半句を残さず書き留める。高星は何の前触れもなく重要な事を話して聞かせたりするから、忘れない様に常に書き留める物を持ち歩くのが習慣になった。
「私が思うに現在の我が軍が持つ優位な点は、何のために戦うか目的がはっきりしている事、機動力の高い兵を擁している事の二点だろう。
ここにさらに主導権を握る事、戦力だけではなくあらゆる力を無駄なく効率的に使う事、戦力の損耗を防ぐ事の三つを加える様にすべきだと考える」
「後者二つは、我々が兵力において劣勢であるからですか?」
「そうだ、小をもって大と戦うしかない以上、戦力・経済力・生産力その他あらゆる力を無駄遣いする余裕は無い。
また戦力が小さく、兵士一人が貴重である以上、無用な犠牲を払う戦い方は即、破滅につながりかねない。
ここまでくれば我々の基本方針はおのずと決まってくる」
書き留めた原則を見直す、目的がはっきりしている、機動力が高い、主導権を握る、力を効率的に使う、戦力の損耗を防ぐ……。
この五つから導き出せる答えは?
「我々は会戦主義を取る。『兵は拙速を聞くも、未だ巧みの久しきを見ざるなり』だ。時間も犠牲も掛かる攻城戦は避け、主導権を握って敵を野戦に引きずり出し、速戦即決によって味方の被害を少なく勝つ。
これならば機動力も最大限発揮できるし、古来より大会戦で数倍、ときに数十倍の敵を圧倒した先例は数多い。我らに活路があるとすれば、それに倣う事に他ならない」
「しかし、速戦即決を目論んだものの、結局長期戦に引きずり込まれて敗北した先例も多いのでは?」
「その懸念は当然ある。が、当然の懸念であるが故に、そうさせない方策も考えてある。コルネリウス家の誇りと立場を突くものだが……こればかりは蓋を開けてみない事には解らないな。
だがどちらにせよ我々には短期決戦の活路はあれど、長期戦に活路は無い、それは皆よく理解しているはずだ」
そうだ、時が過ぎ各勢力が軍備を拡大すれば、強い者と弱い者の差はさらに広がる。その前に手を打つために立ち上がったのだから、ここで悠長な事を言う選択肢なんて、最初から無い。
「故に、我々の戦いは敵を会戦に引きずり出し、騎兵の機動力を生かす事によって一方的な大勝利を得る事を教義とする。軍は全てこの教義に沿う形で編成・運用せよ」
一斉に返事が響く。流石軍人達なだけあって全ての声がぴったり重なって、まるで一人の声の様だった。
◇
「お疲れ様です、棟梁」
「なに、そうでもない。好きでやっているというのは変だが、政治も軍事も性に合っている様で苦にはならない。
それよりも今日は重要な議題が続いたが、何か少しでも身になったか?」
「えっと、まあ、戦いには優勝劣敗の原理があって、いくつかの原則があって、それに基づいて教義を作る事は解りました」
「戦略も軍備も全て場当たり的なものでは無く、一貫した基本方針の基に作られなくてはならない、それが教義だ。ここがまずしっかりしていなくてはならない」
「肝に銘じておきます」
「うむ。政治の方はどうだ?」
「いやぁ……正直さっぱりと言う感じで」
「まあ、そんなものだろう。誰でも大抵政治より軍事の方を好むし理解できる。そうだな……政治に関してはとりあえず『牧民』を覚えておけ」
「牧民?」
「民を牧する。つまり民を治めるやり方は、家畜を放牧するのと同じという事だ」
「なんだか危ない考えに聞こえますが」
「上辺の言葉だけで中身を知りもせずに判断する方が危険極まりないと思うが?」
「……失礼しました」
「よい。それで牧民だが、家畜を放牧するときは柵で囲って危険が無い様にしてやる。谷に落ちたり、迷子になったり、狼に襲われたりしない様にな。
家畜はその中で自由にしているが、家畜が牧草を食べる事で適度に切りそろえられ、糞をする事で肥料になり、蹄で掘り返す事で土が耕される。家畜は好き勝手やっているだけだが、全体としては人が手を加えなくても一定の環境が保たれる。
そこに手を加えてやればさらによく育つという訳だが、民もこれと同じだ。法や制度と言う柵で危険から守ってやり、柵の中で自由に過ごしているだけで一定の状態が保たれる様にしてやる。
これならば最低限の手間を掛けるだけで民は十分豊かに、そして自由に暮らせるという訳だ。これが『牧民』という考え方だ」
「それが棟梁の考える理想の政治ですか?」
「まあ、理想の基本となるものくらいのものかな。政治とは普段忘れ去られる程の当たり前の恩恵であるべきだ。最も、理想が容易く実現したら――」
「苦労は無い、ですか?」
「いや、つまらない」
「ははは……つまらない、ですか。確かにそうかもしれませんね。
……棟梁、一つ聞かせてください。俺達は勝てるでしょうか?」
「勝つのだ」
「いえ、そういう事では無くて……」
「解っている。気持ちの問題とは別に、実際勝利の目処はあるか気になるのだろう?
そうだな……私は預言者ではないが、速戦即決を狙って攻める我らに対して、敵が守りを固めて長期戦をする気になれば勝てる、と思うぞ」
「攻めるより、守る方が有利なんじゃないですか? それに長期戦になると勝ち目は無いんでしょう?」
「それはその通りだ。だが敵が守りに気を取られて、攻める事を忘れれば、必ず我らが勝つだろう」
「何故です?」
「戦略に守りは無いからだ。戦略には攻めも守りも無い、もしくは攻めしか無い。
戦術的には専守防衛に徹し、ある拠点を一定期間守り抜くと言うのもある。だが戦略においては、情況を自らの手で切り開くと言う意味において、攻撃しかない。
何もせずにただ守っているだけで目的が達成される事は無い。守ってばかりでは何も変わらず、何度でも敵は攻めてきて、やがては敗北する。
戦略においては『必ず攻めて守らず』と言う事を忘れてはならないのだ。もし我々の敵が、長期戦に持ち込んで消耗させる事を狙うあまり、この事を忘れたとしたら、その時点で勝敗は決しているだろう」
「未来は自分の手で掴み取らなくちゃいけないと言う事ですね」
「格好良く言えばそうなるかな。ただ……」
「ただ?」
「これは内緒の話だが、本当のところを言うと、できるだけ強い敵と相まみえてみたいと思っている自分が居る」
「それは他人の前では言えませんね」
「全くだ、厳しい戦いを前にして何を考えていると怒られてしまう」
「じゃあ、これは秘密にしておきますよ」
「それは助かる。ところで話は変わるが、今日は何日だ?」
「第7節14日ですが……なにか?」
「いや、預言者で思い出したのだが、年に一度来る知り合いがそろそろ来る頃だなと思ってな。
私も忙しくなってもう気軽には会えなくなるだろうから、一言言っておきたかったのだ。まあ、なんとか時間を作って会いに行くとしよう」
「仲がよろしいので?」
「どうだろうな、彼らの情報や技術は実に興味深いが、あの男とは必ずしも気が合う訳ではないし……まあ、近いうちにお前も連れて行くから、自分の目で確かめる事だ」
「楽しみにしてますよ」
「うむ。今日はもう上がっていいぞ、銀華に酒を温めておく様に伝えてくれ」
「程々にしてくださいね。では棟梁、失礼します。また後で」




