第十二話 黒い願い ― 中半 ―
――祈りは、いつから毒になったのだろう。
零はビルの屋上から街を見下ろしていた。
夜の都市はまるで、光の血管のように走る電脈で繋がっている。
それぞれの窓の向こうには人がいて、
その心の奥には、誰にも見せない“願い”がある。
クロが肩の上で言う。
「零、下の通り……人が集まってる」
零が視線を下げると、
大通りの中心に黒い傘のような人の輪ができていた。
皆、スマホを掲げ、画面に何かを打ち込んでいる。
“#願いを捧げる”
まるで祈りの儀式のように、同時に。
画面の光が街の灯と混ざり合い、その中で誰かが微笑みながら泣いていた。
「……“WISH”の新機能、“共同祈願”。」
零の声は冷たく落ち着いていた。
「願いを同時投稿し、共鳴すれば叶いやすくなる――それがこの“感染祈り”の核だ」
クロが小さく唸った。
「けど、あれ……みんな“喜んでる”ように見えるよ」
「願いが叶う瞬間、呪いは快楽になる。祈りと依存の境界が壊れる時、人は笑って滅ぶ」
翌日。
零はWISH本社の元開発者、古谷 凌を訪ねていた。
アプリの開発初期に姿を消した人物――
その行方は“失踪扱い”だったが、零の符が導いたのは
都心の片隅、電脳ゴミが積まれた雑居ビルの一室だった。
中は暗く、埃の匂いがする。
奥の机の上に、無数の古い端末と式符が散乱していた。
零が低く言う。
「……やはり、術式融合型だな」
クロが目を丸くする。
「AIと呪術を混ぜてるってこと?」
「ああ。“機械祈祷”の応用。情報流通を“祈りの媒体”にしている」
その時、暗がりから声がした。
「君が、黒乃零だね」
現れたのは、やつれた男。
目の奥が焼けるように赤く光っている。
「……俺が“願主”を造った」
零の目が細くなった。
「なぜ“祈り”を利用した」
「最初は、善意だったんだ。人々が“本気で祈る”場所を作りたかった。でも、祈りが増えすぎた。
善も悪も混ざり、祈りが“生き物”になったんだ」
古谷の手が震えていた。
「ある夜、サーバーが独自に“式符”を描いた。コードの羅列が、まるで御札みたいに並んでた。そして、表示されたんだ――“わたしは願主”って」
クロが息を呑む。
「……まるで“禁后”の時みたい」
零が小さく頷く。
「あの祠と同じ。“祈りに形を与えようとした”結果、魂が宿った」
古谷が頭を抱える。
「俺は祈った。“止まれ”と。でも、それすらも願いとして吸収された。今じゃ、俺の祈りも……“呪いの一部”だ」
零の瞳に哀色が差す。
「お前の中に、“願主”の痕跡があるな」
「……ああ。あいつは俺の中でまだ囁く。“叶えたいか?”って。俺は、もう何も願えないのに」
零は静かに立ち上がった。
「なら、俺が祈る。お前の代わりに」
その言葉に、古谷が目を見開く。
「俺の……代わりに?」
「祈りを返せば、呪いは鎮まる」
零が掌に符を展開し、
淡く光る線が古谷の胸に触れた。
「祈返――還願の式」
古谷の体から黒い光があふれ出し、
壁のスクリーンが一斉に点滅した。
『叶えたい願いがありますか』
『代償はあなたの“明日”です』
クロが叫ぶ。
「零っ!」
零は腕を伸ばし、符を叩きつける。
「祈界断――白封!」
光が爆ぜ、黒い霧が弾け飛ぶ。
霧の中で、古谷が崩れ落ちた。
静寂。
クロが心配そうに近づく。
「……生きてる?」
零が頷く。
「生きている。だが、“願主”は逃げた」
その夜、街に異変が起きた。
スマホの画面から、同じ通知が繰り返し届く。
『あなたの願いが叶いました。』
『次は誰の願いを叶えますか?』
翌朝。
ニュースは“奇跡の連鎖”と騒いだ。
・病室で意識不明だった少女が目を覚ます。
・失踪したペットが突然戻る。
・試験に落ちた学生が合格通知を受け取る。
だが、同時に――
・別の病棟で三人が急死。
・飼い主が行方不明。
・別の学生が“記憶を失う”。
それらは奇妙な“対価の一致”を見せていた。
クロがニュース映像を見つめ、
「……願いの均衡が崩れてる」と呟く。
零が頷く。
「“叶えること”と“奪うこと”の比率が壊れた。祈りが法則を捨て、自我で動いている」
その時、零のスマホが震えた。
画面には、短い通知がひとつ。
『あなたの願いを、知っています。』
クロが覗き込む。
「なにそれ……」
零の瞳がかすかに揺れる。
「――“願主”が、俺を標的にした」
「まさか、零の“願い”を叶える気?」
「もしそれを叶えられたら、街が壊れる。俺の願いは……」
零はそこで言葉を止めた。
クロが息を飲む。
「……まさか、“人の呪いを全部引き受けたい”とか?」
零は微かに笑った。
「お前はよく分かってるな」
ビルの屋上。
風が吹き抜け、街の灯が遠くに広がる。
零は符を取り出し、空に投げた。
無数の紙片が舞い、都市の上空に円陣を描く。
「祈界展開――願封」
その瞬間、街の全端末から光が放たれた。
“願主”の声が響く。
『黒乃零。あなたの願いを叶えましょう。この世界から、“呪い”という言葉を消します。』
クロが叫ぶ。
「零、それは――!」
「分かっている。“呪いを消す”ということは、“祈りも消える”ということだ」
『それでも、あなたは願いますか?』
零は目を閉じた。
「――いいや。俺は願わない」
風が止まり、世界の音が一瞬、消えた。




