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住む場所を王宮に移してから、ふた月近く経った。
同じ境遇の二人がいるから、疎外感はいつの間にか薄れている。時々食事を一緒にするが、べったりなんてことはなく、蓮は気ままにすごしていた。
だいたい、二人は学園に通っているので日中はいない。
――年齢詐称して、一緒に通う?
――最高権力使えばいけるよ。
なんて真顔で澪に誘われたが、丁重にお断りした。
二十一で高校生と言われる年代に混ざるのもどうかと思うし、着なくなって久しい制服なんて、コスプレのようで恥ずかしいものがあった。
――じゃ、家庭教師頼む?
――知識は絶対必要、教育受けるといいよ。
そんな澪からの提案を受け、ありがたく手配してもらった家庭教師に教わり、蓮は勉強に追われている。知らないより、知っている方が断然有利なことは多いので、久しぶりに知識を必死で吸収した。
最初は環境の変化に対して色々憂鬱だったけれど、今ではそれなりに充実した日々を送っている。蓮よりも先に王宮に馴染んでいる、二人が色々と気を配ってくれているおかげもあった。
――行きたい場所とかあったら、ハル連れて行けば大抵のとこに行けるよ。
そそのかすようなアドバイスを澪にもらった時には、聖女である澪ではなく、なんで悠真? と疑問に思ったけれど。
――第一王子であるアルフレッドさんの婚約者だから。
疑問に答えるように、さらりと告げられ、蓮は愕然とした。
(なんでそうなった!?)
心の叫びは、伝わったらしい。表情にも、出ていたのかもしれない。
――なんか色々あって?
補足にならない補足を、悠真がしてくれた。
けれどそれで、嘘や冗談の類いではないと理解する。ついでに、この世界では同性同士の結婚も、当たり前のようにありえるのだと蓮は知った。
だからどうということは、ないのだけれど。
――ハルは、ヒロイン枠だから。
にっこり笑って告げた澪は、何枠なのか気になる。普通に考えれば、澪がヒロイン枠だ。けれど、絶対に本人は違うものを目指しているのが伝わってきて、蓮は触れない、を賢い選択とした。
「レンさん、ディルクさんとこに、戻らなくていいの?」
誘われたお茶の席で、お菓子に手を伸ばしながら澪が尋ねてくる。同じように蓮もお菓子に手を伸ばしながら、んー? と、軽く語尾を上げた声を返した。
――俺は、今まで通りの生活がしたい。
二人に訊かれ口にした希望は、いまだ実現していない。
できないのではなく、蓮がしていない。望めば、それが実現してしまうからだ。
王族である上司のアルフレッドが命令すれば、ディルクは拒否できない。やっと以前の生活に戻れた、ディルクの迷惑になるのは本意ではなかった。
なんていうのは建前で、拒絶されるのが怖い。そんな本音を、澪が聞き上手なせいか、うっかり吐露してしまった。
「とりあえず、会いに行ってみたら?」
「え」
「来ちゃった、はーと、みたいな感じで」
「誰だよ、それ」
想像して、蓮はげんなりする。
「ま、はーと、は別にして、会いに行ったらいいんじゃない?」
引っかかったところは、悠真も同じだったらしい。苦笑しながら、フォローを入れた。
ただ、頷けるかどうかは別だ。
ディルクに会いたくないわけではない。むしろそんな風に言われれば、会いたい気持ちが強くなる。けれどそう思うのは蓮だけなのかもしれなくて、躊躇してしまった。
もうずっと、ディルクのことを考えれば考えるだけ、感情がくるくるゆらゆら忙しなくまわる。まるで風見鶏のようだ。だから最近は考えるのはやめ、目を背けていた。
「直接会って話すと、案外悩む必要はなかったって、なるかもだしさ」
「簡単に言うけど、城の外に出るのが無理だろ」
相変わらず、蓮には護衛がついている。城の外へ出るのは、難しいはずだ。
それを言い訳にして、ずっと足踏みしていた。
「簡単だよ! ってことで、ハル」
「はい、これ」
なぜかディルクからもらったバッグを、悠真から手渡される。え? と戸惑っていると、唐突にアルフレッドの姿が現れて、蓮はぎょっとした。
「ディルクさん、今日休みなんだって」
少しも驚いていない悠真が、さらりと口にする。
「ディルクさんも騎士だから、護衛として申し分ないでしょ?」
「城に帰ってくる時は、ディルクに送ってもらってくれ」
笑いを含んだアルフレッドのその台詞を最後に、視界が歪む。神殿に転移したときのような感覚があり、不快感に目を閉じる。次に瞼を上げると、見覚えのある風景が広がっていた。
蓮は目を見開く。周りを見回すと、他に誰もいない。
(まじかよ……やられた)
手際の良さから察するに、最初からきっと仕組まれていた。
深々と、蓮はため息をつく。
一人で放り出されればもう、覚悟を決めるしかない。
ゆっくりとした動作で、蓮は足を踏み出した。
まだふた月しか経っていないのに、妙に懐かしく感じる。玄関のドアの前まで行くと、わずかに迷って、蓮は来客を知らせるベルを鳴らした。
鼓動が大きく跳ねて、うるさく騒ぎ出す。
留守だった、なんてオチじゃ、と思ったところでドアが開いた。
ぱちん、と合った濃紺の瞳が、見開かれる。久しぶりに見る顔に、蓮は胸が熱くなって、思考は真っ白になった。
「えっと……来ちゃった?」
わずかに視線を泳がせ、鈍い思考をむりやり回し、耳に残っていた台詞をつい口にする。まさかこんな台詞を、口にする日が来るとは思ってもみなかった。
かわいらしい子に言われるならディルクも嬉しいだろうが、相手が蓮ではときめきようがない。なんだか、申し訳なくなった。
「ああ」
頷くディルクの表情に、どことなく憂いを感じる。やっぱり迷惑だったかと、蓮は心臓が冷えた。
帰りは送ってもらえと言われたが、それさえも迷惑なのかもしれない。
「あーっと」
「ここはもう、レンの帰る場所ではないのか」
「え」
想定外のことを言われ、蓮はすぐに理解できない。ディルクを見つめたまま、ぱたぱたと瞬きを繰り返した。
「殿下から、レンの望みが優先されると聞いてから、ずっとレンが帰ってくるのを待っていた」
むすりとしているが、怒りは感じない。
むしろ――と、蓮はディルクの顔を窺い見た。
(これは、拗ねている?)
気付いてしまえばもう、そうとしか思えなくなる。じわじわと、喜びが蓮の胸の内に広がっていった。
ああ、本当に、会えばこんなに簡単だ。
今まで散々悩んだことが馬鹿らしくなって、蓮は笑いたくなった。
「俺、ここに住んでいいの?」
「当然だ。なんなら、二人で住む家を買うが」
「――は?」
なんでもないことのように、とんでもないことをディルクは言い出す。
その提案はおかしい。今の蓮の扱い的に必要なのか? と、一瞬考えたが、そんなわけはないとすぐに否定した。
「もっと、広い家の方がいいだろう?」
「いやいや、ここでいいだろ!」
家を買うなら結婚相手と相談すべき――と考え、蓮は胸の辺りが重くなったように感じる。疑問に思うより先に、ディルクが口を開いた。
「神殿にも部屋があるからか?」
「あれ、知ってんの」
「殿下から聞いた」
「そうそう、あ、そこのすげぇ設備の整ったキッチンで、最高級の材料使って、とっておきのケーキ作ってきたんだ」
だからお茶にしようと、蓮は表情を明るくしてディルクを誘う。
あの日作ったオペラを、いつかディルクにも食べさせたいと、バッグに保存しておいた。
「ああ、いいな」
嬉しそうな顔に、帰ってきたことを実感する。お茶を淹れるためにキッチンに立つと、ひとり暮らしのマンションから、実家に帰った時と同じ感覚があった。
ここに居たい、と蓮は強く感じる。王宮には豪華な部屋も、食事も、すべてにおいて完璧に揃っているけれど、どこか満たされない感覚が常につきまとっていた。
「どうぞ、召しあがれ」
「きれいだな」
「口に合えばいいけど」
「……うまい」
久しぶりに見る、一見わかりにくく喜ぶディルクが、かわいいと思う。
するすると気持ちがほどけて、蓮は幸せを感じた。
「もう、城に戻らなくていいんだろう?」
「え、どうだろう? 一度戻るよ。悪いけど、後で送って」
眉間のシワが、深く刻まれる。そんなに嫌そうにしなくてもと、蓮は笑った。
「挨拶くらいはしないと」
「……わかった」
渋々とわかる返事だ。
「なあ、ほんとに俺、ここに住んでていいわけ?」
「ああ。責任は持つと言っただろ」
少しも迷いのない台詞が、心地好く耳に響く。
なんだか、蓮は胸にぐっときた。
「ありがと。そんで、これからもお世話になります!」
自然と、表情が緩む。
「俺の方こそ、ふつつかものですがよろしくお願いします」
「……はい?」
「違ったか? 聖女様に、レンを家に迎えるときには、こう挨拶すればいいと教わったんだ」
「いや、うん……」
ある場面でよく聞くフレーズに、何を教えてんだと蓮はなんとも言えない気持ちになる。曖昧に頷くに留めて、説明は放棄した。
どんな経緯で、教えられたのかという疑問は残るけれど、聞かないでおく。
ただなんだか楽しくなって、ディルクと顔を見合わせ、笑い合う。
この気持ちが、まだなんなのかはわからない。
正しく名前をつけることはできないけれど、ディルクのそばでは、蓮が蓮自身でいられる。この先どうなるかなんてまったくわからないけれど、今はまた一緒に過ごせる時間をとても愛おしく感じ、蓮はディルクと一緒に甘さを頬張った。
これで一応、完結とします。
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