表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/31

Evangelium04-1:夕べの祈り

 伏見は完全に視覚を奪われた状態で、カインたちによって移送された。

 聴覚は奪われていなかったため、車に乗せられて移動したことはわかったが、どこに到着したかまではわからなかった。車から降ろされると、両脇をつかまれた状態で歩かされる。

「まるで重犯罪者だ」

「静かにしなさい」

 カインに言われて、伏見は大人しく黙る。

 途中、エレベーターに乗せられた。下へ移動している感覚があった。地下だろうかと考えていると、エレベーターはすぐに停まり、また歩かされ始める。

 何度か方向転換したあと、短い電子音が響いた。ロックが解除されたようで、目の前で扉が開く音がする。

「伏見ヒロトを捕縛しました」

「ご苦労」

 カインが誰かと短く言葉を交わすと、両脇から伏見の腕をつかんでいた手が離される。代わりに何者かが近寄ってきて、「歩け」という言葉と共に背を押された。

 数歩歩いたところで「止まれ」と言われたので、伏見は従った。すると、頭から被せられていた布袋が突然取られる。闇に慣れていた目に、白い照明の光が沁みる。

「うわっ」

 突然横から突き飛ばされて、伏見は床に倒れこんだ。

「ちょっと、何を――」

 見上げると、鉄格子の扉がちょうど閉じられるところだった。短い電子音がして、扉に取りつけられた電子錠のランプが赤く光る。

「大人しくしていろ」

 警備員のような制服を着た男は、鉄格子の向こうからそう言ってどこかへ行ってしまった。扉が閉まる音がして、もう一度短い電子音が鳴る。室内の照明が薄暗くなり、それ以降、誰かが入ってくる気配はなかった。

 両腕を後ろで拘束されていたため、多少苦労したものの、伏見は上体を起こした。周囲を見回すと、そこは六畳ほどの白い壁の空間だった。ベッド、洗面台、便座。天井の角には監視カメラ。それ以外は何もない。

「刑務所かな?」

 伏見は苦笑する。立ち上がり、ベッドに腰を下ろした。少しの間大人しく座っていたが、そのまま大人しくしていてもどうにもならないことは明白だった。後ろで拘束されている腕を体の脇から前に持っていって、コートのポケットから錠剤のケースを取り出す。

「誰か、いるのか?」

 ケースを開こうとしたところで、どこからか弱々しい声が聞こえてくる。隣の独房に誰かがいるらしかった。

「ええ。たった今放り込まれました」

「そうか。災難だったな……。私は倉島という者だ。君は?」

 ケースをいじっていた手元が狂って、ベッドの上に薬が散らばった。

「倉島博士ですか?」

「そうだが?」

「伏見ヒロトです。伏見ヒロユキの息子の」

「……ヒロト君か? いったいどうしてこんなところに?」

「父は多忙で時間を作れそうになかったので、自分が代わりに調査を行っていました。……結果、このありさまですが」

「そうだったのか……。こんなことに巻き込んでしまってすまない」

「いいえ、自分から名乗り出たんです。気にしないでください。それより、ここはどこなんです?」

「日本ライプニッツ機関の研究施設の一つだよ。そしてここは、施設内の懲罰房だ」

「懲罰房……倉島博士こそなぜこんなところに? まあ、理由は一つしかないでしょうけど」

「君の思った通りだろう。イヴを逃がしたことがバレた」

「でしょうね……」

 伏見は話しながらベッドから立ち上がり、散らばった錠剤を確認する。

「彼女には、会えたのか?」

「ええ。優秀な仲間が見つけてくれました」

「……どうだった?」

「どうだった、とはどういうことですか?」

「美しかっただろう?」

 倉島はうっとりとした声で言った。姿は見えなかったが、その恍惚とした表情が伏見の脳裏に浮かぶ。

「……最高傑作、ですか?」

「ああ……。彼女を生み出した今、私の人生にもう悔いはない。完全な女性だ」

「その最高傑作に、あんな悲劇を味わわせたにも関わらずですか」

 伏見は冷たい声で言いながら、もう一度ベッドに腰かける。位置を確認していた錠剤の一つを、後ろ手で探り当て、つかみ取る。

「……仕方がなかったんだ。そうしなければ、彼女を生み出すことはできなかった」

「……どういうことです?」

「長い話になる」

「構いません。どうせ他にすることもないでしょう」

「それもそうだな。……私は若い頃から、女性が大好きだった」

「なんですって?」

 予想外の切り出しに、伏見は驚きを隠せない。

「女性という物質が好きだった。浮ついた気持ちではない……と言えば嘘になる。あの美しい曲線、柔らかな感触、女性特有の匂い。すべてを愛していた。神が創造した究極の物質と言っても過言ではない。そうだろう?」

 伏見は無表情のまま、特に何も答えなかった。

「いつからか私は、私の中に完全な女性像を創り出していた。君も男なら、自分なりの“イヴ”を思い描いたことがあるだろう。いったい何がきっかけだったのか。誰かモデルになった人はいるのか。もう忘れてしまったが、私の頭の中は彼女のことでいっぱいになった」

「そしてその女性を生み出すために、化学者になったと?」

「ああ。頭がおかしいと思ったかもしれないが、実際その通りでね。私は彼女という病気にかかってしまった。それ以降、彼女を生み出すにはどうすればいいか。それだけを考えて生きていた。しかし、新たな生命の創造は古くから禁忌とされていた。公的にその研究を行うことは、当時の倫理観では許されることではなかった。私は副業で稼ぎながら秘密裏に独自の研究を行っていたが、一人でできることはたかが知れている。……そんな私に、声をかけてきたのが及川だった」

「そんなに以前から知り合いだったんですか?」

「ああ。三十三の時だ。及川はまだ新人の議員で、澄んだ目をしていた。彼とは同い年だったこともあってすぐに意気投合したよ。彼は心から日本の……いや、世界の未来を憂いでいた。彼の志の高さを知って、私も見栄を張りたくなったんだな。私は彼に、私の研究のことを話した」

「……受け入れられたんですね」

「……そうだ。それまで私を狂人扱いしてきたやつらとは違った。彼は私の研究を素晴らしいものだと言ってくれた。そして、協力してくれると」

「“研究できる環境を用意する。その代わりに、私にも協力してほしい”。こうですか」

「その通りだ。その時点で私は、彼にどんな目的があるのかを知らなかった。しかし私にとって、彼の目的などどうでもいいことだった。私の中にいる彼女を生み出すことができる。それだけがすべてだった」

「そしてイヴは生まれ、人殺しの道具になってしまった」

「……ああ」

 それまで興奮気味に話していた倉島の声が、また弱々しいものに戻る。

「私は彼女の成長を間近で見ることができた。幸せだった。しかし彼女が初めて参加した戦闘から帰ってきた時、私は……罪悪感で押しつぶされそうになった。彼女は一見正常だったが、私には彼女の心がどれだけ傷ついたのか、自分のことのようにわかった。

 私は彼女だけでも戦闘に参加させないことはできないかと及川に相談したが、断られた。……イヴは、本当に優秀だったからだ。彼女はどの戦闘でも、他の追随を許さない“スコア”を叩き出した。その上彼女の存在は、部隊の精神的主柱でもあった。何度頼んでも、及川はいつもの笑顔で首を横に振った」

「……イヴにピアノを与えたのはあなたですか?」

「……当時の私には、それくらいのことしかできなかった」

「それがなぜ、今になって彼女を逃がそうと?」

「……最後の仕事を終えたら、彼女たちは処分されると知ったからだ」

 伏見は手の中で錠剤をもてあそびながら、呆れたように息を吐いた。

「やはり、そうだったんですね。しかしイヴが逃げ出してしまった以上、他の仲間たちを処分するわけにはいかなくなった。彼女を捕まえることができるのは、彼女と同等の力を持つ者しかいない」

「そういうことだ。しかし、君がここにいるということは……彼女も捕まってしまったのだろう」

「……ええ。甘く見ていました」

「仕方がないことだ。ゼノイドは、人間が相手にできるようなものではない」

 その一言を、伏見は聞き逃さなかった。

「……どういうことですか? “人間が相手にできるようなものではない”? 彼女たちが普通ではないことはわかりますが、同じ人間でしょう」

「……そうか。君はまだ、彼女たちがなんなのか聞いていないんだな」

「聞いてはいませんが、どう見ても人間です。デザイナーベビーの類ではないんですか?」

「そんな古臭い技術と一緒にされては困る。……君は、XNAを知っているかね」

 その単語を聞いて、伏見は目を丸くする。

「ゼノ核酸。人工的に生み出された、DNAの代替となる情報貯蔵生体高分子だよ」

「ゼノ核酸の研究は凍結されたはずだ!」

 叫びに近い声が、懲罰房に響き渡った。伏見はベッドの上に膝立ちして、倉島の声がする方の壁を睨みつけている。

「……よく知っているな。そう、当時の倫理観では許される研究ではなかった。様々な方面から圧力を受けて、ゼノ核酸の研究は凍結された。しかし私は及川の協力で、その研究データを廃棄される前に入手することができたんだ。……おかげで、研究は順調に進んだよ。スカイネットの演算能力をもってすれば、XNAのふるまいをシミュレーションすることも容易だった。神様になったような気分だったよ」

 伏見は頭を壁に打ちつけるようにして、唇を噛む。

「……人工的に作られた生命体である彼女は、人間ではないと?」

「人間の定義については、私も未だに結論を出せずにいる。が、生物学的に見て、ゼノイドは我々ホモ・サピエンスとは違う。勘違いしないでほしいが、これは差別的な意味で言っているのではない。むしろ、我々が差別されるべき存在なんだ」

「何を、言ってるんですか……」

「……君は、及川の目的が宗教紛争の鎮圧だけだと思っているのかね」

 伏見は力なく膝を折り、ベッドに正座する形になった。

「まだこれ以上、何が起こるっていうんですか?」

「及川はいつもこう言っていた。“最大多数の最大幸福を目指す”と」

「最大多数の、最大幸福……」

「ゼノイドは非常に優秀な能力を持っているが、その心はとても無垢だ。つまり、言われたことを信じやすい。コントロールしやすいように、遺伝子レベルで設定されている。さらに、古いサイエンスフィクションの小説に登場するようなサイボーグと違って、原料は自然界に溢れかえっている。……優秀な人材を生産し放題というわけだ」

「……ゼノイドで、足りない労働力を補うつもりですか?」

「その通り。そしてそのためにはまず、ゼノイドの有用性を世界的に知らしめなければいけない」

「……まさか! あの宗教紛争は、ゼノイドの有用性を知らしめるためのショーだった……?」

「アメリカ、ドイツ、ロシア、中国……研究に出資した国は大喜びだったよ。各国の悩みの種だった武装勢力を排除。テロや難民問題も、これ以上酷くなることはなくなった。その上、有能で従順な人材の提供まで約束される。日本は日本人として生み出されたゼノイドで溢れ、国力を取り戻すことができる。そして私も……最高の女性を生み出すことができた。

 犠牲になった命はあっただろうが、それは単に最大多数ではなかったというだけのことだ。今生きているほとんどの人間が、ゼノイドの恩恵を受けることになる。……及川は複雑に絡み合った問題を解きほぐし、最大幸福を得るために、すべての辻褄を合わせながら生きてきた。……恐るべき能力だよ」

「倫理は……倫理はどこへ行ったんだ。イギリスとドイツを除くほとんどの国が、ゼノ核酸の研究には否定的な意見を示していたのに……」

「科学の進化と共に倫理観は塗り替えられていく。それが可能であればどんな技術でも実現せずにはいられない。……人間の本能のようなものだ」

 伏見はうなだれるように、もう一度壁に額をつけた。

「僕が、間違っているのか……?」

「正しいか正しくないかは主観の問題だ。それを決めるのは君だよ。君がどんなに正しいと思う主張をしたとしても、もみ消されることは明白だがね」

 完膚なきまでに叩きのめされて、伏見はもう何も言葉が出てこなかった。その雰囲気を察したのか、続けて倉島が口を開く。

「……しかし、及川の筋書きには決定的な誤算がある」

「……誤算?」

「彼は、ゼノイドを過信しすぎている。確かにゼノイドはコントロールしやすいように調整されているが、それはつまり、コントロールする人間の人間性によってゼノイドの人間性も決まるということに等しい。イヴたちは及川という優秀な人間がコントロールしたからこそ、従順に動かすことができた。しかし、仮にゼノイドが社会に出れば、有象無象の人間の影響をも受けることになる。……結果どうなるか、君にもわかるだろう?」

 どれだけ打ちのめされても、伏見の頭は冷静だった。すぐにその質問の意図を汲み取ると、顔を上げた。

「……ゼノイドに私欲が生まれ、今度は僕たちが、優秀な彼らにコントロールされるようになる」

「我々は劣等種として見下され、食物連鎖の頂点を彼らに譲ることになるだろうな。半世紀前のシンギュラリティなどとはわけが違う。……この星の、新たな支配者の誕生というわけだ」

「そんな危険性のあるものを、受け入れられるわけがない」

「そのことに及川は……いや、世界は気づいていないらしい。この点を指摘すれば、盤面をひっくり返すことも可能なのではないかね?」

 伏見の目に、光が戻った。

「そうか……その点を突けば、まだ可能性はある」

 隣の独房で、倉島は鼻を鳴らして笑った。

「ただしその点を突くためには、君がここにいてはいけないんだがね」

「きっと明日になれば、及川が僕に会いに来るでしょう。その時に説得してみせます」

「明日になれば、か……」

「何か、問題でもあるんですか?」

「いや、おそらくその方向から揺さぶりをかければ、状況は一転するだろう。ただ……その頃には彼女たちはもう、処分されてしまっているだろうな」

「……え?」

「イヴが及川の手中に収まった今、モナドのゼノイドたちを生かしておく意味はない。彼らは午前四時頃、夕食を取る。生体高分子の結合を崩壊させる、ナノマシン入りのレーションが用意されるだろう。……最後の晩餐というわけだよ」

 伏見は蒼白な顔のまま動かなかったが、やがて何かを決意したように頷いた。手にしていた錠剤を枕の上に置き、ベッドの上に横たわる。

「……少し、眠ります」

 伏見は枕の上の錠剤を前歯で拾うと、舌を使って口に含み、飲み込んだ。

この作品はシェアード・ワールド小説企画“コロンシリーズ”の一つです。


http://colonseries.jp/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ