05
ガシン、と薄暗い森林に金属音が響く。
湿った風が一つそよげば、森林を歩く男の鼻にかび臭い匂いが届けれられる。
淀んだ空気が漂い、ところどころ地面がぬかるんでいる。
男は体からギシリとした鉄が擦れる音を出しながら、ゆっくりと、しかし辺りを警戒しながらその歩みを進めていた。
(流石に、音を立てずに、ってのは無理か……)
心中で一人ごちる男。
彼が歩くたびに、長く伸びた前髪が揺れ、黒い瞳がチラリと光を放つ。
どこまでも黒く、暗く、昏いその瞳は、ただ只管に怪しく煌いてた。
一歩、また一歩、どこか調子を確かめるごとく、しっかりと大地を踏みしめる。
稀にぬかるみを踏んでしまえば、彼の首に掛けられている小瓶が軽く揺れた。
また、時折、手指を折り曲げていて、その度にギシギシと不自然な音が鳴った。
男は四肢全部を失っており、全てを金属で補填していた。
両足は太ももから先が、左腕は肘から先が、そして右上半身は肩から先が――全部、鉄のそれだった。
「さーて……」
二流傭兵。
三流冒険者。
四流呪術師。
中途半端が己が自身。そんな男、セージ・ソムニア。
彼が四肢やその他を失って九つの月が過ぎ、人知れず十八歳になった。
こうしてセージが薄気味悪さ伴う森林に来た理由は――仕事だ。
「呪い殺すとしますか」
これが、リハビリを経た呪術師の『復帰戦』だった。
九ヶ月ぶりのマトモな『戦闘』
だけど、セージの顔には緊張や恐れは全くなく、むしろ、晴れ晴れとしていた。
――とにもかくにも慣れである。
無くした体の一部を補った彼が思ったのは、先ずそれだった。
慣れ親しんだ体に異物を取り込んでいるのだ、差し当たりは鉄の四肢に慣れることが先決だ。
セージが着けているのは、戦闘用の、それもかなりグレードの高い義肢だ。
高い金を払った甲斐があり、その新しい四肢は、割とすんなり彼の体に馴染んだ。
ちなみに、この高い買い物のおかげで、彼がこうなる切欠になった仕事の賃金、プラスその折に討伐した獣の剥製を売ることで得た金、それら全部が綺麗に吹っ飛んで行った。
元来無駄使いはしない性質のセージだ。かなりの貯金があったのだが、義肢のメンテナンスの為の道具の購入費、失った造血剤やナイフの補充費用、リハビリ時は金の稼ぎ様がほとんどなく、その間の生活費。
それらをこの九ヵ月で全部使い果たしていた。
彼の今回の『仕事』は、ただ単に復帰戦と言うだけでなく、生活費を懸けた戦いでもあるのだ――他にも理由はあるのだが。
義肢の扱い自体にはもう慣れており、それで何か生活に支障が出る事もなくなっていた。
しかし、所謂『実戦』においては違う。
そこそこ戦場に立った経験のあるセージは、戦いの場において常に思ったとおりの動きが出来るとは限らない、と言うことをよく知っていた。
だからこそ、彼はここに居る。
リハビリにより四肢はきちんと動く。戦いにおけるシュミレートもした。
あとは、その通りの事が実際に出来るか、だ。
復帰戦であるこの仕事は、同時に最終テストでもあるのだ。
――生まれ変わった彼がこの世界で生きていけるかどうか。
それを確かめる為、と言うのが理由の一つ。
更に、最近彼はとある話を聞いていた。
近頃、『血を抜かれて死んでいる獣』が多い、と。
ここ一年ほど、この国、エーアゾルは、どういう訳か凶悪な獣が多く現れている。
思えば、セージが対峙したゲールタイガーも、前代未聞の六匹同時出現だった。
この理由は未だ明らかになっていない。
世界周期的にたまたま獣が多くなっているだけ、と提唱する学者も居れば、どこぞの国のとある宗教は『戦争ばかりしているから天罰が下っている』と言ってたりもする。
ただ分かっているのは、事実として獣は増えている、と言うことだ。
彼の今回の仕事。それは、森林に群れを為している狼、シグレウルフの討伐だ。
御他聞に漏らず、ここに住む狼たちもその数を増やしており、森林のみならず近隣の町に度々姿を見せているらしい。
然程手ごわい獣ではないし、言ってしまえば数が多いだけであるのだが、それでも一般人には手に余る。
よって、狩人を募集していたその近隣の町に、セージは雇われた訳なのだが……
そこで、彼は先の噂話、『血を抜かれている獣』を思い出した。
リハビリ中、セージは、その噂を聞いた知り合いたちに『お前の仕業じゃねぇの?』と何度も何度も聞かれていた。
無論、彼ではない。それは聞いた知り合いたちも分かってはいたが、血を抜いて獣を仕留めると言うやり方は、少なくとも彼らが知っている限り、セージ以外は取らない。
ではどうしてか?
この国にはいない吸血性の獣が流れ着いた、と言う説や、セージの様に血を操る人間が狩っている、などの考えが渦巻いたが、明確な根拠はなかった。
目撃者が居らず、狙われているのが獣だけ、と言うのが主な理由である。
吸血性の獣なら人間も襲う筈だし、逆に人間の仕業ならわざわざこっそりやる必要がない。大体において、獣を狩るという行為は近隣から報酬が出るものだからだ。
分からない、だからこそ興味がある。
セージは義肢の扱いに慣れ、いくらか体を鍛えもしたが、彼の要である『呪術』はいまいち成長していなかった。
単純に才能がないと言うだけじゃなく、頭打ちになってしまったのだ、血操呪術の成長が。
リハビリ中、新たに血操の新地に至りもしたのだが、それ以上の高みは、どうしても見れなかった。
――拙い。
例えば彼の体術。これは殆ど変えようがない。一応は呪術師の彼だ。派手な運動には向いてない。
四流だろうが、才能がなかろうが、それでも呪術師なのだ。なれば、やはり彼の生命線は『呪術』なのだ。
その成長が、止まってしまっていた。伸びる余地が、彼には見つからなかった。
無論、彼は自身の『強さ』に満足していない。出来得るなら、もっと高みを見たい。
呪術に関しては、誰かに教授して貰えばまた変わる可能性もあるかも知れないが、そんな人間はいない。先ず呪術師の数自体も少なければ、セージにはそんな知り合いもいない。そもそも、彼の呪術は基本から大きく外れているのだ。教えようも無い。
だからして、もし、その血を抜いている何かに会えれば、己の血操の成長にヒントが得られるのではないかとセージは考えたのである。
しかしこれは、仕事の理由の一つと言うよりは、ほとんどおまけみたいなのものだ。
偶然仕事中にその「何か」に会い、それが自分のヒントになる――あまりにも都合の良い考えだ。
端から期待はしていない。そうなればいいな、程度だ。そうそう運が良くなければ、それが成されることはない。
しかし、だ。
セージは、ピタリとその歩みを止めた。
彼の視線の先には、横たわる獣が一匹。
灰色の毛を纏ったそれは、件の獲物、シグレウルフだった。
普段は群れているはずのその狼は一匹だけで、しかも物言わず、動かず、つまるところ骸だった。
セージは身を屈め、その死骸に触れる。
鉄の腕で獣に触れたところで、彼には何の感触も伝わっては来なかった。
――――別に、感触を味わいたい訳ではないし、獣の体温を調べたい訳じゃない。
彼は血を操る呪術師だ。あらゆる血流に関して一言家である。だかしかし、獣の死体からはその『血流』が分からなかった。死んでいるから、ではない。そもそも血の感触自体がないのが問題なのだ。
死んでいるそのシグレウルフは一見無傷に見える。
セージは手早く右手を動かした。
親指を二回折り曲げ、人差し指を二回曲げ、最後にまた親指を一回。
すると、手首の甲の部分からカシン、と鋼鉄の刃が飛び出た。
――ギミックブレード。せっかく義肢にしたんだから、と着けた鋼の刃。
そのまま、彼は獣の死体に向けその刃を突き立てる。
そして、大きく抉る様に刺した刃を、勢いをよく引っこ抜いた。
その後、右腕のブレードを見て、セージはにやりと笑う。
(当たりだ)
死体を貫いた刃には、しかし血が殆ど付着していなかった。
勿論、全く着いていない訳ではないのだが、これまで深く出し入れすれば、死体と言えどもかなりの出血は免れない、筈なのだ、本来なら。
セージは先ほどの指を動きを繰り返した。親指二回、人差し指二回、親指一回を折り曲げる。
そうすれば、甲から出ていたブレードが引っ込み、腕の内部に収集されていった。
「やっぱりツイているな、僕は」
立ち上がり、満足そうに頷くセージ。
『無傷で、しかし死んでいて、血が抜き取られている』
大当たりだ。このシグレウルフは、「何か」に血を抜かれてしまっていたのだ。恐らくは、噂の「何か」に。
そして、死体は腐食も進んでいない。つまり、屠られてからそう時間は経っていない。
と、言うことはだ。
「近くに居るぞ……!」
セージは更に笑みを深くした。
獣から丸々血を綺麗に抜き取った、少なくとも対象を失血させることに関しては自分よりは上であろう、その「何か」に思いを馳せ、セージは少年の様に瞳を煌かせた。
セージは、強い興味を持った。
彼とて、やろうと思えばほぼ全部の血を抜くことは、出来ない事はない。
ないのだが、そもそもやる必要がないのだ。相手を失血死まで持っていければ、それ以上の流血は要らない。
だけれども、シグレウルフの死体は、ほぼ全部血を失った状態で横たわっていた。
何かしらの理由でそうする必要があったのか、それとも特に理由はないのか、今の段階では分からない。
分かっているのは一つだけ。
そう遠くないところに「何か」が居る。
セージはぶるりと体を震わせた。
怖いわけではない。強がりでも何でもなく、彼は恐怖など感じていなかった。
武者震い。ゾクゾクと心地良く震える己の魂に、セージは一人で色めきだっていた。
ああ、一体何者なのだろうか。獣の類か、それとも人か。何なのか。
どうやってここまで血を抜いたのか。自分と同じ方法か、それとも違うか。
なぜそうする必要があるのか、意味はあるのか、ないのか。
それが自身のプラスになるのか、ならないのか。
「何か」は獣だけではなく、己を狙う可能性も、なくはない。
さすれば、その「何か」と戦うこともあるかも知れない。
それを想像すればするほど、彼の心は、魂は、漆黒に燃える。
これからどうなるのか、あるいは、また命を懸ける――『懸けることが出来る』のだろうか。
またあの時の様に、血に塗れ、呪いを撒き散らし、魂煌く刹那の時を、ああ、過ごすことが出来るのだろうか。
自然、更に頬が歪む。口から出る笑いは、最早抑えられない。
「はっ、ははっ」
生きる為に命を懸ける。
だけど、それは手段ではなく目的だった。
命を懸けた時の情熱を、快感を、またもう一度――――――
狂気とも捉えられるその『生き様』は、しかしそれが彼の全てなのだ。
シグレウルフの群れは、確かにリハビリの最後としては相応しいのかも知れない。
だけど、それだけでは恐らく物足りない。それが、彼には分かっていた。
まだ「それ」と戦うと決まってはいない。それどころか、まだ近くに居るだろう、と言うだけで会えるかどうかの保証もない。
しかし、退屈だったリハビリを思い返せば。
しかし、ゲールタイガーとの死闘を振り返れば。
どうしようもなく、彼の気持ちは逸るのだ。
「……ま、何はともかくシグレウルフか」
魂は熱く、されど頭は冷静だった。
再び、ぬかるみ多い暗き森林を歩く。
情報に寄れば、先にある洞窟にシグレウルフの巣があると言う。
先ずは、そこに行くのが先決だ。
行って、実際狼との戦闘になるのか、あるいは「何か」と会うことになるのか。
それはともかく、なんにせよ、だ。
ぐっと手を強く握る。ギシリと軋む音を鳴らし、呪術師は九ヶ月振りの戦闘に備える。
「ふぅー……!」
興奮を抑えるように軽く息を吐き、セージは獣の巣に向かっていった。
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『それ』は、森林を歩く男を見詰めていた。
鉄の四肢を持ち、気味悪く笑う男に、『それ』は強く興味を持った。
当初の『それ』の予定では、一も二もなくシグレウルフどもを根こそぎ屠るつもりだったのだが――
――予定変更だ
群れから逸れていた一匹を仕留めた『それ』は、人の気配を感じ、身を隠した。
さすれば、一人の男が現れ、『それ』には理解できなかったが、男はにやにやと笑っていた。
――いいな、あいつ、凄くいい。
男をジッと見ていた『それ』は、やがて音もなく、隠れていた草木から姿を消した。
――お手並み拝見だ。
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この章はメインヒロイン登場章になります(にっこり)




