03
「が、はっ……ぐっ、う、ううう……!」
森の中を、ただゆっくりと、一人の呪術師が歩いていた。
長い前髪を不気味に揺らし、息を吐き続けながら呪術師、セージは出口に向かい森を進む。
彼は、左腕の肘から先を失っており、更に言うなら右肩から先そのものも無かった。
揺れる視界。揺れる世界、揺れる体。着ている服は最早返り血で一杯で、彼の顔もまるで血化粧の様に赤い斑点が踊っていた。その他にも、先に流した様々な液体の跡が、彼の顔を彩っていた。それは汚く、無様で、醜悪だったが、彼は気にも留めない。留める気力がなかった。
体力も限界。魔力はない。失った身体の部位が、嘆くように強い痛みを放っている。
「うっ、く……くそ……」
――体のバランスが上手く取れない。
「っは、あ、ああ、ふっ、うくっ…………」
堪らず、手頃な木に寄りかかり、背中を預けるセージ。
ふと、己の首に掛けている小瓶を見る。
先ほど、腕が無い状態で無理やり口で蓋を開け、中身を殆ど地面に落とした為、小瓶の中には赤い丸薬がただ一つだけ、物悲しく佇んでいた。
セージは、掠れた声で呟く。
「造血、剤は……高いん……だけどな……はっ、はは…………っごほっごほっ!」
自嘲する様に言い、無理に笑おうとしたのだが、それさえも儘ならず、セージは咳き込む。
ペッ、とその場に唾を吐く。赤い。唾に血が混じっている。
それは、造血剤の副作用によるダメージ。度重なる酷使に、胃が悲鳴を上げているのだ。
セージは笑った。声を出さずに、ただ頬を笑みの形にした。
――間違いなく、大赤字だ。
討伐の依頼料を、提示されたものから水増しで貰ったとしても、失った造血剤、失った両腕のことを考えれば、それは濁流の中に小石を入れる様なものだ。流れ出る金は、止まらない。
エーアゾルの義手は高性能だ。だから、勿論それだけの価値がある。早い話、高い。
造血剤だってそうだ。だけどそれは、義手に比べれば値段もそうだが優先度も低い。
しかし、その赤い丸薬は、彼にとって最後の砦、生命線なのだ。
セージが造血剤を使う時、それは、どうしようもない危険が迫っている時だ。
だから、切り札は常に手元にそろえて置きたいのだ。
今回も彼のその用心さが、その命を救っていた。ある意味では用心さが発揮しきれず、『油断』により四肢の二部を失ってしまったが、それは仕方ないだろう。あれはどうしようもない油断だった。命さえあれば、それも安いものだ。
(そう、安いもんだ……)
それでも生きているのだから。
血反吐を吐こうが、左腕がなかろうが、右肩がなかろうが、それでもまだ、セージは生きていた。
目的もなく村から出て。
意味もなく呪術師になって。
意義もなく冒険者の真似をして。
理由もなく傭兵になって。
主義もなく戦争に参加し。
当然の様に人殺しになった。
無論、後悔はない。有りの儘の全てを、セージは受け止めた。
と言うか、受け止めるしかなかった。
身の内に全ての業を入れて、だけどそれだけ。
セージは空っぽで、何を入れても、結局空っぽだった。
かつて、弟の大成を祈っていた心優しい少年は、何処かへ行ってしまった。
村の悪意に飲まれて、久遠の彼方へと消えてしまったのだ。
残ったのは、その抜け殻。
夢も希望も見なくなった、ただの四流呪術師。
ただ、なんとなく人生を過ごしてきた。村から出て、今までは。
初めての戦争を勝ち抜いた時は、多少の自信を得ることが出来た。
自分は生きていける、セージはそう思い、だけど思っただけだった。
その自信は、他には何の影響も与えなかった。
――傭兵としてそこそこやっていける自信。
言ってしまえばそれは、「食い扶持に困らなくなる」程度の物でしかない。彼にとっては。
人生の目標、と言うものが、彼にはないのだ。
そして、それは今でもハッキリとはしていない。
これと言ったゴールを、彼は設けていない。
だけれども。
殺されかけて、死に掛けて、死にそうな、今。
漠然に、微かに、朧気に、この先が見えた、様な気がした。
高尚に表現するのならば、悟った、と言えるかも知れない。
セージは、ある意味で、真理の一端に触れていた。
人生とは、つまり生きることだ。
死にたくないから死にたくない。
そこに理由はなく、死にたくないから生きる。
だから、生きる。ただ只管に生きる。
何を犠牲にしても、自分の命を守り抜くのだ。矛盾してるかもしれないが、それこそ、死ぬ気で。
「生きる……生き抜く……!」
木に張り付いた背中を、強引に剥がし、セージは再びその歩みを進めた。
何時までもジッとしては要られない。それに、もうすぐ深い森から抜けることが出来る。
体はもう限界を超えていた。外傷も内傷も、彼がかつて経験したことがない程、とんでもない痛みを出している。
セージは歯を食いしばりながら、それでも足を必死に動かしていた。
ふらつく体を何とか制御しながら、一歩、一歩、確かに大地を踏みしめる。
(もうすぐ、もう、ちょっとだ……)
そうセージが思い、息を吐いた途端。
『――』
『――』
目の前に、ゲールタイガーの幼体二匹が現れた。
「……は?」
セージは口をポカンと開けて、間抜けな声を出した。
もしかしたら、痛みで幻覚を見ているのかも知れない、そうセージが思ってしまう程――
――それは、絶望の邂逅だった。
(な、んでだ、よぉ……)
セージは泣きそうだった。
痛みではなく、己を襲い掛かる理不尽に、黒い瞳に涙が溢れる。
元々の討伐予定は、幼体が二匹。
それが、どう言う訳か現れた成体二匹。
両腕を犠牲にして切り抜けた先に、止めの二匹。
そもそも、だ。
セージが知る限りではゲールタイガーは群れない筈なのだ。
なので、最初に討伐した幼体二匹以外との邂逅は有り得ないのだ。本来なら。
更に言えば、ゲールタイガーは森の深い所に居るものだ。
なのに、こうして現れた場所は、森の浅い区域。意味が分からなかった。
それが幼体のつがい、と言うのは、セージにとって気休めにもならなかった。
絶望はどう取り繕っても絶望でしかない。
幼体のゲールタイガーは、成体に比べれば楽に討伐出来る。
動きもそう早くなく、警戒心も薄い。
しかし、それでも獣は獣。
満身創痍のセージの目の前にいるのは、年若くとも『森奥の死神』なのだ。
セージはボロボロだった。
体力は空。魔力は空。腕がないからナイフも使えない。
目の焦点を合わすことさえも一苦労。呼吸は乱れ、内臓は軋む。
正しく死に体。死に掛けの体。
だけれども、この場で最初に動いたのは、他ならぬセージであった。
幼体は、警戒していなかった。
セージのことを、ただの餌としか思っていなかった。
何時でも食える、血まみれの肉としか認識していなかった。
だから、セージはより早く動けた。
彼が絶望して、自失し、愕然とし、泣きそうになった時間を差し引いたとしても尚、セージの方がまだ早かった。
彼は、確かに何もなかった。
体力、魔力、それどころか腕さえもない。
だけど、覚悟はあった。生き抜く覚悟が、死にたくない信念が、確かにあった。
空っぽではなかった。彼は抜け殻ではなく、魂詰まる呪術師・セージの姿が、そこにはあった。
――それに、武器ならまだあるだろう。
セージはここで、己が呪術師であることに、初めて感謝した。
彼がしたことと言えば、なんてことはない。
ただその場で寝転んだだけだ。
さっと後ろ手に倒れて、両足をゲールタイガーに向けただけ。
これしか、ないのだ。
逃げることは、出来ない。ならば、やはり迎え撃つしかないのだ。
ゲールタイガーは、二体。
――そして己の脚は、二本。ああ、ぴったりじゃないか。
彼は上体だけを軽く浮かし、全てを呪う様な低い声で呻った。
「来いよ、獣ども……!」
『――!』
『――!』
その言葉に触発されたのだろうか、二体の獣は、寝そべるセージに向け、同時に疾走する。
セージがしたことと言えば、祈ることだけだった。
この脚に噛み付く様に、祈るだけ。
『っ――!』
「あぐっ、あ、あああああああああああああああああああッ!」
果たしてそれは、彼の思い通りになった。脚が上手い具合に獣の視線にあるのが良かった。目の前の食いやすい部位に、経験浅い獣はまんまと釣られたのである。
二体のゲールタイガーはセージの左右の脚にそれぞれ噛み付いた。
それどころか、そのまま牙を食い込ませ、力付くで引き千切る。
無論、骨ごとだ。
人間の体なんて、獣の前にはどの部位も同じだ。柔らかいか、そこまで柔らかくないか、肉と骨の違いなぞ、獣はこの程度しか認識してないだろう。
ブチリ、ともう今日何度聞いたか分からない、己の一部がなくなる音に、セージは遂に顔を顰めることさえしなかった。
魔力は、確かに空だ。
だけど、代用出来ない訳ではない。
代わりはあるのだ。魔力の代わりが。
それは生命力。もっと言うのなら、寿命だ。
生命力と魔力には大きな関係性がある、と提唱したのは一体誰だったろうか、セージは人には興味がなかったが、その理論には深深と興味を持った。
魔術、とは簡単に言えば、魔力を別の何かに変えるものだ。
では呪術とは?
身も蓋もなく言えば、結局は魔術と同じもの。魔力を別のものに変化する術。
相違点を挙げれば。
肉体や精神に関わる魔法が呪術、と言う見解があれば。
魔術より禍々しく、忌み嫌われるのが呪術、と言う見方もある。
そして、寿命を魔力に変換する魔術。
無論、人はそれを呪術と呼ぶ。
――マギリンク・マイナストレード。
セージの体に魔力が滾る。
彼の未来を喰らい、生命力を糧に、ちっぽけで、だけど必殺の魔力が灯る。
何十年を引き換えに一瞬の魔力を得る。それは、不平等な取引だった。だけど、これしかない。これしかないのだ。
目をカッと見開き、滅茶苦茶に悲鳴を上げている体のアチコチは無視し、呪術師は、声高く叫ぶ。
「踊れぇええええええええええええええええええええええええええ!」
血操呪術、踊る紅血。
自身に流れていた血、ここで言うなら、彼の脚に通っていた血が、ゲールタイガーの体内で強く暴れ出す。
成体でさえ、碌に動くことが出来なかったそれを喰らった二匹は、無論、即その場に倒れ、やがては死に絶えた。
セージは残った魔力を使い、食い千切られた部位の止血を試みる。
それは成功したが、今度は血が足りない。
碌な才能を持たない彼が魔力を血に換えるには、造血剤が必要なのだ。
ますます霞む視界をなんとか制御しながら、首に掛けてある小瓶を見ると、先ほどまで一つあった造血剤は、そこにはなかった。
蓋が開け放しだった為、寝転んだ際に中身が飛んでしまったのである。
しかし、セージは幸運だった。
少し頭を動かせば、そう遠くないところに、赤い丸薬が鈍く光っているのが見える。
「くっ……ぐっ……」
腕もない。脚もない。碌に動けない。
セージはマトモに機能出来る左肘を軸に体を反転させ、うつぶせになる。
そうして、まるで芋虫の無様に体を揺らし、少しづつ、だけど確かに、彼は進んでいた。
未来を捨て、両腕も両足も捨て、あるいは尊厳を捨てて、それでも彼は前に歩んでいた。
死を突き放すように、生に向かい進んでいた。
「あ、っ……う、く……」
セージは、丸薬に到達した。
口を開け、そのまま地面に転がる造血剤に齧り付く。
魔力が血に換わる。これにより、失血による死は免れた。
しかし、当然。
「がっ、ふっ、ぅぇっ、っ、ああ……ぐ、ぅ……」
造血剤の副作用。内蔵へ掛かる負担。
禁じ手である三回目の摂取。
セージに齎される苦痛は、生半可なモノじゃない。
それどころか、だ。
「はっはぁっはぁっ、は……」
――ここから、どうする?
四肢は全滅。外部や内部問わず、強烈な痛みにより最早体を動かすことさえ儘ならない。
捨てて、捨てて、それでも尚、死は彼に這い寄っていた。
下がる生存率。死が、大口を開けてセージを待ち兼ねている。
しかし、セージは諦めていなかった。
「あぐ、ふっ、ふっ……ふぅー……」
浅く息を吐き、深く息を吸う。
途切れないよう、咽ない様、神経全てを集中し、彼は空気を肺に入れた。
そして。
「っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫んだ。
これ以上ないくらいにの絶叫が、森に響き渡る。
――これは、賭けだ。
「ああああああああああああ! ぐっ、……ふっ、ぅえ……あああああああああああああああああああああ!」
途中、嗚咽が混じっても、彼は叫ぶのを止めない。聴く者に恐怖さえ与える様な、おぞましい咆哮が木々を揺らす。
「あああああああああああああああああああ! だ、誰、か……はっ、あああああああああああ!」
ここは、森の入り口からそう遠くない。
もしかしたら、幸運にも、奇跡が起きて。
誰か、通りかかる『かもしれない』
誰か、見つけてくれる『かもしれない』
誰か、助けてくれる『かもしれない』
そんな不確定な『かもしれない』に、セージは己の全てを賭けたのだ。
死にたくない。
その一念だけを込めで。
セージは何もかも捨てて、ただ叫ぶのだ。
「誰かっ、誰かぁっ、あああああああああああああああああ! 助けろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
――その叫声は、情けなく、無様で、哀れで、だけど誰もそれを笑わなかった。
たまたま森を通りがかった冒険者たちが、後にそう語った。
三話で主人公の四肢が全滅。やったぜ。




